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嫉妬の帝都
ようこそ、チョコミント地獄
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深緑に霞む空。どこか毒を孕んだような湿った光が、街全体を淡く包み込んでいた。
エンヴィニア。魔界でも最も危険とされる“嫉妬界”の中核。
そこに広がっていたのは、かつての大文明の意匠と。
魔界特有の異形建築とが奇妙な調和を成す街並みだった。
とがった尖塔がいくつも連なり、空を裂くようにそびえる螺旋塔がその中心に立っている。
建物の多くは同じ深い緑で塗り固められたかのようで。
まるで街そのものが“ひとつの生き物”のように見えた。
転位の余波で巻き上がった砂煙が収まる。
気がつけば、隊の全員がこの毒々しくも荘厳な都市の中央に立っていた。
「マジでチョコミントじゃんw」
ウラヌスが真っ先に声を上げる。
「見た目は涼しげ、味は攻撃的、後味スースー……うん、カリストだわ!」
レイスが空を見上げ、珍しく少しだけ口元を緩める。
「……ここが、嫉妬の大帝国か」
「やっぱ俺――ここ好き」
風が吹き抜ける。緑がかった空気が肌をなぞるたびに、体の芯に冷たさが染み込んでくる。
だがそれは、嫌悪感ではない。どこか、懐かしいような感覚だった。
「ウラちゃん、エンヴィニアと波長合っちゃってる~!?!?」
ウラヌスは両手を広げてスキップでも始めそうな勢いだ。
「この毒々しい感じ!!好きぃ~!ミント味の地獄じゃん!!最高!!」
「……合ってるのが怖いんだよ……」
カリストが奥で目を見開いたままつぶやく。彼の右手は微かに震えていた。
そして次の瞬間――彼の腰から提げられていた刀が、コトリと音を立てて地に落ちた。
何かが、心の奥に引っかかったような、その反応。
エンヴィニア。美しく、恐ろしく、静かに心を侵してくる都。
すでにこの街は、訪れた者たちに“試し”を始めていた。
「う……!」
最もこの都の異様な空気の影響を受けた者。
カリストは転位地点からそう遠くない街角で足を止めた。
呼吸が浅く、視界が滲む。ぐらつく足をどうにか壁に預け、肩で息をする。
彼の身体から、じんわりと冷気が漏れ出していた。
手元の氷哭がうっすら霜をまとい、まるで主の心を映すように共鳴している。
「……だから私っ……絶対いやって言ったんですぅ……」
カリストの声はかすれていた。
「……わかってたのに……この空気……この臭い……」
「“他人を羨むほど、自分が空っぽになる”感じがする……」
肩まで震えていた。伏せた顔の下、目の下に冷気がにじみ、今にも氷の涙がこぼれそうだった。
「あ~~~それ、お前がヴィヌス見てる時の顔だ」
サタヌスが明るめの調子で口を挟む。
「勇者PT時代に何回か見たもん。アレな~、マジで胃にくるやつ」
それは慰めでもなく、突き放しでもなく、ただ事実の指摘だった。
さすが勇者、修羅場慣れしている。そして人心の崩れ方を妙に正確に把握している。
「で、こういうときは“病院”じゃなくて“教会行け”ってメルクリウスが言ってたぜ?」
サタヌスが続ける。
「あいつ曰く、“魂の毒は聖域で中和すんだと”」
「……あの……ッ!“人と自分を比べる”だけで、ここまで……」
カリストが顔を上げる。その目は真っ赤に染まり、涙の膜が張っていた。
「……神竜の都市って……っ、何なんですかぁ……」
「私……もう、溶けそう……」
レイスが視線だけを動かし、街の奥に立つ巨大な建築物を見据えた。
そこには、神竜像が鎮座していた。石でできているはずなのに、その目がこちらを見ている気がする。
「行こう。治療じゃない、浄化だ」
「そこの神竜像……呼んでるぞ、副官」
言葉は静かだったが、有無を言わせぬ強さがあった。
空気が、緑に濁るほど濃密なこの街で、カリストの魂は確かに蝕まれていた。
だがまだ、“希望”はある。魂を浄化する場所――神竜大聖堂へ、一行は歩き出した。
カリストの体調は悪化していた。
だがそれ以上に危ういのは、その表情だった。
顔色は青白く、だが目だけが真っ赤に充血し。
怒りとも涙ともつかない感情がそこに渦巻いていた。
そんな彼を見たユピテルは、珍しく“素”の焦りを露わにする。
「カリスト!?お祈り!お祈りするンだ!!」
ユピテルは言葉を急いだ。
「なンなら俺が代わりに拝ンでもいいぞ!?!?」
普段なら茶化すように笑う彼の声が、今は真剣そのものだった。
その一言で、カリストの中で何かが引き金を引かれた。
「アァアああああ~!?」
叫びとともに、彼の声が“副官”のものから“鬼大尉”へと切り替わる。
「祈りィイイ!?祈って俺の嫉妬心が収まるかあああ!!?!?!
