思考終端-code:UTOPIA

兜坂嵐

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SHAMBHALA

SHAMBHALA-リハビリ

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廃棄された市街の外れにぽつんと残った闇病院。
朝の廊下には、スニーカーが床を擦る、ゆっくりとした音が響いている。
走る音じゃない、戻ろうとする音だ。
フォウは患者の横に寄り添い、歩行補助具を軽く支えていた。
「うん、前より姿勢よくなってるよ~」
その声は柔らかいが、決して嘘は言わない。
一歩、また一歩。
患者は汗をにじませながら、確実に“昨日の自分”に近づいていく。
それを見ていたヴィヌスが、ぽつりと聞く。
「……あの人、本当に“よくなる”の?」
フォウは一瞬だけ言葉を選んでから、穏やかに答えた。

「リハビリってね、“前より良くなる”ことじゃないんだよ」
「壊れちゃった場所を、元の位置まで帰してあげる作業なの」
前より強くも、速くもならない。
失ったものが、戻るだけ。
それだけで、奇跡みたいに重い。
ヴィヌスは腕を組み、静かに息を吐いた。

「……努力しても“元通り”か。現実って、あんたが言うとやけに重いわ」
フォウは首を小さく振る。
「でもね、元に戻れるってすっごくすごいことなんだよ。
 “失くした自分”を取り返すのって、実は奇跡なんだ~」
その言葉は、一見ただの看護アンドロイドのもの。
その奥には、“元に戻らない世界の最終形”であることを知る天使の魂。
それが、ふっと影を落としていた。
ヴィヌスはそのニュアンスをつかめなかったが、
何か“普通の医療従事者じゃない”含みを感じたらしい。

「……あんた、時々プロみたいなこと言うのよね。
 いや、プロなんだけどさ……なんかそれ以上の何か、あるでしょ?」
フォウはきょとんとしたまま、首を横に振った。
「ないよ~? わたしただの看護天使だもん」
ヴィヌスは目を細めた。
「……ほんと?」
「ほんとだよ~!」
患者さんの歩行訓練が終わり、フォウがゆっくり椅子へ誘導すると。
近くで待っていたサタヌスが話を聞きつけて口を開いた。
「で? なんで骨折したんだっけ、その人」
フォウが指を折って説明する。

「えっとね~、下層区画の古いエスカレーターが急に止まっちゃって……。
 勢いよく前に転んで、足をひねって骨折したんだって」
サタヌスは盛大にため息をついた。
「エスカレーターで骨折……21世紀でもよくある事故じゃん」
フォウは苦笑しつつ肩をすくめた。
「幸福庁が“優先区画”ばかりメンテしてるから、下層の設備はずっと後回しで~……」
そのとき、壁にもたれていたレイスがぼそっと言った。

「リアルだぜ……未来社会でもメンテ不足の事故は消えねぇんだな」
ソフトクリームの棒を噛んだまま、どこか呆れたように言う。
フォウは足を揃えて座り直し、ほんの少し寂しそうに目を伏せた。
「ね。みんな、“未来になれば安全になる”って思いがちだけど。
 放っておけば壊れるんだよ。機械も、人も、身体も~」
サタヌスは腕を組みながら鼻で笑う。
「壊れたもんは直すしかねぇってのは、時代変わっても一緒か」
レイスは視線だけフォウに向ける。

「……だから“戻すだけ”ってやつか。
 前より良くなるじゃなくて、元に返してやるだけ。
 現実的っちゃ現実的だな」
フォウはにっこり微笑んだ。
「そうそう! 元の場所に帰れるって、すごいことなんだよ~」
その言葉に一瞬沈黙が落ちる。
未来社会のはずなのに、下層市民はこうして簡単に“壊れる”。
そして壊れたら、上層クリニックは診ない。



