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第1話 始まりのノイズ
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陽光が降り注ぐエーテルニアの片隅。小さな村は穏やかな日常に包まれていた。
石造りの家々。小川のせせらぎ。畑で働く人々の朗らかな声。全てが平和で満ち足りた営みに見えた。だが、この裏には、想像を絶する壮大なシステムが隠されていることを、村の誰もが知らなかった。
「救世の村」に住むリオスは、冒険者ギルドでDランクの依頼をこなし、日銭を稼ぐ日々を送っていた。彼の相棒である大剣を振るう剣術は、村人たちから「天賦の才」と称賛されるほどだった。
しかし、彼らの目には見えない、リオス自身にしか認識できない数値が、彼の視界の片隅に常に浮かんでいた。
それは──
《剣術熟練度:ERROR》
という、異様な文字だ。
リオスは、この数値が異常だと知っていた。
この世界では、人々は生まれながらに自身の能力を熟練度として認識する。剣術、魔法、農業、鍛冶、採集、料理……あらゆる営みには見えない数値が付与され、努力や経験で数字は伸び、スキルは向上し、生活は豊かになる。
それはこの世界の「成長の理」であり、誰もが自身の熟練度を自覚し、互いのそれを測り、競い、努力の証として語り合った。熟練度を上げることで、特定の「スキル」を習得したり、既存のスキルの効果を強化したり、あるいは「魔法」の詠唱を覚え、魔力を高めたりするのが、このエーテルニアにおける成長の常識だった。
だが、リオスの「剣術熟練度」だけは、その見慣れた数値の代わりに「ERROR」と表示される。他の熟練度は正常なのに、肝心の大剣だけがシステムから弾かれたかのように。
彼は剣術スキルは持つが、魔法は一切使うことができなかった。
この異様な表示は、彼が世界の「正常」から逸脱した存在である証だった。この異常性が知られれば、彼は世界の「理」から外れた異物として、「修正」や「排除」の対象となるのではないか──確かな根拠はないが、その根源的な不安が常に彼に付き纏っていた。
だからこそ、彼はこの異質な才能と、視界に現れる奇妙なウィンドウの存在を、誰にも打ち明けることができなかった。それは、彼の身体と世界が、どこか噛み合わない不協和音を奏でているかのようだった。
リオスは、目立つことを好まなかった。
彼はしばしば、この世界の「日常」に微かな違和感を覚えた。全てがあまりに完璧すぎて、肌に粟立つような不気味さを感じるのだ。彼の胸中には、幼い頃から常に、かすかな「ノイズ」のようなものが響いている。
この「ノイズ」の感覚は、リオスが物心ついた頃には既に存在した。
幼い頃、村の小川で魚を捕っていた時のことだ。鱗が鮮やかで、完璧な絵画のように群れをなして泳ぐ魚。その美しさに見とれていると、一瞬、魚の体が半透明になり、光の粒子でできたかのように見えたのだ。その光景と共に、彼の耳の奥で「チリチリ」という微かな電子音のようなものが響いた。
それはすぐに消え、魚も元の姿に戻ったが、リオスの心には、この世界が「あまりにも完璧すぎるがゆえの不自然さ」という疑問が刻まれた。以来、時折、「ノイズ」が響き、世界の輪郭が曖昧に揺らぐ奇妙な感覚に襲われるようになった。それは、この世界のどこかに隠された「歪み」を、彼にだけ感じ取らせる、奇妙な感覚だった。
「リオス、今日も森へ行くのかい?」
畑仕事の手を休めた村の老人が、屈託のない笑顔で声をかけてきた。老人の顔には深く刻まれた皺があり、平和を信じ切った光が宿るが、最近の異変への不安も滲んでいた。
「ええ、魔物が増えているようなので」
リオスは簡潔に答えた。彼の声には、抑揚が少なく、どこか周囲の「完璧な日常」とは馴染まない、わずかな不協和音があった。
