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あの後、そのまま寝た
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──そうして人は、定住するのをやめた。
ある日、ある時。日常は崩壊した。界外から、いつの日にか落ちてきていたものは、大陸のプレートの隙間に挟まり、マントルを進み、地球の核にたどり着いた。まるでウイルスに感染したときに発熱するように。侵入者に対してなにがしかの対応策がとられるように、地球も対外物質に対策を取った。それは地殻の破壊を意味し、再構成されたものは人間にとって害でしかなかった。すでにその材料となった地球の内側は、界外物質によって汚染されていたからだった。しかし、人間がわずかながらも存続できたのには、それまで悪と言われてきていたはずの汚染を行っていたからであった。水質、大気そして土壌。人間にすでに汚染されていた内側は、界外物質の影響を受けなかった。そのため、人間が住んでいた場所とその近郊は破壊されずにすんだのである。
しかし、再構成された土壌に発生した汚染は空気中へと染みだし、このままでは人間が滅びるのも時間の問題だった。そこで考えられたのが「高層都市」というものであった。今までの科学の粋を集め、建物の乗っている地殻ごと四足の脚がついた台座に乗せ、一番汚染の影響が強い地表から遠ざける。また都市の周りを覆うように透明なビニールのようなものを半球状にかけ、都市内部に送り込む空気を浄化することによって空気による汚染を減少させる。最初はそこに立っているだけであった。しかし再構成された表面のどこかにより汚染の少ない、今までと同じように定住できそうな土地があるのだという幻想が生まれ、いつしか移動するようになっていった。そうしていつの時にか人々はなぜ移動するのかという疑問すら持たなくなった。そうして移動するのが普通だとも考えるようになった。そのようなことを行い始め、いつの日か「歩行都市」と呼ばれるようになっていった。
物質がもたらした汚染進度というものは、全世界に一定というわけではなかった。汚染の進行がひどい都市ほど、様々な身体への障害が現われた。身長が大人であっても子供程度にしかならない都市もあったり、男女比率が著しく異なるような出生率になる都市もあったりした。それと同時進行するように特殊な力に目覚めることがあった。しかし、その汚染がもたらしたものはおそらく、そのようなものに目覚めるきっかけ。つまりは元々自分の潜在能力であった。そのため魔法のようなものではなく、職人の勘というものがすこし鋭くなった程度である。
そんな特殊能力に目覚めた都市のひとつとしてあげられるのが自由都市シーラであった。シーラの住人たちは、もともと金属加工に特化したギルドに所属する職人たちであった。シーラに目覚めた能力とは、見ればその温度がわかるというものが主であった。また人によっては原石の選別にも目覚めており、様々な作成物に合った鉱石を見繕えるようになった。結果的にその能力により品質を向上させるものだった。シーラの中でも有名なギルドの一つとしてあげられるのが「ローン」という血族が主体となったギルドであった。そのローンギルドは武器の作成に特化しており、実用的なものや装飾用などの様々な武器をその客に合わせて制作していた。
いつもと変わらない朝、いつもと変わらないギルドメンバー。平常通りと言えばそうなのかもしれないけれど、それが果たしていいものなのかはわからない。このローンギルドという大所帯の中で、今日も生活していく。いずれこのギルドを次ぐ、ギルドマスターとして。
朝、いつものようにギルドマスターの部屋へと向かい、追加の依頼が来たのかそうではないのか聞きに行く。それがいつもの私のルーティーン。扉をノックして、返事を聞かずに開ける。一見失礼に思えるのかもしれないが、それがこのローンギルドのルールなのだから仕方ない。
「おはようございます」
「あぁ、おはようエルバ。今日の依頼の束だ」
そう言って、クリップで留められた数枚の紙が渡される。今のギルドマスターであり、私の父であるギレス・ローン。親子でありながら事務的な内容しか基本的には話さない。親子としての関係は希薄で私もたぶん他の人達と同様にギルドメンバーの一人としてみられているのだと思う。それに全く寂しさを感じないわけではないけれど、別にかまわない。私は自分が一人前だと思っていないから、これでいいと思う。
「はい。わかりました。ギルドマスター」
だから私も、父親としてではなくギルドマスターとして父を見ているのだと思う。いずれ私がギルドマスターとなるのかもしれないときには、みんなを守っていけるように。
父親代わりはギルドメンバーの中にたくさんいた。だからギルドマスターが父だからといって父親の役をやる必要はない。そう、私は思う。母親の役も、ギルドメンバーがやってくれた。私の母親は私が生まれてすぐに死んでしまったらしい。父の前のギルドマスターは母だった。父は婿養子でこのローン家へと来たそうだ。本来、ギルドマスターはローンの血を持つものだとされているが、父はみんなに期待されてギルドマスターとなった。前のマスター、母のことなんて作っていた武器種と残っている作品数点くらいしかわからない。
部屋から出て、そっとマスターの部屋の扉にもたれかかる。追加の件もあることだし、また予定を組み直さなければ。そして今日も一日、研鑽を積まなければ。
「また今日も、頑張らないと」
「えーるちゃん。おっはよ!」
