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高速道路
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翌朝、トウジは恐る恐る起きて、隣を確認する。そこにはトウジの服に身を包み、健やかな寝息を立てている紺野がいた。
(手は出してないから、セーフ…だよな?)
自身に言い聞かせながら、そっと布団から脱出する。朝の支度を終えたところで、再び紺野を確認する。
「紺野せんぱーい、おはようございます。」
トウジが小声で挨拶すると、紺野は飛び起きた。
「紺野先輩?」
「あー、うん。おはよう。」
紺野はトウジから、顔を逸らす。
「あの…」
「昨日の事は何も覚えていない!」
紺野はそっぽを向いたまま、顔を真っ赤にして宣言する。絶対に覚えてる。
「まあ、飲み会なんてそんなもんですよ…。それより、お体は大丈夫ですか?」
紺野はキョトンとした顔でトウジを見る。
「ほら、この狭い煎餅布団ですから、身体痛くなってないかなって思いまして。」
「あ、いや、大丈夫。」
「そうですか。なら良いです。」
トウジは冷蔵庫を開けて、朝食を作り始める。
「簡単な物しか出せませんが、いいですか?」
「……お前、昨日のオレの失態を見てたのに引かないの?」
紺野は布団をぎゅっと握り締めて、トウジに問い掛ける。
「意外とかわいい所あるなぁくらいで、いつもとあまり変わりませんよ。投げられた時は痛かったですが…」
「それは…すまない。」
「まあ、自分としてはそれだけ信頼されてて、嬉しいですよ。はい、出来ましたよ。」
トウジは食パンに目玉焼きを乗せたトーストを、テーブルに置く。
「こんな先輩ですまない。」
トウジは床に座り、トーストを齧る。
「いいじゃないですか。ギャップ萌えってやつですよ。紺野先輩も食べてください。」
「…いただきます。」
紺野もテーブル前に座ると、トーストを齧った。
「メシ、上手いんだな。」
「そうでしょう?自信作です!」
食事を終えると、紺野は帰り支度をしていた。
「…橙。またこのズボン借りていい?」
「良いですよ。いっそ、そのTシャツもお貸ししますよ。」
「…ありがとう。洗って返すわ。」
紺野は昨日着ていた服を丁寧にビニール袋に入れる。
「そういえば、紺野先輩。下着の替えって持ってるんですか?」
トウジは食器を洗いながら、問い掛ける。
「いつも持ち歩いてる。」
「そうですか、ずっと気になってたんですよ。」
「それ気にしてたんだ…。」
アパートから出ると、そろそろ街が賑やかになりそうな時間だった。
「じぁあね、橙。また月曜日。」
「はい!また会社で!」
トウジが大きく手を振ると、紺野は小さく手を振ってアパートを後にした。
土日を怠惰に過ごすと、すぐに月曜日になる。トウジは変わらぬ様子で出社する。
「紺野先輩、おはようございます!」
「ああ、おはよう。」
トウジよりも先に紺野が会社に着いていた。
「朝から元気だなぁ、橙は。」
「丈夫な身体がウリなので。」
紺野は「へぇ」とほほえみながら、小さく返した。
「今日はどんな予定で進めます?午後に山中店行きますが、用意するものあります?」
「昼休み前に出ないと、アポの時間に間に合わないな…。メシを食べながら行くか。」
トウジは紺野のパソコン画面を指差しながら、仕事の方針を確認し合う。紺野が席を立つと、後ろのデスクの同期が話し掛ける。
「飲み会の後、どうなった?」
「どう…って。俺の家に来て…服を貸して帰った…かな?」
「はい?お持ち帰りってことか?まあ、紺野さんならオレもイケるかもしれないけどさぁ。先輩よ?同僚よ?」
「いや、酔っ払いには手は出さない。誓っていい。」
「律儀だな。なんか急に紺野さんデレてるから、てっきり。」
「お前と一緒にするなよ。オレはそんなに軽い男じゃないの。」
不満げな同期を追い払うと、仕事に戻った。
トウジは紺野と共に昼食を食べながら高速道路を走っていた。コンビニで買ってきたサンドイッチを頬張る。
「紺野先輩って休みの日何してるんですか?」
トウジがハンドルを握りながら、問い掛ける。紺野はペットボトルの飲み物に口を付けながら、窓の外を見ていた。
