僕と君の長い日々

藤野ひま

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寒空と鍋 (僕•age:19)

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「今日、うち鍋だってー」
「寒いしねー」
「ねえ、鍋、何が好き?」
「えーと、キムチ! とか?」
「あ、いいよね」

 カフェの隣の席から、女の子たちのたわいもない会話が聞こえてくる。
 僕は立ち上がると、トレイの上の飲み終わった容器を捨てて店を出た。冬の真っ只中の冷たい空気が体を包む。でも店の中が暖かすぎたのでちょうど良く、むしろ気持ちがいい。
 何となく、アパートまで歩いて帰りたくなった。一駅だから、それほど遠くない。
 冬の夕方の小さな商店街は意外と賑やかだ。重そうなエコバッグを手にする人や学校帰りの高校生、帰宅途中の会社員といった人たちが歩いている。
 空はまだぼんやりと明るさを残し、ビルの窓は残り火のような空の縁のオレンジの光を反射している。その下で街の灯りが硬い白さを放っていた。
 僕はそのざわめきの中を歩く。騒がしいのは嫌いだが、夕方のざわめきは好きだ。夜に向かう音だ。今夜はどんな夜が来るだろう……寂しいと思うかな、そう思って、既にある自分の中の寂しさに気づく。
 歩きを止めると余計にその思いがひどくなりそうで、足を早めた。やがて商店街を抜け住宅街に入る。陽も落ちてあっという間に暗くなり、先程よりずっと寒く感じる。早歩きする自分の呼吸が温かい。
 ふと、美味しそうな匂いがして歩を緩めた。見ると、住宅に混じって一軒、小さな中華店があった。油の匂いと……あんかけ、かな? 匂いだけでもうまそうだ。お腹空いた、と急に思った。さっき、コーヒーだけじゃなくて何か食べておけばよかったな。考えてみれば帰宅したって一人なのに。
 そこを通り過ぎてしまうと、アパートと駐車場が多いせいだろうか、これといった匂いはなくなった。いや、ドブ臭いような匂いだけはする。
 実家の近所だったらこれくらいの時間に外を歩くと、よく何処からか夕飯の匂いが漂ってきた。子どもの頃は「腹減ったー!」とあいつが叫ぶのを聞きながら、一緒に急いで家に帰ったものだ。
 ……早く帰ろう。カップ麺くらいあった筈だし。面倒だから今日はそれでいい。
 アパートに着くと、当たり前ながら廊下に面した窓は真っ暗で、僕は小さくため息をつくと冷たくなった手で玄関の鍵をまわす。鍵まで冷たかった。

「……ただいま」

 誰もいないけれど癖で何となく言って、下を向いたままドアを開ける。

「おかえりー!」

 ……え?

 明るい声がした。顔をあげるとその向こうに、奥の部屋の灯りが煌々と見えた。

「え? 何で? 今日はバイト先のヤツと遊んで来るって……」

 部屋に入ると温かい空気に触れて眼鏡が曇る。そこには僕の幼馴染、兼、大学の同期生、兼、同居人がにこにこしながら座っていた。そしてその前の食卓兼用の座卓には、湯気の上がる鍋がのっていた。

「それがさ、急に相手が用事できて延期になったんだ。暇になったから飯作ってみた。寒かったから、鍋な」
「作ったってお前が?」
「おう」

 僕は眼鏡を外しながら温かそうな鍋を見る。白菜やネギやらと一緒にぶつ切りした鶏肉がどさっと入っている。

「食うだろ?」
「ああ」

 返事をしてコートを脱ぎ手を洗って戻ると、ご飯をよそった茶碗が置かれていた。

「腹減って先に食おうかと思ってたんだけど、いいタイミングだったな」
「うん、有り難い、僕もお腹空いてたんだ。何鍋?」
「それがさ、鍋の素を買い忘れてさ、適当に具材だけ煮た。まあ、食えるだろ」

 出汁は? と言おうとしてやめた。多分、入ってない。でも問題ない。いつも作らないのに作ってくれたんだ、充分だ。いや……居るだけでも。
 そう考えていた事がコイツに伝わったわけでもないだろうが、

「でもポン酢は買ったぞ! 一味唐辛子もあるし、あ、お前が買ってた柚子胡椒もある」

 そう、準備した事を得意気に言うと、

「腹減った! いただきます!」

 と箸を取った。その顔がいつかの子どもの時のままで、僕の顔は綻んでしまう。

「いただきます」

 鍋の中のものを適当に取り鉢によそう。元々、キムチやらカレーやら濃い味のついた鍋より、澄んだ出汁のもののほうが好きなのだが、それにしても色がないな。いいけど、全然。
 が、作った当人は気に入らなかったようで、

「何か味薄くないか、これ」

 と言って顔をしかめるので笑ってしまった。

「大丈夫、食えるよ。薬味いれろよ」
「何か悪い。えー、何かちょいがっかり」
「全然問題ないさ。一人でカップ麺でも食べるつもりだったんだ、ありがとう、美味いよ」

 一人じゃないご飯は、……お前と一緒の飯は、いつだって美味いさ。

「それならいいけど。あ、締めにラーメン入れるか」
「いいな」

 鍋の向こうに笑顔が見えて、僕も笑顔で答えた。

 
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