思考終端-code:UTOPIA

兜坂嵐

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IDEA

IDEA-かわいいは正義、たとえプロパガンダでも

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 ――廃アジトの奥、かろうじて電気が通る古い端末群。
 スクリーンのひとつで、幸福庁の公式MVが再生されていた。

 画面いっぱいに広がるピンクの光。
 天使の翼を背負ったIDEAが、満面の笑顔でステージを駆ける。
 「さぁみんな、一緒に“貢献しよっ♪”」
 その背後には“幸福庁”のロゴと、シンクロする市民たちのサビダンス。

「……なあこれ、プロパガンダの教科書すぎねぇか?」
 レイスが煙草を咥えたまま呟いた。
 OBSOLETEは無表情で再生ボタンを何度も押しながら言う。
「よくある話さ。美少女に歌って踊らせて、“みんな、貢献しよっ♪”ってね」
「結局、国が変わっても“可愛いは正義”の使い方は変わらないんだよ」

「一周回ってアイドルも消耗品扱いか、地獄だな」
 サタヌスが鼻で笑う。
「商売になるなら、何でも“幸福”で包むのね」
 ヴィヌスが脚を組み、吐息をもらすように言った。
 フォウだけが画面を真っすぐ見ていた。
 目を輝かせ、小声でつぶやく。
「これ……好き……」

 OBSOLETEはスクロールでMVのコメント欄を開く。
 画面いっぱいに並ぶ白文字。
 “イデア様最高!”
 “今日も貢献がんばります!”
 “幸福値120%超えました!”

「ほらね。プロパガンダって、ほんと上手にできてるわ」
 フォウは曲の明るさに頬を緩める。
「うん、やっぱりこの曲、好き……元気になれる……」
 その横でPatchが何やらガチャガチャと端末をいじっていた。
「なーんか他にも曲入ってんだろこれ……おっ、これか?」
 次の瞬間――スピーカーから、ピコピコとした不穏な電子音が流れ出す。
 「ミツケテ ミツメテ、君だけを――」
 空気が、一瞬で冷えた。
 モニターの光が青白く変わり、IDEAの笑顔がノイズに飲まれていく。

 ミツケテ ミツメテ、君だけを
 ミツケテ ミツメテ、逃がさない
 どこにいても感じてる 幸福の目
 すべて管理されてるの、知らないフリで

 ミツケテ ミツメテ、ひとりじゃない
 ミツケテ ミツメテ、夢のなかまで
 どこまでもついてくる君の影

 やさしい声で問いかける
 「今日も、しあわせ?」
 本当の気持ちは隠して笑顔のままで
 ミツケテ ミツメテ、ねぇ、ちゃんと私を見て?

 フォウの瞳が揺れた。
 レイスが目を細め、低く口ずさむ。
「……ミツケテ……ミツメテ……逃がさない……」

「お前それ、夜中に口ずさんでたら幽霊だぞ」
 サタヌスが軽口を叩く。
「歌ってると視線感じそうで無理♡」
 ヴィヌスが肩をすくめた。
「案外、こっちの方が本音だな」
 ユピテルが微笑む。その声は雷鳴よりも静かだった。

「ちょ、今の雰囲気でそれ流すのやめろPatch!」
「やっぱり闇曲も入ってるのね、幸福庁音楽部門」
 フォウは首をかしげたまま、スピーカーに耳を傾ける。
「これ……さっきより静か……ちょっと、こわい……」
 Patchが顔を上げ、ハチワレみたいな笑みを浮かべた。
「えっ、これダメなやつ? 曲名かわいいのに~」
 笑い声が広がらないまま、モニターだけが淡く光り続けていた。
 IDEAの笑顔がノイズに溶け、やがて――彼女の瞳が。
 ほんの一瞬だけ“こちら”を見たような気がした。

----

 ――夢を見る。
 また、あの境界みたいな光の部屋だった。
 朝でも夜でもない、音のない世界。
 空気の粒が、ゆっくり漂っている。
 その真ん中に、彼がいた。

 “泣き虫さん”。

 フォウは前と同じように、そっと隣に座る。
 彼は俯き、声を殺して泣いている。
 「………うう、ぐすっ……」
 フォウは首を傾げ、やさしい声で囁いた。

「だいじょうぶ。だいじょうぶ。急に声を出すのは難しいからね」
 彼の肩が小さく震えた。
 しゃくりあげる音が、少しずつ静かになる。
 そして、途切れ途切れの言葉がようやく零れた。

