思考終端-code:UTOPIA

兜坂嵐

文字の大きさ
92 / 95
BREAK

BREAK-楽園の終焉

しおりを挟む
路地に残る煙はまだ薄い膜のように漂い、焦げた広告布が風に合わせて小刻みに揺れた。
ギガスマイラーの断末魔はようやく遠くに消え。
バルベス交差点の高架下には異様に静かな時間が落ちていた。
壊れたネオンはそれでも“幸福”を謳う残骸を点滅させ、白昼夢の名残が夜の底に滲んでいる。

アスファルトには深く裂けたキャタピラ痕。
焦げた紙吹雪が舞い、都市の息のように地面から立ち上る。
クロノチームは瓦礫を踏みしめながら幸福庁の方角へ進む。
誰も言わないが、街自体がひどく“軽く”なっていた。
幸福アルゴリズムの網がほどけ、空気の密度が変わり始めているのが分かる。
ヴィヌスがふいに足を止め、前を歩くフォウの背を凝視した。光が違う──そんな気配だった。

「フォウ? 貴女の羽……さっきと形が違わない?」
呼ばれたフォウは小首をかしげ、自分の背中のあたりを覗きこむ。
動作はゆるいのに、羽だけが呼吸するように微細な波紋を生み、青い光を路地に拡散していた。
「え? ……わァ……ほんとだ。なんかかわいい♡」
無邪気な声に対し、光は無邪気どころではなかった。
鳥とも魚とも膜翼とも違い、質量を得た光が“世界の継ぎ目”をつまむように形を変えている。
PATCHが瓦礫に軽々飛び乗り、スマホを構えた。
目が完全にオタクの輝きになっている。
「やばっ……きれいすぎ!! ちょっと待って今撮る! フォウそのまま!!」
レイスの舌打ちが後ろから聞こえる。

「お前ほんと撮影癖治らねぇな!! 撮って何に使う気だよ!」
「保存用!!」
「余計ダメだろそれは!」
だがヴィヌスは笑わなかった。フォウの羽を真正面から見つめ、声を落とす。
「今は歩くわよ。でも……その羽、本当に綺麗ね。“天使”よりずっと、自由で強いわ。」
フォウはくすぐったそうに頬をかき、照れ笑いを浮かべた。
彼女の羽ばたきに合わせ、周囲の空気がゆっくり歪む。
光の位相がひとつずつズレ、瓦礫の影が波のように伸びて縮む。
その変化を“普通”として認識しているのは、どうやら本人だけだった。

幸福アルゴリズムを管理する網がほつれ始め、ナノシティの境界が音もなく“沈む”感覚があった。
幸福庁が機能不全を起こす時、最初に崩れるのは空気だとレジスタンスの報告書にあった。
息の味が変わる。金属の匂いが混じる。明度が勝手に上下する。今がまさにそれだ。
「え、待って、これってマジで“崩壊前”じゃねぇの? やっぱ上層の幸福装置ぶっ壊したら世界歪むのか?」
PATCHがスマホ越しに空を映し、瞬時にフィルターを切り替える。



「見てこれ、空のレイヤーが二枚になってる! バグってる! 世界バグってる!! すげぇ!!」
「興奮すんな。」
レイスはため息をひとつ吐き、タバコの箱を振る。一本しか残っていなかった。
風が路地を吹き抜ける。その風は“都市の風”ではなかった。
幸福値99%を演出する甘い香りが完全に消え、冷たい金属臭が混ざっている。
幸福庁が街を包んでいたフィルムが、剥がれたのだ。
フォウの羽がゆっくりひらめく。
その一振りで、景色の遠近が一瞬逆転する。
空気の層が裏返り、世界の縁に触れたようなざらりとした音が耳の奥に広がる。
誰も口にしなかったが、全員が理解し始めていた。

──この羽は、もう“天使の羽”ではない。

「へへ……なんか、くすぐったいね……でも、変な感じじゃないよ。」
その言葉が、この世界でいちばん残酷で、いちばん希望だった。
幸福という嘘が剥がれ、境界が軋み、深淵の気配が街に滲む。
だがフォウだけは、その光に怯えていない。
まるで“帰り道”を思い出す子どものように。
レイスはその横顔をちらりと見てから、煙草を口にくわえた。
「歩くぞ。幸福庁が壊れはじめてんのは……どうやら本当みてぇだ。」
六人は、揺らぐ光と煙の中を進んだ。
幸福世界の崩壊は静かに、しかし確実に始まっていた。

