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夜
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ヘレンの部屋を出た後、私は屋敷を軽く散策して過ごすことにした。春の訪れを感じさせる、少し肌寒い日だったが、屋敷内はどこも温かな空気に包まれていた。白を基調にした広々とした屋敷の中を歩き、たどり着いた庭園は見事なものであった。庭には色とりどりの花が咲き乱れ、続く小道の先には、花木に囲まれた美しい池があった。
中でも、私の目を引いたのは、図書館である。とりわけ重厚な扉の先には、天井の高い広々とした空間が広がっていた。天窓からは柔らかな光が差し込み、静かな空気の中に本の香りが漂っていた。見渡す限り、棚には本がきちんと並べられていて、まるで無限に続く知識の世界が広がっているように感じられた。弧を描くように、階段がゆったりと二階へと導いている様子は、まるで夢の中の一コマのようであった。
明日、時間があれば、もう一度ゆっくりとこの場所を見てみよう。
青白い月の光が、天蓋に遮られている。
ここにきてから2度目の夜である。
相変わらず、引き出しの中に何も見つけることはできなかったが、きっとそこに日記やブレスレットも大事にしまってあるのだろうと思う。
ふと、ブレスレットのことを忘れてしまった私に、かなしそうな表情を浮かべていたヘレンのことを思い出し、申し訳なく感じる。早く日記とブレスレットを見つけなくては…!
今日は日記について、何の手がかりも見つけられなかったが、セレーネについて何の情報も得られなかったわけではない。
まずセレーネは魔力が少ないということ。兄の口ぶりから推察するに、それが少なからず差別の対象となっているのは確かだろう。(まあ、彼が極端な実力主義者ということもあり、多少過激な面もあるのだろうが…)だがこれに関しては、私は真にセレーネとはいえないため、もしかしたら解決済みの問題かもしれない。せまる試験はとりあえず受けてみるべきであろう。
「それにしても、いやな言い方…」
今朝のアンドレの態度を思い出し、腹立たしさと物悲しさを覚える。それに反して、意外だったのは義母と義姉である。日記の管理や、この部屋、侍女の対応から、血のつながっていない母娘から邪険に扱われるのを覚悟していたのだが…
現状で頼りにできるのは母と姉のみらしい。
どうも、二人以外のこの屋敷の人間、使用人たちはセレーネのことをよく思っていないらしい。廊下を歩いていても、目線をこちらからさりげく避け、早足で逃げたり、相当若い使用人に至っては、目配せをしあい、何かを囁いていたり…
なにより、セレーネにちかしく、詳しい使用人はいないようであった。幼少の頃からこの邸宅で過ごしているというのに…これは魔力によるものなのか、養子というセレーネの危うい立場によるものなのかは、まだわからない。
今日一日過ごしただけで、その対応に居心地の悪さを感じたというのに、セレーネはずっとここで生きていたのだ…
「ヘレンお姉さまの部屋は、あたたかかったな…」
その一言が、ふと私の心に響く。
ヘレンの部屋の温もり、彼女の優しさがそのまま感じられる空間だった。あの部屋で過ごす時間は、どこか安心感に包まれていた。彼女の存在が、まるで私にとっての支えであるかのように思える。
それにつらなり、今日、セレーネの義母のことを思い出す。私に向けられたものではないと分かっていても、初めて触れる母の愛になんだか泣きそうになる。あの穏やかな笑顔を見たとき、心の中で確信を持った。あの人は、母としてセレーネを愛していたのだと。
だが、そう思えば思うほど、現実とのギャップに気づかされる。なぜ、私に対して屋敷の人々は冷たく当たりるのか。どうして、義母と義姉を除くと、周囲の人々の視線がそんなに冷たく、無関心に思えるのだろう。…もしかしたら、義母と義姉のように、優しいことのほうが稀なのかもしれない。
屋敷内での疑念がますます深まる一方で、母や姉から受けた愛情がこれから私の支えとなることは確かだ。どうしてもそれを信じていたい。母と姉の愛を信じて、私はここでの生活を少しでも良い方向へ向けるために努力しなければならない。
そんな事を考えながら、ベッドに横たわり、私はぼんやりと天井を見つめていた。
ふかふかの枕に頬をうずめると、微かに甘い香りがする。
暖かな毛布に包まれながら、私は先ほどまで考えていたことを反芻する。
──ヘレンお姉さまの優しさ。お母さまの穏やかな笑顔。
私は本当に愛されているのかもしれない。そんな希望を抱きながら、私は静かに目を閉じる。
だが──
どれほど時間が経ったのだろうか。うとうととした意識の中、不意に扉の軋む音が聞こえた。
微かに開いたまぶたの奥で、室内に忍び込む影がぼんやりと揺れるのを感じる。
(……誰?)
私は寝息を整え、目を閉じたまま、注意深く様子をうかがった。
暗闇の中、侵入者はゆっくりと部屋の奥へと進んでいく。
微かな衣擦れの音と、引き出しを開ける小さな音。
机の中を探っているのか、何度か物を動かすような音が響く。しばらくして、次に向かったのはドレスルームだった。
ガサ……
微かに衣類をかき分ける音。
(……何を探しているの?)
胸の鼓動が速まるのを感じながら、私はじっと身を硬くする。
侵入者の手は、本棚へと移ったらしい。何冊か本を引き抜き、裏を確認するような気配がする。
まるで、何かを探し求めているようだった。
それが終わると、わずかに息をつく気配がした。
そして、そっと扉が閉まる音。
バタバタと乱暴に去る足音が、静まり返った屋敷の中に響き渡った。
私は、まだ鼓動の高鳴る胸を押さえながら、ゆっくりと目を開ける。
(今のは…いったい……?)
