蓮の呼び声

こま

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3章 暁の杼竜

3_④

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 大師範が戻るまでの時間は、長いような短いような、妙な進み方に感じた。いくつか紅龍と他愛のない話をしたが、添花はなんとなく上の空だ。言葉の端に苛立ちが出そうになる。
 竜と対峙した時、崖の上にあった気配は確かに霖だった。餌をおびき寄せてやる、などと言って、小細工をしたのかもしれない。それが原因ならば、封印の亀裂は間接的に自分のせいだと思うのだ。
(迷惑な奴。巻き込む規模が大きすぎるっての)
 喉を通り過ぎる溜息が熱い。谷底の出来事を振り返るほど、腹が立ってきた。
 以前、竜の討伐隊が組織されたのは二十年ほど前のようだ。助けを求める声も、ほとんど溶けてなくなっていた。時間を置いて考え直すと、彼らを救い出せない現実が分かった。
 いつからか、応接室は沈黙に包まれていた。段々に険しくなる添花の顔を見て、紅龍はわざと呑気に問いかける。
「……なあ、さっきから顔が怖いぞ? どうしたんだよ」
「ん……あの竜のこと考えてた。もう、いろんな意味で腹が立ってるんだよね」
 竜が霊となった人達を食らい、成仏という安息さえ奪ったことを話していると、余計にふつふつと怒りがわいてきた。添花は谷の方を睨んで、言葉を探した。
「あー……何とか、叩きのめしてやりたいな」
 感情のままを口にするのは、よくない。長く道場に通った身には、自制の術が染みていた。町や人を守るための力は、感情だけで振るえばただの破壊になる。それでは道場の教えに背く。
「珍しいな、お前がそんなに怒るなんてさ」
 抑えても、紅龍には見透かされていた。少しの驚きとともに、懐かしむ目で添花に微笑む。
「ちょっと、頭を冷やした方がいいんじゃないか?」
「……許せないの。食われた人を助けるのは無理だって、わかってるけど!」
 谷の方を見ていた顔を紅龍に向けて訴えると、添花は言いかけで口をつぐむ。前髪の分け目からのぞく額を、紅龍の人差し指が小突いていた。
「落ち着けって言ってるんだよ。二年で子供に逆戻りか?」
(むむ……確かに、大人気なかったかも)
 痛くはないが、目が覚めた気分だ。
 添花は自分で思っている以上に、霊に心を寄せて旅をしていた。頭に上った血がひいて、暴走を止めてくれた幼馴染みに頷く。あの竜を何とかするためには、今は冷静にならなくては。
 ちら、と燦陽の霊を見ると、添花達の騒ぎを気にする様子もなく、じっと瞑想している。
「ありがと」
 目線は外れているが、紅龍に向けた礼だ。
 ひとまず怒りの頂点が過ぎたことにほっとして、紅龍は応接室の入り口の壁に寄りかかった。
「いいよ。……それにしても、添花。せっかくの再会だっていうのに、なーんか、よそよそしいよな」
「そう?」
 添花にとっては意外な意見だった。再会して、紅龍の変化は感じていたが、話していると二年の空白がすっかり埋まった気がしていたからだ。きょとんと首を傾げる動作は、普段の添花と違って無防備だ。
「いつから、俺を紅龍って呼ぶようになったんだよ」
「……あ、紅って呼んでたっけ」
 谷底で、咄嗟に呼んだのも愛称の紅ではなく、彼の名前そのままだった。それではしっくりこなかったのだと笑う幼馴染みは、寂しそうだ。どうして愛称が出なかったのか、添花も不思議に思う。
(忘れていたわけじゃない。きっと、思い出しにくいんだ。だって、蓮橋では……あれ?)
 突然、心臓が激しく脈打つ。掌にも、じんわり汗が滲んできた。故郷に思いを馳せるのは、健康に悪いらしい。添花は意識して別のことを考えた。
(大師範、まだかな)

 瞑想していた燦陽が、ぱっと目を開いた頃、大師範が道場に戻ってきた。忙しく指示を飛ばしながら、奥の応接室に向かっている。
 封印には確かに亀裂が入っており、予断を許さない状態だ。討伐失敗から蓋をしてきた竜鱗の問題と、向き合う時が来たのだろう。
 そのための力は付けてきた。自らの鍛錬はもちろん、門下生の育成にも師範と共に取り組んだ。竜の翼が自由になる前に、今度こそ。討伐隊の編成を考えた時、真っ先に浮かんだ門下生達を思って、大師範は数奇なものだとひとりごちた。
「封印の亀裂は恐らく老朽化によるものだ。五日か、六日か……もう、長くは持たん」
 応接室で元の位置に座ると、大師範はすぐに現状を説明した。併せて、討伐隊に紅龍を召集すると伝える。彼の力が認められているのは、添花にとっても自分のことのように嬉しい。ただ、封印が壊れるまでの日数は、燦陽と見立てが違って心配だ。
「今日の昼下がりには、隊員を集会所に集め、説明を行う。細かい内容は、そのときだ」
 これから忙しくなる。この場は間もなく解散の色合いだ。谷底で何があったのかは問われるだろうが、それだけでは困る。添花は大師範が何か言う前にと、口を開いた。
「大師範。少々、お聞きしたいことがあります」
 まっすぐ大師範と向き合って言う間に、一瞬、後ろを気にする素振りを見せた。首を回さずに、紅龍の方へ向けた目線は色々なことを語っていた。
 聞きたいことの他に、話すべきことがある。
 霊能力については紅龍が同席していても構わない。ただ、霖がこの事態に関わっているのなら、添花も討伐隊への参加をかけあうつもりだ。そんなこと、紅龍は反対するに決まっているし、霖のことは隠しておきたかった。
 僅かな仕草を読み取り、大師範は紅龍に席を外させ、応接室には添花と大師範だけになった。
(凄いね、人の心でも読めるの?)
 覚悟はもう決めていたが、添花は緊張していた。尊敬の念を抱くことで少し気が楽になった。
「さて、聞きたいこととは何だ」
「はい。亀裂の原因……恐らく、老朽化だと言いましたね。人為的な原因も考えられるんですか?」
 谷底へ降りたことに責任を感じての質問と解釈し、大師範は髭をなでた。
「いいや、もとより人に影響を受けぬ結界だ。しかし、何者かが竜の格を上げたようだな。それで抑え切れなくなったのかもしれん」
 添花を見る目が、推し量るように変わる。
「心当たりが、あるのかな?」
「確証はないです。でも、」
「討伐への参加は、認めぬぞ」
 口の端に討伐のトの字も乗る前に言われて、添花は面食らった。予想はしていても、ここまでの勢いで断られるとは。
「この町の問題だ、巻き込むわけにはいかない。谷で何があったか話してもらえればいいのだ」
 大師範の意思は固い。これを説き伏せるのは中々に骨が折れる。燦陽の霊を視界の端に捉え、頷くのを確認してから、添花は大師範の目を真っ直ぐに見返した。
「……封印は、持って三日です」
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