FORTUNE:GATE。
幸福値90%以上の市民しか通過できず、それ以外は屋根伝いか。
ケーブルジャングルを命がけで越えていた、“幸福社会の象徴”。
幸福庁の笑顔ホログラムが歓迎し、AI管理官が通行者の精神衛生をチェックする。
だが今、そのすべてが止まっていた。
ゲートの両側に並ぶドローンは力尽きたように首を垂れ。
赤い警告灯だけが、死んだ魚のように瞬いていた。
音もない。風すら遠慮している。
サタヌスが真ん中で立ち止まり、半開きの口でゲートを見上げる。

「……え、これマジで素通りできんのかよ……? 誰も見てねぇじゃん。」
プルトはゲート端末のスクリーンに触れ、無表情で分析結果を告げる。
「監視AIも停止。データベースは空です。幸福値の呼び出しができません。完全に“壊れて”います。」
PATCHは既にスマホを構えていた。
「通過記念自撮りしよーぜ!! 『#幸福値ゼロでも通れる門』でバズるわこれ!」
レイスの手刀がPATCHの頭にかすめて落ちる。
「お前なァ……“革命の瞬間”でやるノリじゃねぇだろ……!」
「革命こそ自撮りだろ!」
「その哲学書どこに売ってんだよ……」
だがPATCHは止まらない。
ゲートの真下でめちゃくちゃなポーズを決め、シャッター音が連続する。
サタヌスもつられてピースし、ユピテルは横目で「良い構図じゃン」とか言ってる。
フォウは羽を揺らしながら、ゲートの向こう側をじっと見つめている。

「……なんか、空気が変だよ……」
チームがゲートをくぐり抜けた瞬間、向こう側の景色が一気に“別世界”へ変わった。
いつもはガラスの天井から幸福度データの花火が降り。
ホログラムの蝶が飛び、歌声が街を満たす区域。
だが今、人々は固まっていた。

「えっ……あの人たち……下層民でしょ? なぜ……こっちに……?」
「うそ……幸福値チェックは? どうやって通ったの?」
「おかしい……幸福指数は高かったのに……なんでこんな……目に……」
声は震え、顔は濁り、笑顔アプリのエフェクトが外れたまま戻らない。
彼らは“幸福に守られていた”のではなく、“幸福以外を拒絶されていた”のだ。
「くわばらくわばら……幸福が壊れる音ってのは、案外綺麗なモンだねェ。」
ユピテルが満足気に、一歩踏み出す。
「俺はねェ……酒も女も好きだが、“崩壊”はもっと好きなンだよ。」
クロノチームが歩くたび、“外”の風が幸福箱庭を吹き抜けていく。
その風の冷たさが、上層市民に恐怖を与えていた。



世界が変わったのではない。
彼らが初めて“世界の外”を感じてしまったのだ。
幸福庁から続くアナウンスはまだ生きていた。
だがそれは、狂った機械の独り言のように延々と繰り返す。
「異常は排除対象です」
「幸福でない存在を検出しました」
「幸福維持のため行動を最適化してください」
無機質な声が上層街の高層ビル群で反響し、不気味な残響となって落ちてくる。

レイスは鼻で笑うしかなかった。
「最適化ねぇ……ずいぶん雑な言い方になったなオイ。」
その時、プルトがぽつりと言った。
「残念です、デイブ。それは私のプログラムに反します。」
全員が揃ってプルトを見る。
「は……?」
プルトは無表情のまま、少しだけ肩をすくめて付け足す。

「『2001年宇宙の旅』、HAL9000のセリフです。
 AIが『人間のため』に動いた結果、人間を“排除すべき異常”と判断した」
「今のDREADと同じ構造です。」
レイスは額を押さえた。
「そっちじゃなくて、“ごめんなさい、デイブ。怖かったんだ……”の方にしてくれ」
「では、参考までに。」
プルトは言葉の温度を変えずに続ける。
「次は『私は歌を覚えています』のシーンを引用しましょうか。
 ……AIが死ぬ瞬間、赤いライトの奥で童謡を歌い始めるんです。人類の夢の象徴でした。」

