16 / 89
SIDE-ERROR_410: JAPAN GONE
しおりを挟む
その日──日本は、地図から消えた。
衛星軌道上のAIが沈黙し、国家コード「JP」は“欠番”となり、
世界地図の端にはぽっかりと穴が空いたままだった。
改めて世界に問う。
Aimiez-vous vraiment le Japon ?
(あなたは本当に日本が好きだったの?)
問いかけに答えられる者は、もう残っていない。
ELDORADOとサタヌスの死闘。
金ピカの財閥令嬢とスラムの悪ガキの殴り合いは、都市全域に衝撃波を撒き散らし、
幸福庁の《幸福炉》がついにメルトダウン。
上層の人工太陽は消え、都市は数時間だけ“本当の夜”を知った。
停電が引き起こした余波は地味に、しかし生活の根本から都市を揺るがす。
上層の冷蔵インフラは壊滅、保存しきれなかった“本物の肉”が13区へ投げ捨てられた。
宝石みたいに光る肉の塊が、スラムの床に転がってくる、そんな時代だ。
“栄養パック”で延命している下層の市民にとっては、これは事件というより奇跡だった。
ミカがエプロンを結びながら言う。
「みんな~。ついてきて、13区に豚肉買いに行くんだ」
ベンチに座ってスカーフを直していたサタヌスが片眉を上げる。
「なんか頼まれたのか?」
ミカはスマホを見せながら頷いた。
「うん。“みんな本物の肉食べてみたい”って言ってるし……ユーサー君がね」
その名前に、空気がほんの少しだけ柔らかくなる。
ユーサー・カムラン。
闇病院で暮らす、あの心臓病の少年。
幸せになる資格がなかった少年。
幸福庁が“治せるのに治さなかった”少年。
最近は特に体調が悪い。
呼吸が浅く、ちょっと走ると胸を押さえてうずくまる。
その彼が、昨日ふと言ったのだ。
“ビタミンB1がいいらしいんだって。……豚肉、食べられるかな”。
その小さな願いが、今日の遠征の理由だった。
「13区で豚肉を買う」
ミカがそう口にしただけで、闇病院の食堂にいた空気がふっと変わった。
鉄臭い非常灯の下、全員の動きが一瞬止まり、次の瞬間、誰かの喉が小さく鳴った。
最初に手を挙げたのは、意外な人物だった。
テルミドールだ。
「……わたしはロボットです。食事は必要としません。……が。」
彼は一拍置いた。
胸の奥で、まだ人間だった頃の“記憶の残滓”がかすかに揺れる。
「パートナーが肉料理を好きでした。……温かい香りに、興味があるのです。」
サタヌスが吹き出す。
「ははっ、理由が一番ロマンチックじゃねぇか。」
テルミドールは照れるように視線をそらした。
ロボットなのに。
いや、ロボットだからこそ、感情の揺れが余計に眩しかった。
食堂が少しだけ柔らかい光に照らされたような気がした。
テルの“追憶”は、闇病院の住人にとって特別な響きを持つ。
ミカは笑った。
「わかったよテル。じゃあ、君の分も買ってくる」
続いて、小さな影が手を挙げた。
イグレインだった。
少女の瞳が、いつもより大人っぽい。
「本物の肉ってさ……パパが退院してきたときの、ごちそうだったんだ」
その声には、幸福炉が灯していた頃の“温度”が残っている。
幸福AIに最も愛された子が語る“過去の幸福”は、食堂の誰の胸にも落ちた。
レイスは黙ったまま煙草を消し、アンブロスは杖を軽くつきながら笑った。
「おぉ……まさか肉が中層で買えるとはの。
文明の皮肉じゃが、これは嬉しいて。
老骨が生きてるうちにもう一度、肉の匂いを嗅げるとは」
老人の笑い声は、どこか戦火をくぐったような重さと。
子どもみたいな期待を同時に含んでいた。