「休みの日?うーん…だいたい家の掃除してる…かな?」
「へぇ。掃除、楽しいですか?」
「汚くなる事に耐えられないだけだけど、まあ、スッキリするし楽しいかな?橙は?」
「自分は…時間掛けて料理作って、筋トレして…。時々、友達に誘われてフットサルとか行ったりしてますね。」
「充実してんじゃん。」
インターチェンジでハンドルを切る。この辺りから目的地まで山道を走る。
「紺野先輩の休日は、彼女とデートしてるとか思ってましたよ。なんかモテそうですし。いないんですか?彼女。」
「ん…いない。橙は?お前こそ、その友人とかと合コン行ってそうだけど。」
「いないんですよねぇ、これが。合コン行っても、自分だけカップル成立しないんですよねぇ。不思議です。」
「いや、わからんでもない。」
「え?」
山道を抜けると、『郊外の街』のような場所に出る。目的の店舗はそこにある。店に着くと、紺野は事務所のインターフォンを押す。
「こんにちは。ヘキセイの紺野です。営業担当の方はいらっしゃいますか?」
中からは、至って普通の従業員が出てきて、事務所に通される。それからは和やかに商談が進み、新商品を少し置いてもらえる事になった。
営業車に戻ると、トウジは嬉しそうに紺野に話し掛ける。
「やりましたね!一歩前進です!」
「海辺店の分を取り戻せたってとこだね。」
「う…はい。もっと頑張ります…。」
「これから地味にやっていこうよ。オレと橙でさ。」
「はい!」
トウジが元気良く返事すると、紺野はトウジに優しく笑い掛けた。
会社に戻るために、再び高速道路を走る。トウジ達の車は渋滞の真ん中にいた。
「ありゃー、事故あったみたいですね。レッカー来るまで動かなさそうですね。」
料金所の手前にパトカーらしき車が見える。どんな事故かはわからないが、全く車が進まない。
「こんな中途半端な所で…」
料金所の屋根が見えるのに、全く進まない。トウジがふと、助手席に目をやると、料金所を睨み付けてる紺野がいた。
「紺野先輩、車から降ります?」
「まだ、大丈夫。」
そう言いつつも、紺野はふーっと聞こえるくらい大きく息を吐いていた。まだまだ車は動かなさそうだ。
「身体に悪いと思いますよ?」
「そういう問題じゃない!人前で出せる訳ないだろ、バカっ!」
トウジに暴言を吐くが、熱い吐息に潤んだ瞳で睨まれても、必死で可愛いとしか思えない。
「じゃ、どこなら良いんです?まだまだ進みませんよ。」
「ん、ああ。はぁ…ふぅ…はぁ…」
紺野はトウジの言葉など耳に入っていないようだった。肩で息をしてる上に懸命に下腹部を押さえている。膝を合わせてはゆっくりと上下に動かす。
「くるまは…ダメ。絶対にダメ。」
紺野の呼吸は浅く、下腹部を押さえる腕もだんだんと伸びてくる。背筋を曲げたり伸ばしたり。オフィスでピシッと座っている紺野からは想像も出来ないくらい、狭い座席で身悶えている。小さく喘ぐ姿は見ている方に罪悪感を覚えさせる。
「あ、今思い出したんですけど、人間の膀胱の容量って500ミリリットルくらいらしいですよ。」
「だから?」
紺野は俯いたまま、苛立ちをトウジにぶつける。
「はい、どうぞ。」
トウジはペットボトルを飲み干して差し出す。紺野の表情が固まる。
「これに?」
「500ですし、いけるかなーって。」
紺野は苦虫を噛み潰したような表情でペットボトルを受け取る。
「…こっち向くなよ?」
トウジは言われた通り、前の車のナンバープレートに視線を集中させる。
「んっ…はぁ…ふぅ…」
ペットボトルの蓋を開ける音の後にジッパーを下ろす音。見てはいけないと思うと、より聴覚に集中してしまう。
「あっ、これ…まだ…あっ」
ビジョっとマットに水が零れる音がしてから、プラスチックに水が溜まっていく音が聞こえる。
「はぁ…はぁ…はぁ…んんっ…」
ジョボジョボと蛇口の水をペットボトルに注いだときのような、そんな音がする。その蛇口があの紺野というだけで、トウジまで恥ずかしくなってくる。
「んっ…はぁ…え、ああ、とま…どうしよ…」
