嫉妬帝国エンヴィニア

兜坂嵐

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我ら全て、舞台にあれ

終わらぬ舞台と喝采

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 ――民衆は、もはや観劇者ではなかった。
 舞台は潰され、アルヴ座が鎖に繋がれ連行されていく中で。
 広場の真ん中、拍手はいつまでも鳴り止まない。
「インヴィーデ……」
 最初は一人の呟きだった。
 躊躇いがちに、けれどどこか誇り高く、誰かがその言葉を口にする。
《インヴィーデ》。
 嫉妬を称え、反逆者に喝采を送る、かつてエンヴィニアで“禁じられた美”の賛歌。
 誰かが、意を決したように高く手を掲げる。
「インヴィーデ!アルヴ!」
 それが合図となり、広場中に歓声が広がっていく。
 投げられる黒薔薇のブーケ。
 その花束は――宙を舞い、鎖に繋がれたリースの背中へと静かに当たる。
 大臣たちの叫び声が、式場の空気を切り裂く。

「あの劇団は粛清対象です!!国家侮辱罪、外患誘致、即刻処刑を!!」
 叫べば叫ぶほど、滑稽にさえ見えた。
 なぜなら、群衆の目は“連行されていくアルヴ座とクロノチーム”の背中を追い続けている。
 誰も、神竜塔の新しい婚礼に関心など持たない。
 祝福も嫉妬も、いまこの時、すべて“芝居”の側に吸い寄せられていた。

 ユピテルが歩きながら、口笛を吹き。
「じゃーな雑魚ども♪」
 軽やかな手つきで観客席だけに手を振る。
 爆発音すら“舞台のBGM”のように響いて、その金色の目は観客だけを見つめていた。
 レイスは片手を顔の横に持っていき、「あかんべー」。
 舌は出さない。だが目の下を引っ張る、煽りのモーション。
 拘束の鎖がきしむたび、その“ギリギリ”まで挑発的な所作を見せる。
 彼らの皮肉と美学は、すべて舞台の延長線だった。

 サタヌスは爽やかに、ピースサインからの中指という“芸”を披露し。
「“処刑台の主役”にしてくれてありがとな~!ア・リ・ガ・トッ♡」
 大声で叫んだ。
 広場の少年たちがその仕草を真似し、親たちが慌てて止めに入るが。
 皆なぜか笑っている。
 ウラヌスは両手を振って、まるでライブのMC。
「はーい♡またお会いしましょーねー♡」
「エンヴィニア最高ぉおお!洗脳サイコーッ!ウラちゃんは自由だぜ~!!」
 騎士に殴られても、「痛~い♡愛のビンタ?♡」と返し。
 その場を“お祭り”に変えてしまうエネルギーを振りまいた。

 ヒステリックな大臣が叫べば叫ぶほど観客は拍手し、笑い。
 誰もが心から“芝居の側”に引き寄せられていく。
 リースは静かに微笑みながら。
「さぁ、次は——君たちの番だ。観客席の、その心で続きを演じなさい」
 そう残し、鎖を引かれて歩み去る。

 拍手と喝采が止まらない。
 若者が笛を吹き、老人は涙を拭う。
 道化のマネをする子どもたち、その笑い声。
「——これは、エンヴィニアの真実だったのかもな」
 誰かが、そう呟いた。
 群衆は、もはや観客ではなかった。
 みんな、“物語”を生きていた。
 偽りの結婚式は崩壊した。
 舞台も現実も、新しい歴史の始まりを、いま誰もが感じていた。
 フィーナは微笑みながらリースにささやく。

「聞いた?リース……十年ぶりね、“インヴィーデ”と言われるのは」
 リースは目を細め、鎖の先でゆっくりとうなずく。
「ああ。いかなる美酒も、観客の“インヴィーデ”には勝らぬ」
 ウラヌスは拘束されながらもニカッと笑う。
「ちょwww今から処刑されるのに勝ち逃げ感パないんですけどー!」
 その熱狂の渦の外――大臣たちは、顔を青くして混乱し続ける。
「な、何故……なぜ……民どもはあんな……狂った道化に……!!」
「あれは……劇などではない、“反逆”ですぞ!? それなのに……なぜ喝采が……!?」
 サロメは、唇を噛み締めて動けない。
(……これは……演出ではない。“呪い”だ……
 アルヴ=シェリウス……お前の亡霊が、まだこの国を蝕んでいるというの……?)
 舞台と現実が溶け合うその瞬間、民衆はすでに“観客”ではなくなっていた。
 新しい物語の、最初の演者だった。

 大聖堂のざわめきの中、カフェ・ティニのマスターと。
 カイネス・ヴィアン博士も“クーデター加担者”として引き立てられる。
 処刑を命じる大臣たちの声が、冷えた空気にヒステリックに響いた。
 だが、その場の空気を一変させたのは、宰相の言葉だった。
「即刻首を刎ねよ!……と言いたいが!
 お前ほどの叡智を失うのはエンヴィニアにとって痛手が大きすぎる」
「カイネス・ヴィアン!貴様の博士号を剥奪、及び全財産の没収を命じる!」
 誰もが博士の顔色を窺った。
 だがカイネス博士は、首を傾げることもなく、皿のローストビーフを静かに口に運んだ。
「成る程、明日から無職か。私は」
「これで心置きなく実験出来るな」
 その表情には、痛みも屈辱もない。
 むしろどこか、吹っ切れたような“愉快”さすら滲んでいた。

