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第75話 白いコイン

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倉庫。

 アオイが連れてこられるのと一緒に初老の男性が入ってきた。

「やあ、若森くん。 相変わらず元気そうだね」

 彼はニコニコしながらディミトリに話しかけて来た。

「君の活躍は色々と聞いてるよ」
「……」
「それともデュマと呼んだ方が馴染みが良いかね?」

 彼はディミトリの渾名すら知っていた。

「アンタ、誰?」

 ディミトリは興味無さそうに聞いてみた。本当は興味津々だが、この相手に弱みを見せるのは拙いと感じているからだ。
 情報の引き換えと同時に何を要求されるのか分かった物では無い。油断ならない相手だと判断したのであった。

「私の名前は鶴ケ崎雄一郎(つるがさきゆういちろう)」

 初老の男は長机の上にあるディミトリの私物を手に取って眺めながら答えた。

「君の手術を担当した脳科学者さ……」

 彼がディミトリに脳移植をした博士だったのだ。

「君とは手術が終わった時に一度逢ってるんだが…… 覚えてないみたいだね」
「……」

 そう言ってニコッリと微笑んだ。ディミトリは黙ったままだった。本当に記憶に無いからだ。
 だが、想定内であったのだろう。博士はニコニコとしている。ディミトリの反応を楽しんでいるようであった。

「さて、君には質問が幾つか有るんだが……」

 博士はディミトリの傍に立ち、見下ろしながら質問を始めた。

「さて……」
「聞く所によると君は麻薬組織の売上金。 百億ドル(約一兆円)を掻っさらったそうじゃないか……」
「……」

 ディミトリは博士を睨みつけた。横取りした金の総額は誰も知らないと思っていたからだ。

(クソッ! バレているのか……)

 金額まで正確に知ってるのは大したものだ。
 ジャンもその手下たちも顔を見合わせていた。想像も付かないような大金であったからだ。

「じゃあ、本体の俺はどこに居るんだ?」
「隠してあるそうだ」

 ディミトリは一番知りたかった事を聞いてみた。本体とは元の身体の事だ。

「……」
「さあ、モノは相談だ。 金を折半にしないか?」

(くそっ、やはりそう来るか……)

「その偏頭痛の原因も知っているし、対処する方法も分かっている」

 ディミトリが抱える問題は偏頭痛ではなく失神グセだ。今はある程度は我慢できるが油断すると失神してしまう。

「恐らくは記憶の定着が巧くいってないんだろう」

 博士は座っているディミトリの周りをゆっくりと歩きながら話をしている。

「ロマンチックな言い方にすれば魂の定着とも言うがね」

 博士を肩を竦めてみせた。
 それからディミトリの顔を覗き込むようにした。

「早くしないと君の魂はタダヤスから消えてしまうよ……」
「……」

 そう言うとニヤリと笑った。それでもディミトリは黙ったままだ。

「自白剤を使いますか?」

 ジャンは時間が惜しいので、さっさと自白させようと薬を使うことを提案してきた。
 自白剤とは対象者を意識を朦朧とした状態にする為の薬剤だ。
 人は意識が朦朧としてくると、質問者に抗することが出来なくなり、機械的に質問者の問いに答えるだけとなる。
 しかし、副作用も酷く自白の中に対象者の妄想が含まれる場合も多いので信頼性が低くなってしまう。捜査機関などでは使われることが少ない薬剤だった。

「そんな事をしたら折角の記憶が無くなるよ?」

 博士が素っ気無く答えた。彼からすれば記憶に関する障害をもたらす薬品など論外なのだろう。
 それは自分の研究成果が台無しになる事を意味する。金も研究成果も欲しい欲張りな性格なのだろう。

「それに彼は拷問に対処するための訓練を受けているんだよ」

 博士はディミトリの軍にいた時の経歴も掌握していた。

「その女の子を痛めつけ給え、彼はきっと助けようとするだろう」

 博士がアオイを指差した。恐らくモロモフ号の事も知っているのだろう。
 アオイには特別な思い入れは無いが、自分の所為で他人が痛めつけられるのは気分の良い物では無いのは確かだ。

