その廊下の角を曲がったら

日下奈緒

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闇④

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あの日の美奈子が、”そこ”にいるのだ。

「美奈子……」

進はガタガタ震えだした。

― 傘持っていかなかったから……濡れちゃった ―

「え?」

― お父さんも、傘持っていかなかったの? ―

進はその問いに、答えられなかった。

そして次の瞬間、美奈子と目が合った。

― 寂しい……お父さん、私寂しいの…… ―

「やめろ……美奈子……」

美奈子はだんだん、自分に近づいてくる。

― お父さんなら、一緒に来てくれるよね ―

「うるさい!来るな!なんで俺がおまえなんかと!」

美奈子を払いのけるように、手を大きく振った時だ。

美奈子に腕をつかまれた。

「お父さん。私の事、自分のものにしたかったんだよね。」

美奈子はそう言って睨みながら、微笑みを浮かべた。

「ひぃっ!」

その瞬間、進は闇の中へと消えて行った。


そんな事を知らない美代は、職場にで仕事をしていた。

「高月さん、そろそろ上がっていいよ。」

「はい。」

社員にそう言われ、美代はロッカーへ行き、荷物を取った。

「高月さん、今日は真っ直ぐ帰るの?」

職場の同僚が、話しかけてきた。

「そういえば美奈子ちゃん、元気?」

そう言った同僚に、他の同僚が言った。

「ちょっと。美奈子ちゃん、亡くなったのよ。」

「え!?」

同僚は驚いた顔をした。

「ごめんなさい。私、知らなくて。」

美代は同僚に、笑顔で答えた。

「ううん。私も、あまり人に言ってなかったから。」

「そう……」

「じゃあ、お先します。」

「お疲れ様です、高月さん。」

美代はにっこり笑うと、職場を後にした。


「買い物して行こうかしら。」

美代は家の近くのスーパーに立ち寄った。

「今日は……何を食べようかな。」

ふと美代の目に、ソーセージが飛び込んできた。

「ふふっ。美奈子、これが好きなのよね。」

そう言ってソーセージを手に取った美代は、ハッとしてそれを置いた。


そうだ。

もう、この世に美奈子はいなんだ。

美代はしばらく、その場に立ち尽くすと、逃げるようにその場を去った。

「ふう~。」

美代は息を吐くと、自宅の玄関の扉を開けた。

「ただいま~。」

家の中から返事はない。

「進さん?」

美代は首を傾げながら、家の中に入った。

確か今日は仕事が休みで、家にいると言ったのに。

「遊びにでも言ったのかしら。」

美代は廊下から、キッチンに入った。

帰りに買ってきた物を、冷蔵庫に入れた。

「こんな時間まで、どこに行ってるのかしらね。」

美代がふと茶の間を見ると、進のタバコが置いてあった。

「あら、帰ってきてるのかしら。」

美代は茶の間にある、進のタバコを手に取った。

それはあたかも、今ここで吸い始めようとしていたようだ。

「進さん?」

美代はあたりを見回した。


そしてふと、茶の間の壁に、黒いシミを見つけた。

「こんなところに……」

美代はタバコをテーブルの上に置くと、壁の前に座った。

「嫌ね。いつ付いたのかしら。」

手を伸ばした美代は、そのシミを触って鳥肌が立った。

「進……さん?」

そう。

その黒いシミの奥には、目を大きく開けている進の姿があった。

「ひっ!!」

美代は後ろに倒れた。

その時に、床についた手が濡れた。

「え?」

何かこぼしたわけでもないのに?

美代が自分の手を見ると、その手の向こうに、美奈子が立っていた。

「美……奈子……」

― お母さん… ―


美代はそれが夢でも、幻でもよかった。

そう、例えそれが幽霊でも。

「美奈子!」

美代は美奈子を抱きしめた。


冷たい。

冷たいが、美奈子を自分の腕に抱いている。

「ごめんよ、美奈子。おまえに、つらい思いをさせて。」

美代は美奈子の顔を見た。

「後で、あの人に聞いたよ。ごめんね、ごめんね、美奈子。」

美奈子の表情は、変わらなかった。

「美奈子?」

― お母さん。私、寂しいの…… ―

「寂しい?」

― お母さんも一緒にきて ―

美代はその時なぜ、進があの黒いシミの中にいるのか、分かった。



「美奈子、おまえ……」

― ねえ、いいでしょう ―

美代は美奈子を離すと、後ずさりした。

「やめなさい!美奈子!」

美奈子はゆっくりと、母親に近づいた。


「お母さん、ずっと一緒だって言ってくれたよね。」

耳元で美奈子の声が聞こえた。

「きゃあっ!!」

美代は両耳を押さえた。

そして足から闇が、自分の身体を包んでいく。


「美奈子……やめて……」

身体はもう闇に消え、自分の顔も飲み込みそうだ。

「美奈子!」

そう叫んだ時、自分の手を取る人がいた。

目を開けると、それは美奈子だった。

「お母さん、ずっと一緒だよ。」

その瞬間、美代は闇にのまれた。
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