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10話
③
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当然、冗談もサプライズも罠も何も無く。ビィズは客間に通された。
間と言える間などほんの数秒しか空かず、直ぐに「座って下さい」とソファを示される。小さく頭を下げ、素直に座った。
…それを確認してから。
「失礼します」
と、老紳士もソファ──テーブルを挟んだ、ビィズの正面──に座る。
ルナクォーツ家の現当主、ゲンガ・ルナクォーツ。ロウセンが『お爺さん』と慕う、老紳士。
年齢は確か70代後半──ロウセンからそのくらいと聞いた気がする──だ。…年齢のせいだろう、髪は綺麗に真っ白になっている。が、毛の量は少なくない。
その白髪はピシッと整えられ、オールバックにされている。切れ長の目には老人とは思えない生気と光があり、顔付きからして真面目で厳格そうだ。
そして、身長はおそらく180以上ある。立っていた時も座っている今も、腰は曲がっていない。曲がる気配も無い。…あらゆる意味でしっかりしている老人だと分かる。
「…それで、何のお話ですかな」
老紳士が切り出した。
同時に静かに扉が開き、細身の中年女性が入室して来る。…お手伝いさんだと思われる彼女は、2人の前にお茶を置くと一礼して去って行った。
「あの、まず…。本当に、物凄く、感情で喋ってるだけの話になってしまうと思うんで…最初に謝っておきます…」
「何のお話ですか」に対し、ビィズはまず謝罪を返した。…本当に『そうなる』と分かっているので、謝罪は最初にしておきたかった。
次に、相手が口を開くより早く「何のお話ですか」の問いに答える。…相手からの質問に、答以外の物を返したあげく黙るのは良くないと思った。
「ロウセン君と、テナエ……様、の事で。聞いてもらいたい話があるんです」
「…ロウセンとテナエ様、ですか?」
オウム返しをして来た老紳士を、睨む勢いで見つめ。
ビィズは短く、少量の空気を吸う。一拍分、息を止める。気合いを入れる。
「単刀直入に尋ねます! ゲンガさん、いや、ゲンガ様は! ロウセン君とテナエ様の好きな相手について、知ってますか!?」
「…………」
ソファから立ち上がらんばかりの勢いで、突然早口になったビィズを見。老紳士は黙った。
ゆっくりと、その視線が下へ向く。ゆっくりと…右手が口元に行き、そこにあるあご髭を撫で始めた。
…察する。彼、ゲンガは、ロウセンの気持ちについてもテナエの気持ちについても知っている。
当然と言えば当然かもしれない。2人と過ごした時間は、彼の方が自分よりも断然長いのだ。気付く機会も沢山あっただろう。
「……」
とりあえず、ビィズも黙る。
「知ってるんですね!?」と決め付けて、自分の話を進めてもいいのだが。
相手の方に、先に言いたい事があるのならそれを聞いておきたい。
「…知っておりますよ」
しかし、ゲンガはその一言しか言わなかった。
つまりビィズの話を先に進めてくれて構わない、という意味だ。
「知ってらっしゃるんでしたら、えっと! もう1回、単刀直入に! アタシが言いたい事の、結論を言います!!」
膝の上で両手を拳にする。力を込め、全身が震えそうになるのを必死で抑える。
再度短く空気を吸って、一瞬息を止め、その空気を声と一緒に吐き出した。
「ロウセン君とテナエ様がお付き合い、つまり交際するのを許して欲しいんです!! と言うか、本人達がそうしたいならそうしていいよって肯定してあげて下さい!!」
「…………」
老紳士が、髭を撫でていた右手を膝へやった。両目を閉じ、考え込んでしまう。
…頭では「また自分も黙って相手の発言を待とうか」と思ったビィズだったが、口が勝手に喋り続ける。
「い、一応色々…少しだけ調べました! 神友族が家を出て家名を変える事は無いとか、忠臣家の人が神友族の家に嫁いだり婿入りしたりした前例はあるとか…!
