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SHAMBHALA
SHAMBHALA-カドゥケウス
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病院のあちこちで患者が倒れかけ。
ナースが壁にもたれて息を荒げ、ミカは意識が朦朧としていた。
「……やはり……CTスキャン……受けるべき……」
その横でルイ院長だけが、いつも通りの顔をして歩いていた。
幸福電波だろうと、洗脳ノイズだろうと。
彼の“元からイカれてる電波”が全部上書きしてしまう。
「由々しき事態だよ、クロノチーム諸君」
その声は静かで、妙に軽やかだった。
「ユーサー・カムラン君の様態が……悪い」
「……ッ! ユーサー君……?
そんな……昨日まで安定していたのに……!」
精神系スキルの天使であるフォウは、
空気の歪みで少年の異常を悟っていた。
ナースコールの音が、弱い。
弱々しく“ピン……ピン……”と鳴るナースコール。
押されているのに、力が入りきらない。
ベッドの上で、ユーサーが震えていた。
手は細く、冷たく、握るというより“縋る”形でボタンを押している。
胸元の心電図は波が乱れ、呼吸は浅く。
まるで胸が空気を拒絶しているようだった。
それでも、彼が最初に口にしたのは――医者でも、フォウでもなく。
母親だった。
「……おかあさん……ごめん……」
声は掠れ、涙は出ない。
泣く余裕すら奪われていた。
「僕……クレジットカード抜いちゃったこと……まだ……言ってなくて……」
呼吸が止まりそうなほど苦しいのに、最初に出たのは“犯罪の告白”だった。
彼の中で、心臓より先に壊れたのは罪悪感だった。
「治したかっただけ、なのに……ごめん……おかあさん……」
その言葉は、病室の空気に吸い込まれていく。
クロノチームが病室へ駆け込むと同時に、PATCHが医師呼び出し端末を叩いた。
「外科チーム呼ぶ!急げ!」
だが返事がない。
どころか、医局の方向から“倒れ込む音”が連続して聞こえた。
「……嘘だろ。まさか全員……?」
医局の扉を開けたフォウの顔が、青ざめていく。
椅子にもたれたまま意識が沈んでいる外科医たち。
机に突っ伏す麻酔科医。
床に座り込んで動けない看護師。
幸福電波の残響が、まだ空気に微かに残っている。
フォウは震える手で、ユーサーの肩を掴んで揺さぶる。
「ユーサー君!ユーサー君、聞こえる!? 起きて!!」
返事はない。
少年の体はぐったりと沈み、指先はナースコールを握りしめたまま硬直している。
フォウは胸に耳を当て、一瞬で顔が変わる。
胸の奥から聞こえてくるのは“規則性を失った波”。
「不整脈……!手術しないと、ユーサー君の命が危ないよ!!」
声が裏返った。
「ユーサー! しっかりしろ、ここで死ぬんじゃねぇ……!」
絶望の空気が詰まりかけたその瞬間。
院長ルイが片手で前髪を跳ね上げ、静かに言った。
「緊急オペを。君たちならできる。期待しているよ、我らが“カドゥケウス”」
場が、一瞬だけ凍りつく。
治療経験ゼロのクロノチーム+エラーズ。
そんな彼らに命を預けるなんて正気ではない……はずだった。
そこへ、笑っている男がひとり。
ユピテルだった。
「オペってよォ、フォウ」
頬の黒雷紋が微かに光る。
「要は、人間“切る”ンだよな?」
フォウが目を瞬き、ほんの少しだけ眉を下げる。
「ゆ、ユピテルさん……人間のオペは、切ればいいわけじゃ……」
「ンなこたぁ分かってる」
そして、少しだけ笑った。
その笑みは処刑人のそれで、けれど不思議と優しかった。
「俺はネ。処刑人やってた時、よく褒められたンだよ」
光が彼の瞳の底で揺れる。
恐れでも怒りでもない。
“技術屋”の静かな自負だった。
「誰よりも綺麗に、苦しませず首を落とすって」
フォウはユーサーの胸に手を当てた。
不整脈は、刻一刻と悪化している。