「ああ、困ったものだよ……。最近は妙な魔物も出るようになって、みんな不安がっているんだ。森の奥には近づかない方がいいぞ」
老人の言葉に、リオスの「歪み」の感覚が微かに強まった。最近、この島では奇妙な出来事が頻発していた。温厚なはずの森の魔物が異常に凶暴化したり、地図にないはずの場所に霧が立ち込めたり。まるで世界の理にエラーが起きているかのようにリオスには感じられた。
村人たちは不安を募らせたが、その根本原因を究明しようとはせず、「森の精霊の怒り」や「神のお告げ」などと漠然とした概念で片付けようとしていた。
彼らに見えない「歪み」が世界を蝕むのだ。いや、彼の「歪み」の知覚は、彼らの認識が、何らかの力によって真実に到達するのを遮断されているのだと訴えていた。
リオスは、大剣を担ぎ、森へと足を踏み入れた。
木々の間を縫うと、街の喧騒は遠ざかり、森特有の静寂に包まれる。しかし、彼の耳には、その静寂に紛れて、よりはっきりと「歪み」の音が聞こえてくるようになった。
それは、無数の電子音が混じり合ったような、不快な雑音だった。それは不快ではあるが、世界が不安定になっている兆候として、常に神経を刺激し、無視できない不快感を与える。目を閉じれば、その音が、まるで半透明のコードが何本も絡み合い、あるいは断線しかけているかのような光景となって、脳裏にちらつく。それは、彼自身の存在の根源、そして世界の隠された構造を垣間見るような、全く理解不能な現象の一つだった。
森の奥へ進むにつれて、リオスは地面に散らばる奇妙な痕跡に気づいた。土が不自然に隆起し、木の葉がねじ曲がる。まるで、巨大なデータが強制的に書き換えられた際に生じるエラーの残滓のように見える。彼の「歪み」の感覚は、この痕跡に近づくほどに強まる。周囲の木々も、まるで解像度が荒くなった写真のように、細部が曖昧に見える瞬間があった。
その時、草むらから異様な唸り声が聞こえた。
飛び出してきたのは、普段見慣れたはずの森ウルフだった。しかし、そのウルフの体は、黒い靄のようなもので部分的に覆われ、目が赤く爛々と光っている。体の一部がピクセル化したように乱れ、まるでテレビの砂嵐が映り込んでいるかのような異様な姿だった。
「……なんだ、これは」
リオスは反射的に大剣を構えた。
ウルフは警戒することなく、猛烈な勢いでリオスに襲いかかってきた。その動きは、通常のウルフよりもはるかに素早く、鋭い。まるで、獲物を狩るためのプログラムが限界まで加速されたかのようだ。
リオスは、自身の「ERROR」の剣技が示す異常な腕前で、なんとか攻撃を受け止め、反撃に転じる。彼の剣筋は流麗で、迷いがない。それは、一般的な達人が持つ「剣気」のような視覚的な輝きはないが、より根源的な「正確さ」と「無駄のなさ」に満ちていた。物理法則の制約を無視するかのような、ありえない角度からの攻撃、予測不能な加速、常識外れの耐久力。それは彼が「ERROR」であること、世界のシステムから逸脱した存在であることの証だった。
しかし、ウルフの動きは予測不能で、まるで本来の行動パターンが乱れているかのようだった。その混乱した動きが、リオスの「歪み」の感覚をさらに刺激する。
激しい攻防の末、リオスの一撃がウルフの急所を捉えた。
ウルフは悲鳴を上げ、その体が黒い靄となって霧散していく。そして、靄が消えた後には、小さなクリスタルのようなものが残されていた。それは、通常の魔物からは「ドロップしない」、異質なアイテムだった。青く透明でありながら、内部に微細な黒い点がいくつも揺らめいている。
リオスはそのクリスタルを拾い上げた。手に取ると、彼の「歪み」の感覚が最高潮に達し、頭痛さえ覚えるほどのノイズが響く。それは、彼の脳内で、無数の数字や記号が高速で点滅しているかのようだ。