そうこぼした後に扉から離れた。資料に目を通し、どれから手をつけたものかと優先順位をつけつつ歩いていると後ろから腕がまわされる。そうして、むぎゅっと私に抱きつき、私の歩みを阻んだ。視界の両脇に、縛られたエリスさんの赤い髪が躍り出る。声高に可愛らしく、なおかつ語尾にハートマークでもつきそうな言い方をしてはいるが、背中に感じるのは男性らしい、厚い胸板。
「おはようございます。エリスさん」
「んー、エルちゃん。今日もかわいいけど左右で結んでる位置が違うぞ」
エリス・バイアス。それがこの方の名前。毎回三人称で呼ぶときには困るけれど、私は彼女、で通している。彼女がそれを望んでいるから。私に巻き付いていた腕をほどいて、左右の高い位置で縛っていた髪の右側に手を伸ばし、するりとほどいた。
「歩きながら、結んだげる。早く行こー。そうじゃないと、むさ苦しい男どもに朝食取られちゃう」
そう言って、軽く背中を押すエリスさん。今日はいつもの女性用ブラウスにスキニーパンツ、腰に防火の布が巻かれている。私は歩くスピードに気をつけながら食堂へと足を進める。食堂に着く前には、私の髪はエリスさんの手によって整えられていた。
「エリスー! こっちこっち!」
「リリンナ? あんた夜まで仕事だったんじゃないの?」
「そうだよ? だけどその程度でエリスとの朝食に遅れるわけないじゃん。なーに? 私のこと、来ないと思ったの?」
食堂に入ってすぐのこと。隣を歩いていたエリスさんが、遠くから呼ばれる。呼んだのは職人ではなく、事務員としてここで働いているリリンナ・ヴァウラさんだった。年齢のわりに幼く見られるので、言動には気をつけているらしいとは昔誰かから聞いた話だ。確か、エリスさんとは恋人関係だと聞いたことがある。リリンナさんは女性だけど、まぁ別に良いんじゃないかなって思う。
「そうじゃないけど……わかった、行くわ。またね、エルちゃん。」
「ありがとう、さすが私のエリス。」
エリスさんが、リリンナさんの元へと歩いて行った。近くまで寄ると目線を合わせ、リリンナさんがエリスさんの唇にキスをしているのが小さくだけれども見てとれた。あれがリリンナさんの癖。またこのことでエリスさんと喧嘩しなきゃいいけど、と少し思う。喧嘩しても別れるだなんだという話にはなったことがないから、きっと痴話喧嘩のようなものだとは思っているのだけれど。さて、私も自分の席に行かないと。
「おう、おはよう。エルバ」
「エルバさん、おはようございますっ……!」
「あらエルバ、朝の寝癖が直ってはいないわ。後できちんと直しなさい?」
食堂に入って、席に着くまでに、実に様々な人から声をかけられる。ギルドメンバーは家族みたいなものだから、私も親しく話す。みんなは私のことをギルドマスターの娘ではなく普通のナイフ職人だと思っていると私は想っているし、私もみんなには一端の職人達としてそれなりの敬意を持って対応している。
「おはよう、マヌア。昨日のお酒はちゃんと抜けたの?」
「うん、おはようサリ。朝早くから食事係の手伝いご苦労様」
「おはようございますテレジアさん。寝癖……直したはずなんですけど……」
みんなと一言二言話して、自分の席につく。自分の席には食器が準備されていて、自分で大皿に盛られた料理を取りにいく形式。だからエリスさんは早く行こう、って言った。鍛冶場の性質上は、男性が集まりやすい。だが、事務員としてここにいるテレジア・アルヴェーニャさんや先程のリリンナさん、私など女性はもちろんいる。ローン家は古い時代の形式を重視しておらず、実力主義。だから、様々な人が集まるし、それぞれが得意な専門分野を持っている。
私の場合はダガーナイフなどの実用的かつ使いやすさを重視したもの。前のギルドマスター、つまりは母と同じ分野らしくてみんなに驚かれていた。ギルドとしては武器を中心に作ってはいるけれどその作成分野は人によって違う。さっきのマヌア・ハルヴァは大振りの大剣、大太刀と呼ばれる東洋の剣を作るのが上手。サリ……本当の名前はサリデニア・モカ。彼はまだ職人の平均年齢から見れば若いけれど、細かい細工なんかが得意だから刀身に彫り物をしたり鞘を細工で彩ったりとそういうのが得意。それに集中力がすごくて、一度集中すると眠気もなにもかもがふっとんでしまって……誰かが止めなきゃいけないくらい。そう、止めるのもある意味大変なのだけれど。
「いただきます……」
一通りの食事を並べて、手を合わせる。そうして食事に手をつける。
周りではそれぞれ、依頼の話をしたり、今日の日程を話したりと様々だ。依頼の品のデザインを同じ職人の中で相談したり、男性の職人が女性のメンバーに聞いたりしていた。私は頭の中で今日の予定と依頼を擦り合わせていた。
「お前ら聞けー」
来ていたギルドマスターが立ち上がって声を張り上げる。しん、と静まりかえる食堂。私も一言でメンバーを黙らせたり、ギルドすべてのことを取り仕切ったりということができるようにならないと。だから今は、私は自らの姓であるローンを名乗らない。名乗れるだけの、器量をまだ持っていないから。
「今日の助手はリリンナとカミィなー。二人とも飯終わったら俺の部屋に来てくれ」
「えーまた私なんですか? 良いですけどぉ……」
「俺ッスか? となると……顧客はあの人たち、ですかねぇ……わかりました、ギルドマスター」
先程のリリンナさんと私と同じ刃物鍛冶のカミィ・シィレカ。きっとまた嫁入り道具かそれに見立てた暗殺に使われる道具を作るんだろう。彼女はそういうのが得意だから。きっとリリンナさんは今月末の書類を作るために呼ばれたんだろう。テレジアさんも事務員だけど、テレジアさんはここ最近、諜報活動に出っぱなしだったから、今日は非番なのかな?
