嫉妬帝国エンヴィニア

兜坂嵐

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繋がる時空の橋

現代-ロト・エンヴィニアという男

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 マカベは資料の山から一枚の古びた巻物を抜き出すと、軽く掲げた。
 それは手触りの違う羊皮紙で、他の資料と明らかに材質も、筆致も異なっていた。
「そのド三流ライターと関係あるかは分からないが」
 そう前置きしながら、彼は淡々と語り出す。
「最近になって、サロメ・エンヴィニアには“婚約者がいた”という新説が浮上してね」
 メルクリウスが、思わず振り返る。
「……婚約者?」
 マカベは巻物を指でくるくる回しながら、記述を読み上げた。
「名はロト・エンヴィニア。帝国滅亡のちょうど一ヶ月前に突如現れ。
 王女サロメと正式に婚約を交わしたとある」

 さらに淡々と、紙面の一節をなぞる。
「文献における彼の描写はこうだ――“雪のように儚く、そして美しい青年”」
 その文言に、ヴィヌスがジト目でぼそっと呟いた。
「……なにそれ夢小説?」
 メルクリウスが咳払いひとつ。
「的確だが、その言い回しはやめたまえ……」

 マカベの指が巻物の端を持ち上げ、裏の繊維構造を照らす。
「おかしいのはね、ロトの名だけが一部の文献にだけ。
 不自然に挿入されていること。写像の改竄痕も見つかっている」
「しかもその描写だけ異常に文学的で、他の記述とテンポも文体もまるで噛み合わない」
 メルクリウスは、資料に目を戻しつつ冷静に言った。
「……あり得るとすれば、“帝国の終焉に恋の悲劇を混ぜ込むことで物語性を生む”という編集意図だ」
「つまりこれは、“誰かが描いた観客向けの幕引き”だよ」

 その冷静すぎる分析に、ヴィヌスは肩をすくめて半笑いを浮かべた。
「だから夢小説じゃないの」
 そう。帝国の終焉に“花束”を添えるようにして綴られた、美しすぎる婚約譚。
 誰が仕掛けたのかはまだわからない。だが少なくともそこには、“作為”がある。
 そして―サロメの隣に添えられたその青年の姿が、“ある副官”に酷似していることに。
 この場の誰もがまだ、言及できずにいた。

 ヴィヌスは腕を組みながら、懐疑的な目でマカベを見た。
「ロト・エンヴィニアの写真ある? ちょっとさ、夢女の妄想感すごくて信じられないのよ」
 それに対し、マカベは無造作にスライド装置の1つを操作した。
「ああ、昨日ようやく1枚だけ……婚礼直後の写像が復元されたよ」

 ホログラムがふわりと宙に浮かび上がり、画面に映し出される。
 式服に身を包んだ二人。サロメ王女は儀礼的な笑みを浮かべていた。
 その隣には─どう見ても、あの副官である。
 銀の長髪。深い蒼。氷の気配を纏った、あの顔。
 明らかに“副官”、いや、カリスト・クリュオスその人が。
 “ロト・エンヴィニア”として映っている。

 一瞬の沈黙ののち、ヴィヌスが声を限界まで張り上げた。
「はああああああああああああああああ!?!?」
 窓の外で鳩が一斉に飛び立ち、建物の周囲をパニック状態で旋回する。
 一方、メルクリウスは画面から目を離さず、静かに言った。
「……うるさいよヴィヌス。平和の象徴が逃げたじゃないか」
「何が平和の象徴じゃああああああ!?婚礼詐欺じゃんこれ!!」
 ヴィヌス、完全にキレ芸モード突入。
 顔真っ赤。額に青筋。魔界の午後に響く怒声と鳩の羽音。
 だが誰もがその写像から目を逸らせなかった。
 “過去”の写像の中で、“未来”の存在が“帝国の花嫁の隣”に立っている。



「……いや、冗談じゃなく“比喩抜きで逃げた”じゃないか。実体としても象徴としても」
「鳩が逃げ、王女が叫び……教授の家の壁が震えている。素晴らしい。これが現代というやつか」
 メルクリウスはというと、鳩を見詰めながらそんなことを考えていた。
 なお口には出さない。

 これは偶然なのか?
 誰かが記録を歪めたのか?
 それとも彼自身が、本当にそこにいたのか。

 ヴィヌスは写像から目を離せなかった。
 手のひらで額を押さえながら、眉間に皺を寄せる。
「ねぇ博士……これ、Photoshopで編集したとかじゃないの?」
「こう、AI補完とか……泣いてるし、目線こっち来てるし……なんか、表情も毎回違うし……」
 だがマカベは、表情を変えず静かに首を振った。
「……ない。古代にPhotoshopはない」
「だが奇妙ではある。この写像、ロトの表情が……まったく安定しないんだ」

