【完結】あなたを愛するつもりはないと言いましたとも

春風由実

文字の大きさ
73 / 96

73.後のことは考えられず

しおりを挟む
「そうだわ、レーネ!あなたもどう?」

 部屋を出ようとしていたミシェルは、くるりと振り返り、満面の笑みで尋ねた。
 その昔、同じ年ごろの子どもたちを遊びに誘っていたときと同じ顔だ。

「え?」

 背中に回された両腕を片手で押さえられ、後ろから押し出すようにして無理やり歩かされていた妹に、なんとも言えない顔を向けながら、レーネは戸惑い周りを見渡す。

 しかし誰も目を合わせてくれなかった。
 皆、酷い。

「あなたも辛いのでしょう?鍛えましょう!」

「はい?」

「さっきから何を言っているのよ!痛い。痛いってば」

 辛いのでしょう?鍛えましょう!とはなんだ。
 ハルは額を手で押さえ、夫人は今も扇で顔をすっかり隠していた。

 そしてジンは──両手で顔を押さえてその指の隙間からミシェルを見詰め、何故か震えている。

 妻の変貌ぶりに驚いた……わけはないだろう。彼の目は潤んでいたのだから。
 まさかこんなはずではと泣く男ではあるまい。

「してしまった悪いことは消せないけれど、心は入れ替えられるわ!善良な魂は強い肉体に宿ると言うでしょう?」

 違う。そうではない。
 誰にも届かなかったハルの呟きである。

「善良な……?」

「おかしなことばか──痛い、痛いってば!手が痛いのよ!いい加減離しなさない!痛い~」

「だから今から鍛えるのよ!さぁ、レーネも行きましょう!」

 扇の向こうで夫人が頷いたことを確認してから、こわごわと立ち上がったレーネは、無理やり歩かされている妹とミシェルの後についていった。

 いい予感はしないけれど、いずれにせよ自分の未来は厳しいものになるのだから。
 この地でちょっと厳しくされておくのもいいかもしれない。と従姉妹への罪悪感からそのように考えたことは、すぐに後悔することになるレーネだったが、まだそれを知らない。


 そうして応接室を出ていく三名の令嬢と侍女。

 痛い痛いと叫ぶ声に「しっかり歩く!あなたは反省出来る子よ!」と叱咤激励の声、「すべての準備が整っております」と告げるシシィの声などがしばらく聞こえていたが、やがて部屋は静かになった。



 静寂を破るはぁ~と長い溜息はハルからである。
 夫人もまた扇を閉じて「仕方のない子ね」と囁いた。

「なぁ、ジン。あれでいいの?」

 顔を押さえてぶるぶる震える男を、白い目で見詰めながらハルは聞いた。

「君……何も変わっていないね?」

 ジンが急に顔からぱっと手を離す。
 露わになった瞳は虚ろで、どこにも焦点が合っていない。

「女神だ──女神を見た!」

「あー、うん、美しかったけれどさぁ」

「まごうことなき闘いの女神。あの頃と何も変わって──いや、あの頃よりずっと美しい闘いの女神だった──あぁ、どうしてだ。あれだけ特訓してきたのに、どの言葉も出て来やしない──あの無駄のない洗練された美しさを前にすればどんな言葉も──」

 特訓とは何だ……?
 気になったハルは、しかし口を噤んだ。
 藪蛇は避けるべきだ。

 だが誰かが止めなければ、ジンは永遠にその美しさを讃えるように思われた。
 それはそれで耳障りだし、目障りだな、と辛辣なことをハルが考えたとき。

 止めてくれる人が現われる。
 しかしそれはハルの期待した通りの展開を運ばない調べだった。


 バシン。
 扇を打ち付ける音に、息を呑んだハルの背中に嫌な汗がじわじわと広がっていく。

 もういやだ、こんな仕事は二度と引き受けないぞ。
 王都に戻ったら父と兄に猛抗議しようと決めたハルだった。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

王太子妃は離婚したい

凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。 だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。 ※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。 綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。 これまで応援いただき、本当にありがとうございました。 レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。 https://www.regina-books.com/extra/login