やがて、食堂のあちこちから挙手が始まる。
スラム育ちの子どもたち、元兵士の男、逃亡してきた母親。
治療用の味覚補助器をつけた患者。
「本物の肉を食べたい」
ただそれだけの願いが、停電の夜に花火みたいに弾けていく。
人間の欲望は案外シンプルで、幸福炉が消えても消えるものじゃなかった。
ミカは両手を腰に当て、何十人分の挙手を見回しながら、とんでもない笑顔を浮かべた。
「……これは、やりがいありそうだねぇ」
レイスが肩をすくめる。
「ミカ、お前ひとりで作れる人数じゃねぇぞ」
フォウが羽をぱたつかせながら言った。
「えへへ、フォウも手伝う!かき混ぜる係~!」
サタヌスが笑った。
「燃やす係も必要か?焼き加減は任せな」
プルトは遠くの影からぽつりと口を開く。
「……わたしも、味見くらいなら」
アンブロスが喉を鳴らして頷く。
「うむ。こうして街は壊れながらも、生きる理由は増えていくものじゃ」
幸福炉が落ち、人工太陽が消えた日。
ナノシティは初めて“夜”を取り戻した。
不思議なことに、一番輝いていたのは。
壊れた都市の片隅に集まった彼らだった。
ミカが扉を開ける。
冷たい風が吹き込んだ。
“肉を買いに行くだけ”なのに、遠征軍の出発みたいに胸が高鳴る。
「さて。行こうかみんな。今日は……ごちそうだよ」
誰も幸せを定義できなくなった都市で、それでも人々は歩き出す。
数キロ先の13区へ、忘れてしまった“食卓”を取り戻しに。
13区の市場は、停電の夜でも妙に明るかった。
人の声、売り子の怒号、発電機の騒音。
都市が壊れても、腹が減るという事実だけは変わらない。
その喧噪のど真ん中で、ミカが突然叫んだ。
「Bonjour~! C’est Michèle でーす!」
軽やかなフランス語。堂々とした身振り。
クロノチーム全員が同時に固まった。
「あなた……フランス人だったの?」
ミカは笑って首を振る。
「ちがうちがう、カモフラージュだよ。“ミシェル”って名前に聞こえるでしょ?」
レイスは横で煙草をくわえたまま軽く肩をすくめた。
「擬態ってやつだ。亡国の民はだいたい身につけるもんだよ」
市場の光に照らされたレイスの横顔は、珍しく真剣だった。
その声には、彼自身がずっと見てきた“国の死”がにじんでいる。
「そもそもパリは昔から移民の街だった。
フランス人だけのものじゃない。
今日から君はフランス人です、って言われて切り替えられない奴も多いさ」
クロノチームはその言葉の意味を、まだうまく飲み込めない。
だが市場で列に並んでいる間に、現実がゆっくりと迫ってきた。
“日本という国が、もう存在しない。”
本物の豚肉をスキャンしようとして並んでいると。
隣のケバブ屋台から陽気なおじさんが声をかけてきた。
「キミ、フランス語上手ネ。日本人なのに」
ミカは一瞬だけ目をそらし、軽く笑った。
「あっ……まぁ、“表向き”ね」
おじさんは頷いた。
その仕草は驚くほど自然で、作り物の感情が一切なかった。
「クニ隠すの、ワカルヨ。ワタシのクニ……イスラエル。もう無いネ」
クロノチームは同時に振り返った。
「え、あなたの国も?」
おじさんは鉄板を拭きながら淡々と続けた。
「毎日、空から爆弾落ちテタ。軍と過激派のケンカ止まらナイ。
最後は、神様──DEUS社ネ。“危険”って判断して、消シタ。クニ消える?珍しくナイヨ」
風が吹き抜け、停電した街を冷たく撫でた。
遠くのホログラムはまだ復旧していない。
都市の夜は、やけに静かで、残酷なほど澄んでいた。
おじさんは最後に笑った。
