瀬名

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始まり

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春、桜の甘い香りがわずかにする。人里離れたこの屋敷の周りには余計な人工物は一切ない。あるのは美しい自然のみだ。
ふと庭に目を向けると満開と言うにふさわしい立派な桜の花びらたちが、風に揺られている。もうこんな時期かと思うと同時に、後はもう散るだけの運命の花びらにどこか物寂しさを感じた。
「飛鳥様もう少しすれば屋敷を出ますよ。」
10にもならない年の自分に対して敬意を表する護衛に思わず苦笑いが溢れる。それも自分がここの主のたった一人の息子だからだろう。上部だけの主従関係だとは思っていない。ただもう少し自分自身を大切にしてくれとも思う。
「お前はまだ妻をもらい受けないのか?もう19だろう。」
護衛の彼に問いかけると彼は首を少し傾けたあと笑って答えた。
「まだ、19ですから。」
この時代、普通の人間からすれば完全に行き遅れだ。だが俺たちはちがう。
「私たちはあと何千年も生き抜かなければならないのです。そう急ぐこともないでしょう。」
そう、俺たちはあやかしだ。人間ではない。
「そんなことより飛鳥様。旦那様がお待ちです、急ぎましょう。」 
今日は待ちに待った元服だ。父から呼び出されているのもそれが理由である。といっても人間の元服とは訳が違う。大勢をよんで華やかに催す訳でもないのだから。
「貴方はどんな名前を頂くのでしょうね。」
今日は父から新たに名前を貰い受けるのだ。俺たちあやかしにとって生まれた時に付けられた名、すなわち幼名は拘束力を持つ。敵に知られればたまったものではない。だから二つ目の名をもらいうけるまで基本的に見知らぬ人間やあやかしとは会わないようにする。人間にしろ、あやかしにしろ、敵はそこらじゅうにいるのだから。それに俺もいつか人間と関わらなければならない。もちろん人間に化けて。父はもうすでに刀鍛冶として何年も前から貴族に仕えている。人間の下に付き、従うのは例え演技だとしても快いものではない。
ただこの人間が支配する世界を生き抜くため、付いて来てくれるあやかしを守るためにはこれが最善の方法なのだ。人とあやしとの戦いの火蓋おろされるのは、いつだろうか。そのときは自分はどうやって人間と戦おうかと子供らしくないことを考える。ただもし人間と戦うとき、もし人間を殺さなければならないとき、あの少女だけは絶対に助けたい。偶然だった。短い時間しか生きていないが、初めて“運命”というものを感じた。一年ほど前、ちょうど今と同じくらい桜が美しかったあの日。日々の勉学に耐えかねて、少しだけ息抜きをしようと護衛にだまって屋敷をでた。緑溢れる森で一人昼寝でもしようと思ったのだ。しかしいつもの森と違った。
どうやら先客がいたようだ。こんな人里離れた場所に・・・ひどく澄んだ歌声が聞こえるのだから。歌声にわずかに霊力がこめられている。歌い主は相当な霊力を持っているのだろう。研ぎ澄まされていながら包み込むような温かさを持った霊力だ。どうしても気になった。誰が歌っているのか。
あやかしか、それとも人間か。だからほんの少しだけ歌い主を見て帰るつもりだった。初めはただの好奇心だ。ただそれがいけなかった。歌っていたのは一人の少女だった。あれは人間だ。ただ人間とは思えぬほど美しかった。一瞬で心を奪われた。物影に隠れず面と 向かって話をしたい。けれど僅かに働く理性が自分をそうはさせない。自分はあやかし彼女は人間。たしかに見えない壁がここには存在するのだ。ときめいた、だが怖かった。これ以上あの美しさに溺れてしまうのが。結局少女とは話せず走って屋敷にもどった。笑える話だ。少女のことを忘れることができるよう話し掛けずに帰ったつもりなのに、話せなかったことで余計に彼女が頭から離れない。いや話していたら話していたで忘れることが出来なかっただろう。それぐらい彼女は美しかった。
「・・・か様、飛鳥様!!」
どうやら護衛が呼び掛けていたようだ。
「珍しくぼーっとしていらっしゃいましたね。何かありましたか。」
「いや。何もない。新しい名は何かと考えていたところだ。」
そうはぐらかす俺にそうですか、と言った護衛は深く追及せず
「さぁ急いで旦那様の屋敷へ向かいましょう。」
と俺を催促した。
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