【R18】この夏、君に溺れた

日下奈緒

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設定と現実

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「ううん。」

私は先生を抱き寄せた。

「先生だったら、私、後悔しないから……」

その言葉を合図に、先生と私の体が一つになる。


初めて味わう痛みと快感の中で、私は先生の真剣な顔を見た。



私の体に欲情する男の顔。

自分の欲求を、私の体に激しくぶつけてくる扇情的な眼差し。

どれも、子供だった私には、抱えきれないもので。

当然、先生の欲求が終わりを迎えた時には、どうしたらいいかわからなかった。


激しく息を切らした先生が、私の隣に横たわる。

一方の私は、大人の男性にほんの一時でも、大人の女性として扱われた時間を、ただ茫然と噛みしめていた。


どれくらい経っただろう。

隣を見ると、先生の広い背中があった。

私もゴロンと横になり、先生の背中に顔をくっ付けた。

先生の温もりが、背中から伝わってきた。


「痛くなかったか?」

てっきり寝ていると思っていた先生から、質問が飛んできた。

先生からクククッと、笑い声が聞こえる。

そっとタオルケットの隙間から、先生を見た。

「何、笑ってるの?」

「いや、可愛いなと思って。」

地味で真面目が取り柄の私を、可愛いって。

先生はどうかしてしまったのかと思った。


「ついでに言うと、俺が動く度に甘い吐息を聞かせてくれたのも可愛かったよ。」

「ぎゃあ!!」

なんだか卑猥な言葉を聞かされた如く、私は再びタオルケットを頭のてっぺんから被った。

「いやあ!やめてえ!!」

「はははっ!そりゃあ恥ずかしいよな。誰にも見せた事のない部分を見られたんだから。」

「スケベ!先生のスケベ!!」

尚笑い続ける先生が、憎たらしく思える。

「ほらほら、その恥ずかしがっている顔を、先生にもう一度見せてごらん?」

「やだっ!」

拒否したはずなのに、先生はタオルケットを私の顔から剥ぎ取った。

そしてチュっと、頬に小さなキスをくれた。


「先生……」

振り向くと既に先生は起き上がっていて、Tシャツを首から被っていた。

「そろそろ帰る時間だろ。服着て。」


さっきまでの甘い時間は、どこに行ってしまったのか。

私は返事もないまま、むくっと身体を起こし、近くに脱ぎ捨てられていた下着と洋服を纏った。

「送るよ。」

先生はキーケースを持って、私よりも先に玄関へと向かった。

「忘れもん、ないな。」

「うん。」

そう言うと、私たちは何事もなかったかのように、このマンションを出て、また広い通りへと出た。


夕暮れ時。

さっき先生のマンションに向かっていた時とは、様子が変わっていた。

少し前を歩く先生。

少し後ろを、俯き加減に歩く私。

周りには私たちって、どう見えてるんだろう。


「藤沢。」

ふいに呼ばれて、ハッと顔を上げた。

「ここ真っ直ぐ行くと、駅。」

「ああ……はい。」

私は先生の前に出た。

きっと駅は、知っている人もたくさんいるから、私と一緒に歩きたくないのだと思った。

「身体、大丈夫か?」

「えっ?」

「すまん。なるべく優しくしたつもりだったんだが……」

「うん……とても、優しかった、です……」

お互い照れたように、固まってしまって。

絶対周りの人には、可笑しく見えているはず。


「今度、いつ会えるの?」

次の約束は、私から切り出した。

「うん。」

先生からははっきりとした答えは来ない。

「藤沢。」

「はい。」

「もう少し歩こうか……」

先生は駅に向かって、歩き始めた。


寂しい。

今度いつ会えるかわからないまま、別れに向かって歩き出すなんて。

「おいで。」

先生は私を自分の横に、連れて来てくれた。


「あのさ、藤沢。」

優しい口調。

「俺、もうお前の教師じゃない事は、確かなんだけど。」

「…はい。」

「やっぱりさ。お前を見ると、去年まで俺の授業を真面目に聞いていた、制服姿が思い浮かぶんだわ。」

「……はい。」

「だから、勉強教えるのはいつだって、教えてやる。けれど、俺の部屋で恋人ごっこするのは、これっきりな。」