「……お願いします。ユピテルさん。
私がサポートします。絶対に、助ける……!」
ユピテルはゆっくり頷いた。
「では――行きましょう。“カドゥケウス”」
闇病院の奥――手術室の扉が、異様な静けさをまとって開いた。
“処刑人”が、今だけ “外科医” に変わる。
この瞬間、ユーサーの運命も、病院の未来も。
そしてSHAMBHALAとの戦いも――すべてが次の段階へ動き出す。
——闇病院・手術室
医療用ライトが青白く天井を照らし。
オペ台に横たわるユーサーを囲んでスタッフが慌ただしく動いていた。
ナースは慣れた手つきで器具を並べながら、ほんの一瞬だけ手を止め、苦い顔で呟いた。
「ユーサー君の心臓はね……」
「上層エリアの市民なら、3日で治せるものなのよ」
誰も返事はしない。
だが、その言葉だけが手術室の空気に静かに沈んでいく。
ガシャリ、と大きめの音を立ててPATCHが道具箱を開ける。
不機嫌そうに、けれどどこか哀しさを滲ませて吐き捨てた。
「不幸は死ね、か」
「クソ! つくづくディストピアだぜ……」
他のスタッフはそれぞれ目を伏せる。
幸福値という目に見えない線引きが、命の価値を決めている――
そんな理不尽な現実を、誰もが呑み込むしかなかった。
舞雷の代わりにメスを握りしめ。
ユピテルは無駄のない手付きでユーサーの胸元を切り開いていく。
その動きはあまりにも滑らかで、本当に外科医として百戦錬磨だったかのようだった。
ユピテルは、誰に向けるでもなくぽつりと言い始めた。
「よく言われるンだわ」
足音を止めず、淡々と語る。
「“処刑人はなるべく苦しませたほうがいいんじゃないか”って」
サタヌスが一瞬だけ眉を動かした。
レイスは横目で興味深そうに見る。
ユピテルは続ける。
「違うンだなぁ」
低い声で、しかし誤魔化しのないトーンだった。
「苦しませるやつは、ド三流なンだわ」
廊下にひやりとした空気が走った。
フォウですら一瞬息を止めるほどの“静かな重さ”。
「遊びで刃を振るう奴は、どこの世界でも二流以下なんだよな」
フォウは、小さく震える声で呟いた。
「……それって……すごく、医者っぽい考え方じゃないですか……」
この男は残酷だ。
倫理観もズレている。
普通の医者ではあり得ない。
それでも“切る”という一点において、この場の誰より信頼できる存在だった。
胸郭をそっと開くと、銀色に輝く機械の心臓が現れた。
人工パルスのリズムは乱れていたが、確かにそれは“脈打って”いる。
まるで命が宿ったかのように。
フォウが青ざめた顔で数値を読み取る。
「鼓動が、弱い……!」
ヴィヌスは緊張した声で問いかける。
「フォウ、あと何分で取り替えればいいの!?」
フォウはわずかに手を震わせながら答える。
「……20分!急がなきゃ!」
パッチが後ろで配線を繋ぎ、NULLが器具を次々差し出し。
クロノチームとエラーズは全員、自分の“最適な役割”を本能で理解し始めていた。
テーブルの上に並べられた、最新型の幸福庁製・人造心臓。
どれも美しく整然と銀色に輝き、その中央には小さなチップが埋め込まれていた。
「これは……使えないな」
NULLが無機質な声で呟き、ユピテルも眉をひそめる。
「遠隔操作……幸福庁のマインドコントロールが仕込まれてる。
こんなモン入れたら、ユーサーは“命”じゃなくて“所有物”だぜ」
ヴィヌスが急かす。
「じゃあ、どうするのよ!?」
手術室に静かな緊張が漂う中。
フォウは少しだけ不安げな顔で引き出しから銀色のパーツを取り出した。
「……わたしのお古だけど、ちゃんと動くよ」
その言葉に、周囲の視線が集まる。
小さな人工心臓は表面に細かな傷があり、どこかあたたかみさえ感じさせた。
レイスは肩をすくめて苦笑いを浮かべる。
「だいぶ年季入ってるぞ?この人造心臓」
PATCHはケーブルを指で弾きつつ、余裕の口ぶりで受け取る。
「心配すんなよ。こいつ、上層エリアで売られてる人造臓器よりずっと頑丈なんだぜ?
