嫉妬帝国エンヴィニア

兜坂嵐

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我ら全て、舞台にあれ

祝賀、そして叛逆

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 ――祝賀会、という名のクーデターが静かに始まる。
 リースは黒衣の裾を正し、舞台中央に歩み出る。
 その足音が大聖堂の高い天井に反響する。
 観客席には王族、貴族、騎士団長、宰相――嫉妬界の“支配層”が勢揃いし。
 誰もが作り物の微笑みを貼りつけている。
 ただ、空気のどこかで微かな違和感が蠢いた。

「突然の開演にも関わらず、これほどお集まりいただき誠にありがとうございます」
「……わけあって題名を言う事は出来ませんが、どうぞお楽しみください」
 その一言に、騎士団長や宰相が顔を見合わせる。
 ――「題名を言うことが出来ない」?
 この王家で、許されぬ名の芝居などあるはずがない。
 彼らは椅子に座ったまま、じっと舞台の空気を観察し始める。

 ティニのマスターも、喧騒の後ろで静かに席に着く。
 あくまで“観客”として手を組み、表情は穏やかだが、その目だけはじっと舞台を見つめていた。
(ついに始まる……王を揺るがす劇が……)
 彼の心の声は静かに、舞台へと届いていく。

 カイネス博士は、客席の片隅――壁にもたれて立つ。
 王族の顔色など最初からどうでもいい。
 彼の興味は、ただひとつ。
 アルヴ座とクロノチームが今ここで“どんな結末”を描くつもりか、その一点だけ。
 彼はゆっくりと眼帯を締め直し、静かに観察者の仮面を被った。
 重苦しい静寂。
 “芝居”と“現実”の境界線が、ひび割れ始めていく。
 祝賀会という名の“終幕”が、いま静かに幕を開ける。

 祝賀劇の幕が上がる。
 最初のうち、サロメは隣のロト――いや、カリストの様子を優雅に見守る余裕を持っていた。
「新王も立派に振る舞っていますわ」と微笑みながら。
 カリストの横顔、その瞳の揺らぎまで静かに観察する。
 けれど、舞台が進むにつれ、空気が次第に変わっていく。
 舞台上では“翠の女王”――先代王妃をモデルにした女優が登場し。
 舞台の中央。
 先代王妃――“翠の女王”が鏡の前で不安げに座っていると、暗闇からすっと現れる道化師。

 その姿は、どこか“茶目っ気”を装っている。
 右手にはパペット――妙にリアルな造形の少年人形を持ち。
 クルクルと宙を踊らせてみせる。
 けれど、その仕草の陰で不気味に光るのは、人ならざる黄金色の瞳。

 髪は夜よりも深い黒。
 エンヴィニア王家の「魔界で最も黒い」と言われる髪色ですら敵わない。
 完全な闇。光を反射すらしない“ブラックホール”のごとき黒。
 肌の色は褐色。
 だが温かみはなく、まるで“闇”そのものを人の形に固めたような冷たさを纏っている。

 表情は、常にニヤニヤと笑みを浮かべている。
 その笑みは決して陽気ではなく、むしろ“すべてを見透かす”タイプの悪意そのもの。
 口調もどこか芝居がかっていて、声は低く艶めき、独特の「闇の響き」を持っていた。
 パペットを揺らしながら、女王に向けてこう言い放つ。
「お前の目鼻のパーツは所詮テンプレートの寄せ集めに過ぎない、実につまらない顔だ」
 その一言だけで、空気が完全に変わる。
 “遊び”と“狂気”が紙一重の道化師。

 その台詞を聞いた瞬間、サロメの胸が締め付けられる。
 舞台上の女王が、絶望したように鏡の前で震え、ついには銀のナイフで自らの顔を切り裂く。
 血飛沫の中で、虚ろな声が呟かれる。

「こんな顔……いっそ無くしてしまえばいい……」
 サロメは息を呑む。
(こ、これは……わたくしのお母さまの死をモチーフに?)
(あまりにも“そのまま”過ぎます。これはお芝居ではありません!
 この国で起きた事実をそのまま劇に落とし込んである……!!)
 全身が冷え、喉が渇く。
 祝福の笑顔を保とうとするほど、血が逆流するような怒りと恐怖がこみ上げてくる。

「……エンヴィニア・ラプソディ……? まさか……」
 サロメは咄嗟に隣を見る。
 カリストだけが、この“演劇”を全く楽しまず。
 ただ静かに――まるで舞台の上の“亡霊”を見ているかのような。
 真っ直ぐな視線を返していた。
 笑わない。
 台詞を口にするたび、その呼吸さえ苦しそうに揺れている。

 舞台は、もはや“祝賀”ではない。
 これは、王家に刻まれた呪いそのもの。
 エンヴィニアの“真実”が、いま劇の中で暴かれていく。

 静まり返る観客席――
 その片隅、誰も気づかぬ場所に“本物”アンラ・マンユの姿がある。
 黒すぎる髪と黄金色の瞳、闇を纏う褐色の肌に、ニヤニヤとした無邪気な悪役スマイル。
 その手には、いつものパペット人形。
 指先でくるくると踊らせながら、わざとらしく舞台上の「道化師」と自分を見比べてみせる。