 言いながら、彼は別の端末に切り替え、同じ画像のスキャンデータを並列表示させた。
 メルクリウスが見たロトは、淡く笑みを浮かべていた。
 ヴィヌスの見たロトは、涙を浮かべていた。
 マカベの端末では、目線が真正面に向いており、明らかに“視線を合わせてきている”。

 3人は、互いの端末を覗き込む。
 だがそれぞれ、違うものが映っている。

 メルクリウスの顔色が変わった。
 その青白い肌に、ほんのわずか血の気が戻る。
「……っ! これは─歴史が、確定していないということだ……!」
「“観測された過去”ではない。“現在進行形で書き換えられている途中”……!」
「あるいは、“誰かの意志によって強制的に改竄されている最中”だ!!」

 ヴィヌスは思わず叫んだ。
「ほら~~~~~~~!!だからPhotoshopじゃん!!!!!」
「AIによる拡張感あるじゃん!!!絶対Midjourneyだってコレ!!!」
 だがメルクリウスは静かに首を振り、眼鏡の奥から低く告げる。
「違うよ、ヴィヌス。これはPhotoshopなんかじゃない……」
「……最悪の場合、“アンラ・マンユのWord”だ」
 空気が凍る。マカベの指が、無意識に書類の端を折り曲げる。
「.docxのまま編集されてるんだよ……この世界の“歴史”そのものが」

 メルクリウスはじっと画面を見つめたまま、静かに問いかけた。
「教授……この“ロト”の写真の変化……保存されていますか?」
 マカベは椅子をゆるりと回しながら、古びた外付けの魔導メモリを装置に差し込む。
「あるとも。2時間ごとに自動写像装置で撮影していた。保存データは4枚」
「……だが、すべて“同じ写真”のはずだったんだ」
 重い機械音と共に、写像が順に映し出されていく。

 スライド①:
《虚ろな目で微笑むロト》
 表情は完璧な王族の作法をなぞっていた。
 瞳孔はやや開き、感情のない笑み。
 隣に立つサロメへは一切触れず、手の距離はぴったり1cm開いていた。

 スライド②:
《サロメを愛しそうに見つめるロト》
 柔らかな眼差し。幸福な新婚のような佇まい。
 だが、左手だけが明らかに不自然だった。
 指先が白く、拳を握る寸前のように強張っている。

 ヴィヌスが低く言う。
「演技だこれ。演技力S+じゃないと無理」

 スライド③:
《微笑んでいるが、目が泣きそうなロト》
 表情の“ズレ”が明らかだった。口元は微笑でも、目だけが悲しみに満ちている。
 さらに、首元にかすかに“氷痕”のような文様が浮かび上がる。
 それは、あの副官が本来持つ、“契約の痕跡”だった。

 スライド④:
《ユピテル様たすけて、という目のロト》
 その瞬間、誰もが言葉を失った。
 ロトはカメラに向かって――見る者に向かって、助けを求めていた。
 口元が動く。読唇術ソフトが導き出した文は──「ゆぴ……て……る」。

 沈黙が落ちた。
 だが、その静寂の中に、確かに“叫び”があった。
 メルクリウスは画面から目を離さず、ぽつりと呟いた。
「……これは、ただの写真じゃない」
「時間軸が“抗っている”。彼の魂が、婚礼という歴史に従うことを拒んでるんだ」
 マカベも息を呑みながら、腕を組む。
「……まるで、写像そのものが“救援信号”だ」
「この4枚は、ただの変化じゃない。“助けてくれ”というシーケンスになっている」
 ヴィヌスが唇を引き結び、目を逸らす。
 これは偶然の産物じゃない。
 歴史の中で─副官が今、生きて、助けを求めている。

 ヴィヌスは肩を震わせ、唇を噛みしめた。
「くっそ……私が軽弾みで“時空を超えられたら”なんて言わなきゃ……!」
「“アルヴ=シェリウスのラストピースが観られるかも”って……軽いノリで……!」
 悔しさと恐怖とが入り混じった声音に、室内の空気がさらに重たくなる。

 メルクリウスは静かに頷きながら、写像に映る“副官の目”から目を逸らさずに言った。
「アルヴ=シェリウス……確かに、彼は“悲劇を設計した芸術家”だった」
「こんにちの悲劇を生み出した者─だが、その遺作を知りたがるのは、人間の本能だ」
「君のせいではないよ、ヴィヌス」
 写像の4枚目が、モニターに表示されたまま動かない。
 そこには、助けを求める副官の目があった。
 王女の隣で、歴史の中心に据えられながらも、明らかに“そこに居たくない”と訴えていた。
 一拍置いて、メルクリウスが静かに言葉を継いだ。