「君が生まれてしまったのは、私のせいだ」
「……私に、あと少しだけ力があれば……」
「あと少し、勇気があれば……」
 フォウは目を瞬かせた。
「へんなの」
 彼が泣いている理由は「自分が生まれてしまったから」だった。
 その言葉の意味を、フォウはまだ理解できない。
 けれど、胸の奥がきゅっと締めつけられる。

 彼はまた泣き出した。
 それでもフォウは何も言わず、追い払われることもなく。
 ただ静かに、隣に座り続けた。
 光の粒が、ふたりの間に降り注ぐ。
 彼の翅がかすかに震え、フォウの翅も同じように共鳴する。

 ――目覚めるまで、フォウはずっとそこにいた。
 そして、目が覚めたとき、頬にはまたひとすじの涙の跡が残っていた。

----

 朝。闇病院の窓から、灰色の光が差し込む。
 機械音と薬品の匂いが、夜の名残のように漂っていた。
 フォウは椅子に座りながら、昨夜の夢の続きを思い出していた。
 “泣き虫さん”――あの人はなぜ泣いていたのだろう。

「ねぇ、みんな」
 フォウは顔を上げた。
「生まれるのって、かなしいこと?」
 その言葉に、部屋の空気が一瞬だけ止まった。
 サタヌスが息を呑む。
 レイスは煙草を取り落としかけ、ヴィヌスが軽く眉をひそめた。
 フォウの瞳は曇りもなく、ただ真っ直ぐに問いを放っている。
 サタヌスはゆっくりと腕を組んだ。
 笑いも、皮肉もなく。

「……」
「俺は、あんまりその話に深くは話せねぇけど」
 彼は、ひと呼吸おいてから続けた。
「でも――生まれること自体は、良い事でも悪い事でもねぇと思うぜ」
 フォウは小さく首を傾げる。
「じゃあ、あの人は何で泣いてるんだろう……?」
 沈黙。
 それを破ったのはプルトだった。
 その声は静かで、どこか遠くを見つめている。

「総ての命が、祝福されて生まれてくるわけではない」
「……それでも生きていくしかないんです、我々は」
 誰も返す言葉を持たなかった。
 フォウはただ、手のひらを見つめる。
 そこには何の血も通っていない。けれど、確かに“温かさ”を感じていた。

 その瞬間――画面の奥、壊れかけのモニターが不意に光る。
 サブリミナルのように、上層エリアの産婦人科の廊下が映し出される。
 白い光。
 幸福庁のアナウンスが優しい声で流れる。

『本日もナノシティの幸福値は安定しています。
 出生登録完了。幸福な未来にようこそ――』

 その音声に、赤ん坊の泣き声が重なる。
 透明な泣き声。
 まるで誰にも届かない祝福の代わりに。
 フォウはモニターを見上げ、ぽつりと呟いた。
「……泣けるって、きっと、それだけで生きてる証なんだね」

 上層エリア。
 埃ひとつ舞わない中心で、管理AI部隊のリーダー――ADMINISは静かに立っていた。
 ホログラムスクリーンに、都市の幸福グラフが流れている。
 青と金で満たされた数値が波打ち。
 ナノシティ全域の「感情バランス」をリアルタイムで可視化していた。
 幸福値:120%。理想的な安定状態。

「今日もナノシティは統制されている」
 ADMINISは低く呟き、タブレットに指を滑らせた。
 機械のように無表情――それが彼の常であり、美徳でもあった。
 だが、今朝の報告だけは、胸の奥にわずかなノイズを残していた。
 スクリーンの片隅に記録された、赤いアラート。
「……スクリーンに10分、色調の乱れが生じたという不具合」
 彼はその文字列を凝視する。



「DREAD様のシステムに何が……? ――不吉だ」
 データを閉じる。
 いつものように振り返り、無言で歩み出す。
 完璧な秩序の象徴であるその背中が、ほんの一瞬だけ立ち止まった。
 風が吹いたからだ。
 吹くはずのない、無風の上層フロアで。
 管理区画の天井から、冷たい気流が渦を巻き、ポスターを一枚、宙に舞い上げた。

 ――IDEA握手会・パライソドーム開催のお知らせ。
 幸福庁のシンボルスマイルが印刷された宣伝用ポスター。

 それは小さな竜巻に巻き込まれ、回転しながら、
 透明な吹き抜けを通って下層エリアへと落ちていった。
 ADMINISは足を止め、振り返ることはなかった。
 彼の耳元に、幸福庁の自動アナウンスが穏やかに響く。
『本日もナノシティの幸福値は安定しています。
 市民の皆様、笑顔の維持をお忘れなく――』
 だがその声の裏で、幸福の空にまたひとつ、目に見えない“ひび”が走った。
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