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『終わりから始まる物語』

第4話『ダンジョンの心構え』

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 青年はエリディアル王国の中心に位置する巨大都市の周囲を囲う様にそびえ立つ外壁の内側にいた。


 正確に言うのであれば、外と中を繋ぐ為に設置されている門の前にだ。外壁には四つの門が存在しており、これらでは主に入国審査を行うのだが、エリディアル王国や他国が発行したギルドカード、もしくは滞在目的などの提示といった身分証明が出来るのならば何も問題はない。勿論王国からダンジョンへ行く際や依頼をこなさなければいけない場合、そして観光や用事といった所用で他国へと赴く事があるのならば必ずこの門を通過しなければいけない。
 もし国外からの不法侵入や許可なく勝手に国から出た場合には即座に国王直属の粛清部隊が察知し、厳粛な取り調べや罰が実行されるという噂がある。嘘か真かは定かではないのだが、その末路を知るのは当然の如く当人、もしくは関係者だけである。


 門の前には多からず少なからずといったような数の人々が並んでいる。その中には馬車があり、傍には護衛の任に就く冒険者といった風貌の男女が数人固まっているのが分かる。先頭で行商人風の男とリーダーらしき男性が会話していることから、おそらくはこれからの予定を照らし合わせているのだろう。
 この世界では日常茶飯事なのでエーヤはさして気にも留めず彼らから視線を外す。ふと見上げるとそこには視界いっぱいに石壁が広がっていた。

 都市を防衛する外壁は一定の高度を保っており、青年の身長の何十倍もの高さがある。普段遠くで見るとそれ程の高さには感じないのだがやはり近くで見てみるとその高度に圧倒される。といってもエーヤにとっては最初は驚いたりもしていたのだがもう既に見慣れた光景である。あれが崩れたらみんな下敷きになるなー、などと物騒な事を頭の中で考える内に列の人数は徐々に少なくなり、ようやくエーヤの順番がやってきた。



「はい、それでは良い旅を。次どうぞ………って、エーヤじゃないか。これからどこかへ行くのか?」


 キラッ!という効果音が聞こえてきそうなほど健康的な白い歯を見せながら爽やかに話しかけてくるこの男性は『守《も》りびと』と呼ばれるこの国を守るべく配置される役職に就いている。エーヤは様々な依頼を度々受けていたという事もあり、もうすでに顔馴染の関係になっていた。
 この一日で同じ問いかけにも慣れたのか、淀みなくその問いに返事を返す。


「ダンジョンに行くんだよ。久々だし少し肩慣らしにな。オリバーこそ、こんな強い日差しの中に精が出るな」
「はっはっはっ、『中に精が出る』とはエーヤも中々ストレートに下ネタに走るようになったじゃないか!」
「いつも思うけどあんたの思考回路どうなってんだ!?」


 唐突でありながらある程度予想していた返しにエーヤは叫ぶ。そうなのだ。このオリバーと名乗る男、見た目はとても紳士的で誠実そうなのだが、その反面下ネタが好きなのである。
 黄色の短髪でとても真面目そうな顔つき、筋肉が盛り上がっている全身には銀色の光沢が輝く鎧を着込んでいる彼。その鎧は重厚な趣に見えるのだが、その実機動力が優れており可動性が高いらしく、衝撃耐性や移動速度を損なわないなどあらゆる面で早急に対処する事が可能であると言われている。


「ったく、下ネタさえ言わなければ誠実・長身・精悍さの三拍子を兼ね備えた美丈夫だろうに」
「何を言うんだ。私から下ネタを抜き取ったら普通の守り人になってしまうんだぞ。普通! ノーマル! 世の中には普通が一番という者もいるが私は認めない。普通に価値はあるか? 否! それでは個性がない! それなら世の中の人間、最低限でも性癖はSかMかどちらかは露呈しておけぇぇぇぇぇぇ!」
「ダメだこの人色々台無しだ!?」