俺ァな!!あの雌豚が視界に入るだけで、心臓ごと引き裂きたくなるほどに!
不愉快だったんだぞおおおおおおおおお!!!!」
口調は荒れ、言葉は刃のように尖っていた。副官とは思えぬ罵倒語が容赦なく飛び出す。
吐き出されるその怒りは、明らかに――元帥、そしてその周辺に向けられたものだった。
「大和くん怖すぎ♡推せる~~~~!!!!!!!!!」
後方でウラヌスがスマホを構えながら歓喜の声を上げる。
「いやマジで最高じゃん♡神前ブチギレとか、性癖に刺さりすぎ♡♡♡」
それを聞いたユピテルは、苦笑……というより、若干目がマジな顔でカリストを見た。
「……なぁカリスト、祈るのが嫌なら……暴れてからでもいいンだよ?」
その言葉に、空気が一変する。誰もが察していた。
“神前ケンカ”――開幕は、すぐそこだ。
カリストの中に燻っていた“元帥との闇”が、いよいよ表に現れ始めていた。
この神竜都市で。聖域のど真ん中で。祈りではもう、間に合わない。
ならば浄化ではなく、爆発しかない。
「桜が憎い……桜が憎い……桜が憎いィィィ!!!!!」
カリストの怒号が神域に響き渡る。
「“愛してる”とすら言えずに、何が武士だァ!!!
この国があああ!!!この国が!!愛を押し潰したあああああああ!!!!!!」
鋭い音を立てて、氷哭が抜かれる。蒼白の刃が空気を裂いた瞬間、結界に霜が走る。
刀が、“感情そのもの”を帯びていた。
「ひええええええええ!?!?!?」
サタヌスが叫ぶ。
「刀に殺意が乗ってるってこういうことぉぉぉ!?」
ユピテルはと言えば、めちゃくちゃ楽しそうな顔で隣に立っていた。
「……薩摩示現流だ」
「迫力が違う。なあマルス、見てるか?あの殺気」
当然、マルスはいない。
「感動するなああああ!!!メルクリウスうううう!!!どこおおお!!???」
サタヌスは泣きそうになりながら頭を抱えた。メルクリウスもいない。
その中で、誰よりも裏声を張り上げたのは、神域を守る司祭―インマールだった。
彼にとっても理解を越えた光景だっただろう。
音がすると思ったら、軍服の男が抜刀し暴れているのだから。
「ちょっ……何をされているのですかあああああああああああ!!!!
