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第十一章 謀略と憎悪の大地
蝕む猛毒
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北部最大の街リーフメル。
副都とされたその地の高台には邸宅というより城が築かれている。
基本的に城は王家所有であったけれど、隣接する豪邸はメルヴィス公爵家に下賜された建物であり、メルヴィス公爵所有の邸宅となっていた。
邸宅の一室。豪華な調度品が並ぶ部屋に二つの影があった。
「サイファー、久しぶりだな? どうしていたんだ?」
「いや、お恥ずかしい。祖国が滅びてから、放浪の身と申しましょうか」
一人はメルヴィス公爵であり、招かれていたのはサイファーという男である。
「ワシはお前を買っている。リーフメルにお前がいるとの報告を受けた瞬間に小躍りするくらいにな……」
どうやら、サイファーなる者を登用しようとしているらしい。
メルヴィス公爵は机の上に契約書を取り出している。
「依頼人と直接会うという理念は理解しておる。実をいうとリッチモンドにもお前を薦めたのだがな。奴は既に毒使いを雇ったと言っておった。お前であれば計画は成し遂げられただろうに……」
「過剰な評価ありがとうございます。して、私めが呼び出された理由は仕事でしょうか?」
「無論のこと。以前と同じように鮮やかな手口を期待している。報酬は手付金白金貨五枚。成功報酬は十枚でどうだ?」
その提示は明らかに常軌を逸している。
それはつまり難度が高い仕事であることを意味していた。
「充分ですな。では、その内容を教えて頂きましょうか……」
「標的は火竜の聖女。貴様も聞いたことくらいあるだろう? 何しろ、あの女はサルバディール皇国内にて聖女認定されていたのだからな……」
なかなかの大物ですなとサイファー。かといって、彼は落ち着いている。暗殺者として申し分ないと言いたげであった。
「ええ、よく存じております。しかし、火竜の聖女を狙う理由をお伺いしても?」
「どうにもワシの障害となっておる。求心力を得すぎておるのだ。しかもランカスタと繋がっていて、最近になってエスフォレストの領主となった……」
「なるほど、隣接するエリアの領主となったのですか……」
頷くサイファーにメルヴィス公爵が続けた。
「この先の災いとなるのは確実だ。お前が所領に現れるまでワシは独自に動いたのだが、どれも上手くいかなかった。既にあの女は良からぬ企みに気付いていることだろう」
「公爵から仕掛けたのですか? あまり良い状況とは思えませんね。彼女はサルバディール皇国内でも絶大な人気がございました。しかも、皇城の重鎮たちを武力で黙らせたという噂までございます」
地元の情報をサイファーが並べている。
メルヴィス公爵の戦略は間違っていると言いたげに。
「既に賽は投げられたのだ。今さら融和など望めん。聡いあの女は気付いているはず。ワシが傭兵団を雇ったのだと」
「傭兵団?」
「ああ、お前を見つけられるとは考えていなかったのだ。ことを急いだワシは北部中の傭兵団を雇い、盗賊に扮してエスフォレストを陥落させろと命じていた。まあしかし、契約術式が次々と破棄されてしまったのだよ。恐らく火竜の聖女によって屠られたのだろう」
メルヴィス公爵が語るには組織した傭兵団は二百人にも達していたという。
しかし、契約術式の破棄を見る限り、全滅したと考えられるらしい。
「火竜の聖女は我が国が滅びる原因となっていましたからね。単騎で二国を壊滅させたとまで言える実力者です。強大な魔法を操り、無慈悲な火球を吐く火竜まで従えているのですよ? 傭兵団に相手が務まるはずもないでしょう」
「それはもう分かった。だからこそ、お前を呼び寄せたのだ……」
策は全て瓦解した。だからこそメルヴィス公爵は次なる手を打つことにしたようだ。
偶然にも領内にいた暗殺者。かつて共に仕事をしたという暗殺者に次なる仕事を与えようとしている。