恋人ごっこ。

しかもこれっきり。


「藤沢?」

その時の先生は、さぞかし困ったかもしれない。

返事が無く覗きこんだ私の顔は、目に涙をいっぱい溜め、鼻水は出そうになり、口は“へ”の字に曲がっていたからだ。

「おまえ……」

「有難うございました!!」

私は大きな声で頭を下げると、駅に向かって猛ダッシュを決めこんだ。


「藤沢!!」

遠くから先生の声が聞こえる。

けれど無視した。


悔しかった。

付き合えなくてもよかった。

期間限定でも、それでよかった。

遊びでもよかった。

セフレでもよかった。


でも返ってきた言葉は、“恋人ごっこ”



所詮私は先生にとって


記憶の片隅にも残らないような女だった


「ただいま。」

顔を拭いて靴を脱ぐと、珍しくお母さんが玄関先に出てきてくれた。

「芽依、遅かったじゃない。ってあなた、泣いてるの?」

「泣いてない。」

「だって顔がグチャグチャ……」

「元からだから。」

訳の分かんない返事をして、自分の部屋に戻った。


カバンを置いて、ベッドに横になった。

さっきまでいた先生の部屋とは、全く違う。

思い出して、寂しくなって、また涙が出てきた時だった。


Lineがピコンッと鳴った。

友達か。

こんな時に。


|《今から来れる?≫


はっ?

今から?


≪どこ?≫

≪駅前のカラオケ≫


また駅に行くのか!


着信音が流れる。

誰?

番号を見ても知らない番号だった。

しかもずっと鳴り続けている。

諦めて切ると思いきや、ずっと鳴っている。


どうしよう。

変な電話だったら。

そう考えているうちに、着信は止まった。


私はすぐさま、着信の電話番号に、非通知で電話を架けた。

案の定、非通知だから出ない。

そりゃあ、そうか。


電話を切りかけた瞬間、呼び出し音の代わりに、人の声が聞こえた。

「もしもし?」

『ああ、藤沢?』


もしかして……

こ、こ、この声は!!


『俺なんだが……』

「せ、先生!?」

新手の俺俺詐欺のような名乗りもそうだが、私の携帯に先生から電話が架かってきている事に対しても、衝撃を隠せない。

「ど、どどどどうして!?私の番号を!?」

『ああ、番号は……俺が産休代理の任期終わる時に、クラスの女子にプレゼント貰っただろ。あの中に入ってた。』


そう言えば!!

クラスの女子達が、先生との別れを惜しんで、やたら自分の連絡先を紙に書いて、プレゼントの中に入れておいたっけ。

私も友達に『芽依も書きなよ。』と言われ、とりあえず走り書きで書いて、プレゼントの中に放り込んだ。

「先生、あれ取っててくれたんだ……」

感激して泣けてくる。

『と、言うか荷物の中に紛れ込んでいたと言うか……』

ガクッと、私は肩を落とした。

「ぅぅぅ……そう言うところは、正直じゃなくてもいいのに。」

『あっ、すまん!』

先生が謝った後、二人の間に沈黙が流れる。


しばらくして、先生から静かに会話が始まった。

『おまえ、来年大学受験って言ってたよな?』

「は、はい。」

『はかどってないだろ。』

「えっ?いや、午前中は塾に行ってるし、」

『だから、明日も俺の家に来い。』


ドキンとした。

先生の家。

またあの場所に行ける。


『だから、もう、あんなふうに泣くな。』

「あんなふうに?」

『家に帰る時、おまえ泣きたいけど、我慢してますって顔してただろ。』


私は夕方、先生と別れる時のことを思い出した。

確かに私は、ここで泣いたら女が廃ると思って、必死に口をプルプル震わせながら、泣くのを我慢していた。

でもそれを先生が、ここまで気にして。

わざわざプレゼントの中から、私の電話番号が書かれている紙を探してまで、電話を架けてきてくれるなんて。

なんだか微笑ましくて、笑えてきた。


『なんだよ。』

「ううん。ありがとうございます。」

『調子のいい奴だな。じゃあな。』

「は~い。」

私は電話を切った後、ある考えが浮かんだ。


一生に一度のチャンス。

私はこの時を、絶対に逃したくなかった。
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