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10話
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大きいわけではない机の上に、2つのコップといくつもの酒瓶が並んでいる。
自分で作る事は出来ない故、適当に…そして大量に買って来た冷凍の食品──解凍済み且つ皿に盛り付け済み──も並んでいる。
綺麗と言える程にはならなかったが、与えられていた時間内に出来る範囲で掃除もした。
…そんな状態の、狭いリビングに。他の何でもない、『客』としてロウセンが迎え入れられる。
「ちょっと散らかってるけど、どうぞ…」
「うん。あ、これお土産。度数も低くて、ほぼジュースみたいなヤツだけど結構美味しいんだ」
「ありがと。…リンゴ味ね、美味しそう」
受け取った酒瓶を、他の酒瓶と一緒に机上に並べた。余れば後々1人で楽しませてもらうだけだ。困りは、一切しない。
ソファではなく、机の周囲に散らばる座布団の内1つを選んだロウセンを見。ジュイも座布団──ロウセンの正面にある物──に腰を下ろした。
何となくテレビを点ける。
「冷凍モノばっかりでごめんね」
「全然。冷凍モノ、僕も忙しい時よくお世話になるし」
「…え? もしかして、まさか…お爺さんも?」
「うん、僕より詳しい。どれが美味しいとか、どれがイマイチとか、ボリューム的に優れてる商品はアレだのソレだの…たまに語ってる」
意外だ。冷凍食品や即席食品には良い印象を抱かないタイプの老人だと思っていた。
それとも、神都の研究者達が作り出した『技術』である…という意味で──神都の民として──すんなり認めてくれているのか。
いや、難しいアレコレなど何もなく普通に「便利だ」と利用しているだけか。
「勿論。出来るだけ、ちゃんとした食事をするようにはしてるけど…。どうしても、時間が無い時はーって」
「…まぁ。ロウセンも、ロウセンのお爺さんも、毎日3食冷凍モノを食べる人間ではないよね」
他愛ない雑談をしつつ机上の皿達に向かって手を合わせた。倣うように、ロウセンも同じ事をする。
彼が適当な皿から適当な物を取り始めたのを確認し、ジュイは2つのコップに……まずは土産で貰ったリンゴ味の酒を注いだ。
「それで、ジュイ。今日はどうして突然、僕と宅飲み? 誘ってくれて嬉しかったけど」
「ん? んー…」
自分のコップを口元へ運び、1口飲んだ。
酒を飲み慣れているジュイの舌には、確かにジュースのように感じられる物だったが。これはこれで美味しい。
「どうして、て言う…はっきりした理由は無いんだけど。…もしかしたらー…ね」
「うん? もしかしたら?」
「来月、もう直ぐだね。その来月…4月か、もしくは5月か辺りに。引っ越ししようかなぁとか考えてて」
「…え? そうなんだ?」
「しないかもしれないけど、するかもしれなくてさ。…だから、まぁ。引っ越す前に1回くらいは、この家でロウセンともお酒飲んでおきたいなぁ…みたいな感じ」
実際に、まだ決めたわけではない。…と言うよりも、決まったわけではない。
だが、『ビィズ』が居なくなる日が近付くにつれ…色々と考えてみた結果。「そう出来たら良いな」と思ったのだ。
「そうかぁー。あ。住所変わったら、直ぐ教えて!」
「それは、当然。…職場変える気は無いから、なるべく駅に近い所がいいな…」
お互いに頷き合いながら、唐揚げに箸を伸ばす。レモンの味がはっきり分かる、ジュイ好みの唐揚げだ。
「後は…話しておこうって事があって。…今じゃなくてもいいんだけど。もう直ぐ新年度って言う、時期的にも区切りがいいし。ずっと、いつか聞いてもらおうって思ってた事だから今でいいかー…って」
「ああ、何となく分かる。時期的に区切りがいい時って、やれる事はやっておこうって気持ちになるな…僕も」
