御曹司との交際0日婚なんて、聞いてません!──10年の恋に疲れた私が、突然プロポーズされました【完結】

日下奈緒

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第1章 0日婚の申し込みととまどい

そうよ。

時間を置いて、冷静に考えて。

やっぱり無理ですって、ちゃんと断るの。

私は普通のOL。

背伸びしても、いつか壊れてしまうだけ。

そう、思おうとした。

なのに──

なぜか、その瞳の温度だけが、ずっと胸に残っていた。

エレベーターが一階に着き、扉が開くと、私たちは無言のまま降り立った。

エントランスまでの数十メートル──

神楽木さんは、一切何も話さなかった。

けれどその沈黙は、不思議と重苦しいものではなく、むしろ心地よい静けさだった。

出口が見えたあたりで、私は足を止めた。

「では、神楽木部長。お仕事の件、よろしくお願いします。」

丁寧に頭を下げると、彼も小さく頷いた。

けれど、その次に返ってきたのは──

「結婚の件も、お返事お待ちしてますよ。」

……やっぱり言うんだ、それ。

笑ってごまかすこともできず、私は小さく「……はい」とだけ答えた。

するとその瞬間──

「キャーッ!」「律部長~!!」

エントランスの受付あたりから、女子社員たちの黄色い歓声が飛んだ。

え? と思って振り返ると、

神楽木さんは、まるで何事もなかったかのように笑顔を浮かべて、アイドルのように軽く手を振っていた。

──いや、なんでそんなに慣れてるの?

なんでそんなに爽やかに、自然に手を振れるの?

「ああいうところ、御曹司って感じ……」

思わず心の中でつぶやいたその瞬間、神楽木さんがふと私のほうを向き、片目だけでそっとウィンクをしてきた。

──やっぱり、この人、只者じゃない。

そう思いながら、私はその場をそそくさと後にした。

そして、エントランスを抜けた外の空気は、ほんの少しだけ、さっきより熱く感じた。

会社に戻ると、パソコンの前に座るなり、深いため息が漏れた。

「……どうしたんですか?朝倉さん、すっごい難しい顔してますよ?」

声をかけてきたのは、営業部の後輩・滝くん。

明るくて気さくで、誰とでもすぐ仲良くなるタイプだ。

何気なく彼の手元に目をやると、左手の薬指にはシンプルな結婚指輪が光っていた。

「ねえ、滝くんってさ。結婚するまでの期間、どれくらいだったの?」

「俺っすか?」

意外だったのか、滝くんは少し目を丸くしてから、あはっと笑った。

「俺、実はスピード婚っすよ。」

「スピード婚?」

「はい。付き合って半年で結婚しました。周りからは“早すぎ”って言われたけど、決めたら早かったですね。」

「半年……」

私は思わず呟いていた。

──半年でも結婚って、する人はするんだ。

いや、それを言ったら……私、さっき交際“0日”でプロポーズされましたけど。

もう、笑えるというより、乾いた頭が追いついていない。

もはや“付き合ってる”っていう関係性自体、かわいく思えてくる。
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