その笑みには諦めも悲しみもなく、ただ事実を受け入れた者の強さがあった。
「国は死ぬ、人は残ル。人のほうが強いネ」
ミカはゆっくりと頷いた。
クロノチームもようやく理解した。
“日本という国が消えた”という言葉が。
ただの歴史記録ではなく、目の前の市場で生きている者たちの現実なのだと。
市場の片隅では、焼かれた肉の匂いが漂う。
幸福炉が落ち、国家が消え、都市が壊れても腹は減り、人は食べ、生き続ける。
その事実だけが、夜の空気の中で確かに輝いていた。
日本が消えた理由は、誰もひとつにまとめられなかった。
戦争でも、革命でもない。
もっと静かで、もっと狡猾で、もっと企業的な滅び方だった。
最初の炎は、国ではなく企業が灯した。
巨大メガコーポ連合、その中心にいたのはDEUS社。
彼らが導入した新技術は、こう説明された。
「気象制御クラウド。台風コントロール技術」
表向きは災害軽減。
実態は、特定地域に“気象兵器”を投下できる経済攻撃装置だった。
そして最初に実験台にされたのは、日本だった。
年に10回以上の“操作された台風”。
物流網を折り続ける局地的豪雨。
“偶然”を装った落雷が、原発や都市インフラだけを正確に撃ち抜く。
政府は関与を否定し、企業は「自然災害」の四文字で押し通し。
市民は疲弊し、誰も“犯人”を特定できなかった。
この時点で、国家の政治力はすでに折れていた。
DEUS社は甘い提案を持ちかけた。
「日本列島を丸ごとAI特区にしませんか?」
疲弊した政府は生き返るチャンスだと飛びつき、最悪の契約が結ばれる。
行政権の一部をAIへ移譲する“試験的自治権”。
未来的な改革に聞こえるが、本質はひとつ。
国家主権を企業に奪われる“初期ブートローダー”だった。
翌年、東京湾で稼働したDEUS製ナノマシン群が暴走した。
事故か、他社のハッキングか、あるいは故意か。
真相は語られないまま、結果だけが残った。
東京の半分が“粉砂”になって消えた。
建物も道路も人も、砂に還った。
国家は非常事態宣言を発令したが、国際社会は冷たかった。
企業連合はこう告げた。
「この領域はメガコーポの管理下に置きます」
国際法の隙を突かれ、復旧の主導権は奪われ。
“復旧”の名のもとに企業軍が入り、企業法が適用され、企業都市が建った。
この瞬間、日本列島は“企業領土”へ変質し始めた。
DEUSだけでは終わらなかった。
他の巨大企業も、沈みゆく島へ群がった。
沿岸に企業軍の自律ドローンが上陸し、北海道で資源争奪の小規模武力衝突。
九州へ集中投下される“気象兵器”。
関西はEMPで停電、“情報空白地帯”に陥る
日本列島は「誰のものでもない戦場」になった。
国はもう、国として扱われていなかった。
最終的にDEUS社が宣言した。
「日本列島は“アジア・ナノシティ計画”の特別区として統合する」
他企業も追随。
国連は、日本政府の“実効支配の喪失”を認定。
公的記録上、日本は“消滅した国家”として扱われた。
国家が死ぬ条件は単純だ。
主権がない、領土を管理できない。
日本はその両方を失った。
こうしてミカの故郷は、歴史上からも世界地図からも概念ごと抹消された。
その場所の名前は「不可逆的変質領域:日本」
国が消えた跡地に残るのは、地図から抜け落ちた“空白”だけだった。
衛星軌道上のAIが沈黙し、国家コード「JP」は“欠番”となり、
世界地図の端にはぽっかりと穴が空いたままだった。
改めて世界に問う。
Aimiez-vous vraiment le Japon ?
(あなたは本当に日本が好きだったの?)
