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第16話
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やがて消灯時間がやってきた。
丸一日寝ていたからか、妙に眼が冴える。個室に聞き慣れない機械音が静かに響く。知らない場所の静けさに、心細くなってきた。
事情聴取で記憶を掘り下げられたせいもあり、眼を閉じると、須加が刺された瞬間が脳裏に明滅する。
――本当にもう大丈夫なのか。
一度でもそう考えると、不安が膨らみ、いたたまれなくなる。
ベッドライトをつけ、入院のしおりを確かめる。個室のある階を覚えてから、病室から抜け出した。
看護師に気づかれないように足音を忍ばせる。今いる四階から五階へ階段で上る。探すのに時間がかかると予想したが、意外とあっさりと見つけた。
須加の名札がかかった病室は五階の廊下の奥にある。ちょうど綾瀬の病室の真上に当たる。遠いようで、意外と近い。
そっと中に入る。薄闇に溶ける須加の顔がやけに白い。布団からはみ出た左腕に点滴の針が差し込まれている。元気な姿しか知らないからこそ、今の弱った須加の姿に胸がえぐられるような衝撃がした。
病床の近くに置いてある椅子に腰をかける。無事を確認して安堵したとたん、力が抜けた。
ふいに、須加はまぶたを持ち上げた。寝ぼけ眼と視線がかち合った。半瞬後、パチパチとまばたく。
「……先輩?」
寝起き特有の掠れ声を聞いたとたん、眼の奥が熱くなった。
「会いにきてくれたんですか?」
須加はパッと顔を明るくさせた。いつもの須加だ。
「うん……様子を見たくて。もう大丈夫?」
「はい。昨日縫ってもらいました。大丈夫そうなら明日はもう退院していいって」
笑顔でそう告げてくる須加はしかし、すぐに憂いを帯びた顔になった。
「怪我は大丈夫ですか」
手を伸ばそうとするが、自由に動けない腕が綾瀬の顔に届かない。
「見た目ほど痛くない」
「傷は残りますか」
「あざだけだ。そのうち消えるよ」
「ならよかったです」
ほっと微笑んだ須加に、胸の奥でなにか爆ぜた音がした。
なにがよかっただ。俺より怪我しているのに……苛立ちを声にのせて叫び出したかった。
しかし、呑み込む。
須加を切ったのは矢田だけど、怪我させたのはほかでもない、自分だ。
――やっぱり……離れるべきだ。
「先輩、またなんか変なことを考えてない?」
腹が立っているのに、泣きたくもなった。
「……ごめん」
「ねえ、手を」
開いた手のひらに、そっと自分の手を重ねる。須加はすぐに握ってきた。ぎゅっと、力強く。胸の奥まであたたかくなった。
「叔母ちゃんから話を訊いた?」
「あの人、従兄さんなんですね」
――先輩の背負ってるものを、いつか俺にも分けてください。
母のことを打ち明けた夜、須加にそう言われた。
あのときは、自分の弱さで矢田のことが話せなかった。フォークの妄執と狂気を知ったら、須加が離れてしまうかもしれないと恐れていた。
もし矢田のことを話していたら、須加は怪我せずに済んだかもしれない。無意味なたらればをどうしても考えてしまう。
「おまえの怪我は俺のせいだ……」
「先輩のせいじゃない! 俺が勝手に先輩に会いに行っただけです」
「どうしてあのときすぐ逃げなかった」
「好きな人を置いて自分だけ逃げるなんて、俺はできません」
好きな人――その響きに胸が締めつけられた。認めたくなかった感情に、無理矢理に向き合わせられているようだ。
「俺、先輩が好きです」
「今こんなことを言ってる場合じゃないよ」
「このタイミングだからこそ話したいんです。先輩も俺のことが好きですよね」
薄闇の中でもわかるほど、須加の眼差しが真剣そのもの。見つめてくる両眼が、綾瀬のちょっとした表情の変化も決して逃さない。
綾瀬は眼を逸らしたくなった。
須加が好き――たしかにそうだ。
一緒にいると、味も、失った感情も、忘れた美しい過去も、ひとつひとつ取り戻し、フォークの自分でも幸せになってもいい気がする。
でも、やっぱり恐怖のほうが大きい。
「ケーキにとって、フォークは危ない存在なんだ」
間近に捕食衝動を起こした矢田――奪われる恐怖。
本能に支配されたまま須加を襲う――奪う恐怖。
考えるだけで、息苦しくなった。
「たしかにそうかもしれないけど、先輩は違います」
「そう簡単に言い切れるな。俺は真剣だ!」
わからず屋の須加に口調を強めた。
「だって先輩がそう証明したんじゃないですか」
「えっ」
「先輩は俺をフォークから守ってくれました。ケーキのにおいに惑わされずに、俺のために戦ってくれました」
ぎゅっと手を握られた。須加の手があたたかい。自分がどれだけ冷えているかようやく気づいた。
「先輩はケーキを食べる本能に勝って、俺をフォークから守りました」
「でも……」
「俺は先輩のことを信じてます。だから先輩も、自分のことを信じてください」
「……」
綾瀬は口を噤んだ。
須加のことも、叔母のことも、気持ちの整理がつくまで時間がかかりそうだ。
ただ、自分を信じてみたいと思った。
----------------
次回は明日、8月2日夜に更新します~!