つまり、ロウセン君の方がリュヌガーデン家に行くならオッケー…だけど! ロウセン君はこの、ルナクォーツ家から出て行くわけにはいかない、みたいな状態なんですよね!」
「…そう…ですな。あの子は、誰に何を言われてもルナクォーツ家を捨てはしないでしょう…」
「はい! アタシだって、ロウセン君にルナクォーツを捨てて欲しいとは思わないです!」
口も纏う空気も重くなって行くゲンガとは反対に、ビィズの心臓はどんどん勢いを増す。喋る速度も増す。
「だから! 前例は無くても、状況によってはコレも有りだよ! って! テナエ様がルナクォーツ家に嫁ぐの前提で、2人がお付き合いするのを肯定して下さい!」
もう一度、『結論』を口にして。ビィズは鼻を鳴らした。
老紳士がゆっくりと、閉じていた目を開く。ビィズを見、低い声を出す。
「…気持ちは、分かります。しかし、やはり…神友族が己に仕える忠臣家に嫁ぐなど…。リュヌガーデンの名に傷が付くのでは、他の神友族からの印象が良くないのでは…と…」
その『低い声』には、ビィズへの敵意など含まれていない。ビィズに対し「何も考えず馬鹿な発言をする輩だ」などと思っている様子も無い。
ただただ重く、悲しそうな声だ。…彼もこの事で──何度も──悩んだのだろうと分かる。ロウセンやテナエを可哀想だと、諦めさせて申し訳ないと、思っているのだろうと分かる。
「傷が付いたりなんかしません!! 「自分の従者ン家に嫁ぐとかマジ~?」みたいに笑って来る神友族が居たら、そっちの方が神友族としてクソだとアタシは思います!!」
しかしビィズはその、ゲンガの声の重さも吹き飛ばしてやる…と、声量を上げた。
両手で机を叩き、その勢いのまま立ち上がる。お茶の入ったカップがやや揺れたが、中身はギリギリ零れなかった。
「前例を作ってしまうべきです!! この先の神友族のためにも!! ロウセン君と、テナエ様のためにも!!」
「……」
「それにその、も、物凄く言い難いんですけど…! ごめんなさい、なんですけど…! ルナクォーツ家の『血』みたいな物は、どう足掻いたって…もう途切れてしまってるでしょう…!?」
「…そうですな」
「だったら、いっそ! 名も無い一般人や、余所の貴族や、他の忠臣家の女性…とかをお嫁に貰うより、いっそ! リュヌガーデンの娘さんを貰う方がいいんじゃないかって思います!
特に他の忠臣家の女なんてお嫁に貰ったら、後々なんか…家の乗っ取りとか、そういう類の面倒臭い事件が起きそうじゃないですか! ルナクォーツの血は継いでないけど、そっちの血は継いでる云々で!
その点、テナエ様をお嫁に貰ったら、ほら! リュヌガーデンとルナクォーツは主と従者だけど、同じ血を分け合ってもいる家族みたいな物として、子孫の人達も仲良くやって行けそう…じゃ、ありません!?」
段々、自分でも何を言っているのか分からなくなって来たビィズだが。
それでも口は止まらない。とにかく自分の考えを伝えなければ、希望を通さなければ…と。膨張し始めたその気持ちが、口を止めさせてくれない。
「アタ、アタシは、その! 恥ずかしい話なんですけど! 友達がほぼ居ないも同然くらいの人数しか居なくて! 女性の友達なんて、本当に居なくて!
ロウセン君にもテナエ様にも、凄く良くしてもらって、嬉しくて感謝してて! 2人ともすっごくイイ奴だから、あんな2人が幸せを諦めたり妥協したりしなきゃ駄目なんておかしいと思うと言うか…!
