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9. 実験クッキー-1
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「わざわざ来てもらっちゃってごめんね」
駅まで迎えに来てくれたサキの後ろを付いて、はじめての町を歩くこと十分。ドアが開くと、ふわっと知らない香りがした。小さい頃、親戚の家に招かれたときに感じた心もとなさが、一瞬だけ胸の内に影を落とす。教室をひとつ間違えて入ってしまったときのようなアウェー感というか。それでいて、レストランの厨房を覗くような興奮も確かにある。
ここが、サキさんの家。
「手土産まで気遣ってもらっちゃって」
「たいしたものじゃないけど」
「えーなに?」
「シュークリーム」
これからクッキーを作るのに甘い物もどうかと思ったけれど、かといってほかに気の利いたものも思いつかなかった。「甘い物好きだからうれしい」と喜んでくれたし、よしとする。
「きょうは叔父さんいないから、寛いでて」
母方の叔父とルームシェアをしているというのは事前に聞いていた。男二人暮らしにしては狭い部屋は、2DKのリビングとダイニングを区切って一方を寝室とし、本来寝室である部屋に彼が居候しているらしい。
「叔父さんって何してる人?」
キッチンから続くダイニングには、食卓がなかった。代わりに、両手を広げてなお届かないほど大きなテレビが壁付けされている。その前にはローテーブルがあり、二人掛けのソファの右奥には、天井まで届く棚にぎっしりと本やらDVDやらが詰め込まれていた。
「ああ、俺がいまバイトしてる劇団の座長」
サキはエプロンをつけて、こちらに背を向けたまま、キッチンの吊り棚から電子秤を取り出している。
「俳優ってこと?」
「そうそう。あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてないよ」
芸能人じゃないか。
「石川廉治っていうんだけど、知ってる?」
「知ってるように見える?」
「だよね。別に売れてないし、本人もあんまり売れる気ないし、気にしないで」
「気にはしないけど」
ご本人と対面してるわけでもなし、そして対面したところで、エンタメ全般に疎いので何の感慨もわかないだろう。サキさんは「そういうとこ、助かる」と拝む真似をした。どういう意味かは分からないけれど、いまは気にしていられない。
「それじゃあ、始めようか」
荷物をソファの傍に置いて、中からノートとボールペンを取り出す。サキは卵パックを手に不思議そうな顔をしていた。
「なにそれ」
「実験ノート」
「実験て」
おもしろいコントを聞いたみたいに噴き出した彼の手から卵パックを取り上げ、いったん椅子に座らせる。わざわざ家まで来た理由はこれだ。きょう一日で、理想とは言えずとも及第点のレシピを完成させること。
「じゃあまず、これまでに一番うまくいった配合を教えて」
「配合? そんなん覚えてないよ」
ボールペンを取り落としそうになる。
「覚えてないの?」
「うん。いつもフィーリングで作ってるから」
気温とか湿度とかで、微妙に生地の感じが変わるし、とまるで老舗の蕎麦屋の職人みたいなことを言う。ちょうど色も似たような灰色だもんな。じゃなくて。
「……なんとなくでもいいから、教えて」
そうして出てきたのが、薄力粉百グラムくらい、バター五十グラムくらい、卵黄一個(サイズは不明)、砂糖はバターと同じくらい(つまり五十グラムくらいか)、塩少々、ゴマペーストと竹炭は、色がいい感じになるまで、というものだった。
「分かった」
佑はまず、バターと砂糖の量を調整することから始めた。
「基本は、砂糖が一、バターが二、小麦粉が三なんだって」
「入れる順番?」
「重さの話」
百均で買ってきた紙コップに計り取っては、そのグラムを書いていく。
「クッキーって、バターと砂糖と薄力粉があれば一応形にはなるみたい。その代わり、味とか食感はそれらの比で決まってくる、らしい」
「ひ」
「配合ってこと」
おそらく、竹炭とバターの相性があまりよくないのだ。バターの量を減らし、砂糖を増やしたもの、バターの代わりにサラダ油を使ったもの。インターネットの集合知を駆使しながら、目ぼしいレシピを四分の一くらいの量で作っていく。
「るたくんよく知ってるね。お菓子作り得意?」
「調理実習でホットケーキ作ったのが人生の最初で最後」
あっという間にバターを一箱使い切り、冷蔵庫から新しいものを探していると、後ろからひょいと手が伸びてくる。驚いて振り返ると、鼻の先にすんなり伸びた首筋があって息が止まりそうになる。
「じゃあ、きょうのために勉強してくれたんだ?」
