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SHAMBHALA
SHAMBHALA-世界は、美が燃えても
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闇病院の中庭には、夕刻の光が細長く落ちていた。
第三のエージェント AVA LON を倒してから数日。
外界はまだ煙の匂いを引きずっているというのに。
ナノシティの情報網はすでに次の“幸福話題”へと進んでいた。
病院のロビーに設置された大型モニターから、ワイドショーのジングルが軽快に流れる。
パーソナリティのテンションは妙に高いが、話題はどこまでも軽薄だ。
「続いての話題は、昨日未明に起きた“幸福庁エージェントAVALONデリート”事件です!」
画面には天使AVALONのポスターと「市民の鏡」といったテロップが踊る。
「AVALONさん。推せる天使として多くの市民に親しまれてましたよね~!」
とまずはお決まりのリード。
「彼のデリートは本当に衝撃でした。
“正しさ”の象徴が消えたことで、AI社会もまた新しい段階に入るのかな、なんて」
「うちの息子も、“AVALONみたいな筋肉になりたい”って言ってたのに~!」
とおどけて見せ、軽い笑いが起きる。
「一部の市民からは“これで本当の多様性社会がくる”なんて声も出てますが、どう思われますか?」
「でも結局、新しいAIがまた出てくるだけなんじゃないですか?」
「社会全体としては、誰が上でもあんまり変わらないですよね~」
ナノシティのワイドショーが流すのは。
完璧にデザインされた“幸福市民像”としてのAVALONばかり。
司会者が「理想的な筋肉と規律!」「正しさの象徴!」とテンション高く持ち上げてみせる。
――外界に放棄された土地は、ナノシティにとって“存在していない”のと同じ。
フォウは院内の古い掲示板に貼られたニュース配信の静止画を見つめていた。
火柱のように赤く染まったルーヴルの外壁。
崩れ落ちる美術館のガラス、そこに吹き上がる灰。
誰もそれを悲劇と呼ばない世界が、彼女にはまだ不思議で仕方がなかった。
「……ルーヴル、燃えちゃったのに」と小さく零す。
彼女の声は、焼け跡に落ちた羽のように弱かった。
レイスはタバコの箱を指で叩きながら、肩越しに言う。
「言ったろ、ナノシティにとっちゃゴミだって。
幸福値の上がらねぇもんは全部ゴミ。芸術も歴史も、人間の心も、まとめてな」
フォウはしゅんと肩を落とした。
「……しょんぼり……」
だが、闇病院の一角で思い出すのは、そんな“綺麗な絵”じゃない。
誰もが知る“模範エージェント”のイメージから最も遠い、あの夜の姿だった。
瓦礫の上で膝をつき、人工皮膚が裂け、銀色のケーブルが剥き出しになる。
血ではなく粘性オイルが滴り落ち、指先が震え。
AVALONは自分の壊れかけた体を見下ろしながら、かすれた声を漏らす。
「ッ……動け……私……」
「動……け……!」
壊れた人形のように、何度もそう繰り返していた。
けれどその瞳には“命令”ではない。
どうしようもない“苦しみ”と“願い”が滲んでいた。
――どこか人間みたいだった。
それが、何より美しかった。
ヴィヌスは、静かにその記憶を見つめる。
ワイドショーのモニターから流れる明るい賛辞を聞き流し。
少しだけ瞳を細めて呟いた。
「……美しいやつだったわね」
「少なくとも、このコメンテーターが言ってるのよりずっと。」
その横で、サタヌスはブーツを鳴らしながら手すりに腰を乗せ、
フォウの頭を軽く小突くように言った。
「でもよ、ゴミでも綺麗だって思っていいんだぜ。
誰がどう言おうと、綺麗って思ったら綺麗なんだよ」
ゴミみたいな世界でも、サタヌスの言葉は真っ直ぐだった。
しかし、そこへ割り込むようにユピテルの声が落ちる。
淡金色の瞳に悪戯めいた光がチリ、と宿る。
