蓮の呼び声

こま

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【本編後】蓮が咲いたら

生きとし生けるものどもよ 5

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 毛玉を、思い切りぶん投げる。霊と同じくあまり重さを感じなかった。それでも距離が足りなそうなので走って追いかける。手に気功を蓄えて、相手が地面に弾む前に渾身の突きを見舞った。
「……っ、橙狐!」
「任せろ、テン!」
 陣は最後の一画を得て、柱状の光を放つ。ちょうど真上に飛ばされてきた毛玉の全身が収まり、少しずつ細くなる光に焦がされているような音がした。全てが消えてなくなるまで、橙狐は口の中で何か唱えながら手指で型を作っていた。退魔のまじないだ。
 添花が脇腹を押さえて地面に膝をついたので、橙狐の邪魔をしないよう大回りして翔雲が駆け寄る。
「どこをやられた?」
「ちょっと……あばら、やったかも。深く、息が、吸えません」
 特に痛みの強い所がそこだから、手が貼り付いた跡が青あざになっている顔には気付かないようだ。木立を駆け回って引っ掛けたのか、服が破れて覗いた腿にもあざがある。
「ん……添花、右腕も見せてみろ」
 翔雲が気になった所は、やはり青く内出血している。腿は矢傷、腕は切り傷の跡。
「古傷も痛むか?」
「ああ……言われてみれば。ぶつけた覚え、ないのに」
「人の傷を煽って取り込もうってやつだ、相手にすれば古傷が疼く」
 毛玉が跡形もなくなり、額に汗を浮かべた橙狐も添花の様子を見に来る。彼はもっと傷跡が多いから、あざだらけだ。
「すげぇ豪快にやるから驚いたよ、助かった」
「間違えて、相棒呼ぶくらいには、役に立てたみたいだね」
「あっ、それはごめん。つい……添花って名前似てんだもん。え? あれ? そんな不服?」
 橙狐が慌てだすのも当然だ。添花の目にみるみる涙が盛り上がり、次から次へとこぼれてきた。
「うわ、何これ。さっきの……あれの声のせい?」
 こんなの、怪異に当てられただけだ。自分が泣いているんじゃないと言うように、添花は表情を変えずにいる。黒い手がつけたあざをさすり、あれの真相を語った。
「いつなのか、この辺でひどい凶作が続いて。口減しで捨てられた子どもが多くいた。あの怪異の正体は、たぶん」
「成仏できずに悪性化した魂の集まりか。恨みってよりは寂しさの怪物だな」
「うん。あの手から人のことを読み取って、一番効果的な言葉を並べて、食ってきたんでしょ……ああ、決着ついたら、頭ん中ぐちゃぐちゃ」
 大きく息をつくと、眉根が寄って表情が崩れる。戦いの中で切り替えた時は大丈夫だったのに、揺り返しのように感情が引っ張られていた。
「よーし、そういう時はな、しゃべって整頓したほうがいいんだ。あれと向き合って何を思った?」
 翔雲がそっと背中をさする。添花の周りには、こういう優しい手がいくつもあるのだ。女々しい泣き方はしたくないが、ぽろぽろこぼれるから顔を覆う。
「孤独を煽るようなことを言われました。あの子達はひとりで死んで、寂しさから寄り集まった。でも、私には兄さんがいて……紅達家族がいて。道場の皆がいて、今は隠し事もない。きっと恵まれている」
 あの子達と通う気持ちはあったが、寄り添うことはできなかった。ただの人間霊ではないから、心を寄せては危険だとしても。悔しさが声ににじむ。
「憐れむのは、なんか違う。あの子達にそういう人がいなかったのが……ひたすら悲しい」
 声が聞こえるのに。苦しみが伝わるのに。添花には生きて帰りたい場所がある。
「……やっぱ、あんた退魔には向いてねえかもな。自分じゃ絶対に認めないけど、優しすぎる」
 実はあざで全身痛いのだが、橙狐は添花の顔を覗き込むようにしゃがむ。
「退魔術式に何を書いてるか教えてやるよ。あれは反省文なんだ。現世に滞って悪いことしました、もうしないので輪廻の中に入れてくださいってな。だから、あれに含まれた魂は幾らか浮かばれてるはずなんだ」
「来世があるなら……あの子達は、また抱きしめてもらえるのかな」
「たぶんな、俺はそう信じてるよ」
 添花が顔を上げると、橙狐の目はちゃんと笑っていた。
「鍛錬は必要としても、そう信じれば、もっと割り切ってやれるよ。私もテンに会ってみたいし」
 テンが体を取り戻すのに、どれだけ退魔を重ねればいいのだろう。力を貸したいくらいには橙狐と友情を結んだ。流れ出る涙が減り、添花は微笑む。
「うそぉ……切り替え早いし、強ぉ。ありがとな、無理はすんなよ」
「あんたもね。継続して協力体制を取るかは、翔雲師範が客観的に見てください。私はやる気があるとだけ、言っておきます」
 もう完全に添花の涙は止まった。反対に翔雲の目頭が熱い。
「お前なあ。いっつも想像以上に成長しやがって、俺の情緒のほうがいかれちまうよ。この場で即断はしないでおく。まずは帰って傷の手当てだ、橙狐が発つまでにまとまれば代赭への書簡を持たせる」
 まず笹熊の医師に処置を頼み、それから蓮橋へ戻る。添花は腹を曲げない方がいいし、時間が経てば橙狐の痛みも引いたから自分で歩く。翔雲が手伝えるのはふたりの荷物を減らすくらい。
(いつまでも末っ子じゃないのは、分かってる。でも今回は無理してる所も見えたからな……甘え方を教えるか)
 蓮橋が近付いたところで、翔雲は添花の肩をつつく。
「映さん、そわそわして待ってるぞ。しばらく療養が必要だろうし、繕い物でも教われば?」
「確かに、じっとしてるのも暇ですもんね。帰ったら最初に会いに行こうかな」
「それがいい。大師範への報告は俺達がするから、添花は休め」
 師範の提案に素直に乗ることにした。紅龍の母は、生まれた時から添花を知るふたりめの母だ。さっきからすごく会いたい。
 少し脇腹が痛むが、町に入って添花の歩みは早まる。自分の家の向かいが紅龍の実家だ。荷物も置かずに玄関の戸を叩く。
「ただいま、映さん」
「添花! どうしたの、あざだらけ。大変な依頼だったのね?」
 顔や腕のあざはすぐ目に入る。頬に当てる映の手は、やはりあたたかい。
「うん。ちょっと疲れたから、映さんの顔見たくなっちゃった」
「あらあら、可愛いこと言って~」
 映の背丈は添花より低いが、玄関土間と床の高さでその差はひっくり返る。両腕を伸ばし、娘同然の子を抱きしめた。
「おかえりなさい」
「うん、ただいま」
 本当は脇腹が痛いのだけれど、添花も映の背に軽く手を回した。