彼はこのクリスタルが、この世界の「異常」と深く結びついていることを直感した。この現象が、村人たちが言う「最近の気候変動」や「魔物の活動期」では片付けられない、根源的な問題であることを、彼だけが感じ取っていた。
「この島の異変は、これのせいなのか……?」
その時、彼の頭上から、不意に優しい声が降ってきた。
「あ、あの……大丈夫ですか?怪我はありませんか?」
リオスが顔を上げると、そこに立っていたのは、透き通るような白い肌と、空色の瞳を持つ少女だった。肩まで届く柔らかな髪が、陽光に透けて輝いている。彼女は、薬草の採集籠を抱え、リオスの手に持つ異質なクリスタルを、どこか不安げな表情で見つめていた。
リオスがこの島で暮らす中で、一度も見たことのない顔だった。彼女の服装は、この島の村人たちとは異なる、洗練されたデザインに見えた。
少女は、リオスの剣術の腕前にも驚く様子を見せず、ただひたすらに彼の安否を気遣っている。その澄んだ瞳の奥には、どこか彼自身の「歪み」の感覚に似た、微かな陰りが見て取れた。それは、この世界の「完璧」さに馴染みきれない、ほんのわずかな不協和音。リオスの「歪み」は、この少女からも、自分と同じ種類の「何か」を感じ取っていた。
「俺は大丈夫だ。君こそ、こんな森の奥で何を?」
リオスは努めて平静を装って尋ねた。
少女は少しはにかんで答えた。
「私、ソラって言います。薬草を探しに来たんです。最近、珍しい薬草がこの島の奥で見つかるって聞いて……。でも、まさかこんな魔物が出るなんて。リオスさんは、本当に強いんですね!」
ソラは、リオスの手に持つクリスタルに再び視線を向けた。
「そのクリスタル……もしかして、ノイズが酷い魔物から出たものですか? 兄さんが言ってたんです。最近、世界の色々な場所で、そういう『ノイズ』が混じった魔物や現象が増えてるって……」
「ノイズ……」
リオスは、自身の感じる「歪み」を、彼女が「ノイズ」と表現したことに驚いた。そして、彼女の口から出た「兄さん」という言葉に、微かな期待を抱いた。この少女は、自分と同じように世界の異常を感じ取れるだけでなく、それを「ノイズ」という言葉で表現する者がいることを知っている。
「君の兄は、一体この世界について何を……」
リオスの声が、わずかに熱を帯びた。
ソラは、少しだけ顔を曇らせた。
「詳しくは聞けないんです。でも、兄さんは『この世界は、私たちが思っているような場所じゃない』って……それと、『何か大きな力が、私たちの世界を動かしている』とも」
「大きな力……」
リオスの「歪み」の感覚が、その言葉に反応して、強く振動した。彼の漠然とした疑念、この世界が「舞台装置」であるという感覚に合致する言葉だった。彼自身が認識する剣術の「ERROR」の数値が、この「大きな力」という言葉と強く結びつくような感覚が、リオスの脳裏をよぎる。
ソラは、リオスの不安げな表情を見て、慌てたように言った。
「でも、兄さんは、いつかきっと大丈夫になるって! 私たちが本当の世界を取り戻せるって、信じてるんです!」
彼女の言葉は、まるでこの世界の「歪み」を一時的に打ち消すかのような、温かい響きを持っていた。リオスの胸中のノイズが、微かに和らぐのを感じた。
ソラが抱える採集籠の中には、見慣れない種類の薬草がいくつか見えた。もしかしたら、彼女はアストラルム大陸のエテルナ・セントラルから、この珍しい薬草を求めて、遠路はるばるこの孤島までやってきたのかもしれない。そうであれば、彼女の兄が語る「世界の様々な場所」という言葉にも、より現実味が帯びてくる。
この出会いが、彼がこの世界の「真実」を知るための、最初の一歩となることなど、この時のリオスは知る由もなかった。
彼の胸中で響く「歪み」のノイズは、まだその正体を明かすことなく、静かに、しかし確実に、彼の運命を大きく揺さぶり始めていた。