神域で!!抜刀とか!!殺意!!だめぇえええええええ!!!」
「ちょ、教会の人!?あんた教会の人!?カリストやべぇぞ!!」
サタヌスが駆け寄ってきて叫ぶ。
「止めてくれー!!拝んだら治るとか言った俺がバカだった!!」
カリストの視線は宙を彷徨い、目元は涙で滲んでいた。
だがその手の刃は、何よりも明確な意思を持っていた。
“祈り”など届かぬ、“感情”だけが剥き出しの一太刀。
それが今、この聖域で振るわれようとしている。神前。
怒りの氷が、叫びと共に世界を凍らせる一秒前だった。
もはや誰の声も届かない。
暴走するカリストの気配に、一帯は緊張の糸が張り詰めていた。
抜かれた氷哭から溢れる殺気は、聖域の空気すら凍てつかせていた。
その空気を、裂くように届いた声があった。
「止まりなさい!!!」
堂内に響いた、張り詰めた叫び。
司祭インマールが、やや乱れた神官服の裾を翻しながら駆け寄ってくる。
息を切らしながらも、両手には教典をしっかりと抱え込むように握りしめていた。
「あなたは今、“桜”を憎んでなどいない」
インマールの言葉は静かだったが、明確だった。
「憎んでいるのは、愛してしまった自分なのではありませんか?」
「貴様に何がわかる!!!」カリストが吠える。
その声には涙と怒り、そしてかつて押し殺された叫びがこもっていた。
「あの女がッ!!俺を!!!“利用”したことがァァァ!!!!」
次の瞬間、氷哭が光る。
斬撃と共に放たれた氷の衝撃波が、猛るようにインマールを襲う。だが――。
「……それでもなお、貴方の剣が届かぬものがあるのです」
インマールは怯まず、教典を正面に掲げた。
「“赦し”とは、祈りと同じく、“差し出すもの”なのですから」
氷の刃は、その言葉と共に停止した。
氷哭が放った一閃は、教典の手前で止まり、パリン、と小さな音を立てて砕けた。
結界のように、神の言葉が、剣の軌道を断ち切った。
カリストは崩れるように膝をついた。
「う……あああ……ッ……!なぜ……どうして……。
“あの時”に……それを……言ってくれる者がいなかったんだ……」
その声は、涙と氷の粒に濡れていた。滴り落ちる冷気が、床に細やかな氷紋を描いていく。
インマールはそっと膝を折り、傍に寄り添った。
「……だからこそ、今のあなたが“言ってあげてください”」
その声音は、静かで穏やかだった。
「貴方と同じように、苦しむ誰かに。届く声を」
「嫉妬は、あって当然の感情。拒むのではありません、受け入れなさい」
カリストの肩が震える。だがその震えは、もはや怒りのものではなかった。
そっと顔を上げたその目には、滲んでいた赤が和らぎ、わずかに光を宿していた。
「……嫉妬は、あって当然の感情……それを、否定しなくていいなんて……」
ぽつりと呟いた声は、まるで解かれていく氷のように脆く、しかし確かだった。
「……初めてです、そう言われたのは」
その瞬間、氷哭の刃が微かに青く輝き、氷の羽がふわりと浮かび、静かに空へと溶けていった。
暴走は、ようやく収まった。だが、失ったものと得たものの重みを抱きながら。
カリストは、初めて“自分自身”としてそこに立っていた。
氷の羽が舞い散る中、カリストが静かに肩を下ろした。
その姿はまるで嵐の後の静寂。
だが、周囲がようやく安堵の息を吐くより早く、インマール司祭の体がぐらりと傾いた。
「……ああ、寿命……十年くらい……縮みました……」
インマールはその場に崩れ落ち、膝をつき、両手で教典を抱きしめたままがくがくと震えている。
「神竜様……私、少しは……信仰の役に立ちました……?」
顔色は蒼白、しかしその表情には不思議とやりきった達成感が滲んでいた。
レイスが細く目を細め、口の端だけを持ち上げて呟いた。
「この……ヘタレ司祭が、あのカリストを止めたのか……?