問いかけに答えられる者は、もう残っていない。
ELDORADOとサタヌスの死闘。
金ピカの財閥令嬢とスラムの悪ガキの殴り合いは、都市全域に衝撃波を撒き散らし、
幸福庁の《幸福炉》がついにメルトダウン。
上層の人工太陽は消え、都市は数時間だけ“本当の夜”を知った。
停電が引き起こした余波は地味に、しかし生活の根本から都市を揺るがす。
上層の冷蔵インフラは壊滅、保存しきれなかった“本物の肉”が13区へ投げ捨てられた。
宝石みたいに光る肉の塊が、スラムの床に転がってくる、そんな時代だ。
“栄養パック”で延命している下層の市民にとっては、これは事件というより奇跡だった。
ミカがエプロンを結びながら言う。
「みんな~。ついてきて、13区に豚肉買いに行くんだ」
ベンチに座ってスカーフを直していたサタヌスが片眉を上げる。
「なんか頼まれたのか?」
ミカはスマホを見せながら頷いた。
「うん。“みんな本物の肉食べてみたい”って言ってるし……ユーサー君がね」
その名前に、空気がほんの少しだけ柔らかくなる。
ユーサー・カムラン。
闇病院で暮らす、あの心臓病の少年。
幸せになる資格がなかった少年。
幸福庁が“治せるのに治さなかった”少年。
最近は特に体調が悪い。
呼吸が浅く、ちょっと走ると胸を押さえてうずくまる。
その彼が、昨日ふと言ったのだ。
“ビタミンB1がいいらしいんだって。……豚肉、食べられるかな”。
その小さな願いが、今日の遠征の理由だった。
「13区で豚肉を買う」
ミカがそう口にしただけで、闇病院の食堂にいた空気がふっと変わった。
鉄臭い非常灯の下、全員の動きが一瞬止まり、次の瞬間、誰かの喉が小さく鳴った。
最初に手を挙げたのは、意外な人物だった。
テルミドールだ。
「……わたしはロボットです。食事は必要としません。……が。」
彼は一拍置いた。
胸の奥で、まだ人間だった頃の“記憶の残滓”がかすかに揺れる。
「パートナーが肉料理を好きでした。……温かい香りに、興味があるのです。」
サタヌスが吹き出す。
「ははっ、理由が一番ロマンチックじゃねぇか。」
テルミドールは照れるように視線をそらした。
ロボットなのに。
いや、ロボットだからこそ、感情の揺れが余計に眩しかった。
食堂が少しだけ柔らかい光に照らされたような気がした。
テルの“追憶”は、闇病院の住人にとって特別な響きを持つ。
ミカは笑った。
「わかったよテル。じゃあ、君の分も買ってくる」
続いて、小さな影が手を挙げた。
イグレインだった。
少女の瞳が、いつもより大人っぽい。
「本物の肉ってさ……パパが退院してきたときの、ごちそうだったんだ」
その声には、幸福炉が灯していた頃の“温度”が残っている。
幸福AIに最も愛された子が語る“過去の幸福”は、食堂の誰の胸にも落ちた。
レイスは黙ったまま煙草を消し、アンブロスは杖を軽くつきながら笑った。
「おぉ……まさか肉が中層で買えるとはの。
文明の皮肉じゃが、これは嬉しいて。
老骨が生きてるうちにもう一度、肉の匂いを嗅げるとは」
老人の笑い声は、どこか戦火をくぐったような重さと。
子どもみたいな期待を同時に含んでいた。
やがて、食堂のあちこちから挙手が始まる。
スラム育ちの子どもたち、元兵士の男、逃亡してきた母親。
治療用の味覚補助器をつけた患者。
「本物の肉を食べたい」
ただそれだけの願いが、停電の夜に花火みたいに弾けていく。
人間の欲望は案外シンプルで、幸福炉が消えても消えるものじゃなかった。
ミカは両手を腰に当て、何十人分の挙手を見回しながら、とんでもない笑顔を浮かべた。
「……これは、やりがいありそうだねぇ」
レイスが肩をすくめる。
「ミカ、お前ひとりで作れる人数じゃねぇぞ」
フォウが羽をぱたつかせながら言った。
「えへへ、フォウも手伝う!かき混ぜる係~!」
サタヌスが笑った。
「燃やす係も必要か?焼き加減は任せな」
プルトは遠くの影からぽつりと口を開く。
「……わたしも、味見くらいなら」
アンブロスが喉を鳴らして頷く。
「うむ。こうして街は壊れながらも、生きる理由は増えていくものじゃ」
幸福炉が落ち、人工太陽が消えた日。
ナノシティは初めて“夜”を取り戻した。
不思議なことに、一番輝いていたのは。
壊れた都市の片隅に集まった彼らだった。
ミカが扉を開ける。
冷たい風が吹き込んだ。
“肉を買いに行くだけ”なのに、遠征軍の出発みたいに胸が高鳴る。
「さて。行こうかみんな。今日は……ごちそうだよ」
誰も幸せを定義できなくなった都市で、それでも人々は歩き出す。
