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第1章 出会いは、ほんの一瞬の勇気から
⑥
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「ああ、そうだ」
ふいに彼が、スーツの内ポケットに手を入れた。
取り出したのは、黒革のスマートな財布。
中から名刺入れを取り出して、静かに一枚のカードを抜く。
「俺の名前は――一ノ瀬玲央です。ひよりさん」
名刺を差し出すその手が、かすかに震えているように見えた。
いつも堂々としていた彼にしては、少し珍しい仕草だった。
「……はい」
両手で丁寧に受け取ると、そこには見覚えのある社名が刻まれていた。
テレビのCMでよく耳にする、全国展開している大手企業のロゴ。
「有名な会社にお勤めなんですね」
思わずそう言うと、玲央は小さく笑った。
「今、ちょうどCM打ってるからね。一度は聞いたことあるんじゃないかな」
柔らかな口調だったけれど、どこか遠くを見るような表情にも見えた。
――そうか。
こんな大きな会社に勤めている人なら、確かにスキャンダルなんて致命的だ。
昨日の“示談”の話が、ふと頭をよぎった。
きっとあれは、保身というよりも責任と配慮だったんだろう。
それでも。
少しだけ、胸の奥がちくりと痛んだ。
ふと名刺に視線を落としたとき、名前の上に小さく印字された肩書に気づいた。
――取締役副社長。
息を呑んだ。
この人、ただの社員どころか、会社の中枢にいる人なんだ。
CMで聞いたことのある企業。そのトップに立つ人が、今、私の目の前にいる。
「昨日のお話なんですが……」
私は、ほんの少し迷いながら口を開いた。
「……ああ」
彼もすぐに表情を引き締め、こちらを見つめ返す。
「特に私からは、何も要求しません」
その言葉に、一ノ瀬さんは静かに、そして深く頭を下げた。
「……恩に着る」
短いその言葉に、重さと誠実さが詰まっていた。
「それに、入院費だって……」
言いかけた私に、彼はそっと手を伸ばしてきた。
優しく、でもしっかりと、私の手を包み込む。
「それは払わせてくれ」
あたたかな声。けれど、揺るがない意志がそこにあった。
「君は、俺を助けなければ、発生するはずのなかったお金を払おうとしてる。本来なら――轢かれるはずだったのは、俺なんだ」
その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられた。
私がしたことを、彼は真正面から受け止めてくれている。
この人は、思っていたよりずっと、真っ直ぐな人だ。
「そんなこと……言わないでください」
言葉が、喉の奥からこぼれた。
なぜだか、自分でも理由がわからないのに、胸がきゅうっと痛くなった。
「あなたが轢かれるはずだったなんて……そんなふうに、自分を軽んじないで」
目の奥が熱くなる。
滲んだ視界の中で、彼の輪郭がぼやけていく。
「少なくとも……私なんかより、あなたの方が――」
その瞬間だった。
言葉の続きを、彼の腕が遮った。
気づけば私は、玲央さんの胸に抱きしめられていた。
ふいに彼が、スーツの内ポケットに手を入れた。
取り出したのは、黒革のスマートな財布。
中から名刺入れを取り出して、静かに一枚のカードを抜く。
「俺の名前は――一ノ瀬玲央です。ひよりさん」
名刺を差し出すその手が、かすかに震えているように見えた。
いつも堂々としていた彼にしては、少し珍しい仕草だった。
「……はい」
両手で丁寧に受け取ると、そこには見覚えのある社名が刻まれていた。
テレビのCMでよく耳にする、全国展開している大手企業のロゴ。
「有名な会社にお勤めなんですね」
思わずそう言うと、玲央は小さく笑った。
「今、ちょうどCM打ってるからね。一度は聞いたことあるんじゃないかな」
柔らかな口調だったけれど、どこか遠くを見るような表情にも見えた。
――そうか。
こんな大きな会社に勤めている人なら、確かにスキャンダルなんて致命的だ。
昨日の“示談”の話が、ふと頭をよぎった。
きっとあれは、保身というよりも責任と配慮だったんだろう。
それでも。
少しだけ、胸の奥がちくりと痛んだ。
ふと名刺に視線を落としたとき、名前の上に小さく印字された肩書に気づいた。
――取締役副社長。
息を呑んだ。
この人、ただの社員どころか、会社の中枢にいる人なんだ。
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「昨日のお話なんですが……」
私は、ほんの少し迷いながら口を開いた。
「……ああ」
彼もすぐに表情を引き締め、こちらを見つめ返す。
「特に私からは、何も要求しません」
その言葉に、一ノ瀬さんは静かに、そして深く頭を下げた。
「……恩に着る」
短いその言葉に、重さと誠実さが詰まっていた。
「それに、入院費だって……」
言いかけた私に、彼はそっと手を伸ばしてきた。
優しく、でもしっかりと、私の手を包み込む。
「それは払わせてくれ」
あたたかな声。けれど、揺るがない意志がそこにあった。
「君は、俺を助けなければ、発生するはずのなかったお金を払おうとしてる。本来なら――轢かれるはずだったのは、俺なんだ」
その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられた。
私がしたことを、彼は真正面から受け止めてくれている。
この人は、思っていたよりずっと、真っ直ぐな人だ。
「そんなこと……言わないでください」
言葉が、喉の奥からこぼれた。
なぜだか、自分でも理由がわからないのに、胸がきゅうっと痛くなった。
「あなたが轢かれるはずだったなんて……そんなふうに、自分を軽んじないで」
目の奥が熱くなる。
滲んだ視界の中で、彼の輪郭がぼやけていく。
「少なくとも……私なんかより、あなたの方が――」
その瞬間だった。
言葉の続きを、彼の腕が遮った。
気づけば私は、玲央さんの胸に抱きしめられていた。
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