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第4話 ファンドーリナ公爵家
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それから数時間後。
「さて、公爵にも来てもらったわけだが、申し開きはあるかな?」
ファンドーリナ公爵邸の応接室に、クライド殿下がいらっしゃった。正確には、登城していた兄、フェリクスを連れてきた、と言った方が正しい。
兄は何事かと、バツが悪そうに私と同じ金髪をくしゃりとさせ、目つきの悪い紫色の瞳を細めた。
そんな顔をされても困ってしまう。
ご自分の母親の仕出かした後始末は、ご自分がしなくては。かつて貴方は私にそう言って、クライド殿下の婚約者になるように迫ったではありませんか。
けれど義母は兄の表情など見ていないとばかりに前へ出た。
「当然です! 何故、このような場を……それに私は何も――……」
「していない、とでも言いたそうだが、すでに録音済みだ。確か「伯爵家の分際で」と言っていたな」
クライド殿下はそう言いながら、デニス様から受け取ったコンパクトを開けて、義母に聞かせた。
「つまりこれは、王子の分際で、と言っているのに等しい発言だ。さらにいうと、ヴェルダー伯爵に対しても失礼だとは思わないか? 夫人に何もしていないというのに」
「私はそこの騎士……いえ、ヴェルダー卿に言ったのであって……」
「ヴェルダー卿はファンドーリナ公爵家に遊びに来ているわけではない。僕の婚約者であるヘイゼル嬢のためにつけた護衛だ。そのため、ヘイゼル嬢に何かあった時のことを考慮して、僕と同じ権限を持たせている。非常事態にいちいち承諾を求めていたら、間に合わなくなってしまうだろう?」
「ですがこの場合は、非常事態ではありません」
蒼白になった義母を擁護する兄。しかしクライド殿下は、想定内の返答だと言わんばかりに落ち着いていた。
「果たしてどうだろうか、公爵。考えればすぐに分かることだと思うが、夫人が持っているその扇。見た目が美しいのに、少し痛んでいるように見える。しかし新調したようにも見えなくはない。これは……」
「まるで何かを叩いたかのようですね」
デニス様の言葉に、今度は私の方が蒼白になった。
義母の美しい赤い扇。茶色の毛は地味だが、猫目のようにつり上がった緑色の瞳の下にその扇を持ってくると、妖艶に見えてさらに美しさを増すのだ。
そう、恐ろしいほどに美しく、残酷な眼差しが私を襲う。今はクライド殿下に、いや、デニス様に向けられているが、二人ともどこ行く風だった。
「大丈夫ですか? ベリンダ嬢。先ほども夫人に叱責されていましたが。まさかあの扇で叩かれたのではありませんか?」
「えっ、いや、その……」
そうです、と言いたいのに、鋭い緑と紫色の視線が刺さって言えなかった。代わりに、デニス様の裾を申し訳程度に掴む。
すると、クライド殿下に肩を掴まれて、デニス様の後ろに押し込まれてしまった。
「全く、これくらいしないか」
「しかし……」
「騎士で護衛なら、これくらいしても変に思う奴はいないぞ」
「そうですか。ならば、ヘイゼル嬢。いくらでも俺を盾にして構いませんから」
「っ!」
思わず二年前の狩猟大会で見た、デニス様の背中と重なった。あの時は座り込んでいたけれど、その大きさは変わらない。
頼もしくて、思わずその背中に縋りたくなった。けれどあの時も今も、それはできない。
兄と義母の前ではクライド殿下の婚約者を装わなくては、隙を与えることになる。この場は、クライド殿下が用意してくださった、道標なのだ。私自身が壊すわけにはいかない。
「さて、これで大体の状況が掴めたかな」
「何をおっしゃっているのですか? 妹が怯えただけで、決めつけるものではありません。なんの証拠もなく母を罪に陥れるような真似はやめていただきたい」
「本気でそうおっしゃられているのですか、ファンドーリナ公爵様。俺が何故、夫人に盾突いたのか。何も知らずに言ったとでも思うのですか?」
兄を前にして強気に出るデニス様。いくら隣にクライド殿下がいるからといっても、無謀なのではないか、と思ってしまう。
しかしアイコンタクトを取る二人を見て、それは杞憂に終わった。
私が後ろにいるため動けないデニス様に代わり、クライド殿下が扉の方へと歩いて行く。そして開けた先にいたのは……。
「お前たち! まさか売ったというのか、使用人の分際で」
「公爵。ここに僕がいることを忘れたのかい? 言葉には気をつけてくれ。公爵邸に着いてから、いや着く前から怒りを抑えているほどだからね」
「しかしこれは我が公爵家の問題です。使用人が情報を売るなど……」
「ファンドーリナ公爵!」