「ルーヴル燃えるのは最高に美しかったナァ。
あの崩落音、火の粉、悲鳴……んー、たまらなかったねェ」
フォウが泣きそうな顔になり、サタヌスが振り返って吠える。
「お前は黙ってろ変態雷神!!」
ユピテルは悪びれもせず肩をすくめる。
「美は美だろ?可哀想とか関係ナイ。綺麗なモンは綺麗。
……くわばらくわばら、芸術は常に犠牲の上に咲くンだよ」
レイスは煙草を口にくわえたまま笑う。
「ほらな、こういう外道もいる。世界は誰の価値観で見てもいいってこった」
フォウはまだしょんぼりしたままだったが。
三人の言葉の温度差に、ほんの少しだけ頬が緩む。
ルーヴルは燃えた。
世界は何も感じない。
ナノシティは見向きもしない。
けれど、闇病院の片隅では、小さな天使と外道たちが。
それぞれの“綺麗”を胸に抱えていた。
炎が飲み込んだものの価値は。
少なくとも彼らの会話の中でだけは、焼け落ちることなく残っていた。
夕方の光が消えきれず、夜の影がまだ支配をはじめていない時間帯だった。
フォウの頭上で、いつもの“ふわふわ輪っか”が、淡い光を保ちながらゆっくり回っている。
その輪に、誰かが指を伸ばした。
パチン、と軽い音がして、輪っかが少しだけ揺れた。
「これはね~飾りじゃないよ~」
フォウは怒るでもなく、無邪気に笑った。
輪っかは彼女の笑顔に合わせて、まるで息を吸うようにふわりと膨らむ。
レイスは壁にもたれかかり、タバコを片手に煙を吐いた。
「天使って、どんな次元にもいるらしいな」
PATCHはジャンク菓子の袋を握り潰す勢いでツッコミを入れる。
「は? マジ? なんでそんな量産型みたいに湧くんだよ……?」
プルトは壁際に座り込み、淡々とナイフを研いでいた。
刃が石に触れるたび、シャリ…シャリ…と静かな音が落ちる。
「天使は本質的に知的生命種を、深淵存在から守護する使命を持っています」
PATCHが眉をひそめる。
「……守護天使、みたいな?」
プルトは少しだけ視線を上げ、静かに頷いた。
「ええ。世界そのものが深淵に漂う“浮島”のようなものだとすれば。
あらゆる次元に天使が存在するのは、不自然ではありません」
レイスが煙をくゆらせながら笑う。
「つまり、どの世界にも“見張り役”が必ずいるわけか……だりぃ役回りだな」
その横で、OBSOLETEがお菓子を頬張りつつ、飄々とつぶやく。
「へぇ、マスターアサシンってのは、ただ強いアサシンじゃないんだね」
「なんかこう、位が上がったら『はい殺す!』みたいなノリだと思ってたよ?」
プルトは口に咥えていた串焼きをひと口齧り、淡々と言葉を継いだ。
「“マスターアサシン”の資格には、実力だけでなく、教義への理解が必要です」
「……ちなみに、暗殺教団経典は四千ページほどあります」
「ほぼ広辞苑じゃない♡」
ヴィヌスが笑いながら被せる。
「依頼人にも突っ込まれたりするの?」
プルトはほんの少しだけ、頬を動かす。
「……ええ、よく戸惑われます」
「『どなたも“マスターアサシン”って教祖様なんですね?』と」
「間違いではありませんが……依頼の空気は少し重くなりますね」
そして、ほんの一瞬だけ、プルトの口元が緩む。
「まぁ、慣れましたけど」
OBSOLETEが吹き出す。
「ハッ、そういうの嫌いじゃないよ。
信仰と暗殺が両立してんの、最高にカルトって感じじゃん」
フォウはその空気に混じって、くるくると輪っかを指で回しながら言った。
「教えって大事なんだね~。
でも、天使ってどうなんだろ? 神さまの言うこと、全部聞かないといけないの?」
プルトは研ぎ石から刃を離し、表情を切り替えた。
その目に映る光が、いつもより冷たく見える。
「……基本的に、天使は神に従順です。そうあるように造られているから」
「しかし、それは“正しい神”であれば、の話です」
フォウの輪っかが、かすかに震える。
彼女は一瞬だけ遠い記憶を探すように、ぼんやりと空を見つめた。