同調してくれた後、ロウセンは話の続きを待つ態勢になった。
視線はこちらから外さないまま、無音で唐揚げを食べている。本当に少しだけリンゴ味の酒を飲んで、満足そうにしている。
「本っ当に急にこんな話、て感じなんだけど。…その。実はね」
「うん」
「俺、同性愛者なんだよ。…要するに、男相手にしか恋愛感情抱けない男なんだ。生まれつき」
「……」
動いていたロウセンの口が止まった。白銀色の猫目がパチパチと瞬く。
その顔に見えるのは驚きの色、1色だ。嫌悪の色や、引いた様子は全く見えない。…それに一旦安心して、ジュイは続けた。
「カノハには、高等学校の卒業式の日に話した事なんだけど…。タイミングが無くて、ロウセンには話してなかった。…ホント、急にって感じだよね。ごめん」
「ううん。そもそも僕があんまり、ジュイやカノハとゆっくり喋れる時間取れないんだし…」
静かに緩やかに、といった風にロウセンの表情から『驚き』が消えて行く。落ち着いて行く。
そして彼は、手も口も止めたまま、やや俯いた。直ぐ、天井を見上げた。
「でも……そうかー…。成る程…」
少しの間、何か考えている素振りを見せて。猫目の向く先がジュイの方へ戻って来る。
「色々、腑に落ちる事が沢山ある気がする。そういう事だったんだなー…」
言って、浮かべられたのは笑顔だ。
どうやらロウセンは本当に、同性愛者に対して嫌悪感など抱かない人間らしい。
…相手がジュイ──古くからの友人──だから、というのもあるのかもしれないが。ともかくジュイは今度こそ完全に安心し、小さくホッと息を吐いた。
「腑に落ちる…色々って? …どういう?」
そして──安心感を噛み締めつつ──先刻のロウセンの発言を深く掘り下げようとすると。
ロウセンは、笑顔を少しだけ苦笑に変えて、首を傾げた。
「具体的にアレだ、コレだ、っていうのは出て来ないんだ」
「…そうなの?」
「うん。でも、高等学校時代から今日までの間…ジュイやカノハを見てて…こう、ふわ~っと。ぼわ~っと。疑問とか不思議だなーって感じとかが、する事が何度かあって」
「……」
「それが今、何か。ぽわぽわ~って消えたと言うか。あー…って何となく納得? …理解? …出来たと言うか」
要するに。ジュイがカノハに対する気持ちを忘れようとしていた事や、カノハがジュイに向けている気持ち等に、ロウセンは『何となく』気付いていた…という事だろうか。
しかし、『何となく』以上は分からなかった。靄がかかって形が掴めないような状態だったのだろう。それが今ちゃんと分かるようになった…という事か。
「…自分に向いてる物に対してはクソ鈍いのにね」
「うん? …え?」
「いや、何でもないよ」
左手で持っていたコップを机に置き、その左手で軽く髪を掻き混ぜてから。
ジュイは細く長い溜め息を吐き、小さく呻り、絞り出したような──否、実際に頑張って絞り出した──声で話を続ける。
「まぁ…で…その。今、と言うより最近…が、頑張ろうって思う、恋…を、した…違う、再開した…? んだけど…」
恥ずかしさで頭がどんどん俯いて行き、ロウセンが完全に視界に入らなくなってしまったが。
彼の居る方向から、パッと明るい空気が漂って来たような雰囲気を感じた。…友人との恋バナが出来る事を嬉しく思ったのだろうか。
「今年、色んな事があってさ…。…他人に好かれたい、て思うなら…やっぱり、不愛想じゃ駄目で。…愛想とか、愛嬌とか…そういうの、多少は振りまく努力が要るって…気付いてさ」
「うん。…そうだな」
「けど、ソレが…子供の頃の俺には必要だった知恵だけど。…大人になった今の俺は、別に…『周りの人間全員』に好かれたい、とは思ってなくて」
「うん。…うん」
ただ頷いて聞いてくれている。
…ビィズにとってのテナエが『有り難い友達』であるように、やはり。ロウセンは、ジュイにとっての『有り難い友達』だと。しみじみ、感じた。