扉の向こう側にいるメイドの二人がスカートを握り締めた瞬間、クライド殿下が叱責するように兄を呼んだ。
「履き違えてはいけないよ。政略結婚とはいえ、ヘイゼル嬢は僕の婚約者だ。僕は婚約者を守る義務がある。そうでないと、公爵も困るだろう? ヘイゼル嬢が蔑ろにされれば、ファンドーリナ公爵も力を失うのだから」
「それをいうのならば、我が公爵家の力がなければ王太子になれないのではありませんか? 私を怒らせてもクライド殿下のためにはなりません」
「うん。そうだね。だから今のところは、夫人をヘイゼル嬢から遠ざけることで手を打たないかい?」
そもそもクライド殿下は王太子になりたくないわけだから、兄と取引をしても意味をなさない。だからこそ、クライド殿下はどこまでも強気だった。
「このまま公爵とは決裂して、婚約破棄をしても僕は一向に構わない。新たな後ろ盾を見つければいいだけだからね」
「そのような家門などありますか?」
「僕の母上の実家があるじゃないか。今は低迷しているが、このままヘイゼル嬢を王城に連れ帰り、父上に進言して養女にしてもらえるようにしたら、どうなるかな」
「クライド殿下!」
今度は兄が叫んだ。
「義理の娘に手を上げる女の元に置いておくのは危険だと。そしてそれを止めない公爵など信用できないと言えば、父上も分かってくださる。さらにこの話が広まれば、どうなるか。公爵なら皆まで言わなくても分かるよね」
当然、格好のスキャンダルとして社交界だけでなく、首都全体に広まるだろう。妹の虐待を容認した公爵。いや、自らも加わった、と。
さらにあることないこと噂され、社交界で孤立。邸宅から一歩出たら、国民から石を投げられるかもしれない。
妹を虐待したとなれば、使用人も……と当然、邪推するからだ。
上り詰めるのは難しいが、転落するのは簡単だ。
私はデニス様の後ろで、事の成り行きを静かに待った。
「分かりました。ヘイゼルから母上を引き離せば、よろしいのですね」
「フェリクス!」
義母が叫んでも、兄は容赦なく言い放った。
「私もそろそろ、母上には領地に引っ込んでもらいたかったので、丁度良いかと。このような母がいては、私も結婚できませんからね」
「それではまるで、夫人がいたからできなかったと言わんばかりじゃないか」
「事実ですから、仕方がありません」
「では父上に言って、公爵に似合う人物を見繕ってもらうように頼んであげようか」
「おや、クライド殿下が? それは是非」
しかしこれが、兄の転落を招くことになるとは、この時は露にも思わなかったことだろう。
「さて、公爵にも来てもらったわけだが、申し開きはあるかな?」
ファンドーリナ公爵邸の応接室に、クライド殿下がいらっしゃった。正確には、登城していた兄、フェリクスを連れてきた、と言った方が正しい。
兄は何事かと、バツが悪そうに私と同じ金髪をくしゃりとさせ、目つきの悪い紫色の瞳を細めた。
そんな顔をされても困ってしまう。
ご自分の母親の仕出かした後始末は、ご自分がしなくては。かつて貴方は私にそう言って、クライド殿下の婚約者になるように迫ったではありませんか。
けれど義母は兄の表情など見ていないとばかりに前へ出た。
「当然です! 何故、このような場を……それに私は何も――……」
「していない、とでも言いたそうだが、すでに録音済みだ。確か「伯爵家の分際で」と言っていたな」
クライド殿下はそう言いながら、デニス様から受け取ったコンパクトを開けて、義母に聞かせた。
「つまりこれは、王子の分際で、と言っているのに等しい発言だ。さらにいうと、ヴェルダー伯爵に対しても失礼だとは思わないか? 夫人に何もしていないというのに」
「私はそこの騎士……いえ、ヴェルダー卿に言ったのであって……」
「ヴェルダー卿はファンドーリナ公爵家に遊びに来ているわけではない。僕の婚約者であるヘイゼル嬢のためにつけた護衛だ。そのため、ヘイゼル嬢に何かあった時のことを考慮して、僕と同じ権限を持たせている。非常事態にいちいち承諾を求めていたら、間に合わなくなってしまうだろう?」
「ですがこの場合は、非常事態ではありません」
蒼白になった義母を擁護する兄。しかしクライド殿下は、想定内の返答だと言わんばかりに落ち着いていた。
「果たしてどうだろうか、公爵。考えればすぐに分かることだと思うが、夫人が持っているその扇。見た目が美しいのに、少し痛んでいるように見える。しかし新調したようにも見えなくはない。これは……」
「まるで何かを叩いたかのようですね」
デニス様の言葉に、今度は私の方が蒼白になった。
義母の美しい赤い扇。茶色の毛は地味だが、猫目のようにつり上がった緑色の瞳の下にその扇を持ってくると、妖艶に見えてさらに美しさを増すのだ。
