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第三章
15. 聖乙女
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開け放たれた窓から明るい秋の日差しと爽やかな風が入ってきていた。窓の外では樹の葉が日にきらめき揺れて、枝の上には小鳥が飛んできて止まっている。
静かで穏やかな秋の午後、しかしヴィルマは沈痛な面持ちで木の椅子に座っていた。目の前の寝台には死んでいるかのように静かに、一人の少女が横たわっていた。
ギィと音がして木の扉が開いた。ヴィルマは振り返ると同時に立ち上がって礼を示そうとしたがそれを身振りで止められる。
「どうだ? 変わりなしか?」
カルが入って来ながらヴィルマに聞いた。
「はい。……眠られたままです」
ヴィルマは答えながら椅子をカルに譲る。だが彼は座らずに立ったまま、眠るリリアスを覗き込んだ。
「息も穏やかだし、なんで目を覚まさないかなあ」
「はい」
「外傷らしい外傷もないんだが」
「はい」
「どうしたらいいんだか」
「はい。……結婚式の準備は終わられましたか?」
「ああ、まあな、らしいぞ。明後日だしな。代役も立てたらしい」
「そうですか」
と、カルは眠る少女に向かって言った。
「腕のいい髪結も見つけておいたぞ。目を覚ませ。代役は嫌なんだろう?」
だが、リリアスは瞼をぴくりと動かす事さえなかった。
カルは一つ息を吐くと椅子に座る。ヴィルマその横に半歩下がって立つ。
「もしこいつがこのままだったらヴィルマはどうするんだ?」
「こいつ、と呼ばれるのはおやめ頂きたい」
「悪い……で、どうするんだ?」
「姫様の側におります。許されるならば、ですが」
「それは勿論いいが、何ならずっといてもいいんだぞ。こい……姫が目を覚まそうが、そうでなかろうが」
「いえ、陛下に報告するまでが私に与えられた使命ですので」
そうか、と言ってカルは少し笑った。一時、静かな時間が訪れる。遠くで鳥の囀りがする。
「……しかし、あれだな。マティアスも。宝物とか言ってとんでもない者をよこしやがった」
「……」
ヴィルマの形のよい眉が僅かに上がった。
「何にしろ、目覚めるのを待っているしかないというのも間怠っこしいな。ユニハでさえそう言うとはね」
「はい。しかし……姫様にとっては目を覚まさないほうが良いのかもしれませんが……」
「おいおい、随分弱気だな、らしくない」
カルはヴィルマを見上げて言う。
「申し訳ございません」
「謝る事でもないが……。でも確かに、あの場で気を失ったままだったのは良かったとは思うしね」
カルは再び視線を眠る少女へ向ける。
「あれは全部このお姫様の仕業なんだろう?」
「……はい」
「だったら、あれだよな。戦場に連れ出せば一人で一軍を倒せるわけだ」
カルは面白そうに言う。ますますヴィルマは難しい顔になる。
「姫様が自分のお力をそこまで意図的に使えるとは思えませんし、何より、今のこの状態を考えるとそんな事をすれば命を落としかねません」
「……まあ、そうだろうな。そうでなければマティアスだって手放さないだろうからな」
「マティアス様は姫様に幸せになって欲しいのです、本心では」
「本心がわかりにくすぎるんだよ、あいつは」
「…………」
「そもそも何なんだ、あの力は」
カルは軽い口調だったがヴィルマはますます難しい顔になった。
「私にはわかりません。わかりません、が、姫様には風の精霊がついておられる。先代の聖乙女の血と力を引き継いだ真の聖乙女です」
ふーん、とカルはつまらなそうに言った。
「この国には今更そんな者いらないんだけどな」
その言葉にヴィルマが口を挟む前に、カルは立ち上がった。そして眠る姫君にいつもの明るさで声をかける。
「お前も呪い子だったり聖乙女だったり散々だな。でも、まだ王妃の役目が残ってるぞ、さっさと目を覚ませよ」
もちろん反応はない。カルはそんな彼女をじっと見下ろして、それから戸口に向かった。そして出ていく間際に振り返ってヴィルマを見た。
「ああ、それから」
「何でしょうか」
「マティアスがお前に与えた使命っていうのはそれだけか?」
ヴィルマは不意をつかれて瞳が揺れる。カルは真っ直ぐにそんな彼女を見つめる。その視線をなんとか逸らさずに受け止めてヴィルマは言った。
「おっしゃる意味がわかりかねますが、私がすべき事は姫様を無事にここまでお連れした後、式に参列し、それを報告する事と心得ております」
カルはふっと笑った。その場の空気が軽くなる。
「そうか、それなら尚更、明日までには目が覚めるといいな。引き続き付いててくれ。何かあったら報告を」
「かしこまりました」