ペットボトルの反響音が小さくなると、紺野の困惑した声が聞こえる。トウジはハンドルに顔を埋めて、ビニール袋を差し出す。ビニール袋がトウジの手から離れると、ガサガサと音がして、水の音がより車内に反響する。
「んっ…はぁ…。はぁ…はぁ…。」
水の音が止まると、紺野の浅い呼吸音がしっかりと聞こえる。固まっているのか、後始末の音が聞こえない。
「大丈夫ですか?」
トウジはハンドルに額を押し付けたまま、紺野に目をやる。真っ赤な頬に今にも零れそうなくらい涙を溜めた瞳。仕事中でなければ、抱き締めていたかもしれない。
「大丈夫…」
小声で呟くと、ペットボトルに蓋をして、ビニール袋の口を縛っていた。紺野は俯いたまま、少し震えていた。
「今回は間に合って良かったじゃないですか。」
「…屈辱だ…」
「じゃ、ペア替えてもらいますか?自分はこのままがいいですけど…。」
「…まだ橙でよかった。」
ようやく渋滞の列が動き出す。熱のある沈黙と独特の匂いの中、会社に戻った。
会社に着くと、トウジは営業車のドアを全開にした。
「やっぱりちょっと匂いますね。マット洗った方が良いのかな?」
紺野が降りた後の助手席のマットを取り出す。
「オレ、洗うから…」
紺野の制止を気にも止めず、ビルの横の水道までマットを運ぶ。
「あ、先輩。ペットボトルとビニールも一緒に洗いますよ。」
「せめて自分でやらせてくれ…」
紺野は生暖かい液体を持ったまま、文字通り頭を抱えていた。
処理が終わる頃に、同じグループのメンバーが駐車場にやってきた。
「あ、お疲れ様。なかなか帰ってこないから心配してたよ。」
同僚が紺野とトウジに会釈をする。
「お疲れ様です。いや、高速で渋滞に巻き込まれて…」
「災難だったな。紺野はどうした?なんかあったのか?」
「いえ。何も…」
紺野は話し掛けてきたメンバーから目を逸らして、返事をする。
「前の事もあるし、ホントになんかあったら言えよ?」
ベテランのメンバーから紺野は励まされた。
「前の事?何ですかそれ。」
トウジが聞き返すと、紺野に制止される。
「そうことだそうだ。じゃ、俺は先に帰る。お疲れ様。」
その背中を見送ると、トウジは紺野に問い掛ける。
「前の事ってなんですか?」
「また、機会があったら話す。」
そう言って、紺野はビルの中に入っていった。
(手は出してないから、セーフ…だよな?)
自身に言い聞かせながら、そっと布団から脱出する。朝の支度を終えたところで、再び紺野を確認する。
「紺野せんぱーい、おはようございます。」
トウジが小声で挨拶すると、紺野は飛び起きた。
「紺野先輩?」
「あー、うん。おはよう。」
紺野はトウジから、顔を逸らす。
「あの…」
「昨日の事は何も覚えていない!」
紺野はそっぽを向いたまま、顔を真っ赤にして宣言する。絶対に覚えてる。
「まあ、飲み会なんてそんなもんですよ…。それより、お体は大丈夫ですか?」
紺野はキョトンとした顔でトウジを見る。
「ほら、この狭い煎餅布団ですから、身体痛くなってないかなって思いまして。」
「あ、いや、大丈夫。」
「そうですか。なら良いです。」
トウジは冷蔵庫を開けて、朝食を作り始める。
「簡単な物しか出せませんが、いいですか?」
「……お前、昨日のオレの失態を見てたのに引かないの?」
紺野は布団をぎゅっと握り締めて、トウジに問い掛ける。
「意外とかわいい所あるなぁくらいで、いつもとあまり変わりませんよ。投げられた時は痛かったですが…」
「それは…すまない。」
「まあ、自分としてはそれだけ信頼されてて、嬉しいですよ。はい、出来ましたよ。」
トウジは食パンに目玉焼きを乗せたトーストを、テーブルに置く。
「こんな先輩ですまない。」
トウジは床に座り、トーストを齧る。
「いいじゃないですか。ギャップ萌えってやつですよ。紺野先輩も食べてください。」
「…いただきます。」
紺野もテーブル前に座ると、トーストを齧った。
「メシ、上手いんだな。」
「そうでしょう?自信作です!」
食事を終えると、紺野は帰り支度をしていた。
「…橙。またこのズボン借りていい?」
「良いですよ。いっそ、そのTシャツもお貸ししますよ。」
「…ありがとう。洗って返すわ。」
紺野は昨日着ていた服を丁寧にビニール袋に入れる。
「そういえば、紺野先輩。下着の替えって持ってるんですか?」
