一目惚れ

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綺麗な空想

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 好きな人がいる。
 綺麗な人だと思って、最初はただただ見惚れてた。一目惚れだなんて、本やテレビの中の綺麗な空想で、実際そんな事が起こってしまうのなら、それ以外の出会いは霞んでしまいやしないか?だから、一目惚れやら運命やら、現実で起こるべきではないと思っていた。起こるはずもないと思っていた。だから今日は、もしかしたら天地がひっくり返ったんだ。
 僕の目に釘が刺さって、釘から伸びた糸があの人に結ばれているから、僕の視線は離れられないんだ。
 その人は毎朝、いつも決まった電車に乗る。僕もそう。月火水木金、たまに土。綺麗な背筋は、淀んだ朝の空気すら清々しいものとしてくれる。草木には水や太陽が必要不可欠だ。そして、同じように僕に活力をくれるあの人も、僕にとって必要不可欠なのだ。彼女の降りてゆく後ろ姿が名残惜しい。1度与えられたものを、欲深く求めすぎるのは生き物の…いや、人間の悪いところだろう。
 瞼の裏には愛しの人が、なんてのはよく聞く文言だが、僕の心はまた違う。暗闇に映し出されるのは彼女の姿だけだなんて、愛が足りないんだと最近は思う。彼女の香りも、咳払いの時に感じたかすかな声、全て僕は愛おしくこの胸に刻み込んでいる。ひとつひとつを味わい深く染み込ませて、僕の人生に彩りが増える。見る予定のない表情も、想像して、笑みが零れる。もし僕の頭の中を超能力だかなんだかで覗けるのだとしたら、口角を引き攣らせて僕とは距離をとるのだろう。でも、恋愛は、そういうものなのだろう。
 近頃は物騒な事件が多くて、そういったものは大抵若く弱いものが狙われる。それに当てはまるのは、か弱い女性となる。僕は心配でならない。
 目を閉じれば、彼女が襲われる姿が浮かぶ。あのか細い腕は、握られたら抵抗もクソもない。夜も眠れないほど、彼女のことを思う日々が続いた。
 彼女と出会って、少し経った後、彼女は僕の前から姿を消した。どうしたのだろう?転勤?引越し?なんらかの事情で最寄りが変わってしまったのだろうか。
 もしかして、僕の心配事は、現実となってしまったのだろうか。嫌な汗が吹き出た。じっとりと頬を伝う感覚より、ざわめく胸の方がよっぽど不愉快だ。僕の太陽は、水は、汚されてしまったのだろうか?


 仕事も結局手につかず、様子を見かねた気のいい先輩に、今日はもう帰ってよく休めと言われた。最近鏡を見る機会が減ったのか、自分では気づかなかったが、僕は今とても酷い顔をしているらしい。家に帰ったってする事も、したい事もない。くたびれたスーツのまま、意味もなく街をさ迷った。その中では、僕だけが異分子だった。
 しばらくして、気付くと周りに人が居なかった。ぼーっと何かを考えていたらもうこんな時間だ。頭の中が落ち着かない。例えるなら、テレビのスノーノイズが、脳内で2時間以上垂れ流しになっているようなもの。酷い気分だ。
 フラフラといつもの道を歩いていき、いつもの駅にたどり着いた。幸い終電は逃す1歩手前で、何とか家にはたどり着けそうだ。僕はなにをしていたのだろう。酷い気分だ。
 なんだって起こっていない。たった一ついつもと違うことといえば、いつも見る女性が1人見なくなったということだけ。そうだというのに、僕はこれ程までに酷い気分で、酷くて、酷くて、たまらない。彼女が着けていたクリスチャンディオールの香水も、毎日出勤時に聞いていたプレイリストも、透き通るように綺麗で、産声のように純粋な、あの声だって、もう聞くことはできないのだろうか。酷い気分だ。
 酷い気分だ。
 酷い気分だ。

 ーーーまもなく  番線に電車がまいります。危ないですから黄色い線の内側まで……

「翔吾!お待たせ。」
「待ってないよ。帰ろ。」

 声がした。

 透き通るように綺麗で、産声のように純粋可憐なあの声。
 そんなのってない。
 腕を組み、距離の近い2人は、
 あ、あれにしか見えないだろう。あれ、あ、ああ。あ……。
 彼女は、僕の太陽は、僕の水は、僕だけの一輪の可憐な花は。汚されてしまっていた。いや、甘い花には毒がある様に、犯されたのは僕だった。
 あの女!!!!!!!!!男作っていやがったのかよ!!!!!!!!!!!!
 どれだけ見目がよくても結局は雌であり女だ。
「今日は俺が夜食作るわ。花菜の好きって言ってたやつさ~。チョーむずかった!でもがんばった!」
 顔のいい男にホイホイ引っかかって泣かされてズタボロになって、
「本当!?嬉しい…練習してくれてたのがいちばん嬉しい。ありがとう翔吾。」
 脳内お花畑のバカ女さんしかいないからよってたかってそんなやつばっかりモテちまうんだろう!!!!!
「当たり前だろ!」
 目先の欲につられてしっぽを振って、猿以下の雌猿女が!!!!!
「最近大変だったみたいだしさ…。本当、連絡してくれてありがとうな。」
「いや、こんな事で迷惑かけてごめんね。でも、ここのホームやっぱ怖くて……。」
「痴漢っていうか…もう、ストーカーみたいな。」
「よく見られるなーと思ってたの。乗る電車も毎朝一緒で、なんなら号車も。まあそこまでは偶然かと思ってたんだけど…」

 僕の綺麗な空想は、低脳の馬鹿女によって壊されてしまった。
 なんて!
 なんて見る目がない世の中なんだ!!いや別に、所詮パートのバカ女。見目だけ良くて、他は俺に相応しくなんてなかった。
 もっと俺には俺のペースがあるんだ。みんな当たり前のように"運命"に恵まれてるんだから、俺に極上の当たり前をくれたって、なにもおかしくないだろう。

 来もしない運命に希望を抱き、玄関を開けると約48年間、見慣れた家がそこにはある。
 靴を脱ぎ散らかし、適当に手を洗いリビングに向かうと、丁寧にラップにかかった晩御飯が置いてある。
「たかしへ。お仕事お疲れ様。残り物でごめんなさいね  母より」
「またこれかよ。やっぱダメだな、少しでも男が甘くすると、女はすぐつけあがってよ」

 あーあ!!!!俺にも早く!!
 綺麗な綺麗な、運命がありますように!

 あまりに身の丈に合わない願い事は、きたない咀嚼音にかき消されてしまった。
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