“闇病院品質”はダテじゃねぇ」
NULLがそっと頷く。
「確率的に、耐久性は問題ない」
フォウはそっとユーサーの胸元にパーツを近づけながら。
「少しドキドキするけど……だいじょうぶ。きっと――命をつなげる」
と、小さな声で呟いた。
メスが引かれ、最後の接続が完了する。
銀色の心臓が、ユーサーの胸の奥に静かに収まった。
誰も動かない。誰も、息をしない。
拒絶反応が出れば、ここで終わりだ。
フォウのお古――年季の入った人造心臓。
奇跡でもなければ、賭けですらある。
三十秒も経っていない。
だが、その間に全員が考えていた。
切った意味。繋いだ意味。
この世界で、命を選ぶということ。
ユピテルは刃を下ろしたまま動かず、サタヌスは拳を握りしめ。
ヴィヌスは祈ることをやめて、ただ見ていた。
PATCHは口を結んでモニターから目を離さない。
レイスだけが、苦い顔で天井を睨んでいる。
時間が引き伸ばされ、三十秒が何時間にもなる。
モニターの波形が、はっきりとしたリズムを刻み始める。
確かな鼓動。
誰のものでもない、ユーサー自身の鼓動。
闇病院の手術室に、ようやく呼吸が戻った。
誰かが小さく笑い、誰かが目を伏せる。
――脈打つ機械は、もうただの機械じゃない。
この瞬間、ユーサー・カムランは、生き延びた。
そして、物語は確かに先へ進んだ。
「……心拍数、安定」
フォウの小さな声が、手術室だけでなく闇病院の奥まで静かに広がった。
ルイは手術室の外で、白衣の裾を直しながら窓辺に立つ。
遠い昔、タンプル塔の高みから夜のパリを見下ろした記憶がふいに蘇る。
あの時、闇の底に差したひと筋の光。
「……あぁ、母上。やはり闇に差す光こそ尊いものです」
目を細め、ほんの少しだけ口元を緩めた。
イグレインは待合のベンチで膝を抱え、肩をぎゅっとすくめていた。
“このまま仲直りできずにユーサーとお別れになるかもしれない”
張り詰めていた心が、報せを聞いた瞬間にぷつりと切れる。
「よかった……」
涙混じりの笑顔のまま、力が抜けてその場に座り込む。
ナースがそっと支えてくれる。イグレインはもう、自分で立てないくらい疲れていた。
台所で手を止めていたミカも、小さくため息をつく。
「……本当に、良かった」
それだけ呟いて、再び包丁を取り、いつもの調子で野菜を刻み始めた。
切るリズムが、どこか心なしか軽やかだ。
――その場にいた誰もが、それぞれの場所で安堵と余韻に包まれていた。
救われた命が、闇病院という場所に小さな波紋を広げていく。
外の世界はディストピアのまま。
だが今だけは、確かに“生”の重みが、この空間に満ちていた。
オペ室に緊張が弛むや否や、ユピテルは血のついたメスを満足げにくるりと回した。
まるで儀式のような所作。
人間時代――処刑人ユリウスだった頃。
「首を落とした後は必ず刃を見せて一礼する」
そのクセだけが、今も手に染みついている。
ヴィヌスは女優の仮面が剥がれ、思わず手術台に顔を伏せて嗚咽した。
「……危なかった……ほんと、もうダメかと……」
あんなに強気な彼女が、舞台の幕が下りた後みたいに力なく崩れる。
PATCHとサタヌスは目が合うと、打ち合わせもなしに同時にガッツポーズ。
「っしゃああ!!」
「勝ったなこれ!」
二人の歓声が手術室に反響し、重苦しかった空気を一瞬だけ吹き飛ばした。
プルトだけは少し離れた奥に立ち、静かにユーサーと、手術台を見つめている。
「お前の“幸せ”は、ただ幻覚を見せること、か」
誰にともなく呟いたその声には、決定的な距離感と拒絶が滲んでいた。
「やはり……分かり合えませんね」
冷たい視線の奥、すでに彼女の中では。
AI宗教と人間の“戦争”が始まりつつあった。
ナースが壁にもたれて息を荒げ、ミカは意識が朦朧としていた。
「……やはり……CTスキャン……受けるべき……」
その横でルイ院長だけが、いつも通りの顔をして歩いていた。
幸福電波だろうと、洗脳ノイズだろうと。
彼の“元からイカれてる電波”が全部上書きしてしまう。
「由々しき事態だよ、クロノチーム諸君」
その声は静かで、妙に軽やかだった。
「ユーサー・カムラン君の様態が……悪い」
「……ッ! ユーサー君……?
