ふたつぶの涙

こま

文字の大きさ
4 / 32
1 こころあたり

1_④

しおりを挟む
 まだ午前の陽の高さ、街には活気がある。外に出ると、途端に喧騒が耳を突いた。僕の工房は、最も繁華な通りから一本入った場所だけど、いくつか店がある。それなりの賑わいを抜けて、町外れに向かう住宅地へ。ここはまだ静かでいいが、その場所ごとの面倒もあるから、早く通り過ぎてしまいたい。
町人の住居が多い道は、軒が深い急勾配の屋根を滑り落ちた雪が、道の中央に溜まっている。すると、どうしても建物の傍を歩くことになる。うっかり窓や玄関を開ける瞬間に出くわすと、怒られたり謝られたり、人と言葉を交わす。これが本当に面倒だ。時間によって漂う、煮炊きや石鹸のにおいも、あまり心地よくは思えなかった。足の運びが早くなっていく。
 頭の中で連ねた文句のせいか、踏み固められた雪に滑らぬよう気をつけていたせいか。知らぬ間に、僕は人形よりずっと先に進んでいた。
「ねえ、あなた計算するの得意?」
離れたことに気が付いたのは、民家の窓から顔を出した子どもが、人形に声をかけたからだった。足を止め、悠長に子どもの問いに答えている。
「たすのと、ひくのはできるよ。むずかしいと、時間がかかるよ」
そうと聞いて、子どもは窓から落ちんばかりに身を乗り出した。ポニーテールがくるんと揺れる。
「おねがい、私の代わりに計算やって! ママが、宿題が終わるまで友達と遊ぶなって、部屋から出してくれないのよ。私には、勉強よりも友達の方がずっと大切なのに!」
いるいる、こういう奴。よく言うよ、友達なんて、宿題を逃れる台詞の小道具じゃないか。他人の手を借りる方法ばかり考えるなら、その頭を宿題に使えばいいんだ。溜息が出る。
「ともだちは、大切だよね」
なぜか、人形は優しげに言葉を返した。宿題を、やってやるつもりか? メイズまでは遠いから、早く発って距離を稼ぎたいのに。
それでも遠巻きに見てしまったのは、計算を出来るというのが信じられなかったからだ。
「うーん……と」
 つまずきながら、渡された用紙とペンで黙々と計算を解く手もとを、子どもは見るともなく見ている。早く終わらないかな、とでも思っているんだろう。
紙切れ五枚に及ぶ計算は、残り一枚。ここまでは、まあ順調だったろう。
少しずつ項が増えたのか、だんだんペンが進まなくなってきた。答案用紙を顔に近付けたり離したりしても、計算は簡単にならないぞ。
「ぜんぶできないと、だめなんだよね」
「うん」
子どもの困り顔は、わざとらしい。自分でやる気は最初からないな。
「はあ……何がそんなに難しいんだ」
痺れを切らして歩み寄りながら、ここまで解いた計算が当たっているか、確かめたかった。
待たせたことを謝る人形とは対照的に、子どもは大人の登場に期待して、鼻の穴を膨らませた。今度は僕に解かせようとは、足を止めれば誰でもいいんだな。将来が楽しみだ。
「……三」
残っていたのは最後の一問。なるほど、繰り下がりがあったか。僕は答えだけを告げた。
これは、文章から数字を当てはめて、式も自分で書かなくてはならない問題だ。たかが加減算だし、答えに合わせて数字を考える位はできるだろう。少しは自分の頭で考えろ。
子どもは人形から奪うように用紙を取り、答えをメモすると首をかしげた。
「どうしてそうなるの?」
「疑うのかい? なら、自分でやり直してみるといい。……行くぞ」
さっさと歩き出すと、「がんばってね!」と子どもを応援して、人形は付いて来た。そうなっては深追いできず、子どもが窓を乱暴に閉める音が聞こえた。
 町を出て、材料庫のツリーハウスを通り過ぎる。物流で行き来する馬車が通る轍あたりは、まだ雪が浅い。太陽に照らされて溶けた水たまりを避けるため、足下に注意する。
「セコ、もしかして怒ってる?」
人形は、言い出しにくそうな小声を出した。おずおずって、こういう態度を言うんだろうな。
「なんのことだ」