トウジは食器を洗いながら、問い掛ける。
「いつも持ち歩いてる。」
「そうですか、ずっと気になってたんですよ。」
「それ気にしてたんだ…。」
アパートから出ると、そろそろ街が賑やかになりそうな時間だった。
「じぁあね、橙。また月曜日。」
「はい!また会社で!」
トウジが大きく手を振ると、紺野は小さく手を振ってアパートを後にした。
土日を怠惰に過ごすと、すぐに月曜日になる。トウジは変わらぬ様子で出社する。
「紺野先輩、おはようございます!」
「ああ、おはよう。」
トウジよりも先に紺野が会社に着いていた。
「朝から元気だなぁ、橙は。」
「丈夫な身体がウリなので。」
紺野は「へぇ」とほほえみながら、小さく返した。
「今日はどんな予定で進めます?午後に山中店行きますが、用意するものあります?」
「昼休み前に出ないと、アポの時間に間に合わないな…。メシを食べながら行くか。」
トウジは紺野のパソコン画面を指差しながら、仕事の方針を確認し合う。紺野が席を立つと、後ろのデスクの同期が話し掛ける。
「飲み会の後、どうなった?」
「どう…って。俺の家に来て…服を貸して帰った…かな?」
「はい?お持ち帰りってことか?まあ、紺野さんならオレもイケるかもしれないけどさぁ。先輩よ?同僚よ?」
「いや、酔っ払いには手は出さない。誓っていい。」
「律儀だな。なんか急に紺野さんデレてるから、てっきり。」
「お前と一緒にするなよ。オレはそんなに軽い男じゃないの。」
不満げな同期を追い払うと、仕事に戻った。
トウジは紺野と共に昼食を食べながら高速道路を走っていた。コンビニで買ってきたサンドイッチを頬張る。
「紺野先輩って休みの日何してるんですか?」
トウジがハンドルを握りながら、問い掛ける。紺野はペットボトルの飲み物に口を付けながら、窓の外を見ていた。
「休みの日?うーん…だいたい家の掃除してる…かな?」
「へぇ。掃除、楽しいですか?」
「汚くなる事に耐えられないだけだけど、まあ、スッキリするし楽しいかな?橙は?」
「自分は…時間掛けて料理作って、筋トレして…。時々、友達に誘われてフットサルとか行ったりしてますね。」
「充実してんじゃん。」
インターチェンジでハンドルを切る。この辺りから目的地まで山道を走る。
「紺野先輩の休日は、彼女とデートしてるとか思ってましたよ。なんかモテそうですし。いないんですか?彼女。」
「ん…いない。橙は?お前こそ、その友人とかと合コン行ってそうだけど。」
「いないんですよねぇ、これが。合コン行っても、自分だけカップル成立しないんですよねぇ。不思議です。」
「いや、わからんでもない。」
「え?」
山道を抜けると、『郊外の街』のような場所に出る。目的の店舗はそこにある。店に着くと、紺野は事務所のインターフォンを押す。
「こんにちは。ヘキセイの紺野です。営業担当の方はいらっしゃいますか?」
中からは、至って普通の従業員が出てきて、事務所に通される。それからは和やかに商談が進み、新商品を少し置いてもらえる事になった。
営業車に戻ると、トウジは嬉しそうに紺野に話し掛ける。
「やりましたね!一歩前進です!」
「海辺店の分を取り戻せたってとこだね。」
「う…はい。もっと頑張ります…。」
「これから地味にやっていこうよ。オレと橙でさ。」
「はい!」
トウジが元気良く返事すると、紺野はトウジに優しく笑い掛けた。
会社に戻るために、再び高速道路を走る。トウジ達の車は渋滞の真ん中にいた。
「ありゃー、事故あったみたいですね。レッカー来るまで動かなさそうですね。」
料金所の手前にパトカーらしき車が見える。どんな事故かはわからないが、全く車が進まない。
「こんな中途半端な所で…」
料金所の屋根が見えるのに、全く進まない。トウジがふと、助手席に目をやると、料金所を睨み付けてる紺野がいた。
「紺野先輩、車から降ります?」
「まだ、大丈夫。」
そう言いつつも、紺野はふーっと聞こえるくらい大きく息を吐いていた。まだまだ車は動かなさそうだ。
「身体に悪いと思いますよ?」
「そういう問題じゃない!人前で出せる訳ないだろ、バカっ!」