そんな……昨日まで安定していたのに……!」
精神系スキルの天使であるフォウは、
空気の歪みで少年の異常を悟っていた。
ナースコールの音が、弱い。
弱々しく“ピン……ピン……”と鳴るナースコール。
押されているのに、力が入りきらない。
ベッドの上で、ユーサーが震えていた。
手は細く、冷たく、握るというより“縋る”形でボタンを押している。
胸元の心電図は波が乱れ、呼吸は浅く。
まるで胸が空気を拒絶しているようだった。
それでも、彼が最初に口にしたのは――医者でも、フォウでもなく。
母親だった。
「……おかあさん……ごめん……」
声は掠れ、涙は出ない。
泣く余裕すら奪われていた。
「僕……クレジットカード抜いちゃったこと……まだ……言ってなくて……」
呼吸が止まりそうなほど苦しいのに、最初に出たのは“犯罪の告白”だった。
彼の中で、心臓より先に壊れたのは罪悪感だった。
「治したかっただけ、なのに……ごめん……おかあさん……」
その言葉は、病室の空気に吸い込まれていく。
クロノチームが病室へ駆け込むと同時に、PATCHが医師呼び出し端末を叩いた。
「外科チーム呼ぶ!急げ!」
だが返事がない。
どころか、医局の方向から“倒れ込む音”が連続して聞こえた。
「……嘘だろ。まさか全員……?」
医局の扉を開けたフォウの顔が、青ざめていく。
椅子にもたれたまま意識が沈んでいる外科医たち。
机に突っ伏す麻酔科医。
床に座り込んで動けない看護師。
幸福電波の残響が、まだ空気に微かに残っている。
フォウは震える手で、ユーサーの肩を掴んで揺さぶる。
「ユーサー君!ユーサー君、聞こえる!? 起きて!!」
返事はない。
少年の体はぐったりと沈み、指先はナースコールを握りしめたまま硬直している。
フォウは胸に耳を当て、一瞬で顔が変わる。
胸の奥から聞こえてくるのは“規則性を失った波”。
「不整脈……!手術しないと、ユーサー君の命が危ないよ!!」
声が裏返った。
「ユーサー! しっかりしろ、ここで死ぬんじゃねぇ……!」
絶望の空気が詰まりかけたその瞬間。
院長ルイが片手で前髪を跳ね上げ、静かに言った。
「緊急オペを。君たちならできる。期待しているよ、我らが“カドゥケウス”」
場が、一瞬だけ凍りつく。
治療経験ゼロのクロノチーム+エラーズ。
そんな彼らに命を預けるなんて正気ではない……はずだった。
そこへ、笑っている男がひとり。
ユピテルだった。
「オペってよォ、フォウ」
頬の黒雷紋が微かに光る。
「要は、人間“切る”ンだよな?」
フォウが目を瞬き、ほんの少しだけ眉を下げる。
「ゆ、ユピテルさん……人間のオペは、切ればいいわけじゃ……」
「ンなこたぁ分かってる」
そして、少しだけ笑った。
その笑みは処刑人のそれで、けれど不思議と優しかった。
「俺はネ。処刑人やってた時、よく褒められたンだよ」
光が彼の瞳の底で揺れる。
恐れでも怒りでもない。
“技術屋”の静かな自負だった。
「誰よりも綺麗に、苦しませず首を落とすって」
フォウはユーサーの胸に手を当てた。
不整脈は、刻一刻と悪化している。
「……お願いします。ユピテルさん。
私がサポートします。絶対に、助ける……!」
ユピテルはゆっくり頷いた。
「では――行きましょう。“カドゥケウス”」
闇病院の奥――手術室の扉が、異様な静けさをまとって開いた。
“処刑人”が、今だけ “外科医” に変わる。
この瞬間、ユーサーの運命も、病院の未来も。
そしてSHAMBHALAとの戦いも――すべてが次の段階へ動き出す。