「生半可な仕事ではありません。私は毒殺を得意としておりますが、火竜の聖女は光属性を持っております。強力な浄化魔法を前に毒殺は効果を発揮しにくいかと……」
「そこは何とかしろ。報酬の上積みなら応じてやる。白金貨二十枚。闇毒の使い手サイファーならばできるはずだ」
報酬の上積みに頷くサイファー。妙な二つ名を口にされた彼は苦笑いを浮かべている。
「して、公爵殿。貴殿は火竜の聖女を葬ったあとどうなさるおつもりで?」
「無論のこと、国務大臣に任命される。そうなると西の領土も我が物となるだろう」
西の領土とは間違いなくエスフォレストのこと。
そもそも空白地となったそこを公爵は手に入れるつもりだったらしい。
「上手く運びますかね? 外から見物していた私からすれば、ランカスタ公爵が指名されるように感じます。メルヴィス公爵家には国家に対する貢献が不足しすぎております」
「ふはは、忌憚ない意見だな? しかし、その通りだ。常々、火竜の聖女によって台無しにされておるのだ。第一王子ルークを切り捨てたというのに、あの女がしゃしゃり出てきおった。今度もまたエスフォレストの領主という身分不相応な話を受諾しおって……」
頷きを返すサイファーだが、疑問もあるようでメルヴィス公爵の話が終わった頃合いで質問を返す。
「公爵殿が思い描く未来を教えていただけませんか? 国務大臣に指名されたいだけでしょうか?」
「今のところはそれだけだ。ドルトンにも戦功を与えたいとは考えているし、末っ子のミランダもまたワシが国務大臣に指名されることで王太子妃となれるやもしれん」
ドルトンとはメルヴィス公爵の長男であり、現在は四十五歳。
未だ結婚すらしておらず、家督の相続といった話はまだ出ていない。
「火竜の聖女さえ排除すれば、全て上手く行く。あの女を取り込んで成り上がっただけのランカスタは支持されぬよ」
メルヴィス公爵は自身が国務大臣になることで、これまでの失態を有耶無耶にする計画のよう。第一王子の暗殺容疑は依然として向けられていたというのに。
「公爵が他にも動かれているのは存じています。私は彼らと共闘すべきでしょうか?」
「それには及ばん。呪術を得意とする陰をエスフォレストへ送り込んでおるが、あやつもまたソロで動く。呪いをかけられた上に毒を盛られるとか、想像しただけでも昂ぶるではないか?」
「呪術師ですか……」
クックと悪役らしい笑い声を上げるメルヴィス公爵。彼は手持ちの陰を既に動かしているようだ。
サイファーは納得したのか、小さく頷きを返している。
「我が主人ならば、巨悪にて悪を呑み込む。この状況に置かれていたのであれば、第一王子の暗殺をも企てることでしょう」
メルヴィス公爵にとってよく分からない話である。
しかし、巨悪が自分を指すくらいは容易に推し量れていた。
「ワシを侮るな? 目的のためならば暗殺も辞さない。たとえそれが王太子の筆頭であったとしてもだ」
サイファーのたとえ話に、メルヴィス公爵もたとえばと返した。
密談でなければ即座に捕らえられるような話なのだが、満面の笑みで答えている。
「なるほど、よく分かりました。まあ、私の主人となるのならば、信念を貫いて欲しいと感じただけでございます。天下人を目指す者。それこそが私の主人に相応しい」
「大きく出おってからに。暇を持て余しているのだろう? さっさと契約を済ませるぞ」
メルヴィス公爵は深く考えることなく、契約を始めてしまう。
巨悪に呑み込まれていくとも知らずに。
「承知致しました。我が主人に天上の絶景を届けるため。悪の血をすすり、真紅の薔薇がより深く色付きますように……」
言ってサイファーは契約書に署名し、血判を押す。
躊躇いなくサインを終えたサイファーにメルヴィス公爵は満足げな笑みを浮かべていた。
「サイファー、上手く行けば子飼いにしてやろう。あと策があるのなら、ドルトンに伝えてやってくれ。あやつはまだ公爵家の跡取りとして自覚が足りんのだ」
「了解しました。ドルトン殿下にはご挨拶と謀略の限りを伝えさせていただきましょう。北の地へと光が射すように」
密談はこれにて終わる。
メルヴィス公爵としては満足いく契約となっていた。しかしながら、登用した毒使いは自身をも蝕んでいく。