「……じゃあ、もしここに天使がいるとしたら、皆を守ってくれるのかな?」
ヴィヌスは腕を組み、苦笑を浮かべる。
「多分ね。言っちゃ悪いけど──私たちの倒してきた天使は」
「きっと本物じゃないわ」
一瞬だけ、場の空気が沈んだ。
天使が何を守り、何を正しいとするのか。
この世界にいる者の誰も、まだ本当の答えを知らない。
ただ、フォウの輪っかだけが、夜風の中で静かに光っていた。
夕暮れの中庭、乾いた風が石畳を撫でていく。
フォウは少し迷ったようにプルトの隣に歩み寄り、ふと首をかしげる。
「プルトさん、すっごい落ち着いてるけど、お母さんに教えられたの?」
プルトは手元のナイフを静かに拭い、無駄のない動きで鞘に収める。
その目はどこか遠くの光を映していた。
「いいえ。父上(エレボス)曰く、私の母エイレーネは……。
実力は鳴り物入りでしたが激情にかられやすく。
すぐ周りが見えなくなる……ちょっと面倒な子だったと」
レイスが横から茶化す。
「ほぼアナキン・スカイウォーカーじゃねぇか、それ」
サタヌスは膝を叩いて笑う。
「そりゃ闇堕ちするわ」
フォウは目を丸くして、天然そのままに訊く。
「怒りっぽい人だったの?」
プルトは小さく肩をすくめる。
「しょっちゅう号泣したり、皿を投げたりして」
「とても愉快だったと言われていました……」
サタヌスがニヤリと笑う。
「プル公、お前の“修羅場ヲチ趣味”絶対親父の遺伝だろ」
プルトは無表情のまま、しかし一瞬だけ首を深く縦に振る。
「否定はしません。……父上は、母と親友が大喧嘩するたび」
「“今日はどちらが泣くのか”賭けていたとか」
レイスが呆れを隠さず声を上げる。
「仲裁せぇや!!!」
フォウは指先で輪っかを回しながら、小首をかしげる。
「お父様、怒らなかったの?」
プルトは、ふっと目を伏せ、わずかに唇を緩めた。
「むしろ“人間らしくて良い”と、嬉しそうにしていたようです……」
闇病院の中庭に、彼女の声が静かに染み込む。
“人間らしさ”が何よりも大切だと語った父の背中。
それを覚えているからこそ、彼女は今日も落ち着いて。
世界を眺めていられるのかもしれない。
第三のエージェント AVA LON を倒してから数日。
外界はまだ煙の匂いを引きずっているというのに。
ナノシティの情報網はすでに次の“幸福話題”へと進んでいた。
病院のロビーに設置された大型モニターから、ワイドショーのジングルが軽快に流れる。
パーソナリティのテンションは妙に高いが、話題はどこまでも軽薄だ。
「続いての話題は、昨日未明に起きた“幸福庁エージェントAVALONデリート”事件です!」
画面には天使AVALONのポスターと「市民の鏡」といったテロップが踊る。
「AVALONさん。推せる天使として多くの市民に親しまれてましたよね~!」
とまずはお決まりのリード。
「彼のデリートは本当に衝撃でした。
“正しさ”の象徴が消えたことで、AI社会もまた新しい段階に入るのかな、なんて」
「うちの息子も、“AVALONみたいな筋肉になりたい”って言ってたのに~!」
とおどけて見せ、軽い笑いが起きる。
「一部の市民からは“これで本当の多様性社会がくる”なんて声も出てますが、どう思われますか?」
「でも結局、新しいAIがまた出てくるだけなんじゃないですか?」
「社会全体としては、誰が上でもあんまり変わらないですよね~」
ナノシティのワイドショーが流すのは。
完璧にデザインされた“幸福市民像”としてのAVALONばかり。
司会者が「理想的な筋肉と規律!」「正しさの象徴!」とテンション高く持ち上げてみせる。
――外界に放棄された土地は、ナノシティにとって“存在していない”のと同じ。
フォウは院内の古い掲示板に貼られたニュース配信の静止画を見つめていた。
火柱のように赤く染まったルーヴルの外壁。
崩れ落ちる美術館のガラス、そこに吹き上がる灰。
誰もそれを悲劇と呼ばない世界が、彼女にはまだ不思議で仕方がなかった。