 橙狐が代赭への書簡を携えて発ち、重い怪我をした添花は暴れるのを控える日々を送る。道場には顔を出すが、瞑想ばかりしている。あばらの骨は恐らく亀裂が入っているので、体を曲げたり走ったり重いものを持ったりと、出来ないことが多い。
 暇を持て余した添花は、縁側に座って考え事をしてみた。退魔を手伝うには優しすぎると言われたことについて。人間の霊に関わるにも、魂が割れていた時と今で姿勢が違うように思うのだ。
(前は霊のためと自分を保つため、除霊にふたつの意味があった。元に戻ってからは……困ってる人がいて、手を貸せる自分がいて。じゃあ助けようってだけ。それが心を寄せすぎるってこと?)
 晴れ空を雲が流れていく。縁側はあたたかく、やわらかい風が心地よい。
(術式の意味を知れば、私だって割り切れる。退魔士に任せたほうが輪廻に戻れる希望があるなら、容赦なく陣にぶち込むよ。退魔士の考え方は、彼らの心を生かすためのものだ。私もそれに倣えばいい)
 怪異は人の霊に由来するものとは限らない。でも、こうして日向ぼっこする穏やかな日常の裏側に確かに存在するのだ。それを野放しにしたら、頭に思い浮かぶ人達を脅かす。自分が自分の意思で動く限りは放って置けない。
「出来ることをやって、何が悪いって?」
 お淑やかな振りを身に付けるより、怪異退治を時々手伝うのが性に合う。だいたい、青士の妹なのだから優しすぎたって何の不思議もないのだ。これからは、優しいと言われて不快に思うことが減るだろう。
 怪我が治るまでの間に、添花はちょっと映にお願いをしてみた。
「本当にいいの? せっかく伸ばしたのに」
「いいの。一度、家出する前の長さにしてから切りたかったんだ」
 ひとつに結えるまで伸びた髪をばっさり切る。故郷を飛び出して一人旅を始めた頃の短さだ。もともとそのほうが好きだし、見慣れているから似合うと思う。
「何だか懐かしいわぁ。添花のお母さんも短いのが好みで、よくこうして整えてた」
「癖っ毛はまるで父さんだけど、母さんにも似て来たかな」
 紅龍の家で、添花は外に背を向けて縁側に座っている。映は庭に降りて立ち、大きく育った背中を見下ろしている。懐かしいなんて言葉が出たのはこの眺めのせいだ。
「首から肩の線がそっくりよ。考えてみたら茎ちゃんをここから一番見ていたのって私ねえ」
 髪を切り、うなじが露わになれば尚更。昔話に花を咲かせながら、うねる毛先を何とか整える。
 そのうち話は先のことに転がっていく。急に髪型が元どおり短くなったら、紅龍は驚くだろうか。そろそろ我慢出来なくなると思った、なんて笑うだろうか。いや、またひとつ気持ちの整理がついたのを察して、穏やかな顔で頷くはずだ。
 死者の魂に心を寄せすぎては危ないなら、釣り合うくらい生者にも寄せよう。添花が出した結論は大雑把で、きっと彼女らしい。
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