「わたし、セコのこと待たせちゃったし。けいさんのしかた、あの子に教えなかったから」
待たされて苛立ちはしたが、それはあの子どもに対してだ。人形には、驚きが先行した。解ききった問題は全て正答していた。
最後の問題は詰まっていたから、計算のカラクリが組み込んであるわけじゃない。師が、実験として計算や言葉を教えた結果なのか、我が子としての扱いなのか。
「僕には不思議だったのさ。怒ってはいないよ」
ほっとしたのか、後ろを歩いていた人形が隣に並ぶ。
「ふしぎだから、答えだけ?」
そう端的にまとめると、意味が違うな。僕は溜息をついた。
「お願いされたことを、簡単に引き受けたのはなぜだ。あの子どもは、そのうち困ることになる」
こんなことを、人形に言ってどうする。人間にだって説教をたれたことはないのに。
師がどんな思想を吹き込んだか、探っているのかな。
「うーん」
人形は僕の言っている意味が理解できないらしく、上を向く瞳に合わせて、首が後ろに反っていく。ぎりぎり、転ぶ前に普通の佇まいに戻った。
「どんなふうに、こまるの?」
「計算も、文字の読み書きも、自分で出来なければ困るんだ。……ええと、いつも誰かに教えてもらえるわけじゃない」
わかりやすい例がなくて、投げやりに説明した。
人形は野宿の準備が始まるまで考え込んでいたけど、最後には自力で出来たほうがいいのだと納得した、らしい。
 今日のうちに消化できたのは、メイズへの道程の四分の一といったところだ。子どもの頼みを断っても、大して変わらなかっただろう。とはいえ、のんびりしていては、師の足取りを見失う。急ぐべきは僕より人形。時間が流れていくことは、わかっているはずだけど。
「そういえば、師は……いつごろ居なくなった?」
集めた枯れ枝に火をつけ、夜明けを待つばかりとなった。旅立つ前に確認しておくべきことを、今更ながら聞いてみる。
「今日からだと、いち、に……うーん、にじゅう日くらい前かな」
ヘミオラのパン屋を訪れた正確な時期はわからないが、指折り数えた日数は現実的だった。問題は、追い付くまで、情報が生きているかどうか。既にメイズを発っているだろうし、探すなら会った人物か噂だ。
 普段から旅人や商人が使うのか、今晩の野宿のために見つけた洞には、動物がいなかった。薪の爆ぜる音が、やけに響く気もすれば、外の雪に吸い込まれて、くぐもったようにも聞こえる。
細かい音を拾っている僕は、つまり暇だ。風除けにはなるが、洞は浅い。目を凝らして星を見るのも久しぶりだ。ひとりで過ごすのと同じ感覚で、ずいぶん長いこと黙っていた。人形が様子をうかがって静かにしていたことには、話しかけられて初めて気が付いた。
「……セコ、あのね。パパ、見つかると思う?」
「さあ。見つかると思うから、来たのかもね」
弱々しい問いかけに、雑な答えを返した。新たな枝を火にくべる。
考えてみれば、師が見つかる確証どころか、いなくなった確証もない。人形の言うことをうのみにして、さっさと旅に出たんだ。
直感が僕を動かしたのなら、止まる時も直感でいい。見つかるまで探したい気分だった。聞きたいことはいくつもある。
「きっと、いるよね。どこかに」
焚き火の前で、ひざを抱えて座る人形は、なんだか本当の迷子みたいに見えた。
揺れる炎の映る瞳が淋しげに見えたのは、たぶん、僕が眠かったせいだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

家ごと異世界転移〜異世界来ちゃったけど快適に暮らします〜

奥野細道
ファンタジー
都内の2LDKマンションで暮らす30代独身の会社員、田中健太はある夜突然家ごと広大な森と異世界の空が広がるファンタジー世界へと転移してしまう。 パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。 健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

処理中です...