不穏な気配を残したまま、部屋は再び静寂に包まれていた。
中でも、私の目を引いたのは、図書館である。とりわけ重厚な扉の先には、天井の高い広々とした空間が広がっていた。天窓からは柔らかな光が差し込み、静かな空気の中に本の香りが漂っていた。見渡す限り、棚には本がきちんと並べられていて、まるで無限に続く知識の世界が広がっているように感じられた。弧を描くように、階段がゆったりと二階へと導いている様子は、まるで夢の中の一コマのようであった。
明日、時間があれば、もう一度ゆっくりとこの場所を見てみよう。
青白い月の光が、天蓋に遮られている。
ここにきてから2度目の夜である。
相変わらず、引き出しの中に何も見つけることはできなかったが、きっとそこに日記やブレスレットも大事にしまってあるのだろうと思う。
ふと、ブレスレットのことを忘れてしまった私に、かなしそうな表情を浮かべていたヘレンのことを思い出し、申し訳なく感じる。早く日記とブレスレットを見つけなくては…!
今日は日記について、何の手がかりも見つけられなかったが、セレーネについて何の情報も得られなかったわけではない。
まずセレーネは魔力が少ないということ。兄の口ぶりから推察するに、それが少なからず差別の対象となっているのは確かだろう。(まあ、彼が極端な実力主義者ということもあり、多少過激な面もあるのだろうが…)だがこれに関しては、私は真にセレーネとはいえないため、もしかしたら解決済みの問題かもしれない。せまる試験はとりあえず受けてみるべきであろう。
「それにしても、いやな言い方…」
今朝のアンドレの態度を思い出し、腹立たしさと物悲しさを覚える。それに反して、意外だったのは義母と義姉である。日記の管理や、この部屋、侍女の対応から、血のつながっていない母娘から邪険に扱われるのを覚悟していたのだが…
現状で頼りにできるのは母と姉のみらしい。
どうも、二人以外のこの屋敷の人間、使用人たちはセレーネのことをよく思っていないらしい。廊下を歩いていても、目線をこちらからさりげく避け、早足で逃げたり、相当若い使用人に至っては、目配せをしあい、何かを囁いていたり…
なにより、セレーネにちかしく、詳しい使用人はいないようであった。幼少の頃からこの邸宅で過ごしているというのに…これは魔力によるものなのか、養子というセレーネの危うい立場によるものなのかは、まだわからない。
今日一日過ごしただけで、その対応に居心地の悪さを感じたというのに、セレーネはずっとここで生きていたのだ…
「ヘレンお姉さまの部屋は、あたたかかったな…」
その一言が、ふと私の心に響く。
ヘレンの部屋の温もり、彼女の優しさがそのまま感じられる空間だった。あの部屋で過ごす時間は、どこか安心感に包まれていた。彼女の存在が、まるで私にとっての支えであるかのように思える。
それにつらなり、今日、セレーネの義母のことを思い出す。私に向けられたものではないと分かっていても、初めて触れる母の愛になんだか泣きそうになる。あの穏やかな笑顔を見たとき、心の中で確信を持った。あの人は、母としてセレーネを愛していたのだと。
だが、そう思えば思うほど、現実とのギャップに気づかされる。なぜ、私に対して屋敷の人々は冷たく当たりるのか。どうして、義母と義姉を除くと、周囲の人々の視線がそんなに冷たく、無関心に思えるのだろう。…もしかしたら、義母と義姉のように、優しいことのほうが稀なのかもしれない。
屋敷内での疑念がますます深まる一方で、母や姉から受けた愛情がこれから私の支えとなることは確かだ。どうしてもそれを信じていたい。母と姉の愛を信じて、私はここでの生活を少しでも良い方向へ向けるために努力しなければならない。
そんな事を考えながら、ベッドに横たわり、私はぼんやりと天井を見つめていた。
ふかふかの枕に頬をうずめると、微かに甘い香りがする。
暖かな毛布に包まれながら、私は先ほどまで考えていたことを反芻する。
──ヘレンお姉さまの優しさ。お母さまの穏やかな笑顔。
私は本当に愛されているのかもしれない。そんな希望を抱きながら、私は静かに目を閉じる。
だが──
どれほど時間が経ったのだろうか。うとうととした意識の中、不意に扉の軋む音が聞こえた。
微かに開いたまぶたの奥で、室内に忍び込む影がぼんやりと揺れるのを感じる。
(……誰?)
私は寝息を整え、目を閉じたまま、注意深く様子をうかがった。
暗闇の中、侵入者はゆっくりと部屋の奥へと進んでいく。
微かな衣擦れの音と、引き出しを開ける小さな音。
机の中を探っているのか、何度か物を動かすような音が響く。しばらくして、次に向かったのはドレスルームだった。
ガサ……
微かに衣類をかき分ける音。
(……何を探しているの?)
胸の鼓動が速まるのを感じながら、私はじっと身を硬くする。
侵入者の手は、本棚へと移ったらしい。何冊か本を引き抜き、裏を確認するような気配がする。
まるで、何かを探し求めているようだった。
それが終わると、わずかに息をつく気配がした。
そして、そっと扉が閉まる音。
バタバタと乱暴に去る足音が、静まり返った屋敷の中に響き渡った。
私は、まだ鼓動の高鳴る胸を押さえながら、ゆっくりと目を開ける。
(今のは…いったい……?)
不穏な気配を残したまま、部屋は再び静寂に包まれていた。
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