「おや。私をモデルにするとは大胆だな……」
「まぁ確かに、先代王妃を壊したのは事実だ、許可してあげよう」
 その声は、まるで劇場の底から響いてくるような深さと艶。
 周囲に溶け込んで誰にも気づかれぬまま。
 彼だけが“事実”と“虚構”の狭間で微笑んでいる。
 彼の眼差しには、恐怖も後悔もない。
 あるのはただ最高の悪戯に対する、飽くなき愉悦だけだった。

 劇が加速する。
舞台は“祝賀”を遥かに通り越し、1万2000年の時を超えて、未来からの来訪者。
クロノチームそっくりの5人が「滅亡を見届けるために」現れる。

 舞台上の未来人は、白い衣に身を包み。
 その中心で微かに揺れる“カリスト”――白き未来人。
 まるで今この瞬間、現実のカリストを写し取ったような透明な美しさ。
 サロメ役の女優が、露骨に「彼」に見惚れ、未来から来た者へ強い“嫉妬”を滲ませる。
 それは、観客席のサロメ自身の過去そのもの。
 そのすべてが、この国の歴史。
「過去に実際に起きた真実」を暴き立てていた。

 サロメは、ついに声を荒らげる。
「……“あの子”を使った、禁忌……」
「何をしている衛兵! あれは“禁忌”よ!! 直ちに舞台の者すべてを捕らえなさい!」
 観客席にざわめきが走り、大臣と騎士団が大混乱する。
「ひ、姫様!ですが、ロト様のご様子が――」
 狼狽える声にサロメは振り返るが、その横で、カリストがゆっくりと立ち上がる。
 その立ち姿は、もはや神々しいほど美しい。
 けれどその目の奥は、完全な“空虚”。
 魂ごと、舞台に吸い取られたような気配だけが漂う。
 サロメは絶望の色を帯びて命じる。
「……っ、神竜塔へ。式をやり直すのです、此処ではもう、だめ」

 騒然とする中、ユピテルが口笛を吹く。
「狂詩曲(ラプソディ)は伊達じゃねぇな」
「俺を斬って、“自分の心”も斬っちまったか……カリストォ」
 王族スマイルが崩れ、場は混乱の渦へ落ちていく。
 カリストは誰にも見えない方向。
 観客にも舞台にも背を向ける位置で、“笑顔”を浮かべる。
 でもその笑顔は、誰にも向けられていない。
“芝居”として貼り付けられた仮面。

「……お芝居は……まだ、続いているのですね」
 その声には、何の感情も宿っていなかった。
 もはや“誰のための舞台”なのか、答える者はいない。

 観客席の隅、闇のヴェールに包まれながら――その黄金色の瞳だけは鋭く光っている。
 アンラは手元のパペットをくるくると踊らせ、微笑を浮かべて舞台を見下ろす。
「ふむ……舞台らしく多少の誇張はあるが、ほとんど事実ではないか」
「事実に勝るフィクションはないね」
「……そう、真実は往々にして、人を最も深く傷つけ、最も美しく輝く」
 芝居の虚構と現実が溶け合うこの瞬間。
 アンラだけが、“この国の呪い”と“美”の両方を心から愉しんでいる。
 その眼差しはまるで、「ようやく本当の舞台が始まったな」と。
 どこか祝福さえ滲ませていた。

 祝賀劇――急転直下。
《エンヴィニア・ラプソディ》は唐突に中断され。
 アルヴ座とクロノチームは衛兵たちによって次々と拘束される。
 観客席からは悲鳴とも野次ともつかぬ声が飛び交う。
「えぇえー!?これから面白くなるとこだっただろおお!」
「サロメ様の恋はどうなったの!?」
 舞台上に響くのは、鎖が擦れる金属音、衛兵たちの重たい足音。
 大臣や貴族の怒号――だが、それら全てを“音楽”のようにかき消す声があった。

 リースだ。
 黒衣のまま、拘束されつつも顔を上げ、堂々と舞台に向かって叫ぶ。
「聞け!!嫉妬に酔いし者よ!」
「我らはアルヴ=シェリウスの亡霊!」
「アルヴの最期を、この手で演じきることが最大の復讐であり、最大の愛だ!!」
「偽りの嫉妬しか抱けぬ者には……この魂は潰せぬと知れ!!」
 その声が空間を切り裂き、観客の心臓に直接突き刺さる。
 クロノチームの面々も、それぞれに“最後の舞台”を刻む。
 ウラヌスは衛兵に腕を掴まれながらも、いつものようにニカッと笑って。
「え~!?投獄ぅ!?やっばぁ♡!でもこの空気、もう誰も王女の話聞いてないよ~?」
 と、大声でおどけて見せる。

 レイスは衛兵の足にわざとつまずき、派手に転ぶが、そのまま即座に起き上がる。
「……舞台ってのはな、観客の心さえ掴んじまえば、誰が正義かはもう決まってんだよ」
 ノックスは仮面を外さず、淡々と呟く。
「私の演出は――最後まで、お客様の心の中で続きます」
 拘束されながらも、彼らは“演者”として、最後の最後まで“物語”を放棄しない。
 大聖堂の空気は、もう祝賀ではない。
 静かに、熱く、誰もが“新しい物語”の予感に心を震わせていた。
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