ギルドマスターが座ると、またうるさくなる食堂。私は黙々と食事を続ける。さっき、挨拶したときに渡された薄っぺらい紙の束。それは全て……私に頼まれた刃物の発注。大きさ、形状、材質に至るまで事細かに書かれたもの。
「エルバ、先いってるわ。依頼書持って来いよー」
先程声をかけてきたアドヴァルタ・カスラ、通称アド。また彼に原石を貰ってこないといけない。まだ私が挨拶したときには結構な量が皿の上に乗っていたと思うのだけど、もう食べ終わったみたい。
「わかってるよ、アド。もう少しで食べ終わるから、準備しておいてくれる?」
私も少しだけ残ったご飯を掻き込むと、ぱんっ! と音を出しつつ手を合わせ、今日の食事係に食器を渡した。そのときにありがとう、と伝えて。
大股で歩いていくアドと、いったん分かれる。自分の部屋に戻って、依頼票を持ってこなくちゃ。その間も道中すれ違うギルドメンバーとも挨拶を交わす。部屋に戻って紙束をひっつかみ、仕事用の手袋も手に取った後アドの仕事場へ。今日も忙しくなりそうだ。
それぞれの都市には、あらかじめの地名と、その都市の方針が決められている。帝国主義を採用している都市であれば帝国都市、自由主義を採用している都市であれば自由都市と。現に自由都市シーラでは、国全体にはいくつかの法律が存在しているが、国の中心は政府ではなく、シーラにあるギルドすべてのギルドマスターが所属する組合にある。そちらでギルド間のいざこざがないように調整している。
すべての都市は移動している。だがすべての都市が一定の方向に動いているわけではない。そのため、都市同士がぶつかりそうになることもある。その衝突のいざこざを解決しなければならないことがある。その解決法は様々あるが、武力行使が行われることが一般的になっている。なんと言ったってわかりやすいからだ。
それだけならいい。都市と喧嘩するのがそれだけの理由であったのなら。しかしシーラは地下資源、具体的には鉱石を多分に必要とする都市であった。自給自足では生活できない、つまりは地下資源を巡って他の都市とぶつかり合うことがあった。シーラは武器職人が集う都市ではあるが、それは生産者としてであって使用者としてではない。そのため、シーラは傭兵の多い帝国都市ガルティアと契約を結び、クラスタを組んでいる。クラスタとは都市同士を連結させ、共に移動するのだ。シーラはその技術で作成した武器をガルティアへ提供する、ガルティアはその武器を用いて自国とシーラを護る。利害の一致ともとれる契約が二つの都市の間で交わされていた。
その帝国都市の兄弟の、とある夜明けすぐ。
──これだから、女は。
俺の目の前には泣き叫ぶ女。その腕には俺が殺した肉塊を抱えている。その名前を叫び続ける。とうにぬくもりなど消えているはずだ。なのに……なぜ、まだそれに執着する?
「どうして……どうしてよ? まだ子供だったのに!」
どうして? それが死ぬさだめにあったからだ。ここは敵陣。味方以外は皆殺し。だから俺は敵側であるそいつを殺した。正しいことだろう? そうじゃないと、俺が殺されてしまう。子供であったとしても、いずれ男になるのだろう? ならば同じ事だ。男であったならば、その辺の物をつかんで俺に殴りかかってきたことだろう。だが女であればひ弱だ。誰かが守らなければ満足に生活もできないもの。子供を産むしか能がない、人間とは……俺ら男性とは一線を違えるもの。そうであるから、女性は政治から何から全ての権利がないと考えられているし、俺もそう思う。男性には劣るから。女は劣等種族だ。殺す必要なんて本来はない。だが任務だ。女も殺す。
「……任務、だからな」
俺はレッグホルスターから銃を取り出す。相対しない、一方的な虐殺。男には敬意を払う。おそらく自分の都市を背負って戦ったのだから。そこらに転がる硝煙の臭い。自分の訓練時には絶対にかぐことのないものが俺にここは戦場なのだと伝えてくる。服を着替えて、風呂に入ったらこの周りと同化しそうな臭いは取れるだろうか。引き金に手をかけて、コッキングボルトを引く。餞別の言葉もない。相手の名前もいらない。俺が殺した、という事実だけあればいい。それ以外は、何もいらない。手首に伝わる衝撃。空薬莢が飛んで、地面に落ちて高い音を立てる。火薬の焼けた臭い。女は赤い花を散らす。子供と死ねて、よかったな。
「ウガラ。作戦終了だ。戻ってこい」
「……わかったよ、兄さん」
右耳に当てられていたヘッドホンから、作戦終了の合図。銃をしまって、その女に背を向ける。女はもう何も言わない。耳障りな高い声はもう聞こえない。小さな肉塊とともに肉塊に成り下がった。女は死体にはなれない。ただの肉塊となって捨てられる。埋葬すらされない。されるのは……男性だけで十分だ。首に駆けてあったバンダナを鼻に引っかけて口を守る。砂嵐のごとく、風に乗って破壊された建物の欠片がこちらへと流れてくる中でバンダナとゴーグルは欠かせない。歩いて戻ると、そこにはもうすでに俺以外の兵は揃っていた。
「おう、遅かったな。つか、銃使ったのか。お前が珍しく硝煙くせぇ」
今回の隊長である俺の兄、エドワード・アルマデ。近くを通り過ぎるとそう言われる。硝煙がまき散らされる中俺だけがその臭いを持たない人になる、俺は普段銃を使わないから余計に気になるのだろう。
「女を屠るために自分の刃を汚す必要はない。そう判断した」
「女……女、なぁ。頭数揃えるためとはいえ、女に何の価値があるんだか」
撤退の準備を進めながら兄さんはそうこぼす。女に何の価値があるのか、と。子供が産めれば、それでいいのかもしれない。生物学上では、男女のまぐわいによって子をなすという。十月十日の末に子供を出産する、それ以外に特筆すべき女性の特徴はない。身体など、子供のためにあるようなものだと聞いたこともある。それに比べて男性は、女性よりも数多くのことをこなすことができる。女性は男性の下位互換だ。だからそんなものに慈悲なんてかける必要がない、そう思う。
「おし、こんなもんか。んじゃ、俺とウガラは先帰るから報告書よろしくな」
「わかりました。お疲れ様です」