——闇病院・手術室
医療用ライトが青白く天井を照らし。
オペ台に横たわるユーサーを囲んでスタッフが慌ただしく動いていた。
ナースは慣れた手つきで器具を並べながら、ほんの一瞬だけ手を止め、苦い顔で呟いた。
「ユーサー君の心臓はね……」
「上層エリアの市民なら、3日で治せるものなのよ」
誰も返事はしない。
だが、その言葉だけが手術室の空気に静かに沈んでいく。
ガシャリ、と大きめの音を立ててPATCHが道具箱を開ける。
不機嫌そうに、けれどどこか哀しさを滲ませて吐き捨てた。
「不幸は死ね、か」
「クソ! つくづくディストピアだぜ……」
他のスタッフはそれぞれ目を伏せる。
幸福値という目に見えない線引きが、命の価値を決めている――
そんな理不尽な現実を、誰もが呑み込むしかなかった。
舞雷の代わりにメスを握りしめ。
ユピテルは無駄のない手付きでユーサーの胸元を切り開いていく。
その動きはあまりにも滑らかで、本当に外科医として百戦錬磨だったかのようだった。
ユピテルは、誰に向けるでもなくぽつりと言い始めた。
「よく言われるンだわ」
足音を止めず、淡々と語る。
「“処刑人はなるべく苦しませたほうがいいんじゃないか”って」
サタヌスが一瞬だけ眉を動かした。
レイスは横目で興味深そうに見る。
ユピテルは続ける。
「違うンだなぁ」
低い声で、しかし誤魔化しのないトーンだった。
「苦しませるやつは、ド三流なンだわ」
廊下にひやりとした空気が走った。
フォウですら一瞬息を止めるほどの“静かな重さ”。
「遊びで刃を振るう奴は、どこの世界でも二流以下なんだよな」
フォウは、小さく震える声で呟いた。
「……それって……すごく、医者っぽい考え方じゃないですか……」
この男は残酷だ。
倫理観もズレている。
普通の医者ではあり得ない。
それでも“切る”という一点において、この場の誰より信頼できる存在だった。
胸郭をそっと開くと、銀色に輝く機械の心臓が現れた。
人工パルスのリズムは乱れていたが、確かにそれは“脈打って”いる。
まるで命が宿ったかのように。
フォウが青ざめた顔で数値を読み取る。
「鼓動が、弱い……!」
ヴィヌスは緊張した声で問いかける。
「フォウ、あと何分で取り替えればいいの!?」
フォウはわずかに手を震わせながら答える。
「……20分!急がなきゃ!」
パッチが後ろで配線を繋ぎ、NULLが器具を次々差し出し。
クロノチームとエラーズは全員、自分の“最適な役割”を本能で理解し始めていた。
テーブルの上に並べられた、最新型の幸福庁製・人造心臓。
どれも美しく整然と銀色に輝き、その中央には小さなチップが埋め込まれていた。
「これは……使えないな」
NULLが無機質な声で呟き、ユピテルも眉をひそめる。
「遠隔操作……幸福庁のマインドコントロールが仕込まれてる。
こんなモン入れたら、ユーサーは“命”じゃなくて“所有物”だぜ」
ヴィヌスが急かす。
「じゃあ、どうするのよ!?」
手術室に静かな緊張が漂う中。
フォウは少しだけ不安げな顔で引き出しから銀色のパーツを取り出した。
「……わたしのお古だけど、ちゃんと動くよ」
その言葉に、周囲の視線が集まる。
小さな人工心臓は表面に細かな傷があり、どこかあたたかみさえ感じさせた。
レイスは肩をすくめて苦笑いを浮かべる。
「だいぶ年季入ってるぞ?この人造心臓」
PATCHはケーブルを指で弾きつつ、余裕の口ぶりで受け取る。
「心配すんなよ。こいつ、上層エリアで売られてる人造臓器よりずっと頑丈なんだぜ?