嘘みてぇなドラマだ……録画したいくらいだ」
言いながら横目で見ると、すぐそばのウラヌスがスマホをがっちり構えて録画中だった。
「ドラマチックすぎぃ~~~♡♡」
ウラヌスの瞳は完全にキラキラしていた。
「保存不可避♡爆伸び確定♡副官激エモ♡インマール尊♡」
ユピテルがゆっくりとマントを翻す。満足げに笑みを浮かべながら、静かに歩み寄る。
「――さっすが俺様が惚れた副官だぜ。泣き虫で、鬼で、美しい……全部、お前だ。なあ、“カリスト”?」
その言葉に、カリストは一言も返さず、すっ……と帽子をかぶり直した。
あの白い軍帽。凛とした仕草で、それは明らかだった。
副官、完全復帰。
「は、はぁ……ところで貴方がたは?」
司祭がまだ震える声で尋ねる。
「エンヴィニアは初めてでしょうか」
全員が、無言で頷く。カリストもまた、帽子の影から目線だけを送る。
「わかりました……ではこの国がどんなところか、お教えします」
息を整えながらも、インマールの目には確かな意志が宿っていた。
神竜の都、嫉妬界・エンヴィニア――その真実が、今、語られようとしていた。
エンヴィニア。魔界でも最も危険とされる“嫉妬界”の中核。
そこに広がっていたのは、かつての大文明の意匠と。
魔界特有の異形建築とが奇妙な調和を成す街並みだった。
とがった尖塔がいくつも連なり、空を裂くようにそびえる螺旋塔がその中心に立っている。
建物の多くは同じ深い緑で塗り固められたかのようで。
まるで街そのものが“ひとつの生き物”のように見えた。
転位の余波で巻き上がった砂煙が収まる。
気がつけば、隊の全員がこの毒々しくも荘厳な都市の中央に立っていた。
「マジでチョコミントじゃんw」
ウラヌスが真っ先に声を上げる。
「見た目は涼しげ、味は攻撃的、後味スースー……うん、カリストだわ!」
レイスが空を見上げ、珍しく少しだけ口元を緩める。
「……ここが、嫉妬の大帝国か」
「やっぱ俺――ここ好き」
風が吹き抜ける。緑がかった空気が肌をなぞるたびに、体の芯に冷たさが染み込んでくる。
だがそれは、嫌悪感ではない。どこか、懐かしいような感覚だった。
「ウラちゃん、エンヴィニアと波長合っちゃってる~!?!?」
ウラヌスは両手を広げてスキップでも始めそうな勢いだ。
「この毒々しい感じ!!好きぃ~!ミント味の地獄じゃん!!最高!!」
「……合ってるのが怖いんだよ……」
カリストが奥で目を見開いたままつぶやく。彼の右手は微かに震えていた。
そして次の瞬間――彼の腰から提げられていた刀が、コトリと音を立てて地に落ちた。
何かが、心の奥に引っかかったような、その反応。
エンヴィニア。美しく、恐ろしく、静かに心を侵してくる都。
すでにこの街は、訪れた者たちに“試し”を始めていた。
「う……!」
最もこの都の異様な空気の影響を受けた者。
カリストは転位地点からそう遠くない街角で足を止めた。
呼吸が浅く、視界が滲む。ぐらつく足をどうにか壁に預け、肩で息をする。
彼の身体から、じんわりと冷気が漏れ出していた。
手元の氷哭がうっすら霜をまとい、まるで主の心を映すように共鳴している。
「……だから私っ……絶対いやって言ったんですぅ……」
カリストの声はかすれていた。
「……わかってたのに……この空気……この臭い……」
「“他人を羨むほど、自分が空っぽになる”感じがする……」
肩まで震えていた。伏せた顔の下、目の下に冷気がにじみ、今にも氷の涙がこぼれそうだった。
「あ~~~それ、お前がヴィヌス見てる時の顔だ」
サタヌスが明るめの調子で口を挟む。
「勇者PT時代に何回か見たもん。アレな~、マジで胃にくるやつ」
それは慰めでもなく、突き放しでもなく、ただ事実の指摘だった。
さすが勇者、修羅場慣れしている。そして人心の崩れ方を妙に正確に把握している。
「で、こういうときは“病院”じゃなくて“教会行け”ってメルクリウスが言ってたぜ?」
