欲望のシーツに沈む夜~50のベッドの記憶~

日下奈緒

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2、ホテルの鍵を開けたのは、彼の指

残業、ふたりきりの夜

残業は、好きじゃない。
仕事とプライベートは、きっちり分けたいタイプ。

時間内に終わらせて、さっさと家に帰って好きな紅茶を淹れて、ドラマを見るのが日課だ。

でも――今日に限って、それは叶わなかった。

「ごめんな、西原。他に残業できる人がいなくて」

私を引き留めたのは、他でもない一ノ瀬課長だった。

「大丈夫ですよ。早く終わらせちゃいましょう」

そう笑って答えたけど、内心はちょっとだけ複雑だ。

なにせ今日の残業内容は、“資料100部のコピー”。

深夜ルートまっしぐら案件だった。

だけど私は、課長に頼まれたことが嬉しかった。

一ノ瀬課長。冷静で的確で、部下に無駄口を叩かない人。

だけど、時折ふっと見せる優しい目元や、真剣に考えごとをしている時の指先の動き――。

そういう全部が、私にとっては“憧れ”だった。

仕事ができる人になりたい。課長みたいに。

そう思い続けて、気づけば入社して5年が経っていた。

コピー機のリズムに合わせて、私は次々に刷り上がる資料を受け取り、手際よくページを揃えていく。

その隣で、一ノ瀬課長が無言でホチキスを打ち続ける。

何も言わなくても呼吸が合って、私たちの連携はまるでチームのようだった。

「はい、次の束、お願いします。」

「……了解。」

課長の声はいつも通り低くて落ち着いていて、それだけで少し安心する。

資料の山が少しずつ積み上がっていく様子に、妙な達成感を覚えながらも、ふと課長がぼそりと呟いた。

「あーあ。なんで明日までの資料、誰もやってないんだよ……」

呆れたように顔をしかめる課長の横顔を見て、私は思わず口を開いた。

「すみません。私も、誰かがやると思ってました」

「それが“残業の元”なんだよな」

課長は少し不機嫌そうに言ったけれど、その声にとげはなかった。

不思議なことに、こういう時でも彼は決して人を責めたりしない。

不満を口にしながらも、自分が率先して動くタイプ。

部下のミスも、結局は自分の責任として受け止めてしまう。

それが、私にとっての“課長らしさ”だった。

無口で、ぶっきらぼうで、でも不器用なほど優しい人。

そんなところが――私は、好きだった。

無意識に見上げたその横顔が、いつもより少し近くに見えて、

私は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。

「すみません、トナー替えますね」

そう言って私がコピー機のカバーを開けようとした瞬間、「俺がやるよ。」と課長の声が重なった。

ふたり同時に手を伸ばし、指先が触れた。

一瞬のことだったのに、肌が電気を帯びたみたいにじん、と熱くなる。

「……あ。」

課長もわずかに息を呑む気配がして、私たちは同時に手を引っ込めた。

沈黙が落ちる。でも、空気は静かにざわめいていた。

視線がぶつかるたび、胸が高鳴る。

ほんの一瞬。けれど、確かに“意識してしまった”――そんな空気が、そこにあった。

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