そして、彼自身の、そしてこの世界の、隠された物語が、今まさに幕を開けようとしていた。
石造りの家々。小川のせせらぎ。畑で働く人々の朗らかな声。全てが平和で満ち足りた営みに見えた。だが、この裏には、想像を絶する壮大なシステムが隠されていることを、村の誰もが知らなかった。
「救世の村」に住むリオスは、冒険者ギルドでDランクの依頼をこなし、日銭を稼ぐ日々を送っていた。彼の相棒である大剣を振るう剣術は、村人たちから「天賦の才」と称賛されるほどだった。
しかし、彼らの目には見えない、リオス自身にしか認識できない数値が、彼の視界の片隅に常に浮かんでいた。
それは──
《剣術熟練度:ERROR》
という、異様な文字だ。
リオスは、この数値が異常だと知っていた。
この世界では、人々は生まれながらに自身の能力を熟練度として認識する。剣術、魔法、農業、鍛冶、採集、料理……あらゆる営みには見えない数値が付与され、努力や経験で数字は伸び、スキルは向上し、生活は豊かになる。
それはこの世界の「成長の理」であり、誰もが自身の熟練度を自覚し、互いのそれを測り、競い、努力の証として語り合った。熟練度を上げることで、特定の「スキル」を習得したり、既存のスキルの効果を強化したり、あるいは「魔法」の詠唱を覚え、魔力を高めたりするのが、このエーテルニアにおける成長の常識だった。
だが、リオスの「剣術熟練度」だけは、その見慣れた数値の代わりに「ERROR」と表示される。他の熟練度は正常なのに、肝心の大剣だけがシステムから弾かれたかのように。
彼は剣術スキルは持つが、魔法は一切使うことができなかった。
この異様な表示は、彼が世界の「正常」から逸脱した存在である証だった。この異常性が知られれば、彼は世界の「理」から外れた異物として、「修正」や「排除」の対象となるのではないか──確かな根拠はないが、その根源的な不安が常に彼に付き纏っていた。
だからこそ、彼はこの異質な才能と、視界に現れる奇妙なウィンドウの存在を、誰にも打ち明けることができなかった。それは、彼の身体と世界が、どこか噛み合わない不協和音を奏でているかのようだった。
リオスは、目立つことを好まなかった。
彼はしばしば、この世界の「日常」に微かな違和感を覚えた。全てがあまりに完璧すぎて、肌に粟立つような不気味さを感じるのだ。彼の胸中には、幼い頃から常に、かすかな「ノイズ」のようなものが響いている。
この「ノイズ」の感覚は、リオスが物心ついた頃には既に存在した。
幼い頃、村の小川で魚を捕っていた時のことだ。鱗が鮮やかで、完璧な絵画のように群れをなして泳ぐ魚。その美しさに見とれていると、一瞬、魚の体が半透明になり、光の粒子でできたかのように見えたのだ。その光景と共に、彼の耳の奥で「チリチリ」という微かな電子音のようなものが響いた。
それはすぐに消え、魚も元の姿に戻ったが、リオスの心には、この世界が「あまりにも完璧すぎるがゆえの不自然さ」という疑問が刻まれた。以来、時折、「ノイズ」が響き、世界の輪郭が曖昧に揺らぐ奇妙な感覚に襲われるようになった。それは、この世界のどこかに隠された「歪み」を、彼にだけ感じ取らせる、奇妙な感覚だった。
「リオス、今日も森へ行くのかい?」
畑仕事の手を休めた村の老人が、屈託のない笑顔で声をかけてきた。老人の顔には深く刻まれた皺があり、平和を信じ切った光が宿るが、最近の異変への不安も滲んでいた。
「ええ、魔物が増えているようなので」
リオスは簡潔に答えた。彼の声には、抑揚が少なく、どこか周囲の「完璧な日常」とは馴染まない、わずかな不協和音があった。
「ああ、困ったものだよ……。最近は妙な魔物も出るようになって、みんな不安がっているんだ。森の奥には近づかない方がいいぞ」