 見た目は良いのに中身のせいでがっかりである。半ば熱くなり目を見開きながら暴走しかけたオリバーだったが、ある程度声を張り上げたら落ち着いたようだった。
 ふぅ、と息を整えるとエーヤに改めて向き合う。


「ごほんごほん…………。よし、それでは気を付けてダンジョンに行ってきなさい。本来ならギルドカードを提示してもらうんだが―――俺が知っている。大丈夫だ」
「おい何を今更取り繕おうとしてるんだよ。俺の後ろにはまだ並んでいる人がいるんだからな。もうさっきの言葉は消せないしそんな白い歯を見せながらキラッとした笑顔で送り出そうとしても無駄だぞ」
「おや、そういえばあの幼子は今日はいないのだな。いつでも何処でも一緒に行動しているのになぁ。ところで、俺は休暇以外はいつもここに立ちながら通行人の確認を行なっている。結果的に様々な人々と会話する機会も多いのだが………エーヤ・クリアノートという冒険者は『ロリコン』と吹聴してもいいのだろうかなぁ?」
「自分の事はスルーしつつも小さな声で俺を脅すのはやめてくれませんかねぇ!?」


 自分の変態性は棚に上げつつ遠い目をしながら素知らぬ顔でオリバーは言葉を放つ。所々、意図的に言葉の端々に強調するようなニュアンスが込められており、エーヤは思わず声を大にしてしまった。
 オリバーという人物の人柄もあるのだろうが、守り人ともあろう人物が門で吹聴したとなると都市中に広がってしまう速度は早い。しかもエーヤは世にも珍しい黒髪だ。もし『ロリコン』だなんて事が広まってしまったら都市中の人間から冷たい視線に晒されると共に、距離を置かれてしまう。幸いにも先程の最後の言葉は辛うじて耳で拾える程度の音だったので問題は無いだろうが一抹の不安を覚える。
 つい先刻冒険者ギルドでナナリーから『ド変態なんですか?』と言われた事を思い出す。大多数の男性冒険者から生暖かい視線を送られたが、ギルドにいた少数の女性冒険者からは一定水準よりやや冷ややかな温度の目で見られたことは忘れない。


「………はぁ、それじゃあ行ってくる」
「気を付けて行ってこい! 良い冒険を!」


 エーヤはサムズアップするオリバーに見送られながら門を通過し、郊外へと出ていった。




◆◇◆



 ダンジョンといえばどのような内部を想像するだろうか。一本道のごつごつした岩場に囲まれる薄暗い所か。はたまたそこら中に罠が待ち受けており、これ見よがしにスイッチが設置されているのか。場合にもよるがそれらが兼ね備えられているとなると危険な場所には変わりないだろう。十分な視界が開けず足元が疎かになってしまったり、ダンジョン特有の雰囲気のせいで時にはリスクや危険を顧みずに無謀に挑戦しようと先走ってしまう冒険者が後を絶たないからだ。


  
 ―――現在エリディアル王国周辺にはダンジョンが多数確認されている。当然の事だが現時点ではほぼ全てのダンジョンが騎士団や冒険者ギルドの協力のもと踏破済みだ。各ダンジョンは千差万別でありそれぞれランクが付けられている事から、似たような特色はあるが全く同じダンジョンは存在しないという事が分かっている。

 何しろダンジョン、すなわち"迷宮"は『生きる箱庭』とも別称で呼ばれている。初めは薄暗い洞窟の形状なのだが、時間が経過するとともに地形が変化し内部形状が整えられる事で迷宮が完成されていく。生物と同じく成長するようであることからこのように呼称されるようになったのだ。
 それが冒険者にとって『吉』を齎すモノなのか『凶』を与えるモノなのか、未だ誰にも計り知れない。



 中でも世界に誕生した無数のダンジョンの内、有名的なダンジョンが七つある。



第一宮ファースト・ガーデン『金飾の城』
第二宮セカンド・ガーデン『死の森』
第三宮サード・ガーデン『大氣の蜃気楼』
第四宮フォース・ガーデン『微笑みの堕落』
第五宮フィフス・ガーデン『羨望の領域』
第六宮シックスス・ガーデン『草原の恵み』
第七宮セブンス・ガーデン『狂う黄昏』