部下の兵に見送られて、家に戻るための車に乗り込む。その中でも会話は一切交わすことはなく、それぞれがそれぞれの端末をいじっているだけだったのだが。それでも、ただそこにいるだけで存在感というものが生まれるのだから、男性というものはたいしたものなのだろう。そのなかで報告書もどき……所詮は個別の行動報告書を端末に打ち込んでいく。書式という書式は存在しないから、箇条書きで使った弾薬数、殺した人数、使ったルートを簡潔に書いていく。兄も同じようで、見ている画面が窓ガラスに反射して見えている。鏡映しになっているためこちらからでは見にくいが、箇条書きで何かを書いているようだった。
「到着いたしましたよ。エドワード様、ウガラ様」
そう運転士が言葉を発せば、扉が開く。そこにはきちんとカーペットが惹かれていた。俺は兄に続いて車を降りて、玄関へと進む。庭師や執事が忙しそうに働いていた。侍女はいない、全員男性である。それをぼんやりと眺めながら、兄に続いて家の中に入る。入ってすぐ、二人の男性が顔を見せる。二人はそれぞれの主を見つけると、その前で腰を折った。
「おかえりなさいませ、おはようございます、エドワード様」
「お帰りなさいませ、お早いお帰りで。お早う御座います。ウガラ様」
そっくりの兄弟の双子。それぞれが、それぞれの秘書官。兄エンナ・トートリデとその弟のスイエ・トートリデ。エンナが兄さんの秘書官で、スイエが俺の秘書官。俺はスイエの前に言って、腰を折っているスイエに面を上げるように告げた。兄さんはエンナを連れてもうどこかへと行ってしまった。
「スイエ。風呂を頼めるか」
「すでに準備はできております。こちらへ」
そう言って俺の前を歩き出すスイエ。戦場帰りの疲れた俺の耳に届いたのは金属同士が当たる音。反射的にそちらに目を向ければスイエの左腰には見たことのない刀が帯刀されている。その刀は……反りのない片刃。拵えはシンプルでありながら、このアルマデ家の文様が所々に施されていた。
「……スイエ。その刀、どこで手に入れた?」
俺はスイエにそう聞く。スイエは少し考えた後にこういった。
「協定を結んである自由都市シーラ、そこにある世襲制鍛冶屋のローンギルドのものでございます。ご覧になりますか? ウガラ様」
そう言ってベルトに取り付けるための金具を取り外し、こちらに振り返ってわざわざ跪いてまで刀を差しだしてくる。俺はそれを受け取って、すらりと鯉口を切って刀身をあらわにした。ゆがみなどないしっかりとした刀身。それは振りやすいように磨き上げられており、まるで鏡面のようだった。かざした俺の目は刀が反射した光を難なく受け入れ、俺の後ろの景色をはっきりと映し出していた。鯉口あたりの刀身には竜の模様が入っていた。ぱっと見で実用的でありながらも遊び心を忘れない一級品だと判断した。俺は入った模様を撫でながら、スイエに質問する。
「この刀身に入っている模様。もろくはならないのか?」
「はい、軽量化のためであるそうです。振っていただければわかるかと思いますが、重心や柄の握り等、ガルディアには劣らないものです」
両手で持ち、構えてみればなるほどと感嘆のため息をついた。スイエも俺も、戦闘中は指にぴったりと張り付く革の手袋を使う。そのため、摩擦が素手よりも起こりやすい。摩擦係数が高いとこの場合は言うのだろうか。そのため、柄は少し小さい位が握りやすい。それに握ったときにしっくりとくる感触。重心が手元にあった方が剣先は走りやすいのだ。そこのところもきちんと作り込まれた品だった。
「……お前から見て、ローン家はどうなんだ?」
刀をしまい、スイエに返した。スイエは恭しく受け取ると、また同じように帯刀した。そうして立ち止まってしまったが、風呂場に向かって歩き出す。そのなかで、スイエの背中を見つめながらそう聞く。
「作り手のことを考えず、ガルディアの価値観に当てはめないとするならば、かなり優秀なものでしょう。シーラにはシーラの規定があるようですから」
スイエの答えは淡泊だった。淡泊ではあったものの、どこか言いよどむような、そんな感じだった。シーラとガルディアは一線を違えたものだと、そう言外に含みながら。
「作り手のことを考えたとしたら? あるいはガルティアの価値観に当てはめたとしたらどうなる」
「今のギルドマスターは違いますが、ローン家の前のギルドマスターは女性でした。それをお嫌いになるかと思い、これまでローン家で新たなナイフを作っては、とは申し上げなかったのです。ですが、今度はきちんと男性のギルドマスターです。お作りになってはいかがですか」
なるほど。スイエは俺のことを考えたわけだ。俺は女と言えば娼婦、遊女、あるいは慰安婦しか外では見たことがない。俺を産み落としたはずの母親は父さんの部屋から出てこない。だから俺はおぼろげな記憶の中でしか、母を知らない。
「わかった。一番早い休日は明日だったな?明日にでも行くさ。どうせこっちには来ないのだろう?」
シーラのものは絶対にこっちに赴くことはない。ガルディアの規則に縛られるだとか、シーラの方に機材が揃っているだとか様々な理由をつけて、シーラの者はガルディアには来ない。だがガルディアはシーラを切り捨てることができないのだ。シーラはガルディアよりも様々な水準が高いのだ。武器の性能だってそう。ガルディアよりもシーラの方が……よいものが作れるのだ。なぜかは知らない。知りたくもない。そんなことはどうでもいい。そうとすら感じる。
「はい。では、明日の予定はそのように」
そういうスイエ。まったく、シーラの連中は面倒くさいな。ぴたりと止まったスイエ。どうやら風呂場に着いたようだった。
「着替えは中に準備してあります。他に何かございますでしょうか」
スイエは一歩横にずれて、膝をついた。俺はそのまままっすぐと進み、指紋認証システムを使って扉を開けた。スイエはそのまま、膝をついてうつむいていた。
「ここで待っていなくてもいい」
