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第3部 戸惑いと、意識の始まり
⑥
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胸の奥がざわめく。
私はすぐに踵を返してトイレを出た。戻ってくると、上林さんがこちらを見た。
「どうだった?部長と会えた?」
私は微笑んで見せる。
「ええ、どうやら……女の子と楽しんでいるみたいです。」
笑っているのに、笑ってなんていない。喉の奥が締めつけられて、うまく呼吸ができない。
「あら、さすが桐生部長。」
上林さんがからかうように笑う。
「予想通りですか。」
私が苦笑気味に返すと、上林さんはグラスを持ち上げながら言った。
「そうね。あのぐったりした感じ、どう見ても――って思ったら、あ、帰って来た。」
視線の先には、少し乱れたネクタイを直しながら席に戻ってくる桐生部長の姿。
その姿に、空気が一瞬ぴりっと引き締まった。
「桐生部長、さすがですね。」
上林さんが笑みを浮かべて言うと、部長は不意に顔を上げ、私を真っ直ぐに見た。
「聞きましたよ、篠原さんから。女の子とよろしくやってたって。」
その瞬間、部長の表情が変わった。
冗談が通じるタイプの人だと思っていたのに、ほんの一瞬でその表情は硬くなる。
「……あ、いや、それは違うんだ。」
その口調は、まるで必死に何かを弁解しようとするようで。
「何がですか?」
私は静かに聞き返した。
聞きたかったのは、ただの言い訳じゃない。――本音だった。
部長はしばらく黙って、それから低い声で言った。
「瑞樹ちゃんには……確かに誘われた。けど、俺は手を出していない。」
「けど、俺は手を出していない。」
桐生部長のその言葉に、胸がずきりと痛んだ。
でも、あのとき聞こえた甘い吐息――忘れられない。
「上林さん。」
他のテーブルから声がかかり、彼女は軽く手を振って席を離れた。
そしてテーブルには、私と桐生部長、二人きり。
「信じてくれ。やってない。」
「……じゃあ、何をしてたんですか?」
少し間があって、部長は目を伏せた。
「……俺の甘さが出た。拒むべきだったのに、曖昧にしてしまった。結果的に、彼女に誤解させた。」
「どうして……許したんですか。」
思わず、問いかけてしまう。
「お願いだ、信じてくれ。」
桐生部長の声が、どこか哀願するように響いた。でも――私は信じることができなかった。
逃げるように席を立ち、再びトイレに向かうと、廊下で瑞樹ちゃんと礼ちゃんの話し声が聞こえた。
「どうだった?」
「もう、トイレでしちゃった。」
軽い声だった。悪びれた様子もない。
「我慢しないでって言ったら、もう大きくなっちゃって。」
「それで?」
「終わりまでしちゃったもんね。」
私はすぐに踵を返してトイレを出た。戻ってくると、上林さんがこちらを見た。
「どうだった?部長と会えた?」
私は微笑んで見せる。
「ええ、どうやら……女の子と楽しんでいるみたいです。」
笑っているのに、笑ってなんていない。喉の奥が締めつけられて、うまく呼吸ができない。
「あら、さすが桐生部長。」
上林さんがからかうように笑う。
「予想通りですか。」
私が苦笑気味に返すと、上林さんはグラスを持ち上げながら言った。
「そうね。あのぐったりした感じ、どう見ても――って思ったら、あ、帰って来た。」
視線の先には、少し乱れたネクタイを直しながら席に戻ってくる桐生部長の姿。
その姿に、空気が一瞬ぴりっと引き締まった。
「桐生部長、さすがですね。」
上林さんが笑みを浮かべて言うと、部長は不意に顔を上げ、私を真っ直ぐに見た。
「聞きましたよ、篠原さんから。女の子とよろしくやってたって。」
その瞬間、部長の表情が変わった。
冗談が通じるタイプの人だと思っていたのに、ほんの一瞬でその表情は硬くなる。
「……あ、いや、それは違うんだ。」
その口調は、まるで必死に何かを弁解しようとするようで。
「何がですか?」
私は静かに聞き返した。
聞きたかったのは、ただの言い訳じゃない。――本音だった。
部長はしばらく黙って、それから低い声で言った。
「瑞樹ちゃんには……確かに誘われた。けど、俺は手を出していない。」
「けど、俺は手を出していない。」
桐生部長のその言葉に、胸がずきりと痛んだ。
でも、あのとき聞こえた甘い吐息――忘れられない。
「上林さん。」
他のテーブルから声がかかり、彼女は軽く手を振って席を離れた。
そしてテーブルには、私と桐生部長、二人きり。
「信じてくれ。やってない。」
「……じゃあ、何をしてたんですか?」
少し間があって、部長は目を伏せた。
「……俺の甘さが出た。拒むべきだったのに、曖昧にしてしまった。結果的に、彼女に誤解させた。」
「どうして……許したんですか。」
思わず、問いかけてしまう。
「お願いだ、信じてくれ。」
桐生部長の声が、どこか哀願するように響いた。でも――私は信じることができなかった。
逃げるように席を立ち、再びトイレに向かうと、廊下で瑞樹ちゃんと礼ちゃんの話し声が聞こえた。
「どうだった?」
「もう、トイレでしちゃった。」
軽い声だった。悪びれた様子もない。
「我慢しないでって言ったら、もう大きくなっちゃって。」
「それで?」
「終わりまでしちゃったもんね。」
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