サタヌスが続ける。
「あいつ曰く、“魂の毒は聖域で中和すんだと”」
「……あの……ッ!“人と自分を比べる”だけで、ここまで……」
カリストが顔を上げる。その目は真っ赤に染まり、涙の膜が張っていた。
「……神竜の都市って……っ、何なんですかぁ……」
「私……もう、溶けそう……」
レイスが視線だけを動かし、街の奥に立つ巨大な建築物を見据えた。
そこには、神竜像が鎮座していた。石でできているはずなのに、その目がこちらを見ている気がする。
「行こう。治療じゃない、浄化だ」
「そこの神竜像……呼んでるぞ、副官」
言葉は静かだったが、有無を言わせぬ強さがあった。
空気が、緑に濁るほど濃密なこの街で、カリストの魂は確かに蝕まれていた。
だがまだ、“希望”はある。魂を浄化する場所――神竜大聖堂へ、一行は歩き出した。
カリストの体調は悪化していた。
だがそれ以上に危ういのは、その表情だった。
顔色は青白く、だが目だけが真っ赤に充血し。
怒りとも涙ともつかない感情がそこに渦巻いていた。
そんな彼を見たユピテルは、珍しく“素”の焦りを露わにする。
「カリスト!?お祈り!お祈りするンだ!!」
ユピテルは言葉を急いだ。
「なンなら俺が代わりに拝ンでもいいぞ!?!?」
普段なら茶化すように笑う彼の声が、今は真剣そのものだった。
その一言で、カリストの中で何かが引き金を引かれた。
「アァアああああ~!?」
叫びとともに、彼の声が“副官”のものから“鬼大尉”へと切り替わる。
「祈りィイイ!?祈って俺の嫉妬心が収まるかあああ!!?!?!
俺ァな!!あの雌豚が視界に入るだけで、心臓ごと引き裂きたくなるほどに!
不愉快だったんだぞおおおおおおおおお!!!!」
口調は荒れ、言葉は刃のように尖っていた。副官とは思えぬ罵倒語が容赦なく飛び出す。
吐き出されるその怒りは、明らかに――元帥、そしてその周辺に向けられたものだった。
「大和くん怖すぎ♡推せる~~~~!!!!!!!!!」
後方でウラヌスがスマホを構えながら歓喜の声を上げる。
「いやマジで最高じゃん♡神前ブチギレとか、性癖に刺さりすぎ♡♡♡」
それを聞いたユピテルは、苦笑……というより、若干目がマジな顔でカリストを見た。
「……なぁカリスト、祈るのが嫌なら……暴れてからでもいいンだよ?」
その言葉に、空気が一変する。誰もが察していた。
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カリストの中に燻っていた“元帥との闇”が、いよいよ表に現れ始めていた。
この神竜都市で。聖域のど真ん中で。祈りではもう、間に合わない。
ならば浄化ではなく、爆発しかない。
「桜が憎い……桜が憎い……桜が憎いィィィ!!!!!」
カリストの怒号が神域に響き渡る。
「“愛してる”とすら言えずに、何が武士だァ!!!
この国があああ!!!この国が!!愛を押し潰したあああああああ!!!!!!」
鋭い音を立てて、氷哭が抜かれる。蒼白の刃が空気を裂いた瞬間、結界に霜が走る。
刀が、“感情そのもの”を帯びていた。
「ひええええええええ!?!?!?」
サタヌスが叫ぶ。
「刀に殺意が乗ってるってこういうことぉぉぉ!?」
ユピテルはと言えば、めちゃくちゃ楽しそうな顔で隣に立っていた。
「……薩摩示現流だ」
「迫力が違う。なあマルス、見てるか?あの殺気」
当然、マルスはいない。
「感動するなああああ!!!メルクリウスうううう!!!どこおおお!!???」
サタヌスは泣きそうになりながら頭を抱えた。メルクリウスもいない。
その中で、誰よりも裏声を張り上げたのは、神域を守る司祭―インマールだった。
彼にとっても理解を越えた光景だっただろう。
音がすると思ったら、軍服の男が抜刀し暴れているのだから。
「ちょっ……何をされているのですかあああああああああああ!!!!
