【R18】この夏、君に溺れた

日下奈緒

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再会は本屋で

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今年の夏は、異常な程に熱い。

容赦なく照りつける日差しは、今年買ったばかりのワンピースを通り抜け、日焼けスプレーを塗った腕にまで、ジリジリと焼き付いてくる。

こんな日は、外になんか出たくなんかなくて、一日中家の中でゴロゴロしていたかった。

だけど、そこは受験生。

高校最後の夏は、一生を決める大事な季節なわけで。

大した夢もないくせに、みんなが行くからと言う単純明快な理由から、駅前の大きな塾へと通っていた。


「熱い……」

額を伝う汗を手で拭いながら、終わったばかりの塾からの帰り道を満喫していた。

「それにしても熱い……」

勉強は涼しいうちが、頭に入るからと塾の授業はいつも午前中。

そしてお昼になると、“受験に必要だから”と頭にギュウギュウ知識を詰め込んで、塾を出てくる。



一日のうちで、一番気温が高くなるこの時間に、だ。


「もう無理。」

若いから熱くても平気だなんて、言ってらんない。

若くても熱いものは、熱いのだ。

私は辺りを見渡すと、交差点を渡った場所にある大きな本屋と駆け込んだ。


「涼しい!!」

ガンガンとクーラーがついている店内は、まるで天国のように思え、しばらくの間、入口付近で立ち止まっていた。

すると後ろから歩き越されたおじさんに、ジロッと睨まれようやく当てもなく、店内を彷徨うことにした。


ファッション雑誌に、旅のガイド本。

夏休みの読書感想文用の、文庫本が並ぶ。

楽しい物はすぐに目につく。

面白そうなタイトルが目につき、手にとっては置いてあった場所へと戻した。

そうしてどれくらいの時間を潰したか、私の目に赤本が入ってきた。

ああ、そう言えば私、受験生だったんだっけ。

急に現実に戻されたように、私の足はその場所へと向かった。

立ち止まり、自分が受験する大学の名前を探す。


「あった。」

手を伸ばし、数ページをパラパラと見てみる。

だがすぐに溜息をついて、また元の場所へと置きなおした。

ふと見ると、私と同じ歳くらいの人が数人、参考書等を選ぶ姿を見つけた。

彼らも私も、この1年で人生が決まると言っても、過言ではない。

少子化の煽りを受けて、少し前の時代に比べれば、大学への進学率は大幅に高くなった。

その代わり、大学へ行かなければ、まともな就職先は望めず、その後の人生まで、大きな影響を与えるようになった。


急に肩が重くなる。

この1年が大事だとわかっていても、急に逃げ出したくなるのはどうしてなんだろう。

そして思う。


店内の時計を見た。

13時を過ぎていて、お腹が空いている事に気づいた私は、もう家に帰ろうと、入口に体を向けた。

その時だった。


同じ本棚の奥に、ボザボサ髪の黒縁メガネの男性を発見した。

服装は白いTシャツに、緑色の短パン。

肌は日に焼け、髭も生えていた。

誰が見てもダサイ恰好のその男性に、私は見覚えがあった。

最も私の知っている姿は、爽やかにスーツを着こなす、好青年の方なのだが。


声をかけようか、正直迷った。

その男性と会ったのは、去年のことだし。

高校3年生になってからは、一度も会っていない。

私は目立つ人間ではないから、果たして覚えてくれているかも疑問だ。


それでも、体は動いた。

あの時、声をかければよかった。

そんな後悔だけは、したくなかった。


私はその男性の横に立ち、何も言わずに肩を、トントンと叩いた。


その男性は、私に振り向くと目を大きく見開いて、一瞬クシャっと笑顔を見せた。

「お久しぶりです、先生。」

「久しぶり。変わんないな、藤沢。」

ああ、覚えてくれていた。

それだけで、私の心は安心した。

「今日は?」

「塾の帰りです。」

「塾?おまえが?成績悪かったっけ?」

「受験生なもんで。」

私は先生に、笑って見せた。


「そっか……もう高校3年か。」

先生は去年の事を、懐かしむようにそう言った。




平塚幸太郎先生。

国語の先生が産休に入った2年生の時。

産休代理で、1年間国語を教えてくれた。

身長が高くて、爽やかで、教え方が上手かった先生は、男女問わず生徒から人気があった。

休み時間には、先生に会いに来る生徒が、後を絶たなかった。

2年生が終わりを告げる時も、誰かが産休に入った先生、もう少し休んでてくれないかなと、ぼやいていた。


「それにしても先生、変わりましたね。」

私の一言に、先生は頭をポリポリと掻いた。

「今は仕事してないからな。こんな格好になっちまう。」


えっ?