カルが出ていくのを立ったまま見送ってから、ヴィルマは疲れ切ったように椅子に再び腰掛けた。
それから姫の顔を見つめると絞り出すように
「姫様……」と呟いた。
静かで穏やかな秋の午後、しかしヴィルマは沈痛な面持ちで木の椅子に座っていた。目の前の寝台には死んでいるかのように静かに、一人の少女が横たわっていた。
ギィと音がして木の扉が開いた。ヴィルマは振り返ると同時に立ち上がって礼を示そうとしたがそれを身振りで止められる。
「どうだ? 変わりなしか?」
カルが入って来ながらヴィルマに聞いた。
「はい。……眠られたままです」
ヴィルマは答えながら椅子をカルに譲る。だが彼は座らずに立ったまま、眠るリリアスを覗き込んだ。
「息も穏やかだし、なんで目を覚まさないかなあ」
「はい」
「外傷らしい外傷もないんだが」
「はい」
「どうしたらいいんだか」
「はい。……結婚式の準備は終わられましたか?」
「ああ、まあな、らしいぞ。明後日だしな。代役も立てたらしい」
「そうですか」
と、カルは眠る少女に向かって言った。
「腕のいい髪結も見つけておいたぞ。目を覚ませ。代役は嫌なんだろう?」
だが、リリアスは瞼をぴくりと動かす事さえなかった。
カルは一つ息を吐くと椅子に座る。ヴィルマその横に半歩下がって立つ。
「もしこいつがこのままだったらヴィルマはどうするんだ?」
「こいつ、と呼ばれるのはおやめ頂きたい」
「悪い……で、どうするんだ?」
「姫様の側におります。許されるならば、ですが」
「それは勿論いいが、何ならずっといてもいいんだぞ。こい……姫が目を覚まそうが、そうでなかろうが」
「いえ、陛下に報告するまでが私に与えられた使命ですので」
そうか、と言ってカルは少し笑った。一時、静かな時間が訪れる。遠くで鳥の囀りがする。
「……しかし、あれだな。マティアスも。宝物とか言ってとんでもない者をよこしやがった」
「……」
ヴィルマの形のよい眉が僅かに上がった。
「何にしろ、目覚めるのを待っているしかないというのも間怠っこしいな。ユニハでさえそう言うとはね」
「はい。しかし……姫様にとっては目を覚まさないほうが良いのかもしれませんが……」
「おいおい、随分弱気だな、らしくない」
カルはヴィルマを見上げて言う。
「申し訳ございません」
「謝る事でもないが……。でも確かに、あの場で気を失ったままだったのは良かったとは思うしね」
カルは再び視線を眠る少女へ向ける。
「あれは全部このお姫様の仕業なんだろう?」
「……はい」
「だったら、あれだよな。戦場に連れ出せば一人で一軍を倒せるわけだ」
カルは面白そうに言う。ますますヴィルマは難しい顔になる。
「姫様が自分のお力をそこまで意図的に使えるとは思えませんし、何より、今のこの状態を考えるとそんな事をすれば命を落としかねません」
「……まあ、そうだろうな。そうでなければマティアスだって手放さないだろうからな」
「マティアス様は姫様に幸せになって欲しいのです、本心では」
「本心がわかりにくすぎるんだよ、あいつは」
「…………」
「そもそも何なんだ、あの力は」
カルは軽い口調だったがヴィルマはますます難しい顔になった。
「私にはわかりません。わかりません、が、姫様には風の精霊がついておられる。先代の聖乙女の血と力を引き継いだ真の聖乙女です」
ふーん、とカルはつまらなそうに言った。
「この国には今更そんな者いらないんだけどな」
その言葉にヴィルマが口を挟む前に、カルは立ち上がった。そして眠る姫君にいつもの明るさで声をかける。
「お前も呪い子だったり聖乙女だったり散々だな。でも、まだ王妃の役目が残ってるぞ、さっさと目を覚ませよ」
もちろん反応はない。カルはそんな彼女をじっと見下ろして、それから戸口に向かった。そして出ていく間際に振り返ってヴィルマを見た。
「ああ、それから」
「何でしょうか」
「マティアスがお前に与えた使命っていうのはそれだけか?」
ヴィルマは不意をつかれて瞳が揺れる。カルは真っ直ぐにそんな彼女を見つめる。その視線をなんとか逸らさずに受け止めてヴィルマは言った。
「おっしゃる意味がわかりかねますが、私がすべき事は姫様を無事にここまでお連れした後、式に参列し、それを報告する事と心得ております」
カルはふっと笑った。その場の空気が軽くなる。
「そうか、それなら尚更、明日までには目が覚めるといいな。引き続き付いててくれ。何かあったら報告を」
「かしこまりました」
カルが出ていくのを立ったまま見送ってから、ヴィルマは疲れ切ったように椅子に再び腰掛けた。
それから姫の顔を見つめると絞り出すように
「姫様……」と呟いた。
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