神域で!!抜刀とか!!殺意!!だめぇえええええええ!!!」
「ちょ、教会の人!?あんた教会の人!?カリストやべぇぞ!!」
サタヌスが駆け寄ってきて叫ぶ。
「止めてくれー!!拝んだら治るとか言った俺がバカだった!!」
カリストの視線は宙を彷徨い、目元は涙で滲んでいた。
だがその手の刃は、何よりも明確な意思を持っていた。
“祈り”など届かぬ、“感情”だけが剥き出しの一太刀。
それが今、この聖域で振るわれようとしている。神前。
怒りの氷が、叫びと共に世界を凍らせる一秒前だった。
もはや誰の声も届かない。
暴走するカリストの気配に、一帯は緊張の糸が張り詰めていた。
抜かれた氷哭から溢れる殺気は、聖域の空気すら凍てつかせていた。
その空気を、裂くように届いた声があった。
「止まりなさい!!!」
堂内に響いた、張り詰めた叫び。
司祭インマールが、やや乱れた神官服の裾を翻しながら駆け寄ってくる。
息を切らしながらも、両手には教典をしっかりと抱え込むように握りしめていた。
「あなたは今、“桜”を憎んでなどいない」
インマールの言葉は静かだったが、明確だった。
「憎んでいるのは、愛してしまった自分なのではありませんか?」
「貴様に何がわかる!!!」カリストが吠える。
その声には涙と怒り、そしてかつて押し殺された叫びがこもっていた。
「あの女がッ!!俺を!!!“利用”したことがァァァ!!!!」
次の瞬間、氷哭が光る。
斬撃と共に放たれた氷の衝撃波が、猛るようにインマールを襲う。だが――。
「……それでもなお、貴方の剣が届かぬものがあるのです」
インマールは怯まず、教典を正面に掲げた。
「“赦し”とは、祈りと同じく、“差し出すもの”なのですから」
氷の刃は、その言葉と共に停止した。
氷哭が放った一閃は、教典の手前で止まり、パリン、と小さな音を立てて砕けた。
結界のように、神の言葉が、剣の軌道を断ち切った。
カリストは崩れるように膝をついた。
「う……あああ……ッ……!なぜ……どうして……。
“あの時”に……それを……言ってくれる者がいなかったんだ……」
その声は、涙と氷の粒に濡れていた。滴り落ちる冷気が、床に細やかな氷紋を描いていく。
インマールはそっと膝を折り、傍に寄り添った。
「……だからこそ、今のあなたが“言ってあげてください”」
その声音は、静かで穏やかだった。
「貴方と同じように、苦しむ誰かに。届く声を」
「嫉妬は、あって当然の感情。拒むのではありません、受け入れなさい」
カリストの肩が震える。だがその震えは、もはや怒りのものではなかった。
そっと顔を上げたその目には、滲んでいた赤が和らぎ、わずかに光を宿していた。
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ぽつりと呟いた声は、まるで解かれていく氷のように脆く、しかし確かだった。
「……初めてです、そう言われたのは」
その瞬間、氷哭の刃が微かに青く輝き、氷の羽がふわりと浮かび、静かに空へと溶けていった。
暴走は、ようやく収まった。だが、失ったものと得たものの重みを抱きながら。
カリストは、初めて“自分自身”としてそこに立っていた。
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その姿はまるで嵐の後の静寂。
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顔色は蒼白、しかしその表情には不思議とやりきった達成感が滲んでいた。
レイスが細く目を細め、口の端だけを持ち上げて呟いた。
「この……ヘタレ司祭が、あのカリストを止めたのか……?
嘘みてぇなドラマだ……録画したいくらいだ」
言いながら横目で見ると、すぐそばのウラヌスがスマホをがっちり構えて録画中だった。
「ドラマチックすぎぃ~~~♡♡」
ウラヌスの瞳は完全にキラキラしていた。
「保存不可避♡爆伸び確定♡副官激エモ♡インマール尊♡」
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あの白い軍帽。凛とした仕草で、それは明らかだった。
副官、完全復帰。
「は、はぁ……ところで貴方がたは?」
司祭がまだ震える声で尋ねる。
「エンヴィニアは初めてでしょうか」
全員が、無言で頷く。カリストもまた、帽子の影から目線だけを送る。
「わかりました……ではこの国がどんなところか、お教えします」
息を整えながらも、インマールの目には確かな意志が宿っていた。
神竜の都、嫉妬界・エンヴィニア――その真実が、今、語られようとしていた。
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