 この七つの迷宮は他の通常の迷宮と比較すると総じて魔素の濃度が濃い事や特殊性から『七大迷宮』と呼ばれている。そもそも地上に漂う魔素よりも通常の迷宮の方が濃いのだが、更にそれよりも何倍も濃密で量も多いのが七大迷宮なのだ。一般の冒険者ではその空間に入った瞬間に急激な吐き気や悪寒、眩暈といった体調の変化が見られるのでこれらの迷宮を探索出来る者は限られてくる。昔、とある出来事が起こった為その管理はエリディアル王国の隣国に位置する『ヴェルダレア帝国』へと一任されており、探索する許可は帝国を通さなければ一切の侵入を認められない事になっている。
 
 ダンジョンの仕組みや構造は徐々に解明されつつあるのだが、何故この世界に迷宮が誕生するのかはまだ誰にも分からない。しかし冒険者が夢見るその世界は未知なる事象で成り立っている。その真実は未だ明かされていないが、興味や関心、あらゆる思惑を―――『欲望』を抱く者によってその全貌を垣間見るのはそう遠くはない話だろう。
 





「うーっ! 超絶美幼女精霊リル、大・復・活!」


 森の中を歩いていたエーヤの目の前にふわりと現れ、絹のような銀髪が柔らかく揺れる。無事に着地したリルは腰に手を当てて目元に置いたピースサインをこちらに向けながら声をあげた。『ティアーズ』にいた時とは違いぐったりしている様子はなく全身から元気が溢れ出ている。
 兆候も無くいきなり目の前に出現した事で少しだけびくっと肩を揺らすエーヤ。ポーズをしばらくとり続けているリルにそんな心情を悟らせまいと言葉を紡ぐ。


「もう大丈夫なのか? あと少しでダンジョンに到着するからまだ休んでても良いんだぞ」
「あれから十分休んだから問題ナッシング! 歩いてばかりで退屈しているだろうから話し相手になってあげるんだよ」
「そうかいそうかい」


 エーヤは返事をしながら笑みを溢す。止めていた足どりを再び戻しながら先行している彼女を見やると楽しそうに軽快なスキップを踏んでいる。


「で、久々のダンジョン探索あそびはどこに行くの?」
「お前にとってダンジョンはアスレチック気分か…。今回は『大空洞だいくうどう』に行くとするよ。あそこは何の変哲もないBランクだが、殺伐とした環境に馴染むとしたらもってこいの場所だろ?」
「うひゃあ、あそこかぁ! 確かに肩慣らしとしては丁度良いかもなんだよ。あの時は頭上から何個も鉄球が落ちてきて楽しかったなぁ」
「どこがだ! どっかの幼女精霊さんがうずうずしながら壁際のボタンを押したせいで鉄の雨がドバドバ降ってきたわ! 『身体強化フィジカル・ライズ』を使って俺の身体速度と頑丈さが上昇してなけりゃあとっくに死んでいたぞ。二、三個当たっただけで済んだから事なきを得たけど」
「………………それでも十分死に瀕するぐらいあぶないってことに気が付かないのー?」


 「エーヤってたまに感覚が麻痺してるんだよー」と、そう小声で呟き、呆れたようにやれやれとジェスチャーを行なうリル。

 『大空洞』とは魔物あり罠ありのBランク指定されているダンジョンである。その全貌は仄かに灯りが灯っている洞窟で、その質感は凹凸がある程度なだらかな岩となっている。迷宮内は全体的に幅広く、その通路は一本道になっており、しばらく散策すると分かれ道となる分岐点が現れるのが特徴だ。
 王国周辺に存在する迷宮の内の一つで、七大迷宮と比較してみるとその難易度は大幅に下がる。そこに出現する魔物が別段強力な訳でもなく、環境や罠が特別危険な訳でもない。―――要は『普通』なのだ。それも数多くの冒険者がソロでも問題なく探索できる程。魔力の元となる魔素が膨大であるという事ではないのだが、だからといって特に何も準備をせずに挑もうとすると命を落とす可能性もあるので油断は出来ない。