「だから…いや、けど。周りの人間全員、じゃなくて。…す、好いて欲しいって思う奴、相手には…努力しよう…って」
「…うん」
「愛想を振りまく、とかじゃなくて。『何もしない』、をやめて。『好いてもらえる・気に留めてもらえる努力』…をする、みたいな…」
「うん…」
ロウセンの相槌が、回数を増す毎に嬉しそうになって行く。
見なくても分かる。彼は今、満面の笑みでこちらに視線を送っている。にっこにこの笑みだ。
「…だから。その、少しずつでも進展させたい…こ、恋の最中…だから。…努力を、しようと、思ってる…」
「うん! 応援する」
大きく息を吸って、大きく吐いた。真っ直ぐ勢い良く吐いたつもりだったのに、その溜め息はやや震えてしまっていた。
どれだけ照れ臭いと感じているのか、と。自分の情けなさが、情けない。
「今後、マジで時間がある場合だけでいいから…。…愚痴とか、相談とか、聞いてもらえる…? ああ、ソレを頼みたくてこんな話、したのかな…俺」
何せジュイの交友範囲は狭い。
カノハへの恋について、人に聞いてもらいたい話が発生した場合。聞いてもらえる相手の候補はロウセンしか居ない。…カノハには話せない。
「勿論聞く。ふふ。聞かせてもらえたら、相談相手に選ばれて嬉しいってなるし。何も聞かせられなかったら、スムーズに進んでるんだなって思えて嬉しいし。どっちでも嬉しいな、それ」
「……ありがと。…今、話聞いてくれてる事も含めて」
話したかった事、聞いてもらいたかった事…否、むしろ。吐き出したかった事と呼ぶのが正しい。頭の中でグルグルと考え、まとめ、とにかく声にして出したかった事だ。
それをとりあえず一通り吐き出し終え、ジュイは物凄く穏やかな気分になった。
誰かに、ただ話をする。それは思った以上に落ち着きを得られる行動なのだと……これも本当に、今年学んだ重要事項だと改めて実感する。
「で」
そして。聞いてもらう側として満足すると同時に、ジュイは聞く側に回る態勢になる。
笑顔のロウセンが飛ばした疑問符が見えた気がしたが、構わず問う。
「ロウセンは? …何か無いの?」
「へっ?」
…『ジュイが』あまり細かい事情を知っているのは不自然なので。
「ほら。俺達ってもう25でしょ。忠臣家なんて跡継ぎ云々の問題とか絶対あるだろうし。…そろそろ、結婚だのお見合いだのの話をされるーみたいなの。無いの?」
と、あくまでも「自分の恋バナからの流れです」と。「半分以上は野次馬です」と。そういう体を装っておいた。
「僕…!?」
ロウセンが猫目を見開いている。やや、顔が赤くなっている。
何かあるんだな、とニヤニヤ笑って見せたが。ジュイは勿論、何かある事は知っている。
「…僕は、まあ、その…うん。確かに、もういい歳だし…その方向の話も、した…と言うか」
視線を明後日の方向へやって、ロウセンが口ごもる。ニヤニヤを保ったまま、ジュイは黙る事で続きを促した。
「先月、2月の…真ん中より前だったと思う。お爺さんが、こう…結婚とか好いてる相手とか…について。どう思ってるか、世間体とか気にせず僕の本音を聞かせてくれって言って来て」
「へえ」
「…取り繕っても無駄だし…色々、思ってる事を全部正直に話したんだ」
「それで、お爺さんは何て?」
「僕が1番そうしたいって思う選択をしなさい…って。お爺さんも、それに賛成するよーって言ってくれた…」
自然と笑顔になりながら、「じゃあ、そうするしかないね」とからかうように言えば。
ロウセンも苦笑いを浮かべて──しかし嬉しそうに──頷いた。
「相手方の家族、皆さんのスケジュールが合う日がなかなか無かったんだけど。来月…4月の頭に、丁度いい日があって。お爺さんが、その日に時間を下さいって相手方に頼んでくれて」