俺は言葉少なに伝えた。そうして風呂場、もとい脱衣所に入って、鍵を閉めた。中には一山衣服が揃えてあった。その隣には籠。その空っぽの籠に俺は服を脱いでは投げ、脱いでは投げを繰り返す。面倒くさい軍服のボタンを片手で外しながらベルトを緩める。ベルトからホルスターを取り出し、棚の上に置く。脱いだ上着からベルトを取り外すことのないまま籠に放り込む。ショルダーホルスターを外して同じように置き、ネクタイを引き抜く。それを籠の中に落としながら、片手でシャツのボタンを外す。ズボンのバックルを緩めた。シャツを脱ぎ捨て、ズボンベルトについたホルスターとレッグホルスターを外し、ウエストについたポーチサイズの鞄も取り外して棚に置く。ズボンから足を引き抜き、籠の中に片足に引っかかったのを利用して入れる。下着もアンダーシャツも脱ぎ捨てる。これでやっと……俺は自由になった。
「……最悪だな」
腕の臭いを嗅げばいつまでたっても嗅ぎ慣れない戦場を想起させる、戦場と直結した臭い。汗と銃を使ったせいか硝煙の焦げたものと、レンガ造りの建物が多かったからか土臭いもの。一刻も早く湯をかぶって洗い流してしまおう。この砂がついた髪も洗ってしまおう。そうして、きれいになるんだ。あんな戦場を思い出さないように。
ある日、ある時。日常は崩壊した。界外から、いつの日にか落ちてきていたものは、大陸のプレートの隙間に挟まり、マントルを進み、地球の核にたどり着いた。まるでウイルスに感染したときに発熱するように。侵入者に対してなにがしかの対応策がとられるように、地球も対外物質に対策を取った。それは地殻の破壊を意味し、再構成されたものは人間にとって害でしかなかった。すでにその材料となった地球の内側は、界外物質によって汚染されていたからだった。しかし、人間がわずかながらも存続できたのには、それまで悪と言われてきていたはずの汚染を行っていたからであった。水質、大気そして土壌。人間にすでに汚染されていた内側は、界外物質の影響を受けなかった。そのため、人間が住んでいた場所とその近郊は破壊されずにすんだのである。
しかし、再構成された土壌に発生した汚染は空気中へと染みだし、このままでは人間が滅びるのも時間の問題だった。そこで考えられたのが「高層都市」というものであった。今までの科学の粋を集め、建物の乗っている地殻ごと四足の脚がついた台座に乗せ、一番汚染の影響が強い地表から遠ざける。また都市の周りを覆うように透明なビニールのようなものを半球状にかけ、都市内部に送り込む空気を浄化することによって空気による汚染を減少させる。最初はそこに立っているだけであった。しかし再構成された表面のどこかにより汚染の少ない、今までと同じように定住できそうな土地があるのだという幻想が生まれ、いつしか移動するようになっていった。そうしていつの時にか人々はなぜ移動するのかという疑問すら持たなくなった。そうして移動するのが普通だとも考えるようになった。そのようなことを行い始め、いつの日か「歩行都市」と呼ばれるようになっていった。
物質がもたらした汚染進度というものは、全世界に一定というわけではなかった。汚染の進行がひどい都市ほど、様々な身体への障害が現われた。身長が大人であっても子供程度にしかならない都市もあったり、男女比率が著しく異なるような出生率になる都市もあったりした。それと同時進行するように特殊な力に目覚めることがあった。しかし、その汚染がもたらしたものはおそらく、そのようなものに目覚めるきっかけ。つまりは元々自分の潜在能力であった。そのため魔法のようなものではなく、職人の勘というものがすこし鋭くなった程度である。
そんな特殊能力に目覚めた都市のひとつとしてあげられるのが自由都市シーラであった。シーラの住人たちは、もともと金属加工に特化したギルドに所属する職人たちであった。シーラに目覚めた能力とは、見ればその温度がわかるというものが主であった。また人によっては原石の選別にも目覚めており、様々な作成物に合った鉱石を見繕えるようになった。結果的にその能力により品質を向上させるものだった。シーラの中でも有名なギルドの一つとしてあげられるのが「ローン」という血族が主体となったギルドであった。そのローンギルドは武器の作成に特化しており、実用的なものや装飾用などの様々な武器をその客に合わせて制作していた。
いつもと変わらない朝、いつもと変わらないギルドメンバー。平常通りと言えばそうなのかもしれないけれど、それが果たしていいものなのかはわからない。このローンギルドという大所帯の中で、今日も生活していく。いずれこのギルドを次ぐ、ギルドマスターとして。
朝、いつものようにギルドマスターの部屋へと向かい、追加の依頼が来たのかそうではないのか聞きに行く。それがいつもの私のルーティーン。扉をノックして、返事を聞かずに開ける。一見失礼に思えるのかもしれないが、それがこのローンギルドのルールなのだから仕方ない。
「おはようございます」
「あぁ、おはようエルバ。今日の依頼の束だ」
そう言って、クリップで留められた数枚の紙が渡される。今のギルドマスターであり、私の父であるギレス・ローン。親子でありながら事務的な内容しか基本的には話さない。親子としての関係は希薄で私もたぶん他の人達と同様にギルドメンバーの一人としてみられているのだと思う。それに全く寂しさを感じないわけではないけれど、別にかまわない。私は自分が一人前だと思っていないから、これでいいと思う。
「はい。わかりました。ギルドマスター」
だから私も、父親としてではなくギルドマスターとして父を見ているのだと思う。いずれ私がギルドマスターとなるのかもしれないときには、みんなを守っていけるように。
父親代わりはギルドメンバーの中にたくさんいた。だからギルドマスターが父だからといって父親の役をやる必要はない。そう、私は思う。母親の役も、ギルドメンバーがやってくれた。私の母親は私が生まれてすぐに死んでしまったらしい。父の前のギルドマスターは母だった。父は婿養子でこのローン家へと来たそうだ。本来、ギルドマスターはローンの血を持つものだとされているが、父はみんなに期待されてギルドマスターとなった。前のマスター、母のことなんて作っていた武器種と残っている作品数点くらいしかわからない。