遅効性の毒であるかのように、徐々に浸透していくのだった。
副都とされたその地の高台には邸宅というより城が築かれている。
基本的に城は王家所有であったけれど、隣接する豪邸はメルヴィス公爵家に下賜された建物であり、メルヴィス公爵所有の邸宅となっていた。
邸宅の一室。豪華な調度品が並ぶ部屋に二つの影があった。
「サイファー、久しぶりだな? どうしていたんだ?」
「いや、お恥ずかしい。祖国が滅びてから、放浪の身と申しましょうか」
一人はメルヴィス公爵であり、招かれていたのはサイファーという男である。
「ワシはお前を買っている。リーフメルにお前がいるとの報告を受けた瞬間に小躍りするくらいにな……」
どうやら、サイファーなる者を登用しようとしているらしい。
メルヴィス公爵は机の上に契約書を取り出している。
「依頼人と直接会うという理念は理解しておる。実をいうとリッチモンドにもお前を薦めたのだがな。奴は既に毒使いを雇ったと言っておった。お前であれば計画は成し遂げられただろうに……」
「過剰な評価ありがとうございます。して、私めが呼び出された理由は仕事でしょうか?」
「無論のこと。以前と同じように鮮やかな手口を期待している。報酬は手付金白金貨五枚。成功報酬は十枚でどうだ?」
その提示は明らかに常軌を逸している。
それはつまり難度が高い仕事であることを意味していた。
「充分ですな。では、その内容を教えて頂きましょうか……」
「標的は火竜の聖女。貴様も聞いたことくらいあるだろう? 何しろ、あの女はサルバディール皇国内にて聖女認定されていたのだからな……」
なかなかの大物ですなとサイファー。かといって、彼は落ち着いている。暗殺者として申し分ないと言いたげであった。
「ええ、よく存じております。しかし、火竜の聖女を狙う理由をお伺いしても?」
「どうにもワシの障害となっておる。求心力を得すぎておるのだ。しかもランカスタと繋がっていて、最近になってエスフォレストの領主となった……」
「なるほど、隣接するエリアの領主となったのですか……」
頷くサイファーにメルヴィス公爵が続けた。
「この先の災いとなるのは確実だ。お前が所領に現れるまでワシは独自に動いたのだが、どれも上手くいかなかった。既にあの女は良からぬ企みに気付いていることだろう」
「公爵から仕掛けたのですか? あまり良い状況とは思えませんね。彼女はサルバディール皇国内でも絶大な人気がございました。しかも、皇城の重鎮たちを武力で黙らせたという噂までございます」
地元の情報をサイファーが並べている。
メルヴィス公爵の戦略は間違っていると言いたげに。
「既に賽は投げられたのだ。今さら融和など望めん。聡いあの女は気付いているはず。ワシが傭兵団を雇ったのだと」
「傭兵団?」
「ああ、お前を見つけられるとは考えていなかったのだ。ことを急いだワシは北部中の傭兵団を雇い、盗賊に扮してエスフォレストを陥落させろと命じていた。まあしかし、契約術式が次々と破棄されてしまったのだよ。恐らく火竜の聖女によって屠られたのだろう」
メルヴィス公爵が語るには組織した傭兵団は二百人にも達していたという。
しかし、契約術式の破棄を見る限り、全滅したと考えられるらしい。
「火竜の聖女は我が国が滅びる原因となっていましたからね。単騎で二国を壊滅させたとまで言える実力者です。強大な魔法を操り、無慈悲な火球を吐く火竜まで従えているのですよ? 傭兵団に相手が務まるはずもないでしょう」
「それはもう分かった。だからこそ、お前を呼び寄せたのだ……」
策は全て瓦解した。だからこそメルヴィス公爵は次なる手を打つことにしたようだ。
偶然にも領内にいた暗殺者。かつて共に仕事をしたという暗殺者に次なる仕事を与えようとしている。
「生半可な仕事ではありません。私は毒殺を得意としておりますが、火竜の聖女は光属性を持っております。強力な浄化魔法を前に毒殺は効果を発揮しにくいかと……」
「そこは何とかしろ。報酬の上積みなら応じてやる。白金貨二十枚。闇毒の使い手サイファーならばできるはずだ」
