白衣とブラックチョコレート

宇佐田琴美

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出会いと別れ編

インシデント 1

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 時刻は八時二十分。日勤の桜井恭平が病棟に到着する時間だ。

「あっ、桜井さんおはようございます!」

 既に受け持ちの情報を取り終えた雛子は、あくびを堪えながらやってきた恭平に挨拶をした。

「はよー……っと」

「うぶっ、すす、すみませんっ」

 時計とステーションの入口を交互に見ながら恭平の出勤を待っていた雛子は、勢い余って足を縺れさせ恭平の胸に顔面からダイブしたのだった。

(勢い余って転んだ挙句、変な声を出してしまった……)

 幸先の悪いスタートに若干テンションが下がる。

「……って言うかなんか、ひなっち顔色あんまり良くないけど……大丈夫?」

「だ、大丈夫です!」

 わざわざ高い背を屈めて、色素の薄い猫のような瞳が雛子の顔を覗き込んだ。目が合った瞬間、雛子の頬に熱が集まる。

(桜井さんに心配されてる……なんか嬉しいかも……)

「……って何考えてるの!? 煩悩退散! 退散退散ー!!」

「!?」

 雛子は目を覚ますように頬をバシッと叩く。後半が声に出ていた事は本人は気付いていない。

「あっそうだ、勤務前に朝一オペの出棟時ドリップが確か……」

 ブツブツと独り言を言いながら点滴作製台に向かっていく雛子。恭平が呆気に取られていると、夜勤の大沢が「遅い」といつもの如く恭平の横腹をどつく。

「うぐっ……」

 思わずくぐもった呻きが口から漏れる。

「ねぇ……ちょっと。あんた雨宮の事ちゃんと見てあげてる?」

 大沢のジト目に、今日も朝から説教が始まる事を覚悟する。お怒りの内容はプリセプティの雨宮雛子についてのようだ。

「あー……はい、俺なりに?」

 恭平の煮え切らない返答に、大沢は深い溜息を吐く。

「はぁ~……あのねぇ。あの子、今朝何時に来たと思う?」

「さぁ……六時とか?」

 いつの時代も、新人は他のスタッフより早く来るのが看護師社会の常である。「そういう体育会系の雰囲気だから」というのが無きにしも非ずだが、単純に新人本人が情報収集に時間がかかる事を自覚しているからである。

 特にここ火野崎大学病院のような場所では、入院患者の入れ替わりが激しい事や高度な治療法、最先端の薬剤を使用しているため、そもそも収集した情報を遂行する前に理解する事自体難易度が高いのである。

「あのねぇ、八時よ、八時! 他のスタッフに聞いてみたらここ最近その時間みたいなの。いくら慣れてきたからって新人が来るには遅すぎない!?」

 ……想像していた話と違った。

 以前の雛子ならば七時前には来ていると風の噂に聞いていたし、ここ最近は翔太の事もある。

 気合を入れ過ぎて出勤時間が前以上に早まっているのなら、さすがに注意するべきかと考えていたところだったのだが。

 しかも、と大沢は続ける。

「昨日は十八時頃に記録を終えたら慌てて荷物まとめて帰って行ったわよ。今まで誰よりも遅くまで残ってあれこれやってたって言うのに……彼氏だか何だか知らないけど、ちょっと弛んできてるんじゃないの?」

 あんたはさっさと帰っちゃうから知らないかもしれないけど、と大沢。

「……へぇ」

 新人が早く来るべきだとか、早く帰るのは弛んでいるだとか、さすがにやや時代錯誤な物言いである。定時までに出勤して残業などせずきっちり仕事をこなせる人間の方が、恭平からすれば評価に値する。

 無論、彼氏がいようがいまいがそれも個人的な話であり恭平には関係ない。

 とは言え仕事に穴があればそれは問題だ。

 実の所、最近は受け持ちが増えたり業務を任せられるようになったせいか小さな抜けが頻発している事は他方から聞こえていたし、恭平自身も一緒に勤務していて感じていた事である。

 大きなミスに繋がらなければいい、とは危惧していたところだ。

「まったく……雨宮みたいな鈍臭い子は頑張る事くらいしか取り柄が無いんだからさぁ……いくらあんたの十八番でも、手の抜き方や楽の仕方なんて教えなくて良いのよ」

「うっす……」

 そんな事を教えているつもりはないのだが。そしてもちろん、自分は仕事が早いのであって決して手抜きや楽はしていないと自負している。

「……」

 大沢とそんな会話をしているうちに、勤務開始まで残り五分となってしまった。恭平は受け持ちの情報を流し読みしながら、どうしたものかと溜息を吐いた。
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