「なに? …娘さんを下さい、ていうアレ。やりに行くの?」
「ち、違う…え、いや、違わないのかもしれないけど…! とりあえずの、あっちとこっちの全員で家族会議…的な? 僕の希望を聞いてもらいに行く的な…」
自分のような一般神国民からすれば「別にいいじゃないか」で済ませたくなる話だ。…ゲンガに、全員で話し合う云々と聞いた時にもジュイはそう思ったが。
やはり神友族が忠臣家に嫁ぐとなると『両家の人間総出で話し合い』くらいはやらなければならないのだろう。
「つまり、頑張らなきゃ駄目ってコトだね」
「うん、頑張らなきゃ駄目。…頑張ろうって決めてる」
疑問形になっていないジュイの問いに、ロウセンは──また嬉しそうに──頷いた。
彼の表情に深刻さは全く無い。
…緊張は当然、物凄くしているだろうが。己の望みをそのまま言ってもいい、という事がロウセンにとっては──ジュイが思っていた以上に──嬉しい事なのかもしれない。
(ロウセンは今、未来が明るく見えてるんだろうな…)
そう思うとジュイの胸中にも嬉しさが滲み出て来る。
きっと上手く行くだろう、改めて自分も少しは力になれたのだろう。そんな言葉も滲み出て来て、更に嬉しくなる。
そして、ロウセンだけではなく自分も今。未来が明るく見えていて、更に更に嬉しい。
「…じゃ。お互い、頑張ろ」
「うん!」
胸の内だけに仕舞っておけなかった嬉しさが、「ふっ」と小さな笑い声になって外へ漏れた。応え、ロウセンも笑ってくれる。
どことなく清々しい空気に包まれる中、この遣り取りで恋バナが一段落した事をジュイは自然と理解した。
ロウセンも同じだったらしい。ほぼ止まっていた箸がスイスイと動き始めている。
『そしてこちらのお店では、色んな味のフルーツジュースがあるとのお話で!』
『はい! 世界各地から最高品質の果物を仕入れてまして! どの味もオススメです!』
点けっ放しになっていたテレビの音声が、気に留まるようになった。
ちらりと目を向ける。
画面中央ではマイクを持った中年女性と、ジュース屋の店員らしき青年が喋っている。画面の隅には『今年度の総集編』とテロップがあった。
…毎月、月の初めに『先月の娯楽番組・総集編』という物が放送されていたが。ソレの『今年バージョン』をやっているようだ。
『ほう、氷の量も多め・少なめ・普通…と選べるのだな! これは有り難い、我は大量の氷が入った冷た過ぎる物は飲めなくてな』
『本当に色んな味がありますね…。王道は一通りあって、後は…イチゴ、メロン、ペアー、レモン、グレープフルーツ、ピーチ、アプリコット…。へえ、ミルク入りにも出来るんですか』
カメラが中年女性と店員から逸れ、レンゲルとコクトが映る。
何度かあった、ビィズは出演しなかった回だ。
『あ、酸っぱさの方が強いけど、甘さもちゃんとある…。友人に飲ませてあげたいですね、このレモンジュース…』
『我も1つ頂こう、全身全霊をかけて食レポするぞ!』
何を思うでもなく、ジュイがただぼんやり画面を眺めていると。
「…タレント冒険者さんも、もう直ぐ入れ替わる時期だなぁ…」
勢いの無い、極めて柔らかい声でロウセンがそう言った。
視線を彼の方へやる。…猫目は画面を見つめたままだ。
「ジュイは今年のタレント冒険者さん、好きーって人とか、応援してる人とか、居た?」
「……」
裏も思惑も、ついでに中身も意味も無い……ただの世間話が始まったらしい。
平和な空間だな、と和みながら。ジュイは視線をテレビ画面に戻した後、素直に返事をする。
「…コクトさん」
「あ、やっぱり。…ふふふ」
へにゃりと、力の抜けた笑い方でロウセンが笑う。
コップの中身も、皿の食べ物も、ゆっくり・のんびり減って行く…穏やかな一時は、こうして流れて行ったのだ。
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