嫉妬帝国エンヴィニア

兜坂嵐

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妬羨

現代-届いちまった悪夢

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 ─現代・ヴェルズロートシアター 控え室
 照明が落ち、拍手の余韻がまだ響いている。
 カーテンコール直後の控え室。役者たちの吐息と、衣擦れの音だけが残る静けさの中。
「ヴィヌスさん……このスイーツ、見覚えあります?」
 そう言って机の上を指差したのは、ぱっつん前髪の団員。
 料理に関しては全幅の信頼を置ける彼女の手元にあるのは。
 翠に輝き、淡く青白いスパークを放つ奇怪なブリュレだった。

「……え? 何これ、演出? 照明部の新作ギミック?」
 ヴィヌスは怪訝な表情で近づく。カーテンコールの興奮が一気に冷めるのを自覚しながら。
 視界の端で“輪郭が揺れる”気配、そしてカタカタと、何かが“笑っているような”不気味な音。
「……ファンからの差し入れかしら? にしちゃ……悪趣味すぎない?」
 突然、ブリュレから翠のスパークが噴き出す。
「ちょっ……!? 何よコレ!! なんでスイーツがビリビリしてんのよッ!!」
 一瞬、静寂が流れる。
 そして机の上に、文字が浮かぶ。

《翠眼のブリュレ──時空転送完了》

 ヴィヌスの目が見開かれる。
「……はァ!?」
 フリルの袖を翻し、ビリビリし続ける翠のスイーツを睨みつける。
 その目は、女王のそれだった。
「ねぇ、コレ何!? 色が悪趣味すぎる。毒カエルでも入ってるの!?」
 スイーツ弱者の団員は明らかに3歩下がり、目を逸らす。
 料理ガチ勢の団員は、無言でスマホを取り出し、AIスキャンをかける。
 だが。

「……“翠眼のブリュレ”」
「該当なし。記録にも、文献にも、ネットにも存在しませんでした……」
 ヴィヌスの目が、じわじわと冷たく細まっていく。
 肩がゆっくりと震える。
「…………」
 そして、絞り出すように。
「サタヌスでしょコレ!?」
 静電気とともに、女優の怒号が控え室に響き渡った。
「絶ッッッ対あんたたちでしょ!! 過去組ッ!!」
 同時刻─遥か時の向こう側。
 エンヴィニア王国の地で、クロノチームが爆笑していた。

「届いたな……!」
「うわーーっ!マジで転送成功してんじゃん!腹痛ぇぇ!!」
「ヴィヌスの顔、想像しただけで翠の蜜がうめぇ~~ッ!!」
 こうして、時を超える“甘味テロ”が、正式に成立したのであった。

 差し入れかと思われた謎のブリュレは、明らかに何かがおかしかった。
 揺れる輪郭。小さく響く“カタカタ”という不気味な音。
 スパークを纏い、まるで意思を持ったように震えるスイーツ。
 誰もが一歩退いた、はずだった。
 その時。
「で、でも送られたってことは……」
 声を上げたのは、茶髪ポニーテールの団員だった。
「食べてね♡ って意味ですよね?だから……食べましょう!ね!?」
 全員が彼女を見た。
 その目に宿るのは、恐怖に抗う者だけが持つ“真正の勇気”だった。
 スプーンが差し入れられる。ブリュレの表面は薄く焼かれている……はずなのに。
 妙に“重たい”手応え。質量を持つ違和感。
 それでも、迷わず口に運んだ。

「……いただきます」
 ひとくち。
 そして、沈黙。
「………………」
 しばらくして。
「こ、これが……古代王族の味……?」
 声を震わせるモブBの目が、どこか“遠く”を見ていた。

「味の構造が……狂ってます」
「マンドラゴラのエッセンス……焼きマシュマロ……あと、不協和音……?」
「でも……なんか癖になる……のかも……しれません」
「えっ、じゃあ……私も!」
 モブAが、信じられない速さでスプーンを手に取った。
 彼女もまた口に運んだ。
 そして。

「す、すごい……これを“スイーツ”と言い張る根性が凄い……!」
「なんか……私の中の“常識”が……焼かれてる感じがするッ!!」
 言葉の途中で、目がカクンと揺れる。
 視界のピントがずれたような、異常な反応。
 けれどそれは、ほんのわずかの時間だけだった。ふたりはなんとか、意識を保った。
 その姿を見ていたヴィヌスは、ようやく口を開いた。

「……あんたら、二人とも勇者だわ」
「私だったら投げ捨ててたわよ。台本の横に」
 翠眼のブリュレ─それは、時を超えた悪意であり、文化の差異が生んだ甘味の地雷であった。
 未来に送られた甘味テロ。
 けれどその第一波は、勇気と好奇心によってギリギリ、迎撃されたのだった。

