魔女(リュールカ)は月には還れない ー笑顔を失った小さな魔女の、永い旅の始まりー

二式大型七面鳥

文字の大きさ
1 / 7

章前

しおりを挟む
 猛り狂う風に長い黒髪をなぶるに任せたまま、黒衣の魔女は呪文を唱え続けていた。
 彼女の放つ言霊ことだまは周囲のエーテルを振動させ、エーテルの振動は次元を越えて精霊を導く。常人の目には何も見えないこの漆黒の虚空にあっても、彼女の操る魔法は歴然として効力を発揮しつつあった。
 彼女の背後には、圧倒的な大きさで、まるく、あかい月が迫る。風は、その月の中心付近の一点から吹きつけ、彼女の眼前の、彼女から月と点対称の位置にある地球に吹き降ろす。そして、地球からは、己の渇望する何かを月から毟り取ろうとする腕とも、飢えをしのぐ為に月をむさぼろうとする口ともつかない何かが、太平洋から湧き上がりつつあった。

「何故、抗うのです?」
 その沸き立つ異形の先端から、声がする。
「あなた方と私たちには、協力する理由こそあれ、敵対する理由はないと、思っていたのですがねぇ……」
 仕立てのいい麻のスーツを着込んだ、麻黒い肌の男が、風に飛ばされないようパナマ帽を気障に押さえたまま、訊く。
 黒衣の魔女は答えない。ただひたすら、呪文の詠唱を続ける。この男が無理やりこじ開けた扉を閉めるために。
「……なるほど、どうあっても通廊を閉めようというのですね。でも、そうすると、あなたも通廊の外に取り残されますよ?よろしいのですか?」
 呪文を唱える魔女の口元が、わずかに歪んだ。微笑、などという優しいものではない、それは諦めか、あるいは自嘲の笑みであったのか。
 鈍く輝く銀の短剣を眼前にかざした魔女の詠唱の声が、ひときわ大きくなる。
「……偉大なる魔法使いマーリーンの孫にして、大魔女エイボンの子たる我、この魔女リュールカの名において。精霊よ、遅れることなく速やかに現れ出でて、我の求めるところを成し遂げよ!精霊よ!今一度、この扉を封じよ!」
 リュールカと名乗った魔女の背後で、ぐにゃり、月が歪む。見る見るうちにそれは本来あったはずの大きさに縮み、あるべきはずの遠き彼方に戻る。吹き荒れていた暴風が、急激に弱まる。同時に、眼下に広がる暗い海の底からそそり立つ異形の柱も、急速にしぼみ、四散してゆく。

「やれやれ、とんだ無駄骨折りになってしまいましたか。……まあ、あなたが出てきた時点でこうなる気はしていたのですがね……仕方ない、御大には今一度、眠りについていただきますか」
 男は、足元で霧散して行くその「何か」を一瞥し、すぐに視線を魔女に戻す。
「それで、あなたはどうするのですか?今更、月に戻るにしても、精霊を使役するに足る源始力マナもお持ちではないでしょうに?」
 その言葉は、もはや魔女の耳には届いていない。力を使い果たした魔女は、ただひたすら、地球の重力に引かれて落ちてゆく。ゆっくりと。まだ残るいくばくかの風に、黒衣と黒髪をなびかせながら。
「……まあ、そんなところでしょうねぇ……まあ、いいでしょう。まあまあ楽しめましたから、私は満足です。それでは、私もそろそろお暇いたしましょう。ここは、生ける者が居るには、少々酷な所のようですから。」
 軽く空を一蹴りし、男もスーツの裾をはためかせながら地球に下りてゆく。魔女を追うわけでもなく、あくまで気障に、帽子を押さえながら。

 この日、二つの流星が欧州ヨーロッパに落ちた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

包帯妻の素顔は。

サイコちゃん
恋愛
顔を包帯でぐるぐる巻きにした妻アデラインは夫ベイジルから離縁を突きつける手紙を受け取る。手柄を立てた夫は戦地で出会った聖女見習いのミアと結婚したいらしく、妻の悪評をでっち上げて離縁を突きつけたのだ。一方、アデラインは離縁を受け入れて、包帯を取って見せた。

いまさら謝罪など

あかね
ファンタジー
殿下。謝罪したところでもう遅いのです。

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

英雄一家は国を去る【一話完結】

青緑 ネトロア
ファンタジー
婚約者との舞踏会中、火急の知らせにより領地へ帰り、3年かけて魔物大発生を収めたテレジア。3年振りに王都へ戻ったが、国の一大事から護った一家へ言い渡されたのは、テレジアの婚約破棄だった。 - - - - - - - - - - - - - ただいま後日談の加筆を計画中です。 2025/06/22

私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜

AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。 そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。 さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。 しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。 それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。 だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。 そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。

処理中です...