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第1章 黒衣の竜騎士
4 世界の果てへ
しおりを挟むビュウビュウと耳の中を風が吹き付ける音がしていた。
「起きたか?」
低い声が背中に響き、俺は貼り付いたような瞼をベリベリと引き剥がすように目を開いた。
しかし風が強くて目が開けていられない。
「ああ…『風よやめ』。…これでどうだ?」
男が何かの魔法をかけると、風の力や音が一気にやんで、俺はフラリと倒れそうになった。
「おい。どれほど世話が焼けるんだ。俺は保健員ではないぞ。まだ死にかけてるのか?」
「す、ぃま……みす、みす、は…」
「水?ああ、そういえば何も食わせてもいなかったな。少し休むか」
男はそう言うと、手頃な場所を見つけたのか、フワリと竜を旋回させて滑空していった。
男は少し標高の高い岩場に竜を下ろし、俺を抱えて飛び降りた。
俺はそこで初めて、自分が見たことのない服に包まれていることに気がついた。厚手のコートに、ズボンも毛織物のようだった。
どうりで空の上でも寒くないわけだ。
地面に降ろされて早々、ぐいと水筒を押し付けられて、俺は恐々とそれを受け取った。
しかし立っていられなくてフラフラと座り込み、岩場に背中を預けて、のろのろと水筒に口をつけた。
「倒れたのが花月の初日だったか?もうそろそろ落ち着くはずなんだが…」
「げほっ…なに、が、ですか…?」
「お前の魔力だ。今は自分の魔力で身体が当てられる時期なんだ。お前は量も多いが…身体が慣れてくれば起きていられる時間も多くなるはずだ」
花月と言えば地球で言う三月から五月の三ヶ月間ことだ。これを一季月と数える。
「はあ…今は…葉月の、何週ですか?」
「五週の二日だ」
つまり七月二日だ。暦は実家でもあまり多用していなかったので、今となっては地球の方がわかりやすかったなと思う。
「そう、ですか…」
「まだ死にたいのか?」
「いえ。別に…どちら、でも…」
そううっかり正直に言ってしまえば、そういえばこの人は俺を助けてくれたのだったと思いあたり、申し訳なく眉を下げた。
「あの…ありがとう、ございま…助けて、いただいて…」
「いや。これが仕事だ」
「仕事…?」
「食え」
男はどこに身につけていたのか、黒い鞄の中から手早くパンに肉を挟むと、それもぐいと押し付けてきた。
俺は少し弱ってしまって、しかし上空で吐く方が問題かと思い、受け取ったパンを膝に置いたまま口を開いた。
「あの…すみません、こんなに、は…」
「食えんのか?…やはり虐待されていたのか?」
「いえ。…吐く、の、で…」
「何だと?」
男が眉をひそめて声を荒げると、俺は反射的にビクッと震えてしまった。
しかし男は怯えられ慣れているのか、気にした気配もなく、俺の頬や首元を触り熱がないかを確かめた。
触られ慣れない首を触られて、ビクンと肩が跳ねる。
「う…っ」
「まだ魔力が強くなっているのか…?お前、精通はしているか?」
「は…?」
俺は突然の質問にポカンと口を開いた。
男は大したことなどないように無表情で頷いた。
「前の竿から白い汁が出ることだ。あれができれば魔力操作も楽になるんだが…その分じゃやはりまだか…」
「す、すみ、ませ…」
「いや、無理を言ったのはこちらだったな。魔導士に子供はいないので失念した。十二か…確かにまだ早いな」
その言葉に、俺は小さく首を傾げた。子供がいないとはどういうことだろうか。精通と魔力に関係があるのだろうか。
リズレイ家の家庭教師は算術と歴史、後は簡単な法律やマナーくらいしか教えてくれなかった。俺のこちらでの保健体育の知識は皆無に等しい。
結婚年齢は十四なので、おそらくその辺りまでには成長できるのだろうが。
「あ」
「どうした?」
「僕、…もう、十三に、なり、ました…」