そのとき、カルテ棚の整理をしていたオブ姉さん(OBSOLETE)が
書類を束ねながら口を開いた。
「上層のクリニックなんざ、大方は美容整形さ」
唐突な爆弾発言に、ヴィヌスが思わず振り向く。
オブ姉さんは書類を軽く揃えて、ため息交じりに続けた。
「幸福値を上げるために、格安で整形、永久脱毛、アンチエイジング。
 病院とは名ばかりの“サロン”がほとんど、入院するやつなんかいないよ」
ヴィヌスの目が大きく開かれる。

「じゃあ……“病人”はどこへ行くの?」
オブ姉さんは、廊下の奥の重い扉を顎で示した。
「決まってるだろ。ここだよ。
 “上層が切り捨てたものたち”の行き着く場所が、闇病院さ」
風が窓の隙間を通り抜け、かすかに紙をめくった。
フォウは両手を胸でぎゅっと握りしめながら、少しだけ沈んだ声で補足する。

「上層だと“幸福に悪影響”って扱われちゃうからね~……
 みんな、ここに流れてくるの」
レイスが鼻で笑う。
「未来社会ってやつは、調子のいい時だけ美しい顔するんだよ。
 壊れりゃ下に落とす。今も昔も変わらねぇ」
ヴィヌスは腕を組み、廊下の患者たちを見渡した。
包帯、杖、車椅子。
どれも“幸福サロン”とは程遠い光景。

「……ここは“治す場所”じゃなく“救えなかったものを抱える場所”なのね」
オブ姉さんが静かに頷く。
「そういうこった。だから、医者も看護も……“覚悟”がいる」
フォウが明るく微笑む。
「でもね、戻れるだけで素敵なんだよ~。
 前に戻すのって、ほんとうに奇跡なんだ~」
ヴィヌスはその横顔をしばらく見つめてから、小さくつぶやいた。
「……天使って、優しいだけじゃないのね。現実をよく見ているわ」

闇病院のリハビリ室は、昼でも静かだった。
機械音はある。足音もある。
でも、誰も急いでいない。
フォウがカルテを抱えたまま、少し声を落として言う。

「パーシーさんはね、中層エリアのショッピングモールで……」
「エスカレーターに挟まれちゃったの」
ユーサーが息を止め、フォウは続けた。
「幸い、緊急停止が間に合って……致命傷は免れたけど」
そこで、一瞬だけ言葉を切る。

「……片足が、完全に……」
説明はいらなかった。
パーシーはベッドの端に座っていた。
背筋は伸びている。表情も落ち着いている。
彼女の右脚だけが、ひざ下から銀色だった。

光を反射する人工筋肉、関節部に走る細いライン。
「元に戻らない」という事実だけが、はっきりと見える。
「痛みは、もうないんです」
パーシーはそう言って、少しだけ笑った。

「買い物、途中だったんです」
「夕飯の材料……安売りで」
フォウは何も言わず、ただうなずく。
慰めもしない。奇跡も約束しない。
ここは、そういう場所じゃない。
銀色の脚は、何も悪くないみたいに静かだ。

――救えないものは、ある。
――でも、零れ落ちたあとにも、道は続く。

フォウが、少しだけ明るい声を出した。

「リハビリ、がんばろうね。“戻る”んじゃなくて、“続ける”ためのやつ」
パーシーは、うなずいた。
銀色の足が、床に触れる。
それは回復じゃない、生き直しの一歩。

闇病院の休憩室。
自販機のモーター音がうなるなか、PATCHがチョコバーを噛みながら言った。
「なぁ。上層のやつって“生きてるペット”飼ってるってマジか?」
隣でカルテを整理していた看護師が、あっさり頷く。
「マジ。私、サモエド見たことあるよ。ふわっふわのやつ」
PATCHの目がまん丸になる。

「は!? 贅沢じゃん。
 てかバイオペットなんて何が楽しいんだ? しゃべらないじゃん」
看護師は胸ポケットのボールペンをくるりと回しながら苦笑した。
「しゃべらないからいいんだよ。
 黙って、ただ癒しだけをくれる。
 それって“幸福の理想形”じゃない?」
PATCHは鼻を鳴らした。