部屋から出て、そっとマスターの部屋の扉にもたれかかる。追加の件もあることだし、また予定を組み直さなければ。そして今日も一日、研鑽を積まなければ。
「また今日も、頑張らないと」
「えーるちゃん。おっはよ!」
そうこぼした後に扉から離れた。資料に目を通し、どれから手をつけたものかと優先順位をつけつつ歩いていると後ろから腕がまわされる。そうして、むぎゅっと私に抱きつき、私の歩みを阻んだ。視界の両脇に、縛られたエリスさんの赤い髪が躍り出る。声高に可愛らしく、なおかつ語尾にハートマークでもつきそうな言い方をしてはいるが、背中に感じるのは男性らしい、厚い胸板。
「おはようございます。エリスさん」
「んー、エルちゃん。今日もかわいいけど左右で結んでる位置が違うぞ」
エリス・バイアス。それがこの方の名前。毎回三人称で呼ぶときには困るけれど、私は彼女、で通している。彼女がそれを望んでいるから。私に巻き付いていた腕をほどいて、左右の高い位置で縛っていた髪の右側に手を伸ばし、するりとほどいた。
「歩きながら、結んだげる。早く行こー。そうじゃないと、むさ苦しい男どもに朝食取られちゃう」
そう言って、軽く背中を押すエリスさん。今日はいつもの女性用ブラウスにスキニーパンツ、腰に防火の布が巻かれている。私は歩くスピードに気をつけながら食堂へと足を進める。食堂に着く前には、私の髪はエリスさんの手によって整えられていた。
「エリスー! こっちこっち!」
「リリンナ? あんた夜まで仕事だったんじゃないの?」
「そうだよ? だけどその程度でエリスとの朝食に遅れるわけないじゃん。なーに? 私のこと、来ないと思ったの?」
食堂に入ってすぐのこと。隣を歩いていたエリスさんが、遠くから呼ばれる。呼んだのは職人ではなく、事務員としてここで働いているリリンナ・ヴァウラさんだった。年齢のわりに幼く見られるので、言動には気をつけているらしいとは昔誰かから聞いた話だ。確か、エリスさんとは恋人関係だと聞いたことがある。リリンナさんは女性だけど、まぁ別に良いんじゃないかなって思う。
「そうじゃないけど……わかった、行くわ。またね、エルちゃん。」
「ありがとう、さすが私のエリス。」
エリスさんが、リリンナさんの元へと歩いて行った。近くまで寄ると目線を合わせ、リリンナさんがエリスさんの唇にキスをしているのが小さくだけれども見てとれた。あれがリリンナさんの癖。またこのことでエリスさんと喧嘩しなきゃいいけど、と少し思う。喧嘩しても別れるだなんだという話にはなったことがないから、きっと痴話喧嘩のようなものだとは思っているのだけれど。さて、私も自分の席に行かないと。
「おう、おはよう。エルバ」
「エルバさん、おはようございますっ……!」
「あらエルバ、朝の寝癖が直ってはいないわ。後できちんと直しなさい?」
食堂に入って、席に着くまでに、実に様々な人から声をかけられる。ギルドメンバーは家族みたいなものだから、私も親しく話す。みんなは私のことをギルドマスターの娘ではなく普通のナイフ職人だと思っていると私は想っているし、私もみんなには一端の職人達としてそれなりの敬意を持って対応している。
「おはよう、マヌア。昨日のお酒はちゃんと抜けたの?」
「うん、おはようサリ。朝早くから食事係の手伝いご苦労様」
「おはようございますテレジアさん。寝癖……直したはずなんですけど……」
みんなと一言二言話して、自分の席につく。自分の席には食器が準備されていて、自分で大皿に盛られた料理を取りにいく形式。だからエリスさんは早く行こう、って言った。鍛冶場の性質上は、男性が集まりやすい。だが、事務員としてここにいるテレジア・アルヴェーニャさんや先程のリリンナさん、私など女性はもちろんいる。ローン家は古い時代の形式を重視しておらず、実力主義。だから、様々な人が集まるし、それぞれが得意な専門分野を持っている。
私の場合はダガーナイフなどの実用的かつ使いやすさを重視したもの。前のギルドマスター、つまりは母と同じ分野らしくてみんなに驚かれていた。ギルドとしては武器を中心に作ってはいるけれどその作成分野は人によって違う。さっきのマヌア・ハルヴァは大振りの大剣、大太刀と呼ばれる東洋の剣を作るのが上手。サリ……本当の名前はサリデニア・モカ。彼はまだ職人の平均年齢から見れば若いけれど、細かい細工なんかが得意だから刀身に彫り物をしたり鞘を細工で彩ったりとそういうのが得意。それに集中力がすごくて、一度集中すると眠気もなにもかもがふっとんでしまって……誰かが止めなきゃいけないくらい。そう、止めるのもある意味大変なのだけれど。
「いただきます……」
一通りの食事を並べて、手を合わせる。そうして食事に手をつける。
周りではそれぞれ、依頼の話をしたり、今日の日程を話したりと様々だ。依頼の品のデザインを同じ職人の中で相談したり、男性の職人が女性のメンバーに聞いたりしていた。私は頭の中で今日の予定と依頼を擦り合わせていた。
「お前ら聞けー」
来ていたギルドマスターが立ち上がって声を張り上げる。しん、と静まりかえる食堂。私も一言でメンバーを黙らせたり、ギルドすべてのことを取り仕切ったりということができるようにならないと。だから今は、私は自らの姓であるローンを名乗らない。名乗れるだけの、器量をまだ持っていないから。
「今日の助手はリリンナとカミィなー。二人とも飯終わったら俺の部屋に来てくれ」
「えーまた私なんですか? 良いですけどぉ……」
「俺ッスか? となると……顧客はあの人たち、ですかねぇ……わかりました、ギルドマスター」
先程のリリンナさんと私と同じ刃物鍛冶のカミィ・シィレカ。きっとまた嫁入り道具かそれに見立てた暗殺に使われる道具を作るんだろう。彼女はそういうのが得意だから。きっとリリンナさんは今月末の書類を作るために呼ばれたんだろう。テレジアさんも事務員だけど、テレジアさんはここ最近、諜報活動に出っぱなしだったから、今日は非番なのかな?