2人が1番望んでる形、1番嬉しい形で幸せになってくれないと…こう…何て言うか────アタシが嫌、なんです!!」
…感情で喋っているだけになってしまうだろう、と。1番最初にそう謝っておいて良かった。
頭の端、冷静で居られている脳の1%分くらいが、そんな事を思った。長々と語って恥ずかしい。…そんな事も思った。
しかし。それでも。口は止まらない。
「…アタシは…」
冷静さを失っている99%が、頭の中が、ぐるぐると渦を巻いている感覚がする。
そして、その渦の中から……言葉がいくつか、浮かんで来た。
『キミには、ちゃんと…キミが好きになれた相手と幸せで居て欲しい…って思うんです。…ちょっとした顔見知りになった人間として』
いつだったか、ジュイがコクトに言われた言葉だ。
『…私個人の意見としては、やっぱり。ビィズさんがそんなに好いているなら、ビィズさんにはその彼と上手く行って欲しいなぁ…』
ビィズが、テナエに言われた言葉だ。
(────あ。…そっか)
ふと。冷静な1%が気付く。
諦めてしまっているロウセンやテナエに──事情や理由があると分かっていても──モヤモヤしてしまっていたのは。ムスッとしてしまっていたのは。
…男性と女性の恋愛で何を言っているのか、という気持ちだけではなく。自分が言われた、これらの言葉と同じ気持ちがあったから…なのだ。
「アタシは…ロウセン君の事も、テナエ様の事も、大切な友達だと思ってます…」
そうだ。だから。
「2人には、他から用意された相手とかじゃなくて……2人自身が本当に好いてる相手と、幸せになって欲しいです!!」
…そうだ。
2度目の恋の相手、恋敵、神友族、忠臣家、ビィズとしてやっておける礼……色々と考えはしたが。
結局の所、単純に。自分はいつの間にか、ロウセンとテナエを応援してしまっていただけなのだ。くっついて欲しい、2人に上手く行って欲しいと…思っていただけなのだ。
「……」
ずっとビィズに発言権をくれていた老紳士が、深く長い息を吐いた。
本当に感情だけで物を言っている、と呆れられてしまったのだろうか。ビィズは一旦、相手の言葉を待つ事にした…が、己の望まない返答をされた場合は食い下がる気でいる。
「あの子…ロウセンは。…私が引き取った、その日から」
「…?」
しかし、始まったのは予想とは違う話だった。
とは言え念の為。反撃態勢を解きはしないまま、続きを聞く。
「自分のような、冒険者達の捨て子が忠臣家に…と。己の身分について気にしていました。周囲の人間からも、その点で悪く思われるだろう、と」
「…………」
「そして悲しい事に…実際。我が家にやって来る使用人やお手伝いの方々。リュヌガーデン家で共に働く使用人達。…他の神友族に仕える、忠臣家の人間達。
様々な人間に、あの子は『身分』の件で馬鹿にされ、煙たがられ、下に見られました…」
俯く老紳士を見て、ビィズも思わず俯いてしまう。
昔から予想だけはしていたが、ロウセンは苦労も、嫌な思いも、やはりしていたらしい。
「ただ、我らが仕えるリュヌガーデン家の皆様は…変人一家と呼ばれる事もありますが、器の大きい、細かい事は気にしない方々でしてな…。
ロウセンも幼い頃からずっと気に入ってもらえていて、それだけが救いでした」
「そ、そっか…! それだけでも、本当に救いですね…」
テナエも、おそらく幼い頃からロウセンの救いの1つだったのだろう。嬉しくなる。
「…ですから、私はずっと迷っていたのです。長年、あの子の心の支えで居て下さった…テナエ様を、選んでも良いと言ってやれれば。あの子もテナエ様も、喜ぶだろう…。
しかし、忠臣家の人間が…しかも血の繋がりは無い、冒険者の捨て子が…主である神友族を嫁に貰ったりしたら。あの子はまた、いえ更に、『身分』の事で周囲から冷たい目を向けられるのでは、と」
「……」
「あの子は努力して、力も教養も十分に身に付けました。それで、近年ようやく…周りの人間も、あの子に何も言わなくなっていたのです。
ですから私は、あの子と同じ平民の娘を、分相応な相手を嫁に貰って…外からの罵倒など1つも飛んで来ない、平穏な人生を歩ませてやる方がいいと。…そう思っておりました」
友達として、2人に上手く行って欲しいと願うビィズと同じ。
ゲンガはロウセンの育ての親として、家族として。ロウセンが虐げられない未来を願っていたという事だ。
(…本当に、いい人と家族になれてたんだな…)