老人の言葉に、リオスの「歪み」の感覚が微かに強まった。最近、この島では奇妙な出来事が頻発していた。温厚なはずの森の魔物が異常に凶暴化したり、地図にないはずの場所に霧が立ち込めたり。まるで世界の理にエラーが起きているかのようにリオスには感じられた。
村人たちは不安を募らせたが、その根本原因を究明しようとはせず、「森の精霊の怒り」や「神のお告げ」などと漠然とした概念で片付けようとしていた。
彼らに見えない「歪み」が世界を蝕むのだ。いや、彼の「歪み」の知覚は、彼らの認識が、何らかの力によって真実に到達するのを遮断されているのだと訴えていた。
リオスは、大剣を担ぎ、森へと足を踏み入れた。
木々の間を縫うと、街の喧騒は遠ざかり、森特有の静寂に包まれる。しかし、彼の耳には、その静寂に紛れて、よりはっきりと「歪み」の音が聞こえてくるようになった。
それは、無数の電子音が混じり合ったような、不快な雑音だった。それは不快ではあるが、世界が不安定になっている兆候として、常に神経を刺激し、無視できない不快感を与える。目を閉じれば、その音が、まるで半透明のコードが何本も絡み合い、あるいは断線しかけているかのような光景となって、脳裏にちらつく。それは、彼自身の存在の根源、そして世界の隠された構造を垣間見るような、全く理解不能な現象の一つだった。
森の奥へ進むにつれて、リオスは地面に散らばる奇妙な痕跡に気づいた。土が不自然に隆起し、木の葉がねじ曲がる。まるで、巨大なデータが強制的に書き換えられた際に生じるエラーの残滓のように見える。彼の「歪み」の感覚は、この痕跡に近づくほどに強まる。周囲の木々も、まるで解像度が荒くなった写真のように、細部が曖昧に見える瞬間があった。
その時、草むらから異様な唸り声が聞こえた。
飛び出してきたのは、普段見慣れたはずの森ウルフだった。しかし、そのウルフの体は、黒い靄のようなもので部分的に覆われ、目が赤く爛々と光っている。体の一部がピクセル化したように乱れ、まるでテレビの砂嵐が映り込んでいるかのような異様な姿だった。
「……なんだ、これは」
リオスは反射的に大剣を構えた。
ウルフは警戒することなく、猛烈な勢いでリオスに襲いかかってきた。その動きは、通常のウルフよりもはるかに素早く、鋭い。まるで、獲物を狩るためのプログラムが限界まで加速されたかのようだ。
リオスは、自身の「ERROR」の剣技が示す異常な腕前で、なんとか攻撃を受け止め、反撃に転じる。彼の剣筋は流麗で、迷いがない。それは、一般的な達人が持つ「剣気」のような視覚的な輝きはないが、より根源的な「正確さ」と「無駄のなさ」に満ちていた。物理法則の制約を無視するかのような、ありえない角度からの攻撃、予測不能な加速、常識外れの耐久力。それは彼が「ERROR」であること、世界のシステムから逸脱した存在であることの証だった。
しかし、ウルフの動きは予測不能で、まるで本来の行動パターンが乱れているかのようだった。その混乱した動きが、リオスの「歪み」の感覚をさらに刺激する。
激しい攻防の末、リオスの一撃がウルフの急所を捉えた。
ウルフは悲鳴を上げ、その体が黒い靄となって霧散していく。そして、靄が消えた後には、小さなクリスタルのようなものが残されていた。それは、通常の魔物からは「ドロップしない」、異質なアイテムだった。青く透明でありながら、内部に微細な黒い点がいくつも揺らめいている。
リオスはそのクリスタルを拾い上げた。手に取ると、彼の「歪み」の感覚が最高潮に達し、頭痛さえ覚えるほどのノイズが響く。それは、彼の脳内で、無数の数字や記号が高速で点滅しているかのようだ。
彼はこのクリスタルが、この世界の「異常」と深く結びついていることを直感した。この現象が、村人たちが言う「最近の気候変動」や「魔物の活動期」では片付けられない、根源的な問題であることを、彼だけが感じ取っていた。