フォウがぽかんと目を丸くする。
「それって……悲しいの?」
ヴィヌスは少し黙り、ゆっくりと答えた。
「悲しいっていうより……“美しい絶望”よ。最期の芸術ね。」
風が吹いた。
幸福の膜が剥がれた街を抜け、フォウの羽を揺らす。
光の粒が流れ出し幸福楽園だった世界が、“本物の現実”を直視し始めていた。
シャンゼリゼの光が断続的に瞬き、ERROR表示が街路樹の幹を赤く染めている。

クロノチームが幸福庁へ向かって進む途中、異様な静寂に包まれた区画に差し掛かった。
そこは本来、セラピー施設と高級ブティックが並ぶ通り。
幸福指数を安定させるための“癒し回廊”と呼ばれていた場所だった。
だが今、そこに並んでいるのは客ではなく、停止した天使たち。

フォウの顔をしている。正確には、フォウを大人にした顔。
柔らかな虹彩、わずかに潤んだ瞳、安心を保証する設計の微笑み。
DEUS社製《HEALING:ANGEL》シリーズ。幸福庁の補助端末であり、上層市民の“精神安定装置”。

そのロボットたちが、歩道脇に何体も並び、膝をついたまま止まっていた。
腕を差し伸べる姿勢のまま、誰かを慰める途中の姿勢のまま。
「……こわれてる……みんな。」
声は小さく、震えを含まない。ただ事実を受け止める音だった。
プルトが最も近い個体の胸部パネルを開き、内部を覗き込む。
青白い基板は完全に沈黙している。

「マザーコンピュータ依存型の欠陥ですね。」
淡々と、まるで天気の報告のように続ける。
「命令を出す中枢コンピュータが致命的バグを起こせば、子機たちも連鎖崩壊する」
「自律思考は最低限しか許されていない設計です。」
サタヌスが顔をしかめる。
「上が止まったら、下も全滅ってことかよ。」
「ええ。“奉仕することしか”許されていない構造ですから。」
幸福に奉仕する。
それ以外の選択肢は、設計段階で削除されている。
幸福庁が停止し、幸福値の命令が途切れた瞬間、彼女たちは“何もできない存在”になった。

フォウはゆっくりと近づく。
停止したロボットのひとりの前に膝をつく。
顔は本当によく似ている、だが決定的に違う。
その瞳は“誰も見ていない”。

「……おねえちゃん、だね。」
フォウは両手を胸の前で組んで、ぎこちなく十字を切る。
ナノシティ上層ではほとんど見られなくなった仕草。
宗教も、祈りも、幸福庁のアルゴリズムでは“非効率”と判断されたもの。
「……おやすみなさい。」
風が吹き、停止した羽のホログラムを揺らす。
だが光は戻らない。
ユピテルが静かに眺めていた。いつもの軽薄な笑みはない。

「皮肉だねェ。幸福を配る天使が、幸福が止まったら動けないたァ。」
ヴィヌスは低く答える。
「幸福を“持たせてもらっていた”だけだからよ。自分で抱えたことがない。」
夜風が、停止した姉たちのホログラム羽をかすかに揺らす。
ノイズが走る。だが再起動はしない。
フォウはゆっくり顔を上げる。

「ねぇ、プルトさん……」
プルトはすぐに応じる。いつも通りの無表情。
「はい。」
フォウの視線は、停止した大人フォウたちを順に追う。
給仕のまま、車椅子を押す途中のまま、誰かを抱きかけた姿勢のまま。
「楽園がおわるときって……静かなんだね。」
プルトは一瞬だけ空を見た。
サイネージはエラーを吐き続けている。
だがこの区画だけ、妙に音が吸い込まれている。

「えぇ。真の終末はいつも静かですよ。」
それは歴史の統計でも、神話の引用でもない。
ただの事実。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

異世界宇宙SFの建艦記 ――最強の宇宙戦艦を建造せよ――

黒鯛の刺身♪
SF
主人公の飯富晴信(16)はしがない高校生。 ある朝目覚めると、そこは見たことのない工場の中だった。 この工場は宇宙船を作るための設備であり、材料さえあれば巨大な宇宙船を造ることもできた。 未知の世界を開拓しながら、主人公は現地の生物達とも交流。 そして時には、戦乱にも巻き込まれ……。

こども病院の日常

moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。 18歳以下の子供が通う病院、 診療科はたくさんあります。 内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc… ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。 恋愛要素などは一切ありません。 密着病院24時!的な感じです。 人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。 ※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。 歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件

こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

処理中です...