ギルドマスターが座ると、またうるさくなる食堂。私は黙々と食事を続ける。さっき、挨拶したときに渡された薄っぺらい紙の束。それは全て……私に頼まれた刃物の発注。大きさ、形状、材質に至るまで事細かに書かれたもの。
「エルバ、先いってるわ。依頼書持って来いよー」
先程声をかけてきたアドヴァルタ・カスラ、通称アド。また彼に原石を貰ってこないといけない。まだ私が挨拶したときには結構な量が皿の上に乗っていたと思うのだけど、もう食べ終わったみたい。
「わかってるよ、アド。もう少しで食べ終わるから、準備しておいてくれる?」
私も少しだけ残ったご飯を掻き込むと、ぱんっ! と音を出しつつ手を合わせ、今日の食事係に食器を渡した。そのときにありがとう、と伝えて。
大股で歩いていくアドと、いったん分かれる。自分の部屋に戻って、依頼票を持ってこなくちゃ。その間も道中すれ違うギルドメンバーとも挨拶を交わす。部屋に戻って紙束をひっつかみ、仕事用の手袋も手に取った後アドの仕事場へ。今日も忙しくなりそうだ。
それぞれの都市には、あらかじめの地名と、その都市の方針が決められている。帝国主義を採用している都市であれば帝国都市、自由主義を採用している都市であれば自由都市と。現に自由都市シーラでは、国全体にはいくつかの法律が存在しているが、国の中心は政府ではなく、シーラにあるギルドすべてのギルドマスターが所属する組合にある。そちらでギルド間のいざこざがないように調整している。
すべての都市は移動している。だがすべての都市が一定の方向に動いているわけではない。そのため、都市同士がぶつかりそうになることもある。その衝突のいざこざを解決しなければならないことがある。その解決法は様々あるが、武力行使が行われることが一般的になっている。なんと言ったってわかりやすいからだ。
それだけならいい。都市と喧嘩するのがそれだけの理由であったのなら。しかしシーラは地下資源、具体的には鉱石を多分に必要とする都市であった。自給自足では生活できない、つまりは地下資源を巡って他の都市とぶつかり合うことがあった。シーラは武器職人が集う都市ではあるが、それは生産者としてであって使用者としてではない。そのため、シーラは傭兵の多い帝国都市ガルティアと契約を結び、クラスタを組んでいる。クラスタとは都市同士を連結させ、共に移動するのだ。シーラはその技術で作成した武器をガルティアへ提供する、ガルティアはその武器を用いて自国とシーラを護る。利害の一致ともとれる契約が二つの都市の間で交わされていた。
その帝国都市の兄弟の、とある夜明けすぐ。
──これだから、女は。
俺の目の前には泣き叫ぶ女。その腕には俺が殺した肉塊を抱えている。その名前を叫び続ける。とうにぬくもりなど消えているはずだ。なのに……なぜ、まだそれに執着する?
「どうして……どうしてよ? まだ子供だったのに!」
どうして? それが死ぬさだめにあったからだ。ここは敵陣。味方以外は皆殺し。だから俺は敵側であるそいつを殺した。正しいことだろう? そうじゃないと、俺が殺されてしまう。子供であったとしても、いずれ男になるのだろう? ならば同じ事だ。男であったならば、その辺の物をつかんで俺に殴りかかってきたことだろう。だが女であればひ弱だ。誰かが守らなければ満足に生活もできないもの。子供を産むしか能がない、人間とは……俺ら男性とは一線を違えるもの。そうであるから、女性は政治から何から全ての権利がないと考えられているし、俺もそう思う。男性には劣るから。女は劣等種族だ。殺す必要なんて本来はない。だが任務だ。女も殺す。
「……任務、だからな」
俺はレッグホルスターから銃を取り出す。相対しない、一方的な虐殺。男には敬意を払う。おそらく自分の都市を背負って戦ったのだから。そこらに転がる硝煙の臭い。自分の訓練時には絶対にかぐことのないものが俺にここは戦場なのだと伝えてくる。服を着替えて、風呂に入ったらこの周りと同化しそうな臭いは取れるだろうか。引き金に手をかけて、コッキングボルトを引く。餞別の言葉もない。相手の名前もいらない。俺が殺した、という事実だけあればいい。それ以外は、何もいらない。手首に伝わる衝撃。空薬莢が飛んで、地面に落ちて高い音を立てる。火薬の焼けた臭い。女は赤い花を散らす。子供と死ねて、よかったな。
「ウガラ。作戦終了だ。戻ってこい」
「……わかったよ、兄さん」
右耳に当てられていたヘッドホンから、作戦終了の合図。銃をしまって、その女に背を向ける。女はもう何も言わない。耳障りな高い声はもう聞こえない。小さな肉塊とともに肉塊に成り下がった。女は死体にはなれない。ただの肉塊となって捨てられる。埋葬すらされない。されるのは……男性だけで十分だ。首に駆けてあったバンダナを鼻に引っかけて口を守る。砂嵐のごとく、風に乗って破壊された建物の欠片がこちらへと流れてくる中でバンダナとゴーグルは欠かせない。歩いて戻ると、そこにはもうすでに俺以外の兵は揃っていた。
「おう、遅かったな。つか、銃使ったのか。お前が珍しく硝煙くせぇ」
今回の隊長である俺の兄、エドワード・アルマデ。近くを通り過ぎるとそう言われる。硝煙がまき散らされる中俺だけがその臭いを持たない人になる、俺は普段銃を使わないから余計に気になるのだろう。
「女を屠るために自分の刃を汚す必要はない。そう判断した」
「女……女、なぁ。頭数揃えるためとはいえ、女に何の価値があるんだか」
撤退の準備を進めながら兄さんはそうこぼす。女に何の価値があるのか、と。子供が産めれば、それでいいのかもしれない。生物学上では、男女のまぐわいによって子をなすという。十月十日の末に子供を出産する、それ以外に特筆すべき女性の特徴はない。身体など、子供のためにあるようなものだと聞いたこともある。それに比べて男性は、女性よりも数多くのことをこなすことができる。女性は男性の下位互換だ。だからそんなものに慈悲なんてかける必要がない、そう思う。
「おし、こんなもんか。んじゃ、俺とウガラは先帰るから報告書よろしくな」
「わかりました。お疲れ様です」
部下の兵に見送られて、家に戻るための車に乗り込む。その中でも会話は一切交わすことはなく、それぞれがそれぞれの端末をいじっているだけだったのだが。それでも、ただそこにいるだけで存在感というものが生まれるのだから、男性というものはたいしたものなのだろう。そのなかで報告書もどき……所詮は個別の行動報告書を端末に打ち込んでいく。書式という書式は存在しないから、箇条書きで使った弾薬数、殺した人数、使ったルートを簡潔に書いていく。兄も同じようで、見ている画面が窓ガラスに反射して見えている。鏡映しになっているためこちらからでは見にくいが、箇条書きで何かを書いているようだった。