そろそろ最終回かな
丸一日寝ていたからか、妙に眼が冴える。個室に聞き慣れない機械音が静かに響く。知らない場所の静けさに、心細くなってきた。
事情聴取で記憶を掘り下げられたせいもあり、眼を閉じると、須加が刺された瞬間が脳裏に明滅する。
――本当にもう大丈夫なのか。
一度でもそう考えると、不安が膨らみ、いたたまれなくなる。
ベッドライトをつけ、入院のしおりを確かめる。個室のある階を覚えてから、病室から抜け出した。
看護師に気づかれないように足音を忍ばせる。今いる四階から五階へ階段で上る。探すのに時間がかかると予想したが、意外とあっさりと見つけた。
須加の名札がかかった病室は五階の廊下の奥にある。ちょうど綾瀬の病室の真上に当たる。遠いようで、意外と近い。
そっと中に入る。薄闇に溶ける須加の顔がやけに白い。布団からはみ出た左腕に点滴の針が差し込まれている。元気な姿しか知らないからこそ、今の弱った須加の姿に胸がえぐられるような衝撃がした。
病床の近くに置いてある椅子に腰をかける。無事を確認して安堵したとたん、力が抜けた。
ふいに、須加はまぶたを持ち上げた。寝ぼけ眼と視線がかち合った。半瞬後、パチパチとまばたく。
「……先輩?」
寝起き特有の掠れ声を聞いたとたん、眼の奥が熱くなった。
「会いにきてくれたんですか?」
須加はパッと顔を明るくさせた。いつもの須加だ。
「うん……様子を見たくて。もう大丈夫?」
「はい。昨日縫ってもらいました。大丈夫そうなら明日はもう退院していいって」
笑顔でそう告げてくる須加はしかし、すぐに憂いを帯びた顔になった。
「怪我は大丈夫ですか」
手を伸ばそうとするが、自由に動けない腕が綾瀬の顔に届かない。
「見た目ほど痛くない」
「傷は残りますか」
「あざだけだ。そのうち消えるよ」
「ならよかったです」
ほっと微笑んだ須加に、胸の奥でなにか爆ぜた音がした。
なにがよかっただ。俺より怪我しているのに……苛立ちを声にのせて叫び出したかった。
しかし、呑み込む。
須加を切ったのは矢田だけど、怪我させたのはほかでもない、自分だ。
――やっぱり……離れるべきだ。
「先輩、またなんか変なことを考えてない?」
腹が立っているのに、泣きたくもなった。
「……ごめん」
「ねえ、手を」
開いた手のひらに、そっと自分の手を重ねる。須加はすぐに握ってきた。ぎゅっと、力強く。胸の奥まであたたかくなった。
「叔母ちゃんから話を訊いた?」
「あの人、従兄さんなんですね」
――先輩の背負ってるものを、いつか俺にも分けてください。
母のことを打ち明けた夜、須加にそう言われた。
あのときは、自分の弱さで矢田のことが話せなかった。フォークの妄執と狂気を知ったら、須加が離れてしまうかもしれないと恐れていた。
もし矢田のことを話していたら、須加は怪我せずに済んだかもしれない。無意味なたらればをどうしても考えてしまう。
「おまえの怪我は俺のせいだ……」
「先輩のせいじゃない! 俺が勝手に先輩に会いに行っただけです」
「どうしてあのときすぐ逃げなかった」
「好きな人を置いて自分だけ逃げるなんて、俺はできません」
好きな人――その響きに胸が締めつけられた。認めたくなかった感情に、無理矢理に向き合わせられているようだ。
「俺、先輩が好きです」
「今こんなことを言ってる場合じゃないよ」
「このタイミングだからこそ話したいんです。先輩も俺のことが好きですよね」
薄闇の中でもわかるほど、須加の眼差しが真剣そのもの。見つめてくる両眼が、綾瀬のちょっとした表情の変化も決して逃さない。
綾瀬は眼を逸らしたくなった。
須加が好き――たしかにそうだ。
一緒にいると、味も、失った感情も、忘れた美しい過去も、ひとつひとつ取り戻し、フォークの自分でも幸せになってもいい気がする。
でも、やっぱり恐怖のほうが大きい。
「ケーキにとって、フォークは危ない存在なんだ」
間近に捕食衝動を起こした矢田――奪われる恐怖。
本能に支配されたまま須加を襲う――奪う恐怖。
考えるだけで、息苦しくなった。
「たしかにそうかもしれないけど、先輩は違います」
「そう簡単に言い切れるな。俺は真剣だ!」
わからず屋の須加に口調を強めた。
「だって先輩がそう証明したんじゃないですか」
「えっ」
「先輩は俺をフォークから守ってくれました。ケーキのにおいに惑わされずに、俺のために戦ってくれました」
ぎゅっと手を握られた。須加の手があたたかい。自分がどれだけ冷えているかようやく気づいた。
「先輩はケーキを食べる本能に勝って、俺をフォークから守りました」
「でも……」
「俺は先輩のことを信じてます。だから先輩も、自分のことを信じてください」
「……」
綾瀬は口を噤んだ。
須加のことも、叔母のことも、気持ちの整理がつくまで時間がかかりそうだ。
ただ、自分を信じてみたいと思った。
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次回は明日、8月2日夜に更新します~!
そろそろ最終回かな
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