 ぽつりと呟かれた言葉はエーヤの耳には届かなかったようで首を傾げる。


「ん?」
「ま、ダンジョンに行くのなんてほんっとーに久方ぶりなんだよー。あの時・・・ぶりだね」
「………そうだな。あれ・・以来、どうしてもダンジョンに行く気にはなれなかった」


 脳裏によぎるのは過去自分が犯してしまった過ち。出会って日が短いのにも関わらず、何も警戒心を抱かずに笑顔で接してくれた少女。理知的な瞳を宿しながらも飾らない純粋な言葉で自分を支えてくれた、そんなたった一人の女の子を、俺は―――、



「はいストップー」
「っ!」


 はっと気が付けばエーヤの頬を両手で包み込んだリルの顔が近くにあった。こちらを至近距離で見つめるリルの瞳にはネガティブな考えを遮るように、仄かに嗜める色が含んでいる。一瞬だけ呆然としたがその小さな掌で頬をぐにぐにと触られると思わずエーヤは非難の声をあげた。


「にゃにしゅんだ」
「思いつめすぎなんだよ。あれはエーヤのせいだけじゃない。あの場にいた全員が背負うべき『罪』なの。だから、たった一人で抱え込まないで」


 普段通りを装いながらもリルの悲痛な訴えにどうしても目を逸らすことが出来ない。最後の言葉が僅かに震えていたのは気のせいだろうか。リルは伏し目がちになると頬の添えられた小さな手をそっと離してゆく。浮遊していたその小さな身体をゆっくりと地面に着地させると前を向いた。


「今回はあくまで『肩慣らし』なの。だから気を楽にして、ダンジョンを楽しもう?」
「………リル」


 振り向き様に柔らかな笑みでこちらを見るリル。一見何も変わらない普段通りの様子だ。だがどうしてもエーヤの目には無理をしているように見えて。


「…………そうだな、折角久々のダンジョンなんだし楽しまなきゃ損だよな」


 エーヤは目の前の彼女リルにそんな表情をして欲しくなかった。だから、先程までの暗い思いを頭の片隅に置く。
 空元気でも一応は元気の部類に入るだろう、と自分自身を無理矢理納得させた。


「そうなんだよ! それに、新しい出会いが待っているかもしれないしね!」
「出会い?………ハッ、ダンジョンで都合良くボーイミーツガール展開が繰り広げられるってか? 現実で期待するだけ無駄だろ」


 エーヤは「でも漫画だったら王道の展開だよなー」と歩きながら思わず口をこぼす。


「今時ベッタベタなテンプレはもう時代遅れなんだよ。もしこの世界にそんな娯楽小説があったら片っ端から抹消したいくらいだよ」
「一体どんな恨みがあるっていうんだ…………」


 横で歩いているリルの顔を覗き込んでいると表情は穏やかなのだが幾分か目が据わっているようにみえる。その様子に若干呆れつつもなんとか返事を返した。




 ダンジョンに向かって行進している途中、正確にはリルに過去を想起させられたその時からというべきか。エ―ヤの脳裏にはどうしても暗い感情がちらつく。





『貴方は強い人。きっと周りを照らす存在に………、誰かの心に寄り添える道標を示してくれる、そんな人になれるわ。この私が保証するんだもの、腐ったりしたらただじゃおかないわよ?』






 爽やかで優しげな若草色が印象的な髪を揺らしながら、幼さを残しながらも美しい顔立ちで明るくこちらに微笑む少女をふと思い浮かべる。



  ―――そんな高尚な人間に、未だに手が届きそうにないよ。




 今は亡き女性の言葉に、ただ胸中で力なく呟いた。




 静止した運命が再び動く瞬間ときは近い。

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