嫉妬帝国エンヴィニア

兜坂嵐

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嫉妬の帝都

博士の懺悔

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 インマールは一歩引き、神殿の中に響くような静かな声で語り出した。
 その声には僅かな震えが混じっていたが、それ以上に“知ってしまった者”の重さが滲んでいた。
「エンヴィニアは、あらゆる負の情念を“魔力”に変えてきた国です。
 嫉妬、羨望、蔑み、後悔……それらを“燃料”に、帝国は栄えてきました」
「王族たちは“この国が滅びるはずがない”と信じていました。
 なにせ、人の心がある限り、負の感情は尽きないのですから……」
 レイスがその言葉を切り取るように低く言った。
「……しかし、が続きそうな言い回しだね?優男さん」
 インマールは頷いた。その眼差しは、誰にも見せてはならぬものを見てしまった者のそれだった。

「その通りです。このところ、奇妙な病が流行しているのです。
 発症はささいな情緒の歪み……嫉妬、焦燥、喪失感――だが末期になると。
“人ではない”ものへと変質してしまう」
「……まさに、“深淵に触れた存在”のように」
 言葉を慎重に選びながら、インマールは続ける。
「王族たちは……この国の滅びを、認めようとはしていません。彼らは、博士に命じたのです。
 “それ”を解読し、“打ち払う術”を開発せよと」
「ですが――博士は言いました。“分類不能”だと」
「神族でも、魔族でも、霊的存在でもない。それは……“認知の外側にある”ものだと」
 レイスは目を細めたまま、何かが繋がる感覚に息を呑んだ。

「……そうか、繋がったな。“それ”ってのは……名前を持たないからこそ、形を歪ませるんだ」
「レイス……!」ウラヌスが震える声で呼びかける。
「ちょ、なに?なんか怖い空気になってない?なってるよね!?」
 レイスは静かに頷いた。
「ああ、ピースが、はまっちまったな……こういう時、カンが良すぎると嫌なんだよな……」
「――これは、“来てはいけない存在”だ」
 神官の蔵書に、封じられた一節があった。
 エンヴィニア最終預言-それはもはや誰の目にも触れられるはずのない禁書に記された、断罪の詩。

「その者、神に非ず」
「その者、魔に非ず」
「されど声を持たず、語らず、ただ……世界を浸し、崩す」
「名を呼べば、耳が腐り」「姿を描けば、目が爛れる」
“それ”は――あらゆる意味を呑み込み、無へと帰す。
 レイスはただ、低く呟いた。
「……この国は、神ですら想定してなかったモノを、呼んじまったんだよ」
 神竜の都、エンヴィニア。その根幹に潜むものは、もはや“嫉妬”ではなかった。
 世界がまだ名を知らぬ、“虚無”だった。

 そのとき聖堂の奥、厳重な扉がきしむような音を立ててゆっくりと開いた。
 そこに立っていたのは、一人の男だった。
 銀灰の髪は乱れていながらも整っており、片目には黒い眼帯。
 冷たい翠の片眼が鋭く室内を見据えている。
 白衣を無造作に羽織り、黒のインナーと戦闘用ベルトを纏う異端の科学者。
 マナ実験の痕か、両手には常にレザーグローブ。
 彼の立ち姿は神でも、魔でもなく、ただ“真実を見てきた者”の静けさを纏っていた。



 インマールがほとんど祈るように声を上げた。
「博士……!超兵器は、完成されたのですか……?
 たしか……“マナ・デストロイヤー”という名称で……」
 その言葉に、場が凍った。

「……え」
 カリストが呆然と声を漏らす。
「……マジで言ってる?」
 レイスが目を細める。
「ねぇねぇねぇねぇ!?今“マナデス”って言ったよね!?よねッ!?」
 ウラヌスがテンション高めに食いつく。
「お、おい……ヤベぇって……芹沢博士出てきた……」
 サタヌスが明らかに引きつった声で呟く。
「……だから誰だよ、“芹沢”って」
 ユピテルが軽口を挟むも、その声には微かな緊張が混じっていた。
 そして――その全ての視線を受けながら。
 カイネス・ヴィアン博士はただ一言、沈んだ声で答えた。
「……司祭。今日は、祈りではない。懺悔をしに来たのだ」
 沈黙が落ちた。博士の声には、開き直りでも誇りでもない、ただ“終わった者”の虚ろさがあった。
 最悪の事実が、重く突き刺さる。

