御曹司との交際0日婚なんて、聞いてません!──10年の恋に疲れた私が、突然プロポーズされました【完結】

日下奈緒

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第1章 0日婚の申し込みととまどい

「簡単ですよ。一目見て……僕はこの人と結婚するかもしれないって、そう思ったからです。」

──はぁ?

思わず心の中で素っ頓狂な声が響く。

今どき、そんなファンタジーみたいなことを真顔で言う人がいる?

一目惚れどころじゃないじゃん。結婚まで決めてるって、どういうこと?

ぽかんとしている私に、律は淡々と続けた。

「それに、あなたは言いましたよね。『この仕事、任せてください』と。」

「……はい。」

あのときの企画書。思いを込めて、必死に準備して、そう言った。

「決して、相手に言われたからじゃない。あなた自身が、自分の意志で言ったんです。責任の重さを理解したうえで、選んだ。」

彼の目はまっすぐだった。微塵もブレていない。

私は、ただじっと聞き入るしかなかった。

「僕は、そういう人と時間を共にしたい。そして、これからの人生も、“自分の意志で選ぶ人”と築いていきたい。」

一言一言が胸に刺さる。

冗談なんかじゃない。本気だ、この人。

「──それが、あなたです。朝倉さん。」

心臓が、痛いほど跳ねた。

彼の言葉は、まるで10年の恋に終わりを告げた私に対して、“もう一度、信じてみろ”と促してくるようだった。

でも。

「……そんな簡単に、人生って、決められるものですか?」

声は震えていたけれど、それが精一杯の私の答えだった。

神楽木さんは、優しく、でも確かに微笑んだ。

「僕は、決められます。君がそれを望むなら、明日からだって夫婦になれますよ。」

あまりにまっすぐで。

あまりに真剣で。

私の心は、ゆっくりと揺れ始めていた。

「交際、0日婚……」

私は、ぽつりとその言葉を繰り返した。

それは、今日のこの会話がきっかけで、明日にでも結婚してもいいということ。

──そんなの、現実味がなさすぎる。

「朝倉さん、さっき“恋愛は面倒だ”と言ってましたよね?」

神楽木さんが、静かに問いかけてくる。

目をそらすことなく、まっすぐに。

「……はい。確かに。」

もう誰かに振り回されるのも、期待して傷つくのも、疲れた。

だから、素直にそう答えたはずだった。

「僕もそうなんです。」

神楽木さんはふっと笑みを浮かべた。

だけど、その声はどこか真摯で、少しだけ寂しそうにも聞こえた。

「どうせ恋愛をするなら、遠回りせずに──“結婚した相手”と恋をしたい。」

──遠回りしない恋。

それは確かに理想かもしれない。でも。

「……でも」

ここではい、結婚します──なんて、言えるはずがない。

「少し……お時間をいただけないでしょうか。」

ようやく絞り出すように口にした私の言葉に、神楽木さんはふっと穏やかに笑んだ。

「前向きに検討いただけるということでしょうか。」

──うっ。
また、そうやって真っ直ぐにくる。

まだ、この人と付き合うかどうかも分からない。

ましてや“結婚”なんて──今すぐ返事を出せるわけがない。

「……それも含めて、検討させてください。」

私は営業マンとして、何百という提案をしてきた。

即決してもらえたら、それはもちろん嬉しい。けれど。

客の立場に立てば──即決しない方がいい。

一度家に持ち帰って、冷静に、自分の気持ちと照らし合わせてから決めるべきだ。

そう、自分に言い聞かせるように、私は立ち上がった。

「今日は、ありがとうございました。」

「こちらこそ。」

神楽木さんは席を立ち、軽く会釈してくれた。

その柔らかな仕草に、最後まで“部長”の威圧感はなく、ただ一人の“大人の男性”としての余裕があった。

「外までお送りしましょう。」

そう言って、神楽木さんは部長室を出て私の隣を歩いた。

自分より少し背の高いその人の歩幅に、自然と足を合わせてしまっている自分がいた。
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