「……僕たちにできることは、ただ一つ」
「この未来が、確定せぬように祈ることだ」

【エンヴィニア帝国滅亡まで残り30日】
【その時、カリスト・クリュオスという名は、“歴史から完全に消去される”】

 リビングのローテーブルに資料が散乱する中。
 メルクリウスはスマホを耳に当て、指先でメモをまとめていた。
「……はい、はい。学園長、僕の講義の部分はハボリム君に代理を頼みます。
 うん、大丈夫、彼なら適任ですから」
 ピッ、とスマホを切り、眼鏡をくいっと直す。

「魔導院には連絡した。ヴィヌスもシアターに連絡しておくといい。どうせ派手な演目のない時期だろう?」
「えぇ……まさか“日帰り調査”が、こんな事になるとは思わなかったけど……」
 ヴィヌスは溜息交じりにスマホを構えながら、メルクリの横顔をチラリと見た。

「――大事になりそうね、先生?」
「……ああ。思っていたより、深い闇が根を張っている」
「ヒイィ……!言い方が怖いわよ」
「ふふふ、素晴らしい……!」
 教授、マカベ・ロトは大仰に手を広げて歓声を上げる。
「君たちの証言が真実ならば、これは“エンヴィニアの実在”が再び証明されて以来のビッグニュースだ。
 記録が語るのみだった夢幻の帝国が、いま――再び我々の前に姿を現そうとしている……!」
 メルクリは静かに窓の外を見やった。
 すでに陽は傾き、さっきまで羽ばたいていた鳩の姿は見えない。

「……平和の象徴は、逃げたじゃないか」
 ぽつりと、独り言のように呟いた。
「えっ!?なに急にポエム詠んだ!?」
「いや、本当に飛んでいったからね。あの鳩。君の叫び声で」
「……黙ってろメガネ!!」
 叫び声と同時にヴィヌスはスマホを片手でタップ連打。
 怒鳴りつつも入力はミスらないあたり、日常的に爆速タイピングしてるのがバレる。

【ヴェルズロート・シアター/スタッフグループ】
 急にごめん!急用が出来てしばらく公演でられない。
 代役に立候補してくれる子、探してもらえる?

 送信後、一秒もしないうちに「既読12」。
 その直後、スタッフから返信が飛んでくる。

 スタッフY:私が、私がって挙手が止まりません……どうしましょう……。

 それをチラ見したメルクリが、眼鏡をくいっと持ち上げて一言。

「……人気だね、女王様」
 ヴィヌス、スマホをゆっくり置き。
 顔だけは笑顔でメルクリに向き直る。
「本気でメガネ割るよ!?」
 その時、またスマホが震えた。
 今度は別のスタッフからの追撃。

 スタッフK:推しの座は渡しません。
 スタッフI:背丈なら近いです!目力も強い方だと思います!!

「……こうして“第二の女王様”が生まれるんだね」
「すぐは決まりそうにないわ……」
 スマホを閉じ、ヴィヌスは立ち上がる。
「お泊りセット取りに行くわよ。メイク落としがないと死ぬし」
「ああ、行ってきて。僕はここに残るよ」
 メルクリウスは、すでに応接間のソファに腰を下ろしていた。
「財布は持たない主義でね」
 ヴィヌスは呆れたように彼を見やる。

「……荷物すくなっ!!!」
「何よそのハンドバッグ、教会用の?ロザリオと替えの下着しか入ってないじゃない!」
「あと筆記具と整髪料も入ってるよ。神官のたしなみだから」
「は~~~~!?メガネ砕くわよ?」
 息をつくように笑い合い。
 ヴィヌスは背筋を伸ばしてドアへ向かう。

「すぐ戻るわ。先生、部屋のもの勝手に食べないでよ」
「わかってる、君のチョコレートは手をつけない」
「……食べてたじゃない!!!」
 玄関の扉が閉まる。
 静寂が戻ったリビングに、遠くで鳴く鳥の声がかすかに聞こえる。
 メルクリはソファを抜けて、大きな窓の縁に立った。
 夕焼けが、街の建物を紅く染め上げている。

「……サタヌスたちも、同じ夕陽を見ているのかな?」
 ぽつりと呟くその声は、誰にも届かない。
 でもきっと、どこかで誰かが、その言葉に答えるかのように。
 同じ夕陽を、同じ瞳で見つめている。
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