数キロ先の13区へ、忘れてしまった“食卓”を取り戻しに。
13区の市場は、停電の夜でも妙に明るかった。
人の声、売り子の怒号、発電機の騒音。
都市が壊れても、腹が減るという事実だけは変わらない。
その喧噪のど真ん中で、ミカが突然叫んだ。
「Bonjour~! C’est Michèle でーす!」
軽やかなフランス語。堂々とした身振り。
クロノチーム全員が同時に固まった。
「あなた……フランス人だったの?」
ミカは笑って首を振る。
「ちがうちがう、カモフラージュだよ。“ミシェル”って名前に聞こえるでしょ?」
レイスは横で煙草をくわえたまま軽く肩をすくめた。
「擬態ってやつだ。亡国の民はだいたい身につけるもんだよ」
市場の光に照らされたレイスの横顔は、珍しく真剣だった。
その声には、彼自身がずっと見てきた“国の死”がにじんでいる。
「そもそもパリは昔から移民の街だった。
フランス人だけのものじゃない。
今日から君はフランス人です、って言われて切り替えられない奴も多いさ」
クロノチームはその言葉の意味を、まだうまく飲み込めない。
だが市場で列に並んでいる間に、現実がゆっくりと迫ってきた。
“日本という国が、もう存在しない。”
本物の豚肉をスキャンしようとして並んでいると。
隣のケバブ屋台から陽気なおじさんが声をかけてきた。
「キミ、フランス語上手ネ。日本人なのに」
ミカは一瞬だけ目をそらし、軽く笑った。
「あっ……まぁ、“表向き”ね」
おじさんは頷いた。
その仕草は驚くほど自然で、作り物の感情が一切なかった。
「クニ隠すの、ワカルヨ。ワタシのクニ……イスラエル。もう無いネ」
クロノチームは同時に振り返った。
「え、あなたの国も?」
おじさんは鉄板を拭きながら淡々と続けた。
「毎日、空から爆弾落ちテタ。軍と過激派のケンカ止まらナイ。
最後は、神様──DEUS社ネ。“危険”って判断して、消シタ。クニ消える?珍しくナイヨ」
風が吹き抜け、停電した街を冷たく撫でた。
遠くのホログラムはまだ復旧していない。
都市の夜は、やけに静かで、残酷なほど澄んでいた。
おじさんは最後に笑った。
その笑みには諦めも悲しみもなく、ただ事実を受け入れた者の強さがあった。
「国は死ぬ、人は残ル。人のほうが強いネ」
ミカはゆっくりと頷いた。
クロノチームもようやく理解した。
“日本という国が消えた”という言葉が。
ただの歴史記録ではなく、目の前の市場で生きている者たちの現実なのだと。
市場の片隅では、焼かれた肉の匂いが漂う。
幸福炉が落ち、国家が消え、都市が壊れても腹は減り、人は食べ、生き続ける。
その事実だけが、夜の空気の中で確かに輝いていた。
日本が消えた理由は、誰もひとつにまとめられなかった。
戦争でも、革命でもない。
もっと静かで、もっと狡猾で、もっと企業的な滅び方だった。
最初の炎は、国ではなく企業が灯した。
巨大メガコーポ連合、その中心にいたのはDEUS社。
彼らが導入した新技術は、こう説明された。
「気象制御クラウド。台風コントロール技術」
表向きは災害軽減。
実態は、特定地域に“気象兵器”を投下できる経済攻撃装置だった。
そして最初に実験台にされたのは、日本だった。
年に10回以上の“操作された台風”。
物流網を折り続ける局地的豪雨。
“偶然”を装った落雷が、原発や都市インフラだけを正確に撃ち抜く。
政府は関与を否定し、企業は「自然災害」の四文字で押し通し。
市民は疲弊し、誰も“犯人”を特定できなかった。
この時点で、国家の政治力はすでに折れていた。
DEUS社は甘い提案を持ちかけた。
「日本列島を丸ごとAI特区にしませんか?」
疲弊した政府は生き返るチャンスだと飛びつき、最悪の契約が結ばれる。
行政権の一部をAIへ移譲する“試験的自治権”。
未来的な改革に聞こえるが、本質はひとつ。
国家主権を企業に奪われる“初期ブートローダー”だった。
翌年、東京湾で稼働したDEUS製ナノマシン群が暴走した。
事故か、他社のハッキングか、あるいは故意か。
真相は語られないまま、結果だけが残った。
東京の半分が“粉砂”になって消えた。
建物も道路も人も、砂に還った。
国家は非常事態宣言を発令したが、国際社会は冷たかった。
企業連合はこう告げた。
「この領域はメガコーポの管理下に置きます」
国際法の隙を突かれ、復旧の主導権は奪われ。
“復旧”の名のもとに企業軍が入り、企業法が適用され、企業都市が建った。
この瞬間、日本列島は“企業領土”へ変質し始めた。
DEUSだけでは終わらなかった。
