嫉妬帝国エンヴィニア

兜坂嵐

文字の大きさ
113 / 130
番外編

死を喰え2025-2

しおりを挟む
 聖堂裏、まだ午前の祈りが続く時間帯。
 インマール司祭が聖歌を朗唱する声が、ステンドグラス越しに微かに届いてくる。
 その真裏では、全く別の儀式が進行していた。
「いやぁ~♡美味しかったからさ、貰いすぎちゃった♡」
 ウラヌスがそう言って、袋から例の“抹茶配給パン”を次々に取り出す。
 中にはまだ湯気が残るものもある。
 仮面の道化に「どうぞ、もっと」と言われたら、素直に笑って受け取るのが礼儀だと思った。
 だが─。
「……美味しかったけど、材料的に考えて“あんま食べたくない”んだよね~。
 なんかさ、感情抽出とか霊核とか書いてあったし。絶対うすら呪い入ってるやつじゃん?」
 苦笑いまじりに、ウラヌスはパンを指でつつく。
 その表面は妙に艶やかで、温度を失っても形を崩さない。人工物としての“完成度”が高すぎる。
「おすそ分けとかどうだ?炙ったら毒消えるかもな」
 サタヌスが真顔で言う、スラム育ちの彼にとって。
 「危険食材を加熱すればいける」は日常の知恵だった。

「いいねいいね~!抹茶クリームパンだし、ジャム乗せたらスイーツじゃん?」
 ウラヌスは、どこからか取り出したブルーベリージャムを、パンの中央にぐにゅりと乗せた。
 異様に鮮やかな青と緑のコントラストが、視覚に訴える“毒”として完成する。
 サタヌスは無言で火を起こし、パンを金網の上に並べ始めた。
「うははははは!!」
 レイスが爆笑した。
「毒じゃん!毒じゃんこれ!!見た目からして終わってるぞ!あの道化の仮面より怖ぇよ!!」
「せっかくだ、砂糖もまぶそうぜ。金ぴかのな」
 ユピテルがジャムの上から堂々と金箔入りの砂糖を振りかける。
「見た目は大事だろ?SNS映えもするしよォ。タグつけるなら“#供養スイーツ”な」
 パンは完成した。
 抹茶+ブルーベリー+金砂糖。
 誰もが「やりすぎ」と言わずにいられない組み合わせだが、本人たちは至って真剣だ。
 完全に“アート”の領域へと踏み出していた。
 なおその頃、聖堂の中ではインマールが祈っていた。

「主よ……本日も皆が平和に過ごせますよう……はっ!?なんか外から焦げた匂いが……」
 小さく鼻をひくつかせた彼は、すでに嫌な予感を抱きつつあった。
 だがまだ、それが“パンを商業化しようとしているクロノチームの所業”であるとは気づいていない。
 その“目覚め”は、まだ数分先の話である。

 焼けたパンは、想像以上に“うまそうだった”。
 表面は香ばしく、クリームはぷくりと膨らみ、ブルーベリージャムが艶めいて輝く。
 その上にかかった金砂糖が、太陽の光で反射し、小さな虹を作っていた。
 そして信徒たちが、それに気づいた。

「……え、売ってるの?」
「買えるの……?えっ、おいくらですか?」
「“寄付金形式”!?まあ……それなら……」
 始めは遠巻きに眺めていた信徒たちが、次第にざわつき始めた。
 教会帰りの老婦人が、財布を手に近づいてくる。
 ウラヌスがにこやかに応じた。

「一口サイズ50リーヴ、フルサイズなら100ね♡お味は保証するわよ~」
 最初の一人が買った。
 続けて二人、三人……そして、子どもが一口かじったときだった。
「おいしい~!ピエロさんのより舌がぴりっとしない!」
 たったそれだけの、子どもらしい感想。
 だが、それが効いた。

「ああ……確かに」
「いつもの“供養パン”、舌が少しビリビリしてたものね」
「今日は優しい味がするわ……甘くて、温かい……」
 口々に語られる“違い”。
 パンの構成が“危険物”から“庶民向けスイーツ”へシフトしたことを意味していた。
 だが当然、それは偶然。悪ノリの産物。
 サタヌスがにやりと笑って言った。
「ほら言ったろ?ヤベェもんは焼け。スラムじゃ常識だぜ」
 実際、パンは焦げ目がつくことで魔力拡散が収まり、霊核の活性も弱まり。
 味が安定している――らしい。博士が聞いたら卒倒しそうな“雑理論”だが、経験値は正しかった。
 ウラヌスが目を丸くしてつぶやいた。

「……うそでしょ、あたし、バズってる……?」
 ユピテルは何事もなかったかのように、金砂糖を補充しながら言う。
「よかったな。罪は焼けば赦されるらしいぜ」
 その言葉の背後で――。
「お待たせしましたァ~!」
「“限定十食、追加ロット入ります!”」
 レイスが新たに炙りパンを盛って戻ってくる。
 クロノチーム、まさかの人気。
 インマール司祭がまだ祈祷堂で祈っているとは知らずに。
 彼らは“供養と倫理の境界”を越えて、今まさに罪を焼いて売っていた。