 拍子抜けした衛兵が刀を下ろし、マスターは淡々と広場の隅に座る。
 誰にも、誰の命令にも、縛られない。
 もはや“自由人”と化した科学者は、その瞳で新しい世界の“混沌”をただ眺めていた。
 群衆の熱狂と、王族の焦り。
 誰かの処刑宣告さえ、舞台のように流れていく。
 革命と日常が重なり合うエンヴィニアの朝。
 新しい“自由”は、すでに始まっていた。

 処刑台の階段は、誰も歩きたがらない“舞台袖”のように重く、冷たい。
 だがティニのマスターは、静かな微笑みを浮かべたまま、その一段一段を踏みしめていく。
 空は淡い灰色、まるで嫉妬界そのものの虚無。
 見送る民の多くは沈黙していたが、マスターの歩みにはどこか演者の余韻が残る。
「悔いはありません」
 声に揺らぎはない。
「……この素晴らしい舞台に関われたことに、心より感謝いたします」
「インヴィーデ、アルヴ……そしてクロノ」
 その呪文のような言葉は、もはや演劇の一部。
 処刑される者とは思えぬほど静謐で、美しい最期の演出だった。

 その姿を遠巻きに眺める宰相の顔には、強い嫌悪と焦りが浮かぶ。
「……気味が悪い。早く処刑しろ!」
「観衆が妙な影響を受ける前にな!」
 マスターは最後まで舞台を降りず、カイネスは最後まで“観察者”のまま。
 舞台の裏で死ぬ者と、生きてなお“観察”し続ける者。
 美しきエンヴィニア帝国の終焉を、彼らはそれぞれの“美学”で見届けることになる。

 最期に誰かが呟いた。
「……本当に、芝居みたいな国だな」
 処刑台の上で、マスターは一度だけ振り返り頭を下げる。
 その眼差しは、まるで劇場の観客席すべてに向けた“カーテンコール”のようだった。
 静かに、時代が終わる。
 だが、“演劇”の魂だけは、この嫉妬界で消えることはなかった。

------

 神竜塔--そこは螺旋城で最も尊く、最も高き塔。
 新王が蜜月を過ごすための空間であり、大罪人を裁く処刑の地。
 冷たい石壁と、鎖の音。
 地上ではまだ喝采が残響しているのに、ここにはただ“静けさ”だけが支配していた。
 リースは、ほんの短い沈黙の後、静かに目を伏せる。

「……やはり、か」
「けれど、悔いはない。舞台は……演じられた。それで十分だ」
 その言葉には、不思議な安らぎすら漂っていた。
 レイスは煙草の代わりに藁を噛みながら、わざとらしくため息をつく。
「無の泡ってなんなんだ?」
 ――その一言に、牢内の空気が一瞬だけ緩む。
 すかさずタウロスが“解説役”に入る。
「カイネスって変な眼帯野郎がよ。禁呪兵器作ってた時にできた“副産物”だ」
「簡単に言やぁ……毒だよ。全部溶かす」
 サタヌスは明るく笑ってみせる。
「あーあ……俺らゴジラか?」
 両手で中指を作る準備をしつつ、地獄ジョークで和ませる。

 ウラヌスは鎖を揺らしながら、テンションだけは地上最高。
「マジで災害級ってこと?じゃああたしたち、“芝居型天災”ってことになるね♡」
「“舞台は自然災害”って新ジャンル開拓じゃん!アルヴすげー!」
 重苦しい牢の中、彼らの会話だけが命の炎を灯す。
 もはや王家にとって最大級の脅威は。
 台本を持たず、笑いながら滅びの縁を歩く“舞台人”なのかもしれない。
 舞台が終わっても、魂が消えるわけじゃない。
 誰かの心に火がついた限り、“演劇の泡”は消えない。

 パイプの中をメロンソーダ色の“無の泡”が音もなく循環し始める。
 地下牢の空気が、ぞくりと変わる。
 リースは静かに目を伏せ、その声にもう一度だけ“亡霊の魂”が宿った。
「……やはり、我らの幕はここで閉じねばなるまい」
「だが、主役の退場はまだ早い——クロノチーム、行け」
 その合図と同時に、ノックスが無言でポケットから小さな装置を取り出し、起動。
 次の瞬間、牢獄の天井が大破壊演出さながらに爆散し、細長い光の道が現れる。
 頭上に開いた“抜け道”から、冷たい風が吹き下ろした。

 残されたアルヴ座は、逃げるクロノチームの背を見送りながら、最後の台詞を投げる。
 フィーナは震える唇で微笑む。
「さぁ……始めましょう、“本物のラストシーン”を」
 モールトが胸に手を当て、堂々と叫ぶ。
「最後の台詞は、私の中にある!誰よりも美しく幕を引いてみせよう!」
 タウロスは壁に拳を叩きつけて「行けぇぇクロノチーム!!」
 瓦礫の間から、希望の光だけが真っ直ぐに差し込んでいた。

 クロノチームは緑色の泡に追われながら、天井へ駆け上がる。
「あぁ!? もうここ地獄じゃねーか!こういうの嫌いじゃねぇけど!」
「やっべえ!ハリウッド映画の脱出劇じゃん!!」
「んじゃ行くぞ、王子様奪還大作戦!爆発オチ不可避なヤツな!!」
 その背中を、アルヴ座が全力で見送る。

「行って来い!」
「我ら全て、舞台にあれ!!!」
 牢の奥にこだまする、その叫び。
 泡の侵食が迫る地下牢、そのギリギリの狭間で、クロノチームだけが光へと飛び出していく。
 地響き、爆煙、拍手――全てが開幕の鐘だった。

 舞台は、神竜塔へ。
 サロメのもとで“王族の夫”に縛られたカリストを、今度は“舞台の力”で奪い返す。
 すべては、愛する者を取り戻すため。演者の命を賭けてでも。
 この幕は、最後まで演じ切る!
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