欲望のシーツに沈む夜~50のベッドの記憶~

日下奈緒

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1、雨宿りの夜、シャツの奥に咲いた熱

雨宿りと微笑み

会社の帰り道、ぽつぽつと頬に雨粒が落ちたかと思えば、数秒後には激しい雨音が頭上を叩いた。

「……やだなぁ」

思わず漏らした私の声は、雨音にかき消される。

駅まであと数分というところで、まさかの本降り。

今朝は晴れていたのに、傘を持ってきていなかった。

鞄の中に入れていたはずの折り畳み傘も、昨日使ったまま出しっぱなしだったことを思い出して、私は小さく舌打ちした。

慌てて近くのコンビニに駆け込むと、案の定、傘売り場には「売り切れ」の文字。

仕方なく、駅前のロータリー横にある小さな屋根の下で、ひとり肩をすぼめることにした。

シャツの肩が雨に濡れてじっとりと重い。

気温も下がってきたのか、冷たい風が濡れた肌を撫でて、ぞくりと背筋を走る。

雨宿りをしている人はほとんどおらず、私の立つ小さなスペースは、まるでぽつんと孤立した浮島のようだった。

駅前はネオンに濡れ、車のライトが水たまりに反射して不規則に揺れる。

こんな日は、なんとなく寂しい。

濡れたシャツが肌に張り付き、不快感と心細さがじわじわと広がっていく。

そんな時だった。

「……ここ、少し、いいですか?」

低く穏やかな声が耳に届いた。

振り返ると、背の高いスーツ姿の男性が、申し訳なさそうに立っていた。

額に貼りついた濡れた前髪と、シャツの襟元から覗く鎖骨。

優しげな目元と、落ち着いた口調。

「あ、はい……どうぞ。」

私は少し身を引き、彼にスペースを譲った。

彼は軽く頭を下げて、私の隣に立つ。

すると、わずかに漂ってきたシトラス系の香りが、濡れた空気に混ざって鼻先をくすぐった。

「夕立、ひどいですね。」

そう言って彼が小さく笑う。私もつられて、頷いた。

「天気予報、完全に外れてましたよね……」

返す声がかすかに震えていたのは、寒さのせいだけじゃない。

隣に立つ男性が、妙に近く感じられて、胸が少し高鳴っていた。

ふと、視線が彼の胸元に向かってしまう。

濡れたシャツが肌に張り付き、うっすらと肌の色が透けて見えた。

輪郭が浮かぶ胸筋、淡く筋の通った腕の線。

「……すみません、見苦しくて。」

彼は私の視線に気づいたように、ふっと微笑んだ。

「い、いえっ……!」

慌てて首を振ると、彼は笑いを含んだ目で、何も言わずに前を向いた。

沈黙。だが不思議と気まずくはなかった。

ふたりだけがぽつんと浮かぶように、雨音の中に包まれていた。

彼の隣は、思っていたより暖かくて――私は、もう少しだけこの雨が止まないでいてくれたらと、思ってしまった。

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