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30.水岡、悩む
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◆
小さな画面の中で、やわらかいけものが眠っている。
子犬と子猫。互いの温度を分け合うようにまるくなって、指先にも満たない小さな鼻をぴすぴす鳴らし、水風船みたいなやわらかそうな腹がふくらんではしぼむ。
かわいいと思う。飼いたいとか撫でたいとかは別に思わないけれど、日なたに置いた氷みたいに、自分の輪郭がゆるむのを感じる。
単調でなんのおもしろみもないその動画を、水岡はもう二時間も見つめていた。
手のひらに収まるだろう子猫が、うん、と手足を伸ばして短い尾をぱたぱたさせる。人の子どももそうだけど、幼体は親に世話してもらうために、愛くるしい姿で産まれてくるという説は本当かもしれない。
だって、すこし前に見た大人の寝顔は、お世辞にもかわいいとは言えなかった。口は半開きで、でかい図体をぐでんと弛緩させ、おまけに鼻でも詰まっていたのか、いびきだってかく始末。
なのにこうして思い出すと、下向きに生えそろったまつげとか、まくらに沿って形を変える、意外とやわらかそうな頬の輪郭とか、うっすらと汗ばんだ首筋なんかが鮮やかによみがえってくるのだから、たまらない。
心を乱す回想を追い払うようにぎゅっと目をつむる。
眠れない。
午後十時の就寝習慣があっけなく崩されてから、もうひと月以上経とうとしていた。
動画の更新もすっかり止まってしまい、まだ目に見えた影響はないが、このままではすぐに視聴者は離れていくだろう。人気者でいたいわけではないけれど、収入に直結するのが痛い。それでも、なにかしらをひねり出してアップロードする気にはなれなかった。自分の身体を基準とした睡眠効果の測定は、その身体が一定でなければ意味をなさないから。
だからこそ何よりも体調管理を優先して生活をしてきたつもりだし、多少の波はコントロールできる術を身につけたはずだった。けど、緊張をほぐすアロマも、心地よい温度の浴槽も音楽もカモミールティーも、いまのところ効果は芳しくない。
自分の松果体はあの夜に燃え尽きてしまったのかもしれない。
眠ろうと目を閉じるたび、松脂がはじけるようにあの夜の熱がぱちぱち光って、今でも消える気配はない。
やっぱりいったん起きて、気分を変えよう。
そう決心してナイトテーブルへ伸ばした手に、硬いものが触れる。手のひらにおさまってしまう小さなペンライトの光は、安物のくせにおろしたての制服みたいにきっぱりと明るい。
オンオフに従って歯切れよく灯っては消える潔さが、今はうらやましくてたまらなかった。
◆
画面に表示された細かい文字がうまく読み取れなくて、目をこする。
「ヨウさん? 画面、共有できてないっすか?」
「や、大丈夫です。ちょっと目がかすんで」
相変わらずこちらのカメラはオフにしているものの、水岡の微妙な反応の遅れを目聡く(耳聡く?)気づかれる。
「ちょっと拡大しますね。疲れ目ですか?」
「いや、そういうわけでは」
「体調悪かったら、無理しないでくださいね」
「ありがとうございます」
数年前から付き合いのある寝具メーカーの広報担当から、オンラインでの快眠セミナーの登壇を依頼された。
先生なんて柄じゃないので断ろうとしたけれど、きけば寝具メーカーの開発担当社員やタレントなどを交えて、あらかじめ募集したお悩みにあれこれ回答する座談会みたいなものだというので、少し迷ったけれど、引き受けることにした。
「でもご存知の通り、いま動画更新を止めているんですが、大丈夫ですか?」
「はい、問題ないですよ。ヨウさんにはこれまでも商品モニターとして何度も助けていただきましたし、もう半分くらいうちの開発員だって思ってますんで、そんな立場でお話しいただければ」
「わかりました」
ほっとする。西洋寝具は、ヨウがインフルエンサーとして活動を始めたとき一番初めに声をかけてくれた企業だった。付き合いも長かったし、なにより動画の更新が止まったいま、すこしでも稼げることはありがたい。
「SNSでは『充電期間』って書いてましたけど、再開のスケジュールとかは決まってるんですか?」
「あー……いや」
「そうなんすね。あ、いや、別に本件と関係ないんですけど。単純に自分がファンだったもので」
気のいい担当者は、「ヨウさんのおかげでよく眠れるようになった」と言ってくれるが、いまはあまり聞きたくなかった。利き腕を失くした画家が過去に描いた絵を褒められたときって、こんな気持ちだろうかと妄想する。
「あのお香の動画も、けっこうバズってましたよねー自分も買いたくなっちゃいましたよ」
「どうも。特別なことはしてませんが」
「そうですかね? 他の動画ももちろん手抜きなんてないですけど、なんというかいつもより力が入ってるっていうか。魅力がよく伝わってきて、あー好きなんだなーって」
思わず画面を閉じかけた。
「ヨウさん?」
「いえ、はい。すごくいい商品でしたので」
「やっぱり。発売されたら、ぜひ買ってみます。そうそう、この間、別件でたまたまあの動画を担当されていた広告会社の方とお話しする機会があって」
「え?」
「えーっとちょっと珍しいお名前の……そうそう、渡来さん。ご存知ですよね?」
ご存知も何も。
「ヨウさんにお願いして正解だったって、すごく喜んでましたよ」
「元気でした?」