 控え室の空気が、静かに張り詰めていた。
 テーブルの上、翠に煌めくブリュレは微かな静電気を放ち。
 まるで「自らを見ろ」とでも訴えるようだった。
「……ヴィヌスさん?」
 最初に気づいたのはヴィヌスファンの俳優だった。
 女優の指が、そのスイーツのパッケージ裏をじっとなぞっていたからだ。

「どうしました、先輩……?」
 声をかけられても、ヴィヌスは顔を上げなかった。
 だがその背筋は真っ直ぐに伸び、舞台の上のような威厳すら帯びていた。
 そして、低く、確信に満ちた声が落ちた。
「みなさい……これ、ただのイタズラじゃない」
 そう言って、ヴィヌスは“賞味期限”の部分を指差す。
 そこには、あり得ない数字が刻まれていた。

 賞味期限:12,000年前。

 照明係の顔が青ざめる。
「えっ……年の……桁が……ッ!?
 これ、一体何世紀分の保存技術なんですか……!?」
 団員も慌ててスプーンを置く。
「じゃ、じゃあ……これってホントに……過去から来たの!?」
 ヴィヌスは黙って頷き、ふたたび視線を箱に落とす。
 細かく刻まれた楔形文字のようなものが、淡く浮かび上がる。
 それは、見た目はスイーツでも─明確な“意志”を持つ何かだった。

「これは……時を超えてきた証拠よ」
「わたしたちが、今この時代に……それを“口にした”」
「ならば、これはただのスイーツじゃない」
 瞳に光を宿し、ヴィヌスは続ける。
「……これは、“挑戦状”だわ」
「ちょうせん、じょう……?」
「ええ。“私たちが時を超えられるか”という……試み」
「過去に、介入できる存在が現れたという伝説は……本当だったのよ」
 ヴィヌスは震える指でスマホを取り上げた。
 液晶に映るのは、さっきまでの舞台裏─そして、謎の差し入れを映した写真。

「次も……届くはずよ」
 その言葉に、全員が息を呑んだ。
「だから私は……備える」
「この“未来”が、“誰か”の意思で塗り替えられるその時に─私が、その最前線に立つために」
 翠眼のスイーツは、ただの甘味ではなかった。
 それは“境界”を破る予兆だった。
 そして、ヴィヌスはそれを受け取った。

 スマホを手にしたヴィヌスは、深呼吸ひとつ。
 翠の甘味から立ち上る緑の香りは、まだ指先に残っていた。
 画面に映るのは、見慣れた「メルクリウス」の名。
 少しの沈黙のあと、彼女は一言、落ち着いた声で告げた。
「メルクリ、今からマカベ教授のとこに行くって連絡して」
 通信の向こう、少しだけ驚いたような間があって。

「……何か掴めたのかい?」
「1万2000年前と現代を繋ぐ手掛かりを?」
 彼の声はいつになく静かで、だが底に熱がこもっていた。
 ヴィヌスは唇の端をわずかに持ち上げて答える。

「えぇ。でも、想像の斜め上よ」
 そして、決定的なひと言を。
「……但し、ブリュレでね」
「……ブリュレぇ?」
 聞き返すメルクリウスの声には、明らかに思考のフリーズが滲んでいた。
 彼の中で歴史年表と甘味リストが錯綜しているのが、声色だけで伝わってくる。
「……見ればわかるわ。じゃあ、またね」
 そう言って通話を切るヴィヌスの表情には、使命を持った人間の目があった。
 かつて舞台の上で見せた、どんな演技よりも真っ直ぐで、鋭く、そして美しかった。

 控え室の空気は、まだ微かに甘かった。
 あの翠色のブリュレの香りは空気に溶け、奇妙な余韻だけを残している。
 若い団員がペンを持った手を小さく震わせながら声をあげた。
「マカベ教授って、あれじゃないですか!」
「エンヴィニアブームの火付け役として有名な……あの学者さん!」
 すかさず、隣の団員が口を挟む。
 視線は、すでに出掛ける支度を整えたヴィヌスに向けられていた。
「でも……あの教授。取材も、講演も拒否することで有名ですよ」
「先輩、いったいどこでそんなコネを……?」
 ヴィヌスは一度だけ振り返り、ふっと唇を緩める。

「色々あるのよ」
「……じゃ、出掛けてくるわ」
 その言葉はあまりにも自然で。
 けれど舞台のフィナーレのように、妙な“重み”があった。
 そして彼女は背を伸ばし、姿勢を正すと。
 舞台の袖を歩く女優のような足取りで、扉の向こうへと消えていった。

 翠眼のブリュレが揺らした“時”の波紋は。
 静かに─だが確実に、未来を変え始めている。

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