 やっと出番が来たと思ったジャンはアオイをディミトリの前に連れてくる。
 そしてジャンはおもむろにアオイを殴りつけた。殴られたアオイは転倒してしまう。

「やめろっ!」
「話す気になったかね?」

 博士はニヤニヤしたまま聞いてくる。ジャンも手下たちも同様だった。

「彼女は関係無いだろうがっ!」
「相手のウィークポイントを責めるのが尋問のイロハだろ?」

 そう言うとジャンはアオイの頬を再び殴りつけた。アオイの鼻から出る鼻血の量が増えてしまった。

「分かった、分かった…… 教えるから辞めてくれ」

 ディミトリが仕方がないので暗証番号を教えると伝えた。
 ジャンと博士はお互いの顔を見てニヤリと笑った。
 ジャンが手下に顎で指示をすると、手下はノートパソコンをディミトリの前に持ってきた。

「手を動かせるようにしろ」

 ノートパソコンを前にしたディミトリは言った。操作する為だ。

「駄目だね。 お前さんの手癖の悪さはよく知ってるよ」

 ジャンがニヤニヤしながら言った。

「ふん。 おまらがロシア語を扱えるのなら勝手にすれば良い」
「………… 右手だけだ……」

 暫し考えたジャンが手下に言った。何故ならロシア語など誰も知らないのだ。
 手下は持っていたナイフで、ディミトリの右手の拘束バンドを切断した。
 ディミトリは右手を降って痺れを取った。長いこと結束バンドで縛られていたので、バンドの跡が赤く付いている。

「そこの白くて丸いやつを割って、中身を俺にくれ」

 それから長机の上に有る自分の私物を指差して言った。
 言われた手下の男はディミトリの私物から白いコイン状の物を取り上げた。

「何故だ?」

 手下の男は手にした物の表裏を繰り返し見ながら尋ねてきた。

「パソコン通信のロック解除させる物理暗号キー用のドングルが入っている」
「ドングル?」

 耳慣れない単語を聞いた手下が尋ねてきた。

「部屋の中に入るための鍵のようなもんだ」

 ディミトリは素人にも分かるように例えてみた。

「それが無いとセキュリティで弾かれるんだよ」
「なるほど……」

 手下がジャンを見ると、彼は了解したとでも言いたげに頷いた。

 もちろん、嘘だ。それはコインに偽装した発火剤なのだ。形状をコインにしているのは、ゲームセンターのコインだと答える為だ。
 何も知らない手下はコインを割った。瞬間。発火剤は閃光を発して燃え上がる。

「ぐあっ!」
「うわっ!」

 ジャンたちは急な発光に気を取られてしまった。
 一方、コインを指に挟んだまま発火させた男は、親指と人差指が半分無くなってしまっていた。急激だったので指を放すタイミングを失ってしまっていたのであろう。

「!」

 ディミトリは相手が油断した空きを逃さなかった。反撃の開始だ。
 相手のベルトに刺さっていた銃を奪い、ジャンたちに向かって連続で射撃した。正確に命中する必要は無い。相手の視界が回復する前に行動不能になってほしいだけだ。
 弾丸はジャンや手下たちの腹に命中したようだった。

 それから、後ろに居た男の頭を撃ち抜いた。椅子に座ったままだったので、顎の下から頭を撃ち抜くような感じだ。
 男の脳みそが天井に向かって飛散していく。

 室内に居た全員が倒れたすきに、ディミトリはナイフを使って手足の結束バンドを外した。それからジャンの手下たちのとどめを刺して回った。
 ジャンは腹に当たっていたと思ったが逃げてしまっていた。中々に逃げ足が速い男だ。

 しかし、ディミトリは追いかけようとはせずに博士の所に歩み寄った。
 博士にも弾幕の一発が当たっているらしく肩から血を流していた。

「俺の記憶とやらは何処にあるんだ?」
「わ…… わしの研究所だ……」

 いきなりの展開に腰が抜けてしまったのか、博士は床に座り込んだままだった。

「研究所の何処だ?」
「……」

 博士は質問に黙り込んでしまった。ディミトリは博士の傍に座り込んで顔を覗き込んだ。だが、博士は黙ったままだ。
 ディミトリは銃痕に指を入れてかき回してやった。博士の口から鋭い悲鳴があがる。

「私の研究室にあるサーバーの中だ。 Q-UCAと書かれているハードディスクの中身がそうだ!」
「ふん」

 知りたいことを聞いたディミトリは立ち上がった。

(さて、ジャンの奴を逃しちまった……)

 自分の事を散々追いかけ回した彼には、是非とも銃弾を大量にプレゼントしてやりたかった。
 だが、ここにはジャンの手下が沢山居るはずだ。相手のテリトリーで戦うような間抜けではない。

「怖いお友達が来る前に逃げ出すか……」

 ディミトリは倒れているアオイを助け起こして部屋を出ていった。
 もちろん、博士も連れて行く事にした。聞きたいことが他にもあるからだ。

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