御曹司との交際0日婚なんて、聞いてません!──10年の恋に疲れた私が、突然プロポーズされました【完結】

日下奈緒

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第3章 新居とぎこちない新生活 

会社のビルを出た瞬間、スマホが震えた。

《脇道で待ってるよ。》

画面を見て顔がほころぶ。あたりを見渡すと、すぐに黒の車が目に入った。

律さんの車だ。私は急いで駆け寄り、助手席のドアを開けた。

「ごめん、遅くなって。」

「いいよ、仕事だったんだし。」

律さんは穏やかに笑いながら、私がシートベルトを締めたのを確認してエンジンをかける。

車が静かに走り出す。

「夕食、買わないといけない物があって……」

「ああ、今日はどこかで食べて行こう。」

その一言が、やさしく胸に沁みた。

いつの間にか、私はぽつりとつぶやいていた。

「今日、新婚なのはわかるけど、仕事もしろって言われた。」

その瞬間、律さんの横顔が少しだけ硬くなった。

ハンドルを握る手に、わずかに力が入るのが分かる。

「……そう言われたのか。」

ゆっくりと右折しながら、彼は目を細めた。

その瞳に怒りというより、悔しさが滲んでいる気がした。

「うん。でも、私の立場だと仕方ないんだよね。」

そう言いつつも、自分の言葉が言い訳のように響いて、思わず視線を落とした。

律さんは深く息を吐くと、そっと私の手を握った。

走る車の中で、その手の温かさが心に染みた。

「でもね、ちゃんと定時に帰って。律さんにご飯作りたい自分がいるんだ。」

そう言った私の言葉に、律さんは赤信号で車を止めると、ハンドル越しに私の方をちらりと見た。

「無理しなくていいよ。」

静かにそう言う律さんに、私は体を少し起こして向き直る。

「俺、千尋の立場も分かってる。仕事って、理想通りにいかない日もある。残業して遅くなったら、こうやって外食するのもいいんだし。」

青信号に変わり、車が静かに走り出す。

でも私は、諦めたくなかった。

「……それでも律さんにご飯作りたい。」

その一言に、律さんは思わず笑った。

「頑固だな。」

「だって……律さんが私の作ったご飯を、美味しそうに食べてくれるの見るの、好きなんだもん。」

車内に、柔らかな空気が流れる。

窓の外を過ぎる街の明かりよりも、律さんの笑顔の方がずっと温かく感じた。

「……そっか。じゃあ、なるべく早く帰るよ。」

「ほんと?」

「うん。千尋のご飯、食べたいから。」

律さんのその言葉に、胸がきゅっとなった。

私はそっと微笑みながら、助手席の窓の外を見た。

その夜の光景は、何でもないようで、何よりも特別だった。

そして次の日。

寺川不動産の案件に没頭していた私は、ふと時計を見て息をのんだ。

「……あちゃー。なんで時間が経つの忘れるかな。」

気づけば、もう19時を回っていた。

その時、スマホが震える。律さんからのメッセージだった。

《あれ?今日って残業?》

――まずい。
律さんの方が先に帰ってる。
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