「ちょっ……!?」
 インマール司祭が目を見開いたのは、それから10分後だった。
「な、何してるんですかあああああ!?」
 両手に祈祷書を抱えたまま、駆け寄る彼の顔は真っ青だった。
 いや、髪の色と同じくらい蒼白だった。

「売店だよ売店!」
 ウラヌスがにっこり笑い、堂々と返す。
「リメイクスイーツ第一弾!
 “エンヴィニア☆マッチャボム”って名前にして、寄付金集めようかと思って!」
「お前……そんな名前で出すのか」
 レイスが目を伏せ、パンを一口齧って小さく溜息をつく。
「……“ボム”って、もう警戒されてるだろその響き」

「それにしても、この味。バズるぞ」
 サタヌスは袋の裏を指差しながら。
「“魔力由来の甘味”って表記があるとなんか高級感あるよな。毒だけど」などと真顔で頷いた。
 ユピテルはというと。
「ふむ。じゃあ俺、PR用の短歌でも詠むか」
 小さな筆を取り出し、何故か持参していた色紙に書き始めた。

 供えもの 味は天界 響く鐘。
 一口食えば 魂たゆたう。

「地獄じゃん!!!」
 インマールが叫ぶ。
「このパンは慈善配給なんです!!勝手に商品化しないでください!!」
「えっ、でも売上は“信徒育成基金”に回すつもりだったよ?」
 ウラヌスが無邪気に首を傾げる。
「一部、衣装代にも回すけど☆」
「アウトだよ!?それ完全にアウトだよ!?」
 インマールの祈祷書が震える。その隣で、レイスが空を見上げながらぽつりと呟く。

「ま……このパン、逆に“そういう目的のために作られてる”可能性もあるしな。
 妬みと欲望、混ぜて焼いた“毒”だ。なら毒には毒を、ってか」
「良い言葉だなそれ。商品名にしようぜ」
 ユピテルが満面の笑みを浮かべる。
「“毒には毒パン”―byクロノチーム。タグつけろよ、拡散されるぞ」
「やめてええええええ!!!」
 司祭の悲鳴が、十字の尖塔にこだました。

「ねぇねぇっ、おねえちゃん!これ、どうやってつくるの!?」
 きらきらした目でそう聞いたのは、まだ6歳くらいのちびっこだった。
 濃い緑の配給パンを両手で大事そうに持ち、その上にとろりと溶けかけたジャムが滴っている。
 ウラヌスは即答だった。
「んふふ~?いいよ~!お姉さんが魔改造レシピ、教えてあげるっ☆!」
 ひざをついて目線を合わせ、まるで本当に良いことをしているかのように無邪気に語り始める。

「まずね、パンはなるべく“ぷるぷる”のがいいの。温めるとさらに妖しい感じ♡
 そこにブルーベリージャムを乗せて、魔法みたいに金の砂糖を振るの!
 炙るときは、おうちの人が見てる時だけだよ~?」
「妖しいかんじがいいの?」
「最高に映えるからね♡」
 少女は「わぁ……」と素直に感動し、袋をぎゅっと抱きしめた。
 ウラヌスは「弟子1号ってことで♡」と満面の笑み。

 インマールの足は止まり、瞳が泳ぐ。
 視界に入るのは、バリバリ商売中のクロノチーム。
 列を作る市民、魔改造パンを試食する子どもたち。
 スイーツ作り講座に見入るちびっこたち。
 そして、それを見て微笑んでいる老信徒の姿。



「……あぁ……教会で売買など……あってはならぬはずなのに……」
 額を押さえて震えるインマール。だが、止める声が出せない。
「しかし……これは王族の“配給”の裏をかいている、と言えなくも……ない……??」
 人々が笑っている。かつて、誰も並ばなかった“配給”に、列ができている。
 しかも誰一人、怒っていない。妬みも、苦しみも、そこにはなかった。

 良いこと、かもしれない。でも絶対にマズい。
 天秤が崩れる音がする。
 倫理と希望の板の間で、インマールはうめいた。
「うぅぅ……っっ……」
「ぼ、僕は一体どうすれば……っ」
 その様子を少し離れたところで眺めながら、サタヌスがパンを囓って言った。

「なーんかあいつ、悩み方もメルクリにそっくりだな~」
「眉の角度とか、あの“ええええ……?”ってテンパる声まで再現度高いわ」
「育成失敗したらメルクリウス2号になる説あるね☆」
 ウラヌスは楽しそうにジャムの瓶をくるくる回しながら言った。
 その横で、インマール司祭(18)は苦悩のあまり天を仰ぎ。
 聖堂の鐘が、何も知らぬ顔で午後を告げた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます

山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。 でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。 それを証明すれば断罪回避できるはず。 幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。 チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。 処刑5秒前だから、今すぐに!

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

処理中です...