そう、恐ろしいほどに美しく、残酷な眼差しが私を襲う。今はクライド殿下に、いや、デニス様に向けられているが、二人ともどこ行く風だった。
「大丈夫ですか? ベリンダ嬢。先ほども夫人に叱責されていましたが。まさかあの扇で叩かれたのではありませんか?」
「えっ、いや、その……」
そうです、と言いたいのに、鋭い緑と紫色の視線が刺さって言えなかった。代わりに、デニス様の裾を申し訳程度に掴む。
すると、クライド殿下に肩を掴まれて、デニス様の後ろに押し込まれてしまった。
「全く、これくらいしないか」
「しかし……」
「騎士で護衛なら、これくらいしても変に思う奴はいないぞ」
「そうですか。ならば、ヘイゼル嬢。いくらでも俺を盾にして構いませんから」
「っ!」
思わず二年前の狩猟大会で見た、デニス様の背中と重なった。あの時は座り込んでいたけれど、その大きさは変わらない。
頼もしくて、思わずその背中に縋りたくなった。けれどあの時も今も、それはできない。
兄と義母の前ではクライド殿下の婚約者を装わなくては、隙を与えることになる。この場は、クライド殿下が用意してくださった、道標なのだ。私自身が壊すわけにはいかない。
「さて、これで大体の状況が掴めたかな」
「何をおっしゃっているのですか? 妹が怯えただけで、決めつけるものではありません。なんの証拠もなく母を罪に陥れるような真似はやめていただきたい」
「本気でそうおっしゃられているのですか、ファンドーリナ公爵様。俺が何故、夫人に盾突いたのか。何も知らずに言ったとでも思うのですか?」
兄を前にして強気に出るデニス様。いくら隣にクライド殿下がいるからといっても、無謀なのではないか、と思ってしまう。
しかしアイコンタクトを取る二人を見て、それは杞憂に終わった。
私が後ろにいるため動けないデニス様に代わり、クライド殿下が扉の方へと歩いて行く。そして開けた先にいたのは……。
「お前たち! まさか売ったというのか、使用人の分際で」
「公爵。ここに僕がいることを忘れたのかい? 言葉には気をつけてくれ。公爵邸に着いてから、いや着く前から怒りを抑えているほどだからね」
「しかしこれは我が公爵家の問題です。使用人が情報を売るなど……」
「ファンドーリナ公爵!」
扉の向こう側にいるメイドの二人がスカートを握り締めた瞬間、クライド殿下が叱責するように兄を呼んだ。
「履き違えてはいけないよ。政略結婚とはいえ、ヘイゼル嬢は僕の婚約者だ。僕は婚約者を守る義務がある。そうでないと、公爵も困るだろう? ヘイゼル嬢が蔑ろにされれば、ファンドーリナ公爵も力を失うのだから」
「それをいうのならば、我が公爵家の力がなければ王太子になれないのではありませんか? 私を怒らせてもクライド殿下のためにはなりません」
「うん。そうだね。だから今のところは、夫人をヘイゼル嬢から遠ざけることで手を打たないかい?」
そもそもクライド殿下は王太子になりたくないわけだから、兄と取引をしても意味をなさない。だからこそ、クライド殿下はどこまでも強気だった。
「このまま公爵とは決裂して、婚約破棄をしても僕は一向に構わない。新たな後ろ盾を見つければいいだけだからね」
「そのような家門などありますか?」
「僕の母上の実家があるじゃないか。今は低迷しているが、このままヘイゼル嬢を王城に連れ帰り、父上に進言して養女にしてもらえるようにしたら、どうなるかな」
「クライド殿下!」
今度は兄が叫んだ。
「義理の娘に手を上げる女の元に置いておくのは危険だと。そしてそれを止めない公爵など信用できないと言えば、父上も分かってくださる。さらにこの話が広まれば、どうなるか。公爵なら皆まで言わなくても分かるよね」
当然、格好のスキャンダルとして社交界だけでなく、首都全体に広まるだろう。妹の虐待を容認した公爵。いや、自らも加わった、と。
さらにあることないこと噂され、社交界で孤立。邸宅から一歩出たら、国民から石を投げられるかもしれない。
妹を虐待したとなれば、使用人も……と当然、邪推するからだ。
上り詰めるのは難しいが、転落するのは簡単だ。
私はデニス様の後ろで、事の成り行きを静かに待った。
「分かりました。ヘイゼルから母上を引き離せば、よろしいのですね」
「フェリクス!」
義母が叫んでも、兄は容赦なく言い放った。
「私もそろそろ、母上には領地に引っ込んでもらいたかったので、丁度良いかと。このような母がいては、私も結婚できませんからね」
「それではまるで、夫人がいたからできなかったと言わんばかりじゃないか」
「事実ですから、仕方がありません」
「では父上に言って、公爵に似合う人物を見繕ってもらうように頼んであげようか」
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