「ふーん……??」
ロビーの向こうで、フォウが患者さんの車椅子を押して通る。
その背中を眺めながら、看護師はふと思い出したように続けた。
「ロボペットはさ、10年以上稼働すると……“喋る”ようになるんだって」
PATCHがぴたりと動きを止めた。
「は?」
「アルゴリズムが自律学習を続けるうちに、“シンギュラリティ”、超えるんだってさ」
「……喋んの?」
「うん。“飼い主と喧嘩するロボ犬”とか普通にいるらしいよ」
「……わんわん言うだけで幸福。ねぇ……?」
PATCHの声はいつもより少しだけ低かった。



裏庭のメンテナンス通路。
PATCHと看護師がサモエド談義しているちょうどそのとき。
向こうの方で、ロボ犬と少年が何やらもめていた。
「あっち、また始まったわよ」と看護師がため息をつく。
PATCHが顔を向けると、案の定。
しょーもなバトル が展開されていた。

「……お前、あの犬欲しいと思ったろ?」
「はぁ!? 思ってないし!!」
「いや絶対思っただろ、あの“へぇ~本物の犬かぁ”って顔!」
「してないって言ってる!!」
「した!!!」
「したって言うなーーー!!!」
通りかかった別の患者が吹き出す。
だが言い争いはどんどんしょうもない方向へこじれていく。

「じゃあもういい! お前とは口きかん!!」
「こっちのセリフだ!!」
ぷいっと背を向ける二人。
目が合った瞬間、両者気まずそうに目をそらす。
PATCHが鼻で笑った。
「サモエドじゃ絶対あんなコントやんねーよな」
看護師は即答した。
「しない。犬にそんな知能ないもの」
向こうでは、少年とロボ犬が“謝りたいけど謝れない”みたいな顔をし。
同じ方向に歩き出していた。
ぎこちない距離感。でも歩幅はぴったり同じ。

闇病院の休憩スペース。
夜勤明けの看護師たちと PATCH が自販機前に集まり、
紙コップのコーヒーをすすっていた。
看護師のひとりがタブレットを見せている。
そこには上層市民のSNSらしき投稿。

《愛犬が虹の橋を渡りました。短い生涯でしたが、本当に幸せをくれた天使でした》
それを見た瞬間、周囲の表情が一斉に曇った。
「犬ってあれだろ? 15年くらい? 20年すら生きないんだよな?」
「うん。うちらのロボ犬、20年どころか30年一緒の家族いるよね」
PATCHが頷く。
「だよな。“すぐ死ぬ”もんをなんでわざわざ飼うんだ?
 寿命考えればわかるだろ。悲しくなるに決まってるのに」
看護師たちは皆“わからないものを見る目” で上層の文化を見つめていた。

「……ロボペットなんか、不機嫌な日あるし、文句言うし。
 機嫌直して仲直りして……って、家族じゃんあれ」
「上層のバイオペットって、最後まで喋らないんだよ。
 飼い主の感情だけ見て、黙って死ぬ。
 それが幸福なんだとさ」
その言葉に PATCH が鼻を鳴らした。

「……だから上層は、生き物に“余白”を求めるんだろうな。
 反抗しない、黙って従う、癒しだけくれる存在。
 ……SHAMBHALAと同じじゃねぇか」
沈黙が落ちた。
フォウが給湯器の前で首を傾げる。
「……?? ペットって文句言ってもかわいいよ?」
全員がじわっと笑い出す。
フォウだけが正しい世界の住人みたいだ。
癒しだけを与えて、反論しない存在。
死が約束されているからこそ、喪失すらイベントになる。

「……上層ってさ」
PATCHは小さく呟いた。
「別れ前提の関係しか、怖くて持てねぇんじゃね?」
誰も答えなかった。
その沈黙の中で、PATCHの脳裏に、あの看護師の声がよぎる。

――犬にそんな知能ないもの。

ただの事実。
それだけなのに、未来を歪めるには十分すぎる言葉だった。
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