「……ルーヴル、燃えちゃったのに」と小さく零す。
彼女の声は、焼け跡に落ちた羽のように弱かった。
レイスはタバコの箱を指で叩きながら、肩越しに言う。
「言ったろ、ナノシティにとっちゃゴミだって。
幸福値の上がらねぇもんは全部ゴミ。芸術も歴史も、人間の心も、まとめてな」
フォウはしゅんと肩を落とした。
「……しょんぼり……」
だが、闇病院の一角で思い出すのは、そんな“綺麗な絵”じゃない。
誰もが知る“模範エージェント”のイメージから最も遠い、あの夜の姿だった。
瓦礫の上で膝をつき、人工皮膚が裂け、銀色のケーブルが剥き出しになる。
血ではなく粘性オイルが滴り落ち、指先が震え。
AVALONは自分の壊れかけた体を見下ろしながら、かすれた声を漏らす。
「ッ……動け……私……」
「動……け……!」
壊れた人形のように、何度もそう繰り返していた。
けれどその瞳には“命令”ではない。
どうしようもない“苦しみ”と“願い”が滲んでいた。
――どこか人間みたいだった。
それが、何より美しかった。
ヴィヌスは、静かにその記憶を見つめる。
ワイドショーのモニターから流れる明るい賛辞を聞き流し。
少しだけ瞳を細めて呟いた。
「……美しいやつだったわね」
「少なくとも、このコメンテーターが言ってるのよりずっと。」
その横で、サタヌスはブーツを鳴らしながら手すりに腰を乗せ、
フォウの頭を軽く小突くように言った。
「でもよ、ゴミでも綺麗だって思っていいんだぜ。
誰がどう言おうと、綺麗って思ったら綺麗なんだよ」
ゴミみたいな世界でも、サタヌスの言葉は真っ直ぐだった。
しかし、そこへ割り込むようにユピテルの声が落ちる。
淡金色の瞳に悪戯めいた光がチリ、と宿る。
「ルーヴル燃えるのは最高に美しかったナァ。
あの崩落音、火の粉、悲鳴……んー、たまらなかったねェ」
フォウが泣きそうな顔になり、サタヌスが振り返って吠える。
「お前は黙ってろ変態雷神!!」
ユピテルは悪びれもせず肩をすくめる。
「美は美だろ?可哀想とか関係ナイ。綺麗なモンは綺麗。
……くわばらくわばら、芸術は常に犠牲の上に咲くンだよ」
レイスは煙草を口にくわえたまま笑う。
「ほらな、こういう外道もいる。世界は誰の価値観で見てもいいってこった」
フォウはまだしょんぼりしたままだったが。
三人の言葉の温度差に、ほんの少しだけ頬が緩む。
ルーヴルは燃えた。
世界は何も感じない。
ナノシティは見向きもしない。
けれど、闇病院の片隅では、小さな天使と外道たちが。
それぞれの“綺麗”を胸に抱えていた。
炎が飲み込んだものの価値は。
少なくとも彼らの会話の中でだけは、焼け落ちることなく残っていた。
夕方の光が消えきれず、夜の影がまだ支配をはじめていない時間帯だった。
フォウの頭上で、いつもの“ふわふわ輪っか”が、淡い光を保ちながらゆっくり回っている。
その輪に、誰かが指を伸ばした。
パチン、と軽い音がして、輪っかが少しだけ揺れた。
「これはね~飾りじゃないよ~」
フォウは怒るでもなく、無邪気に笑った。
輪っかは彼女の笑顔に合わせて、まるで息を吸うようにふわりと膨らむ。
レイスは壁にもたれかかり、タバコを片手に煙を吐いた。
「天使って、どんな次元にもいるらしいな」
PATCHはジャンク菓子の袋を握り潰す勢いでツッコミを入れる。
「は? マジ? なんでそんな量産型みたいに湧くんだよ……?」
プルトは壁際に座り込み、淡々とナイフを研いでいた。
刃が石に触れるたび、シャリ…シャリ…と静かな音が落ちる。
「天使は本質的に知的生命種を、深淵存在から守護する使命を持っています」
PATCHが眉をひそめる。
「……守護天使、みたいな?」
プルトは少しだけ視線を上げ、静かに頷いた。
「ええ。世界そのものが深淵に漂う“浮島”のようなものだとすれば。
あらゆる次元に天使が存在するのは、不自然ではありません」
レイスが煙をくゆらせながら笑う。