トウジに暴言を吐くが、熱い吐息に潤んだ瞳で睨まれても、必死で可愛いとしか思えない。
「じゃ、どこなら良いんです?まだまだ進みませんよ。」
「ん、ああ。はぁ…ふぅ…はぁ…」
紺野はトウジの言葉など耳に入っていないようだった。肩で息をしてる上に懸命に下腹部を押さえている。膝を合わせてはゆっくりと上下に動かす。
「くるまは…ダメ。絶対にダメ。」
紺野の呼吸は浅く、下腹部を押さえる腕もだんだんと伸びてくる。背筋を曲げたり伸ばしたり。オフィスでピシッと座っている紺野からは想像も出来ないくらい、狭い座席で身悶えている。小さく喘ぐ姿は見ている方に罪悪感を覚えさせる。
「あ、今思い出したんですけど、人間の膀胱の容量って500ミリリットルくらいらしいですよ。」
「だから?」
紺野は俯いたまま、苛立ちをトウジにぶつける。
「はい、どうぞ。」
トウジはペットボトルを飲み干して差し出す。紺野の表情が固まる。
「これに?」
「500ですし、いけるかなーって。」
紺野は苦虫を噛み潰したような表情でペットボトルを受け取る。
「…こっち向くなよ?」
トウジは言われた通り、前の車のナンバープレートに視線を集中させる。
「んっ…はぁ…ふぅ…」
ペットボトルの蓋を開ける音の後にジッパーを下ろす音。見てはいけないと思うと、より聴覚に集中してしまう。
「あっ、これ…まだ…あっ」
ビジョっとマットに水が零れる音がしてから、プラスチックに水が溜まっていく音が聞こえる。
「はぁ…はぁ…はぁ…んんっ…」
ジョボジョボと蛇口の水をペットボトルに注いだときのような、そんな音がする。その蛇口があの紺野というだけで、トウジまで恥ずかしくなってくる。
「んっ…はぁ…え、ああ、とま…どうしよ…」
ペットボトルの反響音が小さくなると、紺野の困惑した声が聞こえる。トウジはハンドルに顔を埋めて、ビニール袋を差し出す。ビニール袋がトウジの手から離れると、ガサガサと音がして、水の音がより車内に反響する。
「んっ…はぁ…。はぁ…はぁ…。」
水の音が止まると、紺野の浅い呼吸音がしっかりと聞こえる。固まっているのか、後始末の音が聞こえない。
「大丈夫ですか?」
トウジはハンドルに額を押し付けたまま、紺野に目をやる。真っ赤な頬に今にも零れそうなくらい涙を溜めた瞳。仕事中でなければ、抱き締めていたかもしれない。
「大丈夫…」
小声で呟くと、ペットボトルに蓋をして、ビニール袋の口を縛っていた。紺野は俯いたまま、少し震えていた。
「今回は間に合って良かったじゃないですか。」
「…屈辱だ…」
「じゃ、ペア替えてもらいますか?自分はこのままがいいですけど…。」
「…まだ橙でよかった。」
ようやく渋滞の列が動き出す。熱のある沈黙と独特の匂いの中、会社に戻った。
会社に着くと、トウジは営業車のドアを全開にした。
「やっぱりちょっと匂いますね。マット洗った方が良いのかな?」
紺野が降りた後の助手席のマットを取り出す。
「オレ、洗うから…」
紺野の制止を気にも止めず、ビルの横の水道までマットを運ぶ。
「あ、先輩。ペットボトルとビニールも一緒に洗いますよ。」
「せめて自分でやらせてくれ…」
紺野は生暖かい液体を持ったまま、文字通り頭を抱えていた。
処理が終わる頃に、同じグループのメンバーが駐車場にやってきた。
「あ、お疲れ様。なかなか帰ってこないから心配してたよ。」
同僚が紺野とトウジに会釈をする。
「お疲れ様です。いや、高速で渋滞に巻き込まれて…」
「災難だったな。紺野はどうした?なんかあったのか?」
「いえ。何も…」
紺野は話し掛けてきたメンバーから目を逸らして、返事をする。
「前の事もあるし、ホントになんかあったら言えよ?」
ベテランのメンバーから紺野は励まされた。
「前の事?何ですかそれ。」
トウジが聞き返すと、紺野に制止される。
「そうことだそうだ。じゃ、俺は先に帰る。お疲れ様。」
その背中を見送ると、トウジは紺野に問い掛ける。
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「また、機会があったら話す。」
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