追放されたお姫様はおとぎ話のごとく優しい少年に救われたので恩返しします。

進藤 樹

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浦島一家の末裔

「おはよう。姉さん」

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 翌朝も猛暑日だった。じっとりとまとわりつくような寝汗をシャワーで流して、ある程度夏休みの宿題に手をつけながら時間を潰し、慶汰は一人、家を出る。
 家から鎌倉駅へと自転車で向かい、電車とバスを乗り継いで、都合一時間半の時間をかけて、大きな総合病院の入院病棟へと足を運んだ。

 目的の病室は一人部屋だ。洒落っ気のないベッドに若い女の人が横たわっていて、生命維持に必要な様々なものが残酷に繋がれている。
 血の繋がった家族だというのに、部屋に入った直後に見る姉の姿は、まったく無縁な別人のような雰囲気を覚える。その感覚が、慶汰は無性に嫌だった。
 無機質な心電図の音が、無慈悲に時間を刻む。

 浦島海来。慶汰の姉で、本当なら今年で大学二年生……一番楽しい時間を謳歌していたはずだった。
 慶汰は薄い掛け布団の中から海来の右手を少しだけ引っ張り出して、握った。

「おはよう。姉さん。今日もよく晴れてるよ。暑すぎて雨が降ってほしいくらいだ」

 返事はない。相槌もない。あたりまえだ。
 それでも、声をかけ続けていれば、いつか目を覚ましてくれるかもしれない。
 そんな希望に縋るように、慶汰は毎日一時間、姉の側にいることを自らの責務としていた。学校がある日は放課後すぐに来て、一時間。予定がない休日は面会時間の頭から来て、一時間。
 本当はもっと長く居たいというのが慶汰の本心だ。
 実際、まだ桜も咲いていない頃は、できるだけ面会時間を姉の病室で宿題をしたり話しかけたりして過ごしていた。
 だが、まるで取り憑かれたようにこの病室に入り浸る慶汰の姿に、まず母親がまいった。慶汰までいなくなってしまうのではないかと、ふとした拍子に泣き出すようになってしまったのだ。
 これ以上、家族が壊れないようにと父から言いつけられたのが、面会時間は一日一時間までというルールである。そのおかげか、今では母も持ち直し、海来が欠けた分だけ静かな時間と向き合えるようになった。

「ドライブ日和だと思う。クーラーガンガンにしてさ。俺も免許取れたら、家から駅までチャリ漕がなくてすむのに」

 海来がこんな状態になったのは、交通事故で車に撥ねられたからだ。見ず知らずの幼き少年が道に飛び出し、それを助けようとして目覚めることがなくなった。
 その頃、慶汰は中学校で科学部の部活動中でありその場に居合わせなかったが、同じ日の夕方には熱心に感謝を伝えようとする幼き少年とその家族から、優しく勇敢な海来への感謝を聞いている。
 脳に強い衝撃がかかったのだろう。命に別状こそなかったが、目を覚ますこともなくなった。今となっては海来の生命力だけが頼りだ。

「昨日は、なにがあったんだっけな。そう、いつものようにここを出た後、ちょっと岬に行ったんだ。で……あれ?」

 釣竿を振ったのは覚えている。だが、その後どうしたのかが思い出せない。
 慶汰はいつからか、海来の病室を出てからまた翌日見舞いに来るまでにあったことを語り聞かせるのが習慣になっていた。昨日のことを思い出すことに苦労するなんて、そう滅多に起きるわけがないとはっきりわかっている。にもかかわらず、思い出せない。

「アーモンドドロップ……いや、なんか違うな、コーヒードリップ……?」

 なにか記憶を思い出すとっかかりを脳に求めると、どうにもよくわからない単語が出てきて、慶汰は余計に混乱した。昨日はアーモンド味の飴なんて食べていないしコーヒーも飲んでいない。そもそもアーモンド味のドロップなんて美味しそうには思えない。

「え~と、まあそんなことはどうでもいいんだ。もしかしたら父さんから聞いたのかもしれないけれど、今度、パーティーがあるんだって。三日後だって言っていたかな。俺さ、この半年で身長五センチも伸びたんだよ。だから今日は父さんが新しいスーツを買ってくれるんだ」

 慶汰の家は、長く続いている深海調査会社の社長だ。仕事内容が仕事内容のため、道行く人々に尋ねても知っていると答える人はまずいないのだが、それでも会社は会社。社長は社長。慶汰は御曹司であり、海来は社長令嬢なのだ。

「俺ももう高校生になったし……どうすれば姉さんみたいにもっとかっこよく話せるようになれるのかな」

 会社の家族も参加可能なパーティーが開かれると、姉弟揃って大人びたスーツやドレスを身に纏い、両親にくっついて美味しいものを食べに行っていた。海来の外見には華がある。そこに活発さがプラスの魅力となって、パーティーではいつだって海来の周りには人が集まっていた。慶汰もいつもそばにくっついていたものだ。普段は会話に困っても海来が助け船を出してくれたが、今回のパーティーではそれがない。
 姉のいないパーティーは今回が初めてなので不安は大きいが、一番近くで見ていたという自負が、今の慶汰から欠席という逃げる選択肢を消していた。

「今度のパーティーはね、〝りゅうぐう〟竣工記念の打ち上げみたいなものなんだってさ。表向きの正式な式典は別にあって、そっちは出なくていいみたいだから、そこまで堅苦しいものではないらしいけど」

 最新のレーダーや機材を搭載した海底探査潜水艇〝りゅうぐう〟。
『未だ謎多き深海の神秘を丁寧に解き明かす』という売り文句を掲げたそれに、浦島深海株式会社も少なくない額を投資している。もっとも慶汰は父から写真を見せて貰っただけで、実物を見たことはないが。

「ん……?」

 慶汰は頭を抑えた。頭痛、というわけではなく、なにか大切なことを思い出せそうな、だがどうもそれがなんなのかよくわからない、もどかしい感覚に眉を顰める。〝りゅうぐう〟、竣工記念、打ち上げ、堅苦しい……先ほど口にした言葉を頭で振り返ってみるも、この中にド忘れした記憶を引き出してくれるキーワードがあるのかもわからない。

「なぁんか、姉さんに伝えておきたいことがあったんだよなぁ……」

 結局、約束の一時間が過ぎるまで思い出すことはできず、慶汰は「また来るよ」と声をかけて、海来の病室を後にした。
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