黄色いパッケージを手に取りながら、サキは目を細める。顔に血がのぼったのがわかって、「どうでもいいから、早く混ぜて」と早口で近い身体を押しのけた。
駅まで迎えに来てくれたサキの後ろを付いて、はじめての町を歩くこと十分。ドアが開くと、ふわっと知らない香りがした。小さい頃、親戚の家に招かれたときに感じた心もとなさが、一瞬だけ胸の内に影を落とす。教室をひとつ間違えて入ってしまったときのようなアウェー感というか。それでいて、レストランの厨房を覗くような興奮も確かにある。
ここが、サキさんの家。
「手土産まで気遣ってもらっちゃって」
「たいしたものじゃないけど」
「えーなに?」
「シュークリーム」
これからクッキーを作るのに甘い物もどうかと思ったけれど、かといってほかに気の利いたものも思いつかなかった。「甘い物好きだからうれしい」と喜んでくれたし、よしとする。
「きょうは叔父さんいないから、寛いでて」
母方の叔父とルームシェアをしているというのは事前に聞いていた。男二人暮らしにしては狭い部屋は、2DKのリビングとダイニングを区切って一方を寝室とし、本来寝室である部屋に彼が居候しているらしい。
「叔父さんって何してる人?」
キッチンから続くダイニングには、食卓がなかった。代わりに、両手を広げてなお届かないほど大きなテレビが壁付けされている。その前にはローテーブルがあり、二人掛けのソファの右奥には、天井まで届く棚にぎっしりと本やらDVDやらが詰め込まれていた。
「ああ、俺がいまバイトしてる劇団の座長」
サキはエプロンをつけて、こちらに背を向けたまま、キッチンの吊り棚から電子秤を取り出している。
「俳優ってこと?」
「そうそう。あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてないよ」
芸能人じゃないか。
「石川廉治っていうんだけど、知ってる?」
「知ってるように見える?」
「だよね。別に売れてないし、本人もあんまり売れる気ないし、気にしないで」
「気にはしないけど」
ご本人と対面してるわけでもなし、そして対面したところで、エンタメ全般に疎いので何の感慨もわかないだろう。サキさんは「そういうとこ、助かる」と拝む真似をした。どういう意味かは分からないけれど、いまは気にしていられない。
「それじゃあ、始めようか」
荷物をソファの傍に置いて、中からノートとボールペンを取り出す。サキは卵パックを手に不思議そうな顔をしていた。
「なにそれ」
「実験ノート」
「実験て」
おもしろいコントを聞いたみたいに噴き出した彼の手から卵パックを取り上げ、いったん椅子に座らせる。わざわざ家まで来た理由はこれだ。きょう一日で、理想とは言えずとも及第点のレシピを完成させること。
「じゃあまず、これまでに一番うまくいった配合を教えて」
「配合? そんなん覚えてないよ」
ボールペンを取り落としそうになる。
「覚えてないの?」
「うん。いつもフィーリングで作ってるから」
気温とか湿度とかで、微妙に生地の感じが変わるし、とまるで老舗の蕎麦屋の職人みたいなことを言う。ちょうど色も似たような灰色だもんな。じゃなくて。
「……なんとなくでもいいから、教えて」
そうして出てきたのが、薄力粉百グラムくらい、バター五十グラムくらい、卵黄一個(サイズは不明)、砂糖はバターと同じくらい(つまり五十グラムくらいか)、塩少々、ゴマペーストと竹炭は、色がいい感じになるまで、というものだった。
「分かった」
佑はまず、バターと砂糖の量を調整することから始めた。
「基本は、砂糖が一、バターが二、小麦粉が三なんだって」
「入れる順番?」
「重さの話」
百均で買ってきた紙コップに計り取っては、そのグラムを書いていく。
「クッキーって、バターと砂糖と薄力粉があれば一応形にはなるみたい。その代わり、味とか食感はそれらの比で決まってくる、らしい」
「ひ」
「配合ってこと」
おそらく、竹炭とバターの相性があまりよくないのだ。バターの量を減らし、砂糖を増やしたもの、バターの代わりにサラダ油を使ったもの。インターネットの集合知を駆使しながら、目ぼしいレシピを四分の一くらいの量で作っていく。
「るたくんよく知ってるね。お菓子作り得意?」
「調理実習でホットケーキ作ったのが人生の最初で最後」
あっという間にバターを一箱使い切り、冷蔵庫から新しいものを探していると、後ろからひょいと手が伸びてくる。驚いて振り返ると、鼻の先にすんなり伸びた首筋があって息が止まりそうになる。
「じゃあ、きょうのために勉強してくれたんだ?」
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