「は?」
「その人。元気でした?」
「はあ、お元気そうでしたけど」
小さな画面の中で、やわらかいけものが眠っている。
子犬と子猫。互いの温度を分け合うようにまるくなって、指先にも満たない小さな鼻をぴすぴす鳴らし、水風船みたいなやわらかそうな腹がふくらんではしぼむ。
かわいいと思う。飼いたいとか撫でたいとかは別に思わないけれど、日なたに置いた氷みたいに、自分の輪郭がゆるむのを感じる。
単調でなんのおもしろみもないその動画を、水岡はもう二時間も見つめていた。
手のひらに収まるだろう子猫が、うん、と手足を伸ばして短い尾をぱたぱたさせる。人の子どももそうだけど、幼体は親に世話してもらうために、愛くるしい姿で産まれてくるという説は本当かもしれない。
だって、すこし前に見た大人の寝顔は、お世辞にもかわいいとは言えなかった。口は半開きで、でかい図体をぐでんと弛緩させ、おまけに鼻でも詰まっていたのか、いびきだってかく始末。
なのにこうして思い出すと、下向きに生えそろったまつげとか、まくらに沿って形を変える、意外とやわらかそうな頬の輪郭とか、うっすらと汗ばんだ首筋なんかが鮮やかによみがえってくるのだから、たまらない。
心を乱す回想を追い払うようにぎゅっと目をつむる。
眠れない。
午後十時の就寝習慣があっけなく崩されてから、もうひと月以上経とうとしていた。
動画の更新もすっかり止まってしまい、まだ目に見えた影響はないが、このままではすぐに視聴者は離れていくだろう。人気者でいたいわけではないけれど、収入に直結するのが痛い。それでも、なにかしらをひねり出してアップロードする気にはなれなかった。自分の身体を基準とした睡眠効果の測定は、その身体が一定でなければ意味をなさないから。
だからこそ何よりも体調管理を優先して生活をしてきたつもりだし、多少の波はコントロールできる術を身につけたはずだった。けど、緊張をほぐすアロマも、心地よい温度の浴槽も音楽もカモミールティーも、いまのところ効果は芳しくない。
自分の松果体はあの夜に燃え尽きてしまったのかもしれない。
眠ろうと目を閉じるたび、松脂がはじけるようにあの夜の熱がぱちぱち光って、今でも消える気配はない。
やっぱりいったん起きて、気分を変えよう。
そう決心してナイトテーブルへ伸ばした手に、硬いものが触れる。手のひらにおさまってしまう小さなペンライトの光は、安物のくせにおろしたての制服みたいにきっぱりと明るい。
オンオフに従って歯切れよく灯っては消える潔さが、今はうらやましくてたまらなかった。
◆
画面に表示された細かい文字がうまく読み取れなくて、目をこする。
「ヨウさん? 画面、共有できてないっすか?」
「や、大丈夫です。ちょっと目がかすんで」
相変わらずこちらのカメラはオフにしているものの、水岡の微妙な反応の遅れを目聡く(耳聡く?)気づかれる。
「ちょっと拡大しますね。疲れ目ですか?」
「いや、そういうわけでは」
「体調悪かったら、無理しないでくださいね」
「ありがとうございます」
数年前から付き合いのある寝具メーカーの広報担当から、オンラインでの快眠セミナーの登壇を依頼された。
先生なんて柄じゃないので断ろうとしたけれど、きけば寝具メーカーの開発担当社員やタレントなどを交えて、あらかじめ募集したお悩みにあれこれ回答する座談会みたいなものだというので、少し迷ったけれど、引き受けることにした。
「でもご存知の通り、いま動画更新を止めているんですが、大丈夫ですか?」
「はい、問題ないですよ。ヨウさんにはこれまでも商品モニターとして何度も助けていただきましたし、もう半分くらいうちの開発員だって思ってますんで、そんな立場でお話しいただければ」
「わかりました」
ほっとする。西洋寝具は、ヨウがインフルエンサーとして活動を始めたとき一番初めに声をかけてくれた企業だった。付き合いも長かったし、なにより動画の更新が止まったいま、すこしでも稼げることはありがたい。
「SNSでは『充電期間』って書いてましたけど、再開のスケジュールとかは決まってるんですか?」
「あー……いや」
「そうなんすね。あ、いや、別に本件と関係ないんですけど。単純に自分がファンだったもので」
気のいい担当者は、「ヨウさんのおかげでよく眠れるようになった」と言ってくれるが、いまはあまり聞きたくなかった。利き腕を失くした画家が過去に描いた絵を褒められたときって、こんな気持ちだろうかと妄想する。
「あのお香の動画も、けっこうバズってましたよねー自分も買いたくなっちゃいましたよ」
「どうも。特別なことはしてませんが」
「そうですかね? 他の動画ももちろん手抜きなんてないですけど、なんというかいつもより力が入ってるっていうか。魅力がよく伝わってきて、あー好きなんだなーって」
思わず画面を閉じかけた。
「ヨウさん?」
「いえ、はい。すごくいい商品でしたので」
「やっぱり。発売されたら、ぜひ買ってみます。そうそう、この間、別件でたまたまあの動画を担当されていた広告会社の方とお話しする機会があって」
「え?」
「えーっとちょっと珍しいお名前の……そうそう、渡来さん。ご存知ですよね?」
ご存知も何も。
「ヨウさんにお願いして正解だったって、すごく喜んでましたよ」
「元気でした?」
「は?」
「その人。元気でした?」
「はあ、お元気そうでしたけど」
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