「この島の異変は、これのせいなのか……?」
その時、彼の頭上から、不意に優しい声が降ってきた。
「あ、あの……大丈夫ですか?怪我はありませんか?」
リオスが顔を上げると、そこに立っていたのは、透き通るような白い肌と、空色の瞳を持つ少女だった。肩まで届く柔らかな髪が、陽光に透けて輝いている。彼女は、薬草の採集籠を抱え、リオスの手に持つ異質なクリスタルを、どこか不安げな表情で見つめていた。
リオスがこの島で暮らす中で、一度も見たことのない顔だった。彼女の服装は、この島の村人たちとは異なる、洗練されたデザインに見えた。
少女は、リオスの剣術の腕前にも驚く様子を見せず、ただひたすらに彼の安否を気遣っている。その澄んだ瞳の奥には、どこか彼自身の「歪み」の感覚に似た、微かな陰りが見て取れた。それは、この世界の「完璧」さに馴染みきれない、ほんのわずかな不協和音。リオスの「歪み」は、この少女からも、自分と同じ種類の「何か」を感じ取っていた。
「俺は大丈夫だ。君こそ、こんな森の奥で何を?」
リオスは努めて平静を装って尋ねた。
少女は少しはにかんで答えた。
「私、ソラって言います。薬草を探しに来たんです。最近、珍しい薬草がこの島の奥で見つかるって聞いて……。でも、まさかこんな魔物が出るなんて。リオスさんは、本当に強いんですね!」
ソラは、リオスの手に持つクリスタルに再び視線を向けた。
「そのクリスタル……もしかして、ノイズが酷い魔物から出たものですか? 兄さんが言ってたんです。最近、世界の色々な場所で、そういう『ノイズ』が混じった魔物や現象が増えてるって……」
「ノイズ……」
リオスは、自身の感じる「歪み」を、彼女が「ノイズ」と表現したことに驚いた。そして、彼女の口から出た「兄さん」という言葉に、微かな期待を抱いた。この少女は、自分と同じように世界の異常を感じ取れるだけでなく、それを「ノイズ」という言葉で表現する者がいることを知っている。
「君の兄は、一体この世界について何を……」
リオスの声が、わずかに熱を帯びた。
ソラは、少しだけ顔を曇らせた。
「詳しくは聞けないんです。でも、兄さんは『この世界は、私たちが思っているような場所じゃない』って……それと、『何か大きな力が、私たちの世界を動かしている』とも」
「大きな力……」
リオスの「歪み」の感覚が、その言葉に反応して、強く振動した。彼の漠然とした疑念、この世界が「舞台装置」であるという感覚に合致する言葉だった。彼自身が認識する剣術の「ERROR」の数値が、この「大きな力」という言葉と強く結びつくような感覚が、リオスの脳裏をよぎる。
ソラは、リオスの不安げな表情を見て、慌てたように言った。
「でも、兄さんは、いつかきっと大丈夫になるって! 私たちが本当の世界を取り戻せるって、信じてるんです!」
彼女の言葉は、まるでこの世界の「歪み」を一時的に打ち消すかのような、温かい響きを持っていた。リオスの胸中のノイズが、微かに和らぐのを感じた。
ソラが抱える採集籠の中には、見慣れない種類の薬草がいくつか見えた。もしかしたら、彼女はアストラルム大陸のエテルナ・セントラルから、この珍しい薬草を求めて、遠路はるばるこの孤島までやってきたのかもしれない。そうであれば、彼女の兄が語る「世界の様々な場所」という言葉にも、より現実味が帯びてくる。
この出会いが、彼がこの世界の「真実」を知るための、最初の一歩となることなど、この時のリオスは知る由もなかった。
彼の胸中で響く「歪み」のノイズは、まだその正体を明かすことなく、静かに、しかし確実に、彼の運命を大きく揺さぶり始めていた。
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