君への気持ちが冷めたと夫から言われたので家出をしたら、知らぬ間に懸賞金が掛けられていました

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【え? これってまさか私のこと?】 ソフィア・ヴァイロンは貧しい子爵家の令嬢だった。町の小さな雑貨店で働き、常連の男性客に密かに恋心を抱いていたある日のこと。父親から借金返済の為に結婚話を持ち掛けられる。断ることが出来ず、諦めて見合いをしようとした矢先、別の相手から結婚を申し込まれた。その相手こそ彼女が密かに思いを寄せていた青年だった。そこでソフィアは喜んで受け入れたのだが、望んでいたような結婚生活では無かった。そんなある日、「君への気持ちが冷めたと」と夫から告げられる。ショックを受けたソフィアは家出をして行方をくらませたのだが、夫から懸賞金を掛けられていたことを知る―― ※他サイトでも投稿中

白い結婚を告げようとした王子は、冷遇していた妻に恋をする

夏生 羽都
恋愛
ランゲル王国の王太子ヘンリックは結婚式を挙げた夜の寝室で、妻となったローゼリアに白い結婚を宣言する、 ……つもりだった。 夫婦の寝室に姿を見せたヘンリックを待っていたのは、妻と同じ髪と瞳の色を持った見知らぬ美しい女性だった。 「『愛するマリーナのために、私はキミとは白い結婚とする』でしたか? 早くおっしゃってくださいな」 そう言って椅子に座っていた美しい女性は悠然と立ち上がる。 「そ、その声はっ、ローゼリア……なのか?」 女性の声を聞いた事で、ヘンリックはやっと彼女が自分の妻となったローゼリアなのだと気付いたのだが、驚きのあまり白い結婚を宣言する事も出来ずに逃げるように自分の部屋へと戻ってしまうのだった。 ※こちらは「裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。」のIFストーリーです。 ヘンリック(王太子)が主役となります。 また、上記作品をお読みにならなくてもお楽しみ頂ける内容となっております。

《完結》金貨5000枚で売られた王太子妃

ぜらちん黒糖
恋愛
​「愛している。必ず迎えに行くから待っていてくれ」 ​甘い言葉を信じて、隣国へ「人質」となった王太子妃イザベラ。 旅立ちの前の晩、二人は愛し合い、イザベラのお腹には新しい命が宿った。すぐに夫に知らせた イザベラだったが、夫から届いた返信は、信じられない内容だった。 「それは本当に私の子供なのか?」

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

一年後に離婚すると言われてから三年が経ちましたが、まだその気配はありません。

木山楽斗
恋愛
「君とは一年後に離婚するつもりだ」 結婚して早々、私は夫であるマグナスからそんなことを告げられた。 彼曰く、これは親に言われて仕方なくした結婚であり、義理を果たした後は自由な独り身に戻りたいらしい。 身勝手な要求ではあったが、その気持ちが理解できない訳ではなかった。私もまた、親に言われて結婚したからだ。 こうして私は、一年間の期限付きで夫婦生活を送ることになった。 マグナスは紳士的な人物であり、最初に言ってきた要求以外は良き夫であった。故に私は、それなりに楽しい生活を送ることができた。 「もう少し様子を見たいと思っている。流石に一年では両親も納得しそうにない」 一年が経った後、マグナスはそんなことを言ってきた。 それに関しては、私も納得した。彼の言う通り、流石に離婚までが早すぎると思ったからだ。 それから一年後も、マグナスは離婚の話をしなかった。まだ様子を見たいということなのだろう。 夫がいつ離婚を切り出してくるのか、そんなことを思いながら私は日々を過ごしている。今の所、その気配はまったくないのだが。

婚姻契約には愛情は含まれていません。 旦那様には愛人がいるのですから十分でしょう?

すもも
恋愛
伯爵令嬢エーファの最も嫌いなものは善人……そう思っていた。 人を救う事に生き甲斐を感じていた両親が、陥った罠によって借金まみれとなった我が家。 これでは領民が冬を越せない!! 善良で善人で、人に尽くすのが好きな両親は何の迷いもなくこう言った。 『エーファ、君の結婚が決まったんだよ!! 君が嫁ぐなら、お金をくれるそうだ!! 領民のために尽くすのは領主として当然の事。 多くの命が救えるなんて最高の幸福だろう。 それに公爵家に嫁げばお前も幸福になるに違いない。 これは全員が幸福になれる機会なんだ、当然嫁いでくれるよな?』 と……。 そして、夫となる男の屋敷にいたのは……三人の愛人だった。

処理中です...