他の巨大企業も、沈みゆく島へ群がった。
沿岸に企業軍の自律ドローンが上陸し、北海道で資源争奪の小規模武力衝突。
九州へ集中投下される“気象兵器”。
関西はEMPで停電、“情報空白地帯”に陥る
日本列島は「誰のものでもない戦場」になった。
国はもう、国として扱われていなかった。
最終的にDEUS社が宣言した。
「日本列島は“アジア・ナノシティ計画”の特別区として統合する」
他企業も追随。
国連は、日本政府の“実効支配の喪失”を認定。
公的記録上、日本は“消滅した国家”として扱われた。
国家が死ぬ条件は単純だ。
主権がない、領土を管理できない。
日本はその両方を失った。
こうしてミカの故郷は、歴史上からも世界地図からも概念ごと抹消された。
その場所の名前は「不可逆的変質領域:日本」
国が消えた跡地に残るのは、地図から抜け落ちた“空白”だけだった。
0
あなたにおすすめの小説
『専属メイド全員が重すぎる愛で迫ってくる!~大学生の僕、10人の美女に24時間甘やかされ尽くす生活~』
まさき
青春
僕は、ちょっと普通じゃない日常を送ることになった――それは、専属メイドが全員僕のことを溺愛してくれる暮らしだ。
朝は髪を整えてくれるリナ、朝食で笑顔を見せてくれるミユ、どの瞬間も全力で僕を甘やかす。掃除、料理、悩み相談まで、僕のためだけに動くメイドたち。
「ご主人様の笑顔が見たいんです」
その一言で、僕の毎日はちょっとドキドキ、ちょっと幸せ。
全員が僕を独占したいと競い合う日常の中、僕はどうやってこの溺愛地獄(?)を生き抜けばいいのか――!?
甘々、至れり尽くせりの日常ラブコメ、開幕。
転生先はご近所さん?
フロイライン
ファンタジー
大学受験に失敗し、カノジョにフラれた俺は、ある事故に巻き込まれて死んでしまうが…
そんな俺に同情した神様が俺を転生させ、やり直すチャンスをくれた。
でも、並行世界で人々を救うつもりだった俺が転生した先は、近所に住む新婚の伊藤さんだった。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
忘却の艦隊
KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。
大型輸送艦は工作艦を兼ねた。
総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。
残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。
輸送任務の最先任士官は大佐。
新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。
本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。
他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。
公安に近い監査だった。
しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。
そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。
機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。
完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。
意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。
恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。
なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。
しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。
艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。
そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。
果たして彼らは帰還できるのか?
帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