苦労も、嫌な思いも、沢山あったのだろうが。テナエだけではなく、この老紳士が居てくれた事も。…ビィズは──ジュイは、嬉しく思った。
いつの間にか反撃態勢を解いて、ぼんやりとゲンガを眺めていたビィズの視界…中央。ずっと立ちっ放しだったビィズに合わせるように、彼がゆっくり立ち上がる。
「ですが、友人である貴方の目から見ても…やはり。私が勝手に決めたあの子の幸せは……あの子の、そしてテナエ様の、幸せにはなり得ないのでしょうな」
真っ直ぐと背筋を伸ばす老紳士。今度はビィズがそちらに合わせるように、姿勢を正してしまった。
そのまま互いに無言で見つめ合う事…数秒。
「そうですな」
老紳士が頷いた。同時に彼が纏う空気が柔らかくなる。場の空気も、何となく軽くなる。
「いつになるかは分かりませんが1度、ロウセンとテナエ様…それにリュヌガーデン家の皆様。全員で、本音をぶつけ合い話し合う機会を設けましょう」
「…え…」
「そして、その場でロウセンやテナエ様がそれを望んでいるようでしたら。私は従者ではなく、ロウセンの親として…2人の味方になり、神友族が家名を捨てて忠臣家に嫁ぐ事を、良しだと意見します」
「…!!」
厳格そうな顔を緩め、笑顔でそう言ってくれた老紳士に。ビィズは一瞬で気持ちが舞い上がったと、はっきり自覚した。
先刻から感じていた嬉しさは、更に巨大化し。安心感と達成感も溢れ出し。全身がムズムズし。…そして。
「あっ! ありがとうございますっ!!」
ほとんど条件反射で、思い切り頭を下げて礼を言っていた。
「どうして貴方が礼を言うのですか」
視界の外で老紳士が首を振った気配がする。
ゆっくり頭を上げれば、彼は笑顔を保ったまま…やはり首を振っていた。
「ずっと、心の内で悩み、迷っていた事に…答を示して下さった。私自身が本当はどうしたいと思っていたのか、気付くきっかけになって下さった。礼を言うのは、こちらの方です」
「いや、そんな…!」
ビィズ──ジュイ──は本当に間違いなく。感情だけで。他の誰の気持ちも考えていない、自分の気持ちだけを語った。…だけ、である。
礼を言われるような事ではない。言われると、照れ臭いような納まりが悪いような微妙な感情が湧いて来る。
そんなビィズの──礼を受け取り難そうにしている──様子を見て、老紳士は微笑ましい物でも見ているかのように頷いた。
「こうして、私にお話までしに来て下さる。ロウセンやテナエ様に、貴方のような友人が居る事も……とても有り難いです」
言って、直後。老紳士の真っ直ぐ伸びていた腰が曲げられた。
その、あまりにも完璧で美しい一礼にどう反応すれば良いのか…迷ったあげく。ビィズは「こちらこそ」と、再び頭を下げたのだった。
…そして、ルナクォーツ家からの帰り道。
緊張感から解放され、自分にやれる事はやれたという満足感で胸がいっぱいになり、スキップをしながら帰る程度にビィズは浮かれていたが。
路地裏でジュイの姿に戻り、自宅に到着し、落ち着いた後。
自分は恥ずかしい発言をしていなかったか、無茶苦茶な謎理論を語っていなかったか、本当に感情論だけで喋っていたな…などと。脳内1人反省会が開かれたのである。
◇
時間が流れた。
研究者として働き、『波間の月影』で飲む、ジュイの日常が流れ。
タレント冒険者として働き、テナエとお茶を飲む、ビィズの日常が流れ。
…3月も、半分が終わった。
今日は職場に──アオ所長への用事という、よくある理由で──ロウセンが来るらしい。
(ちょっと…聞きたい話も、したい話もあるし…宅飲みにでも誘ってみようかな)
珍しく、否、初めて。ジュイはそんな事を思った。
ビィズが撮影をしなければならない回数も、あと1回。
つまり、『ビィズ』という逃げ道が無くなる日──ジュイがジュイとして色々頑張り始める日と定めた日──までも…後ほんの少し。
この状況が、そんな気分にさせたのかもしれない。
(オッケー貰えたら、早めに帰って最低限だけでも掃除しよう…)
決めて、携帯電話を取り出す。…カノハに、今日は行かないかもしれないと伝えるためだ。
(今なら多分、昼休憩中だから…大丈夫だよね、電話)
と当たり障りの無い事を考えていたはずの頭が、いつの間にか。行かないと言ったら残念がってくれるだろうか、と調子に乗った事を考えており。
…ジュイは電話の呼び出し音を聞きながら、自分に呆れて息を吐いた。
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