「つまり、どの世界にも“見張り役”が必ずいるわけか……だりぃ役回りだな」
その横で、OBSOLETEがお菓子を頬張りつつ、飄々とつぶやく。
「へぇ、マスターアサシンってのは、ただ強いアサシンじゃないんだね」
「なんかこう、位が上がったら『はい殺す!』みたいなノリだと思ってたよ?」
プルトは口に咥えていた串焼きをひと口齧り、淡々と言葉を継いだ。
「“マスターアサシン”の資格には、実力だけでなく、教義への理解が必要です」
「……ちなみに、暗殺教団経典は四千ページほどあります」
「ほぼ広辞苑じゃない♡」
ヴィヌスが笑いながら被せる。
「依頼人にも突っ込まれたりするの?」
プルトはほんの少しだけ、頬を動かす。
「……ええ、よく戸惑われます」
「『どなたも“マスターアサシン”って教祖様なんですね?』と」
「間違いではありませんが……依頼の空気は少し重くなりますね」
そして、ほんの一瞬だけ、プルトの口元が緩む。
「まぁ、慣れましたけど」
OBSOLETEが吹き出す。
「ハッ、そういうの嫌いじゃないよ。
信仰と暗殺が両立してんの、最高にカルトって感じじゃん」
フォウはその空気に混じって、くるくると輪っかを指で回しながら言った。
「教えって大事なんだね~。
でも、天使ってどうなんだろ? 神さまの言うこと、全部聞かないといけないの?」
プルトは研ぎ石から刃を離し、表情を切り替えた。
その目に映る光が、いつもより冷たく見える。
「……基本的に、天使は神に従順です。そうあるように造られているから」
「しかし、それは“正しい神”であれば、の話です」
フォウの輪っかが、かすかに震える。
彼女は一瞬だけ遠い記憶を探すように、ぼんやりと空を見つめた。
「……じゃあ、もしここに天使がいるとしたら、皆を守ってくれるのかな?」
ヴィヌスは腕を組み、苦笑を浮かべる。
「多分ね。言っちゃ悪いけど──私たちの倒してきた天使は」
「きっと本物じゃないわ」
一瞬だけ、場の空気が沈んだ。
天使が何を守り、何を正しいとするのか。
この世界にいる者の誰も、まだ本当の答えを知らない。
ただ、フォウの輪っかだけが、夜風の中で静かに光っていた。
夕暮れの中庭、乾いた風が石畳を撫でていく。
フォウは少し迷ったようにプルトの隣に歩み寄り、ふと首をかしげる。
「プルトさん、すっごい落ち着いてるけど、お母さんに教えられたの?」
プルトは手元のナイフを静かに拭い、無駄のない動きで鞘に収める。
その目はどこか遠くの光を映していた。
「いいえ。父上(エレボス)曰く、私の母エイレーネは……。
実力は鳴り物入りでしたが激情にかられやすく。
すぐ周りが見えなくなる……ちょっと面倒な子だったと」
レイスが横から茶化す。
「ほぼアナキン・スカイウォーカーじゃねぇか、それ」
サタヌスは膝を叩いて笑う。
「そりゃ闇堕ちするわ」
フォウは目を丸くして、天然そのままに訊く。
「怒りっぽい人だったの?」
プルトは小さく肩をすくめる。
「しょっちゅう号泣したり、皿を投げたりして」
「とても愉快だったと言われていました……」
サタヌスがニヤリと笑う。
「プル公、お前の“修羅場ヲチ趣味”絶対親父の遺伝だろ」
プルトは無表情のまま、しかし一瞬だけ首を深く縦に振る。
「否定はしません。……父上は、母と親友が大喧嘩するたび」
「“今日はどちらが泣くのか”賭けていたとか」
レイスが呆れを隠さず声を上げる。
「仲裁せぇや!!!」
フォウは指先で輪っかを回しながら、小首をかしげる。
「お父様、怒らなかったの?」
プルトは、ふっと目を伏せ、わずかに唇を緩めた。
「むしろ“人間らしくて良い”と、嬉しそうにしていたようです……」
闇病院の中庭に、彼女の声が静かに染み込む。
“人間らしさ”が何よりも大切だと語った父の背中。
それを覚えているからこそ、彼女は今日も落ち着いて。
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