 -マナ・デストロイヤー、完成済み。

「え、なんかやらかした???」
 ウラヌスが即座に突っ込む。だがその明るい声も、博士の発した一言で凍りつく。
「……あぁ、完成したさ」
 カイネスは目元を伏せ、囁くように言った。
「だがな――私の“モラル”が、悍ましいと叫んでいるのだよ。
 私は……取り返しのつかないものを、生み出してしまった」
 カリストの目が細くなる。
「マナを……破壊する装置……」
「……世界の循環を壊すということですか……?」

「そりゃあ“文明ごと消す”兵器だぜ……」
 レイスが低く呟く。
「まさか、それがエンヴィニアの終末装置だってのかよ……」
 カイネスは背筋を伸ばしたまま、静かに語った。
 どこか実験記録を読み上げるような、感情の抑えられた口調で。
「ほんの……好奇心だった。水槽の実験動物に、微量のマナ・デストロイヤーを照射した」
「一瞬だった。命が“泡”になったよ」
 その場の空気が、一気に冷えた。室内の温度ではなく、全員の神経が一斉に縮みあがる感覚だった。

「やっぱ……初代ゴジラじゃん……」
 サタヌスが超小声で呟いた。だが誰も笑わなかった。
 その言葉すら、冗談では済まされないほどの、現実味を孕んでいたから。
 科学者の口から語られるのは、ただの“兵器”ではなかった。“終末”そのものだった。
「そ、それで……!? 完成のご報告は……っ!」
 インマールが顔面蒼白のまま、声を上ずらせながら問いかけた。
 その視線には、どこか“最後の希望”を縋るような必死さがあった。
 だが、カイネスはぴしゃりとそれを遮った。
「するつもりはない」
 言葉は冷たく、硬かった。
「この装置は……もはや兵器ですらない。
 “文明”を理解できない者が手にすれば、世界は……本当に終わる」
「王族は、他国の“幸福”や“繁栄”そのものを目の敵にしている。もしマナ・デストロイヤーが渡れば――」
「……悪い意味で、世界征服できちまうな」
 レイスが皮肉を込めた声で返す。その声色には軽さがあったが、その眼は笑っていなかった。

「……その通りだ」
 カイネスは間を置いてから、真顔で頷いた。
「だが……“支配”すら通過点に過ぎないのだよ。彼らは、“己以外の全否定”を手に入れようとしている」
「そんなものを……人が……作って、使おうとしていたなんて……」
 カリストが震える声で呟く。
「私たちの“感情”すら……エネルギーにされるんですか……?」
「……ところで君たち、エンヴィニアでは見ない服装だが何者だね?」
 カイネスがじっと観察するように目を細め、指を顎に当てて問いかける。
 レイスは一瞬で滝汗になった。
「えーと……ええーと……その……」
 下手なことを言えば歴史を壊す、それだけはわかっている。答えられない。

 そんな沈黙を軽やかに切り裂いたのは、ウラヌスだった。
「ウラちゃんたちは~~♪ と~おい と~おい と~お~い世界から来たの~~~~♪」
 完璧なアイドル口調。空気は一気にぶっ壊れた。
 だが、次に発したユピテルの声は真逆の重みを持っていた。
「……天使とでも言え」一拍置いて続く。
「異界からこの世を見守る者……とでもな」
 その目に迷いはなかった。
 カイネスはそれを聞き、フッと口元で笑う。
「なるほど、つまり――異法人(アナザー)か。
 ……それならなお さら、気をつけたまえ。
 この国は、“ほんの少し”でも自分たちと違うというだけで――牙を剥く国だ」