仕事してない?

私は一瞬、思考を止めた。


「ああ、もちろん貯金はあるから、しばらく食べる事には困らんけど。」

そう言って先生は、ニカッと笑う。

「この日焼けは……」

「これは少し前まで海の家で働いてたんだよ。」


先生が海の家?

益々わからなくなってくる。


「なははは!びっくりするよな。少し前まで国語の先生で、お前らに授業してたって言うのにな。」

そう言って先生は、のほほんと笑っている。

「仕事、探しているの?」

「いや、今はやりたい事があるから探してない。やりたい事が終わったら、また仕事すっかな。」


仕事って、そんな呑気にやったりやらなかったり出来るものなんだろうか。

少なくても私の両親を見ていると、そんな風には思えない。


「じゃあ、またな。気をつけて帰れよ。」

先生はお目当ての本が見つかったらしく、それを片手にレジへと向かおうとした。


まずい!


咄嗟に先生の腕を掴んだ瞬間、私のお腹の虫がぐぅ~と鳴った。

そんな時に、先生と目が合ったものだから、だんだん恥ずかしくなって、顔が赤くなっていくのがわかった。

「なんだ藤沢。腹が減ってるのか。」

「そ、そ、そうみたい……です。」

すると先生は、自分の腕を掴んでいる私の手を離した。

一瞬、先生の温かい手が、私の手を握ってくれたような感覚に陥った。

「待ってろ。これ会計してくるから。」

そう言って先生は、私から離れて行く。


“待ってろ”

先生のその一言に、心臓がトクントクンと鳴り出す。

私、もう少しだけ先生と一緒にいて、いいのだろうか。

そんな期待が、私の中で膨らむ。


しばらくして、お会計を済ませた先生が『すまんすまん。』となぜか謝りながら、近づいてきた。

「近くに飯でも食いに行こう。俺も腹減った。」

私はうんと頷き、先生の後を付いて行った。


お店を出て、また容赦なく日差しが照りつける。

「熱い!!」

先生は買ったばかりの本で、日差しを遮る。

いいなぁと思いながら、私はなんとなく、日差しが当たっている腕を撫でた。

「藤沢。こっちに日影があるぞ。」

「えっ?」

先生は私の腕を引っ張ると、日影へと私を案内してくれた。

「女の子は、日焼けしたくないだろ。」

「……うん。」

本当は日焼けスプレーもしてきたし、かと言って日焼けしたらしたらで、1か月もすればまた元通りになるのに。

でも女の子扱いされて、私は心の中がくすぐったくて、たまらなかった。

「おっ!店発見。」

先生はパスタのお店を見つけると、すぐにお店の中に入っていった。


「残念。1時間待ち。」

お店から出てきた先生は、そう言うと別な場所に行こうと、私を連れ出した。

だけど、お昼時だったのか。

今日はお休みの人が多かったのか。

はたまた、場所が悪かったのか。

行く先々で席は無く、私たちは13時半を過ぎても、食事にありつけなかった。


「最悪。ファーストフードにも、あり付けないのかよ。」

先生は余程お腹が空いているのか、熱さにやられているのか、ぐったりしていた。

「諦めて家に帰るか?」

先生は私に質問を投げかけた。

「う~ん……」

私は考える振りをして、先生を見つめた。


せっかく先生と再会したのに、このまま終わるなんて、物足りない。

「どうしようかな。先生に奢って貰える唯一のチャンスだしな。」

「おまえね。」

先生はケラケラと笑っている。

「あ~あ。家だったら出前取って済ますんだけどな。」

先生はそう呟いて、私をじーっと見た。


ドキドキする。

先生の深い瞳に、吸い込まれそうになる。

「なんですか?」

「おまえさ、」

「はい。」

「俺ん家、来る?」

トクントクンと動いていた心臓が、大きくドキンと鳴った。


「いいの?」

「汚いけどな。」

「一人暮らし?」

「そう。」

「じゃあ、仕方ないよ。逆に男の人の一人暮らしで奇麗な部屋だったら、引いちゃうかも。」

「なんだ、それ。」

適当な会話を交わした私と先生は、しばらくの沈黙の後、歩きだした。


「先生の家、遠い?」

「うんにゃあ、この近く。」

そして私は、先生の後を付いていく。


男の人の、しかも一人暮らしの部屋に行くなんて。

もしかしたら、私、本当はイケない事をしようとしてるんじゃないか。

そう思ったら、ふと足が止まった。


「どうした?」

「私、行ってもいいのかな。本当は一人暮らしの男の人の部屋なんて……」

先生はため息をついた。

「襲わねえよ。飯食うだけだろ?」

そう言うと、先生は私の背中を、軽く押してくれた。
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