【完結】あなたを愛するつもりはないと言いましたとも

春風由実

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15.忘れていましたが初夜です

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 今、なんと?

 侯爵様と目が合います。というか、真正面から覗き込まれていました。

 隣に座る侯爵様が身を屈めて、私の顔を覗き込んでいたのです。
 ですから、近いっ。近いです。

「……初夜であることは覚えているか?」

「は!」

 失念していました。
 いえ、思い至りませんでした。

 すっかり白い結婚になるものだと思い込んでいましたし。

 初夜!
 あの初夜ですか!

 そ、そ、そうです、それはこんなに膨らんだお腹では失礼ですし!
 し、し、しかも、中身はたぷたぷですし!

 いけません、これはいけません。

「お、お、お、お待ちください。沢山食べてしまいましたし、そ、それに、あれです。改めて歯磨きなどをしてこなくては。よ、よ、用を足しにもいきたくて」

「ぶはっ」

 大きな手で口元を押さえると、侯爵様は震えていらっしゃいました。

 はっ!私は今なんと言ったでしょうか?
 用を足しに……あぁ、お花摘みにと言わなければならないのでした。

 言葉選びはくれぐれも間違えるなと、母からも言われておりましたのに!

 普段から令嬢らしい言葉遣いをしていないとあとで困るのですよってよく叱られていた意味が今になって分かります。
 あぁ、お母さまの言う通りにしておけば……。

「すまない。焦らずとも大丈夫だ。ただあまりにかわいくてな」

「なっ」

 なんですと。
 かわいいですって?
 聞き間違いではなくて?

 鉄のように頑丈そうだとか。
 何かあっても一人生き残りそうだとか。
 そんな褒められ方はしてきましたけれど……かわいい?

 また「ぶはっ」と息が漏れる音がします。
 揶揄われているのでしょうか。

「そうだな。お互いに焦ることではなかった。明日から三日間は仕事がないよう調整してあるし」

「え?」

「今夜はゆっくり語り合う夜にしてもいい。自制もなんとかききそうだと分かったから……私もまだしばし頑張れる」

「はい?」

 頑張る?何をですか?
 侯爵様も密かに何か頑張っていらっしゃったのですか?

「しかしだ。その服装はまずい。語り合う夜に合うものを侍女に頼んでおくよ。所用も済ませてくるといい。また何を言われるか分からぬが……あぁ、今日は慣れぬことで疲れたであろう。話は明日にしてもいいが」

「い、いえ。さほど疲れてはおりませんが」

 体力には自信があるほうです。
 ただお腹が空いたなぁとそればかり気掛かりでしたけれど、もう満たされましたし。

 それより侯爵様だってお疲れではないでしょうか?
 
「私も身体は丈夫だ。では、夜を通し親睦を深めよう」

 侯爵様がさっと持っていた私の手を持ち上げますと、その甲に顔を近付け……触れました。確実に触れましたよ。

 これは貴族における挨拶です。えぇ、知っています。知っていますが……我が領では私にこれをする人がいませんでした。
 おそらくは父がおそろしいので。

 え?私ですか?まさか、私がおそろしいだなんて、そんなことは。


 侯爵様は手を離すと、さっと立ち上がり部屋を出て行かれました。
 私は満足そうな微笑みを見て、その後に気付きます。そういえば、目を細めた渋いお顔が消えていたなぁと。

 それからもうひとつ。
 隣室に続く扉から入って来たのに、廊下に続く扉から出て行かれるんですね。

 入った扉と出た扉が違っていると、こうなんだか、むずむずと落ち着かない気持ちになるのですが。
 侯爵様は気にならないのでしょうか?


 というように関係ないことを考えていたら、なんとか心を鎮めることが出来ました。
 ふぅ、焦りましたね。

 これでもう大丈夫。
 今夜はないそうですが、後日改めて初夜を迎えるための準備をして…………準備?


 私はここでさらに重大なことに気付いてしまったのです。

 良好な夫婦関係を築く準備がまったくもって出来ていませんでした。
 その覚悟を持って嫁いで来なかったからです。

 もっとまじめに習っておくべきでした。
 閨での振舞い方もどうせ使うことがないと適当に聞き流していたのです。


 これは大分まずいのでは?
 何も知らず失態を重ねてしまったら、本当に嫌われて、離縁なんて運びにも……。
 準備もさせずに娘を嫁がせたということになって、我が家の印象も悪くなってしまうのではないでしょうか。


 侍女を連れて来なかったことを、今までよりもっともっともっと後悔しました。

 本当にどうしましょう?


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