「そうか…」
男は心なしか肩を落としたように俯いた。
「あの…お名前を、お聞、かせ…」
「アークだ」
「アークさん…」
俺が復唱すると、アークはなぜかビクリと肩を震わせて、一歩後退った。
「な…っ!」
「え?」
アークの表情が驚愕に染まっている。
俺も目を丸くして見上げていると、しばらく硬直してから額を抑え、首を振って膝をついた。
「いや…お前はまだ、名前で人を呼ばない方がいい。魔力が乗っている…。ここまで強いものだったとは…」
「え…、そ、それ、は?」
「…魅了だ」
「魅了」
それは俺が名前を呼ぶ時に、魔力で強引に誑かしているということか。
では俺は、周囲から欲情されるように自分で仕向けていたということだろうか。勝手に魅了して嫌がっていたとは、あまりにタチが悪いではないか。
そんなことで父は公文書改竄などに手を染め、国王に背いたというのだろうか。
「俺ですらレジストしきれん。お前、魔力操作ができるまで、人の名を呼ばわるな。俺のことは管理官と」
「かん、りか…」
「食事もできないとなれば…いや、覚醒時に治療魔術は禁物だ。そこらの町医者も魔導士は診れない…やはり本部でしか…。くそ、厄介な。ともかく食え。柔いところは食えるか?」
「少し…」
「食え。ゆっくりでいい。吐いてもいいから…無理はするな」
「はい…ありがとう、ございます…」
パンの白いところを一欠片だけ手にとって、俺は陰惨な気分のままそれを胃の中に押し込んだ。
飛竜は速かったが、アークが俺を連れて行こうとしている魔導士会の本部があるロスディアとやらは、世界の果てにあるということだった。
おおよそ地球の裏側レベルで移動していると思うのだが、エストバールとはよほど離れていたらしい。
これはもう故郷に帰ることはできないなと、俺はまた一つ失望感を積み重ねた。
「まもなく魔界との境界線が見えてくる。魔導士会の本懐は魔界の侵食からの防衛だ。そのために各国から高い契約金を集め、魔力が強い魔導士を保護することができる」
「まりょ…が…つよぃと…まど…し…?」
「そうだ。お前は魔導士の中でも特に魔力が強い。ゆえに幼くして魔力覚醒が起こったのだろう。家が田舎領主であったことも災いした。地方監査官の権限が行き届かず、発見が遅れてしまった」
「そぅ…」
アークに助けられた日はよく眠れて体調も回復していたが、俺は長い衰弱状態が祟ったせいか、飛行三日目くらいからは、すでに意識がある時間は少なくなっていた。
もうエストバールを離れてから何日経ったのかもわからない。
アークは死にかけの俺を勇気付けるように、俺が起きている間は意外なほどに多弁だった。
「エストバールは昔からロスディアから遠く、魔導士会にもギルドにも非協力的だとやっかまれている地域だ。王が失脚することなく現体制が続けば、また同じことが繰り返されるかもしれない」
「…」
「おい?聞いているのか?…冷たい。眠る気か?死ぬ気じゃないだろうな?また目覚めることができるのか?」
アークが話している間は、せめて話を聞いていようと意識していたが、それももう限界のようだ。
俺は幸せだと思った。
あれほど温かだった家庭を、不幸に陥れたのに。
神の禁忌に触れる罰を受けてなお、ここまで優しい人間に看取られて逝けるのだから。
罪人にはあり得ないほどの厚遇だった。
「死ぬな!…くそっ!もっとだ!『風よ温めろ』!ダイアン!急げ!」
「かん…りか…」
「どうした!?水か!?飲めるか!?」
冷徹に見えたアークがここまで狼狽するのは、彼の人情ゆえか、仕事熱心だからか。
…それとも、彼も俺の被害者だからだろうか。
「…ぁり…がと…、ごめ…さ…」
俺の意識はそこで途切れた。
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