報酬の上積みに頷くサイファー。妙な二つ名を口にされた彼は苦笑いを浮かべている。
「して、公爵殿。貴殿は火竜の聖女を葬ったあとどうなさるおつもりで?」
「無論のこと、国務大臣に任命される。そうなると西の領土も我が物となるだろう」
西の領土とは間違いなくエスフォレストのこと。
そもそも空白地となったそこを公爵は手に入れるつもりだったらしい。
「上手く運びますかね? 外から見物していた私からすれば、ランカスタ公爵が指名されるように感じます。メルヴィス公爵家には国家に対する貢献が不足しすぎております」
「ふはは、忌憚ない意見だな? しかし、その通りだ。常々、火竜の聖女によって台無しにされておるのだ。第一王子ルークを切り捨てたというのに、あの女がしゃしゃり出てきおった。今度もまたエスフォレストの領主という身分不相応な話を受諾しおって……」
頷きを返すサイファーだが、疑問もあるようでメルヴィス公爵の話が終わった頃合いで質問を返す。
「公爵殿が思い描く未来を教えていただけませんか? 国務大臣に指名されたいだけでしょうか?」
「今のところはそれだけだ。ドルトンにも戦功を与えたいとは考えているし、末っ子のミランダもまたワシが国務大臣に指名されることで王太子妃となれるやもしれん」
ドルトンとはメルヴィス公爵の長男であり、現在は四十五歳。
未だ結婚すらしておらず、家督の相続といった話はまだ出ていない。
「火竜の聖女さえ排除すれば、全て上手く行く。あの女を取り込んで成り上がっただけのランカスタは支持されぬよ」
メルヴィス公爵は自身が国務大臣になることで、これまでの失態を有耶無耶にする計画のよう。第一王子の暗殺容疑は依然として向けられていたというのに。
「公爵が他にも動かれているのは存じています。私は彼らと共闘すべきでしょうか?」
「それには及ばん。呪術を得意とする陰をエスフォレストへ送り込んでおるが、あやつもまたソロで動く。呪いをかけられた上に毒を盛られるとか、想像しただけでも昂ぶるではないか?」
「呪術師ですか……」
クックと悪役らしい笑い声を上げるメルヴィス公爵。彼は手持ちの陰を既に動かしているようだ。
サイファーは納得したのか、小さく頷きを返している。
「我が主人ならば、巨悪にて悪を呑み込む。この状況に置かれていたのであれば、第一王子の暗殺をも企てることでしょう」
メルヴィス公爵にとってよく分からない話である。
しかし、巨悪が自分を指すくらいは容易に推し量れていた。
「ワシを侮るな? 目的のためならば暗殺も辞さない。たとえそれが王太子の筆頭であったとしてもだ」
サイファーのたとえ話に、メルヴィス公爵もたとえばと返した。
密談でなければ即座に捕らえられるような話なのだが、満面の笑みで答えている。
「なるほど、よく分かりました。まあ、私の主人となるのならば、信念を貫いて欲しいと感じただけでございます。天下人を目指す者。それこそが私の主人に相応しい」
「大きく出おってからに。暇を持て余しているのだろう? さっさと契約を済ませるぞ」
メルヴィス公爵は深く考えることなく、契約を始めてしまう。
巨悪に呑み込まれていくとも知らずに。
「承知致しました。我が主人に天上の絶景を届けるため。悪の血をすすり、真紅の薔薇がより深く色付きますように……」
言ってサイファーは契約書に署名し、血判を押す。
躊躇いなくサインを終えたサイファーにメルヴィス公爵は満足げな笑みを浮かべていた。
「サイファー、上手く行けば子飼いにしてやろう。あと策があるのなら、ドルトンに伝えてやってくれ。あやつはまだ公爵家の跡取りとして自覚が足りんのだ」
「了解しました。ドルトン殿下にはご挨拶と謀略の限りを伝えさせていただきましょう。北の地へと光が射すように」
密談はこれにて終わる。
メルヴィス公爵としては満足いく契約となっていた。しかしながら、登用した毒使いは自身をも蝕んでいく。
遅効性の毒であるかのように、徐々に浸透していくのだった。
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