「異端とは、正しさではなく“差異”によって決まる。
 そしてその“差異”こそ、マナ・デストロイヤーを生んだ根だ」
「……やっぱり……エンヴィニアって、“誰か”じゃなく“みんな”が壊してたんだ……」
 カリストが小声で呟く。心の奥で震えているのは、きっと誰よりも、この国に縁があったからだ。
 レイスは静かにスマホのカメラを下ろしながら、ぼそりと零した。
「俺たちが異物なのか……それとも、もうこの国のほうが、異常なのか……」
 カイネス博士は何も言わずに踵を返し、聖堂を後にした。
 白衣の裾がひるがえり、音もなく扉の奥へと消えていく。
 まるで、この国の未来を象徴するかのように――。

 その言葉は、場に落ちる鈍い鈴のようだった。
 かつて誰かを愛した心も、誰かに嫉妬した心も、すべてが“燃料”にされる時代。
 エンヴィニアは、その果てに――“終末”を見ようとしていた。

「ねぇ、さっきのカイネス博士ってさ……」
 ウラヌスがぽつりと呟いた声は、場の静けさにあまりにも溶け込んでいた。
 屈託ない笑顔を浮かべたまま、しかしその指摘は鋭利なナイフのようだった。
「老けたレイスみたいじゃなかった?」
「髪の長さバラバラなとことか、切れ長の目とか……」
「眼帯と白衣で誤魔化してるけど、めっちゃ似てたよ?」
 レイスの身体が、ピクリと反応する。明らかに心当たりがある――否、確信があるのだ。
「……っ!!」
 瞬間、無理に平静を保つように唇を噛みしめ、すぐさま顔を背ける。
「……気の、所為だ」
 即答。しかしその目は泳いでいた。

 ユピテルが呆れたようにため息をつきながら、手を軽く振って言った。
「やめときな、ウラヌス」
「世界にはな、同じ顔が“三人”いるって昔から言うンだよ」
「たまたま似てるだけ――だよな、レイス?」
 笑ってはいるが、その金眼はレイスをじっと睨んでいる。
 レイスは口を閉ざしたまま、俯いた。その瞳に映るのは過去か、それとも……。
 低く、絞り出すように呟いた。
「……俺はアンフィスの顔なんか……もう、忘れた」

「さ。皆さんも」
 インマールが柔らかく手を差し出す。
「良ければエンヴィニアの街並を目にしていってください」
「この都はとても美しい、と他国にも評判なのです」
 サタヌスがしみじみと呟く。
「あんたの声、落ち着くわ~……」
「メルクリウスがそばにいるみたいでさぁ……」
「メルクリウス……?」
 インマールは微笑み、穏やかに首を傾けた。

「ふふっ。そのお名前と貴方のお顔から察するに――きっと、とても優しい御方なのでしょうね」
「……あいつが優しいとか。他の神父が血吐くぜ」
 レイスが横からツッコミを入れる。
 しかしサタヌスは、ぽやーんとした顔で思い出に浸っていた。
「でもあれなんだよな~、メルクリがああ言ってても優しいっての、俺知ってんだよな……」
 インマールの表情がさらに柔らかくなる。
「その御方も……本当は誰よりも誰かのことを想っている方だったのでしょうね」

 サタヌスは目を伏せ、ぽつりと漏らす。
「あぁ……あんたいて良かった……」
「あと少しで俺……ホームシック罹ってたわ……」
「サータ、愛されてるね♡ ウラちゃんもだよ~?」
 ウラヌスが、にこにこしながらサタヌスの頭をぽんぽんと撫でる。
 少し離れた場所で、レイスがぽつりと呟いた。
「……いいもん。どうせ俺、一人っ子だし……慣れてる」
 その隣に、何気なくユピテルが腰を下ろす。
 何も言わず、静かに盃を差し出した。

「……酒でも飲むか?」
 レイスは驚いたように目を丸くし、それから少しだけ笑った。
「ん……」
 杯を受け取りながら、心の中でそっと呟く。
(……ありがとよ)
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