「到着いたしましたよ。エドワード様、ウガラ様」
そう運転士が言葉を発せば、扉が開く。そこにはきちんとカーペットが惹かれていた。俺は兄に続いて車を降りて、玄関へと進む。庭師や執事が忙しそうに働いていた。侍女はいない、全員男性である。それをぼんやりと眺めながら、兄に続いて家の中に入る。入ってすぐ、二人の男性が顔を見せる。二人はそれぞれの主を見つけると、その前で腰を折った。
「おかえりなさいませ、おはようございます、エドワード様」
「お帰りなさいませ、お早いお帰りで。お早う御座います。ウガラ様」
そっくりの兄弟の双子。それぞれが、それぞれの秘書官。兄エンナ・トートリデとその弟のスイエ・トートリデ。エンナが兄さんの秘書官で、スイエが俺の秘書官。俺はスイエの前に言って、腰を折っているスイエに面を上げるように告げた。兄さんはエンナを連れてもうどこかへと行ってしまった。
「スイエ。風呂を頼めるか」
「すでに準備はできております。こちらへ」
そう言って俺の前を歩き出すスイエ。戦場帰りの疲れた俺の耳に届いたのは金属同士が当たる音。反射的にそちらに目を向ければスイエの左腰には見たことのない刀が帯刀されている。その刀は……反りのない片刃。拵えはシンプルでありながら、このアルマデ家の文様が所々に施されていた。
「……スイエ。その刀、どこで手に入れた?」
俺はスイエにそう聞く。スイエは少し考えた後にこういった。
「協定を結んである自由都市シーラ、そこにある世襲制鍛冶屋のローンギルドのものでございます。ご覧になりますか? ウガラ様」
そう言ってベルトに取り付けるための金具を取り外し、こちらに振り返ってわざわざ跪いてまで刀を差しだしてくる。俺はそれを受け取って、すらりと鯉口を切って刀身をあらわにした。ゆがみなどないしっかりとした刀身。それは振りやすいように磨き上げられており、まるで鏡面のようだった。かざした俺の目は刀が反射した光を難なく受け入れ、俺の後ろの景色をはっきりと映し出していた。鯉口あたりの刀身には竜の模様が入っていた。ぱっと見で実用的でありながらも遊び心を忘れない一級品だと判断した。俺は入った模様を撫でながら、スイエに質問する。
「この刀身に入っている模様。もろくはならないのか?」
「はい、軽量化のためであるそうです。振っていただければわかるかと思いますが、重心や柄の握り等、ガルディアには劣らないものです」
両手で持ち、構えてみればなるほどと感嘆のため息をついた。スイエも俺も、戦闘中は指にぴったりと張り付く革の手袋を使う。そのため、摩擦が素手よりも起こりやすい。摩擦係数が高いとこの場合は言うのだろうか。そのため、柄は少し小さい位が握りやすい。それに握ったときにしっくりとくる感触。重心が手元にあった方が剣先は走りやすいのだ。そこのところもきちんと作り込まれた品だった。
「……お前から見て、ローン家はどうなんだ?」
刀をしまい、スイエに返した。スイエは恭しく受け取ると、また同じように帯刀した。そうして立ち止まってしまったが、風呂場に向かって歩き出す。そのなかで、スイエの背中を見つめながらそう聞く。
「作り手のことを考えず、ガルディアの価値観に当てはめないとするならば、かなり優秀なものでしょう。シーラにはシーラの規定があるようですから」
スイエの答えは淡泊だった。淡泊ではあったものの、どこか言いよどむような、そんな感じだった。シーラとガルディアは一線を違えたものだと、そう言外に含みながら。
「作り手のことを考えたとしたら? あるいはガルティアの価値観に当てはめたとしたらどうなる」
「今のギルドマスターは違いますが、ローン家の前のギルドマスターは女性でした。それをお嫌いになるかと思い、これまでローン家で新たなナイフを作っては、とは申し上げなかったのです。ですが、今度はきちんと男性のギルドマスターです。お作りになってはいかがですか」
なるほど。スイエは俺のことを考えたわけだ。俺は女と言えば娼婦、遊女、あるいは慰安婦しか外では見たことがない。俺を産み落としたはずの母親は父さんの部屋から出てこない。だから俺はおぼろげな記憶の中でしか、母を知らない。
「わかった。一番早い休日は明日だったな?明日にでも行くさ。どうせこっちには来ないのだろう?」
シーラのものは絶対にこっちに赴くことはない。ガルディアの規則に縛られるだとか、シーラの方に機材が揃っているだとか様々な理由をつけて、シーラの者はガルディアには来ない。だがガルディアはシーラを切り捨てることができないのだ。シーラはガルディアよりも様々な水準が高いのだ。武器の性能だってそう。ガルディアよりもシーラの方が……よいものが作れるのだ。なぜかは知らない。知りたくもない。そんなことはどうでもいい。そうとすら感じる。
「はい。では、明日の予定はそのように」
そういうスイエ。まったく、シーラの連中は面倒くさいな。ぴたりと止まったスイエ。どうやら風呂場に着いたようだった。
「着替えは中に準備してあります。他に何かございますでしょうか」
スイエは一歩横にずれて、膝をついた。俺はそのまままっすぐと進み、指紋認証システムを使って扉を開けた。スイエはそのまま、膝をついてうつむいていた。
「ここで待っていなくてもいい」
俺は言葉少なに伝えた。そうして風呂場、もとい脱衣所に入って、鍵を閉めた。中には一山衣服が揃えてあった。その隣には籠。その空っぽの籠に俺は服を脱いでは投げ、脱いでは投げを繰り返す。面倒くさい軍服のボタンを片手で外しながらベルトを緩める。ベルトからホルスターを取り出し、棚の上に置く。脱いだ上着からベルトを取り外すことのないまま籠に放り込む。ショルダーホルスターを外して同じように置き、ネクタイを引き抜く。それを籠の中に落としながら、片手でシャツのボタンを外す。ズボンのバックルを緩めた。シャツを脱ぎ捨て、ズボンベルトについたホルスターとレッグホルスターを外し、ウエストについたポーチサイズの鞄も取り外して棚に置く。ズボンから足を引き抜き、籠の中に片足に引っかかったのを利用して入れる。下着もアンダーシャツも脱ぎ捨てる。これでやっと……俺は自由になった。
「……最悪だな」
腕の臭いを嗅げばいつまでたっても嗅ぎ慣れない戦場を想起させる、戦場と直結した臭い。汗と銃を使ったせいか硝煙の焦げたものと、レンガ造りの建物が多かったからか土臭いもの。一刻も早く湯をかぶって洗い流してしまおう。この砂がついた髪も洗ってしまおう。そうして、きれいになるんだ。あんな戦場を思い出さないように。
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