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42話 夢から覚める

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 とっても幸せなのに、なぜ泣いてしまったんだろう。
 私は温かな布団の中で、隣に寝ているリュシエール様の胸に頭を寄せた。
 昨夜、庭園の東屋で泣きだしてしまった私を、リュシエール様は抱き寄せて背中を優しくたたいてくれた。
 リュシエール様の微笑みは私のすべてを見通しているみたいで。私が何で泣いてしまったかも分かっているいるみたいで。
 だから、何も聞かずに、ただ抱きしめてくれたのかな。
 こんな時は、本当はリュシエール様って見かけよりもウンと年上なんじゃないか、って思う。
 『正体明かしの魔法』が使えるようになったら、僕に試してみるかい?とリュシエール様は言った。そうしたら、リュシエール様の本当の姿がわかるのだろうか。
 ううん。
 本当の姿なんて、どうでもいい。
 姿より、私は気持ちが知りたい。
 リュシエール様は私のことをどう思っているのか。
 『好き』っていう言葉は難しい。
 私が思う『好き』と、リュシエール様の『好き』は違うのかもしれない。
 気持ちが迷宮に入ってしまって、私はしばらく部屋の扉がノックされているのに気がつかなかった。
「誰か来たみたいだよ」
 目を覚ましたリュシエール様の言葉で、やっと現実に戻って、私は慌ててパジャマのまま部屋の扉を開けた。
「おはようございます。イリア様、リュシエール様。朝食を皆さまといっしょに召し上がりませんか、と女王陛下からのお言葉です」
 老婦人と言ってもくらいの召使いが固い表情でそう言った。
 皆さま、って、昨夜のあの人たちのこと・・・だろうな。
「う~~ん、今朝はそんな気になれないな。僕らは部屋で食べるよ。レーナにもそう言ってて」
 あ、リュシエール様、私に気を使ってくれたんだ。
「では、お部屋にお持ちしてよろしいでしょうか」
 召使いの言葉に「うん」とリュシエール様は頷いてから、
「昨日来たレーナのお客さんたちって、レオナードとフランの関係者なの?」
「はい、ご両親とご兄弟と、ご親戚だと伺っていますが」
 えっ、レオナードさんの・・・?
 誰かに似ていると思った穏やかな顔の紳士は、レオナードさんに似てたんだ。
 じゃ、あの人はレオナードさんのお父さん?
 召使いが下がったので私は着替えをするために続き部屋に入った。
 きょうは緑色のドレスにしよう。私の瞳の色のドレスは白いレースが襟元と袖口にあしらってあって、清楚で可愛らしい。
 着替えて身支度を整えて部屋に戻ったら、ちょうど召使いが朝食をテーブルに並べているところだった。
 焼きたてのパンの香ばしい匂いにお腹が鳴った。
 いくつもの薄い生地を重ねて焼いたパンはサクッとした食感で、私の大好きなブドウのジャムをたっぷりつけて頬張ると、幸せで笑みがこぼれてしまう。
「イリアって、思ったことがそのまま顔に出て分かりやすいよね」
 クスクスと笑いながらリュシエール様が言ったので、私はわざとツンとすませて上品に「そんなことありません」って答えたけど、
「イリア、ジャムがほっぺについてる、じっとして」
 と、リュシエール様が手を伸ばしてほっぺのジャムを取って、ペロッとその指を舐めたので、私は恥ずかしくて耳まで真っ赤になった。
 やっぱり、分かりやすいかもしれない。
「きょうはフランとレオナードが帰ってくるんじゃないかな。だから、レーナは二人の親族を呼んだんだ。そろそろ僕も出番がくるね。これが済んだら魔法国マグノリアに帰らなきゃね」
 私は、あ、と小さく声を洩らした。
 そうなんだ。いつまでもローマリウスにはいられないんだ。
 大好きな人たちに囲まれた大好きな場所とお別れしなきゃいけないんだ。
 マグノリアに帰ったら、もうリュシエール様とは二人きりでいられない。もう、いっしょのベッドには寝られない。
 お父さんのつけた印のせいで魔法の使えない私は、学校にいっても無意味だ。級も取れないで、ずっと外級魔法使いのままなんだ。
 朝から幸福に浸っていた私の目の前に、夢から覚めたように現実が現れた。




 レーナとキリウスが朝食を終え、部屋に戻ってアリーシャをベビーベッドに寝かせていた時にレオナードとフランの帰城の知らせがあった。
 二人を部屋に通して、レーナは「お帰りなさい」と微笑んだ。
「ただいま戻りました。留守中両陛下には不自由な思いをさせてしまい、申し訳ありません」
 レオナードが深く礼をすると、横に並んでいたフランもそれに倣って礼をした。
「ま、たまにはいいさ。二人は休みなく働いてくれているからな」
 鷹揚にそう言ったキリウスだったが、レーナは眉を顰めて「だから問題なのよね」と呟いた。
「レオナード、フラン。帰って早速だけど、二人には言い渡すことがあります」
 レーナが女王の顔になり、そう宣言すると、レオナードとフランの顔に緊張が走った。
 キリウスが二人を見ながら「きょう、お前たちの婚礼の儀を執り行う」
「えっ」
 同時に声を上げたレオナードとフランは顔を見合わせてから
「国王陛下・・・それは・・・」困惑した顔で言い澱むレオナードに
「どうせ、夫婦になるなら、今でもかまわんだろう。なにか不都合なことがあるのか?」
 そう言ったキリウスに、恐る恐るといった体でフランが声を上げた。
「私とレオナードは侍女と侍従です。朝は早く、夜は遅く、私生活などありません。だから私は結婚するとしたら、侍女の仕事をやめなくてはなりません。レオナードのために妻としての役目を果たしたいと思います。でも・・・」
 言葉を切ったフランに「続けて。フランの正直な気持ちを聞かせて」レーナがそう促した。
「・・・私は迷っています。レオナードとは早く夫婦になりたい。妻になりたい。でも・・・私は、侍女でもいたい。このローマリウス王家に関わっていたい・・・いえ、正直に言うと、アリーシャ様をずっと見守っていきたいんです」
 懇願のようなフランの言葉にレオナードが言い添えた。
「私も、フランとはいっしょになりたいと思っています。ですが、彼女のことを考えると、朝も夜もろくに側にいられない私では・・・かえって寂しい思いをさせてしまうのではないか、と。それに、フランが侍女を続けたいと思っているのも分かっていて、私のために辞めさせるのも」
「それが問題なのね?だから、二人は結婚を躊躇っているのね?それさえなんとかなれば、二人は結婚したいのね?」
 レーナが確認するように尋ねると、二人は女王は何を考えているんだろう?という顔をして「はい」と声をそろえた。
「では、レオナードとフランの二人には『ローマリウス風、働き方改革』の適応者になっていただきます」
 レーナの有無を言わせぬ宣言に、レオナードとフランは同時に
「はい?????」
 という声を上げた。
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