“闇病院品質”はダテじゃねぇ」
NULLがそっと頷く。
「確率的に、耐久性は問題ない」
フォウはそっとユーサーの胸元にパーツを近づけながら。
「少しドキドキするけど……だいじょうぶ。きっと――命をつなげる」
と、小さな声で呟いた。
メスが引かれ、最後の接続が完了する。
銀色の心臓が、ユーサーの胸の奥に静かに収まった。
誰も動かない。誰も、息をしない。
拒絶反応が出れば、ここで終わりだ。
フォウのお古――年季の入った人造心臓。
奇跡でもなければ、賭けですらある。
三十秒も経っていない。
だが、その間に全員が考えていた。
切った意味。繋いだ意味。
この世界で、命を選ぶということ。
ユピテルは刃を下ろしたまま動かず、サタヌスは拳を握りしめ。
ヴィヌスは祈ることをやめて、ただ見ていた。
PATCHは口を結んでモニターから目を離さない。
レイスだけが、苦い顔で天井を睨んでいる。
時間が引き伸ばされ、三十秒が何時間にもなる。
モニターの波形が、はっきりとしたリズムを刻み始める。
確かな鼓動。
誰のものでもない、ユーサー自身の鼓動。
闇病院の手術室に、ようやく呼吸が戻った。
誰かが小さく笑い、誰かが目を伏せる。
――脈打つ機械は、もうただの機械じゃない。
この瞬間、ユーサー・カムランは、生き延びた。
そして、物語は確かに先へ進んだ。
「……心拍数、安定」
フォウの小さな声が、手術室だけでなく闇病院の奥まで静かに広がった。
ルイは手術室の外で、白衣の裾を直しながら窓辺に立つ。
遠い昔、タンプル塔の高みから夜のパリを見下ろした記憶がふいに蘇る。
あの時、闇の底に差したひと筋の光。
「……あぁ、母上。やはり闇に差す光こそ尊いものです」
目を細め、ほんの少しだけ口元を緩めた。
イグレインは待合のベンチで膝を抱え、肩をぎゅっとすくめていた。
“このまま仲直りできずにユーサーとお別れになるかもしれない”
張り詰めていた心が、報せを聞いた瞬間にぷつりと切れる。
「よかった……」
涙混じりの笑顔のまま、力が抜けてその場に座り込む。
ナースがそっと支えてくれる。イグレインはもう、自分で立てないくらい疲れていた。
台所で手を止めていたミカも、小さくため息をつく。
「……本当に、良かった」
それだけ呟いて、再び包丁を取り、いつもの調子で野菜を刻み始めた。
切るリズムが、どこか心なしか軽やかだ。
――その場にいた誰もが、それぞれの場所で安堵と余韻に包まれていた。
救われた命が、闇病院という場所に小さな波紋を広げていく。
外の世界はディストピアのまま。
だが今だけは、確かに“生”の重みが、この空間に満ちていた。
オペ室に緊張が弛むや否や、ユピテルは血のついたメスを満足げにくるりと回した。
まるで儀式のような所作。
人間時代――処刑人ユリウスだった頃。
「首を落とした後は必ず刃を見せて一礼する」
そのクセだけが、今も手に染みついている。
ヴィヌスは女優の仮面が剥がれ、思わず手術台に顔を伏せて嗚咽した。
「……危なかった……ほんと、もうダメかと……」
あんなに強気な彼女が、舞台の幕が下りた後みたいに力なく崩れる。
PATCHとサタヌスは目が合うと、打ち合わせもなしに同時にガッツポーズ。
「っしゃああ!!」
「勝ったなこれ!」
二人の歓声が手術室に反響し、重苦しかった空気を一瞬だけ吹き飛ばした。
プルトだけは少し離れた奥に立ち、静かにユーサーと、手術台を見つめている。
「お前の“幸せ”は、ただ幻覚を見せること、か」
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そこは魔法がすべての世界。
スマホも、ドライヤーも、炊飯器も、どこにもない。
でもなぜか俺だけは、“電力を生み出し家電を召喚できる”という特異体質を持っていて──
「ちょっと暮らしやすくなればそれでいい」
そんなつもりで始めた異世界ライフだったのに……
家電の便利さがバレて、王族に囲まれ、魔導士に拉致され、気が付けば──
「この男こそ、我らの神(インフラ)である!」
えぇ……なんでそうなるの!?
電気と生活の知恵で異世界を変える、
元・電気屋おっさんのドタバタ英雄(?)譚!
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